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砂糖細工の船  作者: 酒田青
第二章 香辛料入りの少年
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2―1 少年

 二〇一〇年。少年が船にやって来た年だ。三毛が船に乗って五年が過ぎ、世界は少しだけ変わっていた。誰とも話さない、関わらない船の人々。彼らは少年によって少しずつ変わり始める。特に、水島、絹子、繭子、松子の四人が。三毛はそれを見つめる。いつものように。

 少年は動揺していた。怯えてもいるようだった。自分のいる場所を確かめるようにして体をぐるりと捻る。少年は沈黙して、海を見つめていた。

 三毛はじっと少年を観察していた。彼はTシャツにハーフパンツをはいていた。そこから伸びる手足はすらりとしていて、肌は夏の日差しに似合わない白さだった。達磨のような大きな目でぎょろりと周りを見渡した。ひどく興奮していて、気味の悪い雰囲気を纏っている。

「ここ、どこ?」

 少年は、彼を遠巻きに見ている女に、かすれ声でそう尋ねた。しかし彼女はびくりと肩を震わせただけで、何も言わなかった。

「どこ? あれは陸じゃないの?」

 少年が指差す先は、薄っぺらになった島だった。

「何で俺はここにいるの?」

 声が震えていた。目には涙が浮かび、今にも泣きそうだった。人々は困惑していた。子供が来るなんてことは予想外だった。内気な船の人々は自然と彼に話しかけることも出来ずに、じっと固まっていた。繭子と絹子はじろじろと彼を見つめ、松子は気まずそうに目をそらした。膠着状態は長く続き、少年はますますパニックを起していた。そこに、突然といって良いくらいに急に、人ごみから飛び出した男がいた。三毛は驚いて彼を見た。昨日の、銀縁眼鏡の男だ。

「やあ」

 男はざらざらした声で少年に話しかけた。少年の不安そうな顔はふと止んだ。

「こんにちは。僕は水島三郎です」

 少年が緊張気味にうなずいた。その周りを船の人々が固唾を飲んで見守っている。

「僕は、藤井優です」

「ユウ? 変わった名前だね」

「そうですか」

「ここはね、砂糖で出来た不思議な船なのだよ。君は今日からここに住むことになる」

「え?」

「もう日本には帰れない。永遠に海をさまようしかない」

 水島の淡々とした言い方に、優は言葉が出なくなったようだった。黙ったまま、ただ水島を見つめていた。しばらくすると何度もうなずき、うなずくのを止めるとこう言った。

「僕はどこに住めばいいんですか」

 今度は水島が面食らう番だった。少年の顔に表情は無かった。この不思議な出来事を、水島の乱暴な説明だけで納得したらしい。

「疑問は無いのか?」

「無いです」

「こんな目にあって、平気なのか?」

「平気です」

 優は大げさな水島の手振りに苛立ってきたようだった。次第に水島を馬鹿にしたような目で見始めた。

「どうせ行く場所は無いんです。ここで十分です。あの、僕の住むところはあるんですか。いつのまにか鍵を持ってるんですけど、これは僕の部屋の鍵ですか」

「そうだよ。その鍵の導くままに、歩いてごらん」

 水島がそう言うやいなや、優は鍵を太陽にかざした。鍵はキラキラと、銀色に輝いた。その光は船の人々の目を射した。

 優はいきなりすたすたと歩き始めた。彼が行くところは自然と人が避けた。彼は入り口の扉を開いて、中に入っていった。三毛は松子の腕を飛び出すと、彼の後を追った。同じように彼の姿を目で追う人々がドアを開けた。三毛はその隙間をぎりぎりで通り抜けた。

 少年はうつむいて歩いていた。ロビーを進み、階段を上がるその周りにはいつも大勢の人々がいるというのに、誰のことも見なかった。誰かが小声でハロー、と言った。彼は聞こえないふりをして黙々と進んだ。三階に着くと、廊下に入ってしまい、階段を登るのが遅い三毛が追いつくのには無理だった。

「なあに、あれは」

 階段を降りると、いつの間にか姉妹がそこに立っていた。繭子がぽかんと上を見上げていた。

「陰気ね」

「可愛いじゃないの。目がまん丸で、子供らしくて」

 絹子が言った。上機嫌に微笑んでいる。

「子供じゃないわ。私たちとそんなに変わらない年齢よ」

「いいわねえ。子供が来るなんて予想外だったわ。嬉しい」

「嬉しいの? あんな陰気な子が?」

「今度会いに行くわ」

「え?」

 繭子がぎょっとした顔で絹子を見た。三毛は、おかしなことが起こるものだ、と思った。子供であるだけで、こうも人の対応が違うとは。あの水島が単なる親切で誰かに話しかけたのは初めてだっただろうし、絹子は完全に好意を持っている。心なしか、人で一杯のロビーでは、暖かな興奮が伝染している。三毛の時と少し似ているが少し違う。彼は人間であるという点で三毛と違うのだ。こういう状況の中で彼はこれからどんな風に振舞っていくのだろうか。三毛は彼が消えた三階を見上げた。

     * 

 満月の夜だ。三毛は満月だとひどく嬉しくなる。明るくて、陽気な気分になるのだ。あばただらけの月の模様がはっきりと見え、三毛は地球を飛び出して、月のへこみに体を埋めたいという気がする。月と三毛とは不思議な縁で結ばれている。三毛はそう信じている。

 三毛はロビーの明り取りの下に座っていた。まっすぐな光の柱の中で、三毛は今夜、何をして遊ぼうかと考えていた。駆けっこをするか、かくれんぼをするか、それとも三毛と同じ夜型の住人のところに遊びに行くか。

 そう考えて、三毛は少年のことを思い出した。彼は降りてくるだろうか。三毛と同じところからやってきた少年は。三毛は彼をもう一度見たかった。新しい種類の人間だ、そう思ったからだ。彼は何だか興味深い。三毛を可愛がる素朴な人間には見えないし、ただ生き物を嫌って追い払う人間とも違う。きっと彼は三毛を見ても全く違う反応をするだろう。それはどんな反応だろう。

 そこで、三毛は不意に抱き上げられた。じたばたと暴れると、

「あら嫌ね。繭子さんには大人しく抱かれるくせに、私じゃ駄目だというの」

 と聞き覚えのある声がした。三毛は急に大人しくなり、少し緊張気味に体を預けた。

 絹子は髪を三つ編みにして肩に垂らしていた。渋い緑の長襦袢が体の線をはっきりと見せていたが、絹子の体は細くて、柳腰だった。絹子は三毛を抱いたまま椅子の一つに座った。

「眠れなくって」

 三毛は首を傾げた。

「眠りたいのよ。でも頭から離れなくって。あの子の孤独な様子が放って置けなくて」

 絹子は悩ましげにため息をついた。

「行ってもいいのかしら。彼の部屋に。歓迎されるなら行きたいわ。私はずっとあの子を待っていたのだもの」

 三毛の頭が疑問で一杯になる。絹子の言っている意味が分からない。問い返したいが、三毛には出来ない。出来ないからこそ彼女は三毛に話したのだろうが。絹子は黙っていた。ため息ばかり何度もつきながら三毛を赤ん坊のように揺らした。三毛は体中がむずむずした。視界が揺れるのでめまいもした。しかし、止めて欲しいと訴えて鳴いた時には、体の揺れは治まっていた。

 二階の回廊に水島がいた。肩に白い文鳥をのせて、三毛たちを見下ろしている。

「あら、嫌だ」

 長襦袢姿の絹子は、言葉に反して全く落ち着き払って彼を見上げた。瞳は全く揺れていない。彼のほうがよっぽど驚いて、恥ずかしそうに顔を赤らめ、無理にねじるようにして首をそらした。そして、部屋に戻るらしく慌てて戻っていった。絹子の方も言葉どおりの気分だったのか、単に気が変わったのか、三毛をそっと降ろして小股に歩いて廊下に消えていった。三毛はきょとんとしていた。何が何だか、分からなかった。

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