4-4 個展
繭子は一ヶ月間この家にいた。ぎくしゃくしていたが、松子や絹子とはうまく行っていた。絹子は出来る限り家に帰ってきたし、松子は繭子を手伝わせた。繭子は人形を作るのが好きらしかった。個展があるのだと知ると、手伝いたいと言って張り切っていた。
けれど、繭子は個展の前日、出て行った。松子が買い物に出かけている間に、荷物ごといなくなったのだ。
どんよりとした表情で、松子は個展に挑んだ。絹子も手伝いに来ていた。
落ち着いた薄茶とピンクの七十年代風の色合いの会場に、松子は人形だけでなく、小さな彫刻も置いていた。目の丸い独特のビスクドールは評判が良く、買い手がつくほどだった。
土曜日に始まった個展だが、日曜日には優が来た。戸惑った顔をした大人の女性を連れている。
「こんにちは、おばさん」
優がにっこり笑うと、松子は微笑んだ。受付の絹子が驚いた顔をしている。先ほど絹子にも同じように笑いかけたのだ。
「お母さんも連れてきたんだ。こういうの、好きらしいから」
疲れた様子の母親が、少し華やいだ顔をして松子に挨拶をした。
「お母さん。松子さんにはすごくお世話になったんだ」
「本当にありがとうございます」
尋常ではない感謝の仕方に、松子は戸惑っていた。優は松子に近づいて、
「公園で生活してて、松子さんに帰るように言われたってことにしたんだ」
とささやいた。松子は目を丸くする。
「じゃあ、松子さん。お母さんと一緒に回ってくるよ」
優は手を振って、人波の中に入っていった。
一週間の展示の間、色々な事があった。外国人に人形を買い求められたり、子供に人形の服を破かれたりした。美枝が遊びに来たりもした。その時は松子も動揺したが、以前のように接する事が出来た。
水島も来た。水島は家族を連れていた。小さな女の子と、水島と同い年くらいの妻。
「こんにちは」
そう言われた時、松子はぎょっとした。絹子は大学があるためにいなかった。辺りを見回して、ほっとしたように松子は水島を見た。
「私の個展はそんなに有名でもないんですけど」
水島は少し寂しげに笑った。妻と子は先に展示物を見て回っている。
「僕には至極まっとうな人生を与えられました」
水島は突然語りだした。
「妻と子、それに伴う幸福な記憶。僕は人を殺したのだというのに、不思議でしょう?」
「そうかもしれません」
松子は目を伏せた。
「でも、気付いたんです。こうして、守るべきものを持つことが、僕への罰ではないかと。僕の記憶が二重になって、時折家族は混乱します。本来の僕ではないと思うらしいんです。そうして、少しずつ溝が出来始めている。それでも守らなければならない。妻は病弱だし、娘はまだ幼いのですから」
松子は黙っている。
「傍若無人な僕を変えたのはこの人生です。枷でもありますが、僕は感謝していますよ」
「そうですか」
松子は顔を上げた。少し笑った。
「あなたが変わることが、千代さんの死を無意味にしないことに繋がります。その気持ちを、忘れないで」
水島は、一瞬辛そうな顔をした。しかし笑って家族の元に帰っていった。
*
絹子は学生結婚することを松子に宣言した。松子は戸惑って、美枝に電話を掛けて、大騒動になった。ある日のこと、台所で二人は長い話し合いをしていた。
「私、育てたいの。赤ん坊を失うのはもう嫌なの」
絹子は鋭い目で松子を射た。松子はそれを聞くと急に黙った。
「産みたいの」
「真剣に?」
「当たり前でしょ」
絹子が自分の腹部を優しく撫でた。
「おじいさんは、こんなことまで用意していたのね」
松子が言うと、絹子の勢いが急にそがれた。
「あの老人は関係ない。この子は私と良樹の」
「そうね。そうだわ」
松子は頷いた。
「私、産むから。お父さんやお母さんや松子さんがなんと言おうと産むから」
「その代わり、通い婚にしなさいよ」
「え?」
松子はにっこり笑っている。
「あなたのお母さんと相談したの。あなたを家に置いて、休学させる。良樹君も自分の家にいて、卒業までは一緒に暮らさない。大学生が同棲して赤ちゃんまで育てるのは大変だからね」
「松子さん、子育て手伝ってくれるの?」
絹子が泣きそうになりながら尋ねる。松子が頷く。
「結婚も出産もしたことのない私で良かったらね」
絹子は黙って立ち上がり、テーブルを回って松子に抱きついた。泣きわめく絹子を、松子はあやしていた。幸福が、この家を包もうとしていた。
その時、チャイムが鳴った。松子が一階に降りていくと、もう客はアトリエの中にいて辺りを見渡していた。松子は呆然とした。
「繭子さん」
繭子は笑った。小奇麗な格好をして、化粧も相変わらず濃いけれど、丁寧だ。髪は栗色になっている。
「雑誌のモデルになることが決まったの。ここに住んでもいい?」
上の階から絹子が覗いていた。そっと降りてくる。繭子が腕を広げると、絹子は飛びついて、泣いた。
「私、真剣に生きるよ、絹子さん」
繭子がそう言うと、松子も笑って、涙をこぼした。