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溜息

ある春の日にて、

作者: 室岡 勇実
掲載日:2025/12/04

 桜が咲き、舞い落ちることで春を感じる者もいれば、生活環境の変わり目、学生であれば進級・進学によってその季節を感知する者もいることだろう。私が春を感知するのは後者の場合だ。なんでも、まだ22歳の大学4年生なのだから。

 春は憂鬱だ。将来に立ちはだかる現実的な壁を目前にできる秋以降と比べれば、見える景色が曖昧過ぎるのだ。非常に気に入らない。親の影響で始めた煙草もぬるま湯のように感じられるこの季節が私は嫌いだ。火をつけて、始めの煙を吹かしゆっくりとその微睡んだ灰色を体に流し込む。


ー私はため息を吐いたー


 春香。それが私の名前だ。母がいうには春のように爽やかに、桜のように香る美しい女性になってほしいという想いにより名付けられたそうだ。正直にいって私にはこの「春香」という理想の人物像が全くもって想像できないのだ。私は卑屈だ。この名前はふさわしくない。いっそのこと惰性を貪るヘビースモーカーとして「惰煙ーだえん」なんてどうだろうか。高校入りたてのヤンキーが考えそうな二つ名のようになってしまった。これは採用できない。今は就職を考えなければならないというのに。

 どれだけ私という存在を希釈しようにも、その存在を否定はできないし、年度や季節が移ろうように私という人間も移りそして変化していくものだと承知している。夢なんてない。社会に慣れていけば相応の幸せが待っていると大人たちはいうが、薄情なことしか抜かしやがらない私はまだ子どもなのだろうか。さすがに煙草をたしなむ以上は、子どもと定義付けるのもおこがましい限りかもしれない。私は「半端者」か。

 「半端者」の私と違って、同級生の中には既に就職していたり、はたまた結婚し子育てをしている者もいるそうだ。皆社会の中で自分にとって最適な役割を見つけ、その者の幸不幸に関わらず各々の幸せのために奔走しているそうだ。大学に入れた時点で恵まれているのだと周りは言う。それは確かにそうなのかもしれない。私はそんな幸せの中で将来に何かしらの希望や成すべきことを見出すことができないでいる。卒論も書き終えていないし、就活用の書類なんてものは手を付けていないから、それが何という名前を持って存在しているかも理解していない。卒論のテーマは「過去と現在の若者の将来への希望について」だ。アンケート等を募って私が思うに、現代は将来に対して希望を抱く若者の割合というものは減っているようだ。私という存在はまさにそれを体現しているといって差し支えないだろう。なにがしたいかと問われれば、何もしたくないというのが本音だ。正確に言えば、仕事というものをしたいと思えない。本を読んで煙草を吸い、傍らにぬるくなったコーヒーがある。この環境さえ保たれればと思うのだ。人々はその環境を維持するために、またはより良くするために仕事をして金を稼ぐ。


ーため息が漏れたー


 今日は4月1日だ。希望を抱きーまた希望を探しにー進級・進学する者、不安を抱えつつも社会への門出を迎えた者。役職の進退に恐れ戦く会社員。色々な感情を放つ空間にむかって私は煙を吐いた。これは挑戦状ではない、野次だ。

 結局のところ、私も不安を抱える一個人に過ぎない。これらの野次もその不安から生じたものであると分析できる。何が分析だ。自分の状況を客観的にみて良くないと理解しているのなら、この分析はまるで意味を成さない。これは私の仕事ではない。日が落ちてきた。


ーため息を吐くー


 煙と一緒に吐き出したそのため息には私の何が込められているのだろうか。ふと思った。別に何が込められているものでもないといえばそうなのだが、それにしては重過ぎる。見た目は発泡スチロールのように軽いのに、中身は鉛球を打ち込まれたような重さを孕んでいる。

 百聞は一見にしかずとは言うものの、他方では目に見えるものがすべてではないという。中身がわからなけば正当な評価ができないといって私を採用しないバイト先もあれば、見た目が清潔だからと採用したところもあった。私は何をしたらいいのだろうか。わかりきった話、全てをこなすことができればいいのだ。こんな簡単な世の中の仕組みはない。見た目を整え、相手に耳を傾け、好みの反応を示す。これができたら苦労はしない。これに対しては悩みの無い人などいないという。これではどっちが駄々をこね、屁理屈を宣うのかわかったものではないな。希望を持てない私自身に納得するし同情してしまう。

 「可哀そうな私」


ー何度目かもわからないため息ー


 日が暮れてしまった。惰眠を貪り、太陽が南の空を抜けていく中ぬけぬけと起床した私にとって、昼間というものは実に退屈で長い時間なのだろうか。いや、短いのかもしれない。現実的な話ではなく心情の問題だ。夜は短い。気が付いた時には朝焼けの最中で鳥が囀り始める。あの時間は私を憂鬱にしてしまう。読書に引きづりこまれた私を現実に押し戻してしまう。いっそのことそこから抜けられなくなってしまえたらと思うことは不思議なことなのだろうか。

 少しの微睡みに浸ってる間に電車の音が聞こえなくなった。時刻は23時47分を指している。「ああ、今日が終わってしまうのか」私は呟いた。


ー私はため息を吐いたー

 

 本作に目を通していただきありがとうございます。なんとなく悩みを抱える自分の姿を投影したくなりまして、素直な気持ちでまずは綴ってみようと文字に打ち込んでいます。世の中にはだめな自分を正さなくてはならないという教えにも似た考えが当たり前にも蔓延しているのかと思います。

 しかし、何も思いつめなくとも、その自分を観るという行為そのものに意味があると思っています。後先などということは勝手に付いてくるものです。そんな投げやり気持ちが伝わるのであれば、この文章にはある程度の意味を持つのかなと思います。

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