表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
砂糖細工の船  作者: 酒田青
第四章 「その後」の日々
29/30

4-4 個展

 繭子は一ヶ月間この家にいた。ぎくしゃくしていたが、松子や絹子とはうまく行っていた。絹子は出来る限り家に帰ってきたし、松子は繭子を手伝わせた。繭子は人形を作るのが好きらしかった。個展があるのだと知ると、手伝いたいと言って張り切っていた。

 けれど、繭子は個展の前日、出て行った。松子が買い物に出かけている間に、荷物ごといなくなったのだ。

 どんよりとした表情で、松子は個展に挑んだ。絹子も手伝いに来ていた。

 落ち着いた薄茶とピンクの七十年代風の色合いの会場に、松子は人形だけでなく、小さな彫刻も置いていた。目の丸い独特のビスクドールは評判が良く、買い手がつくほどだった。

 土曜日に始まった個展だが、日曜日には優が来た。戸惑った顔をした大人の女性を連れている。

「こんにちは、おばさん」

 優がにっこり笑うと、松子は微笑んだ。受付の絹子が驚いた顔をしている。先ほど絹子にも同じように笑いかけたのだ。

「お母さんも連れてきたんだ。こういうの、好きらしいから」

 疲れた様子の母親が、少し華やいだ顔をして松子に挨拶をした。

「お母さん。松子さんにはすごくお世話になったんだ」

「本当にありがとうございます」

 尋常ではない感謝の仕方に、松子は戸惑っていた。優は松子に近づいて、

「公園で生活してて、松子さんに帰るように言われたってことにしたんだ」

 とささやいた。松子は目を丸くする。

「じゃあ、松子さん。お母さんと一緒に回ってくるよ」

 優は手を振って、人波の中に入っていった。

 一週間の展示の間、色々な事があった。外国人に人形を買い求められたり、子供に人形の服を破かれたりした。美枝が遊びに来たりもした。その時は松子も動揺したが、以前のように接する事が出来た。

 水島も来た。水島は家族を連れていた。小さな女の子と、水島と同い年くらいの妻。

「こんにちは」

 そう言われた時、松子はぎょっとした。絹子は大学があるためにいなかった。辺りを見回して、ほっとしたように松子は水島を見た。

「私の個展はそんなに有名でもないんですけど」

 水島は少し寂しげに笑った。妻と子は先に展示物を見て回っている。

「僕には至極まっとうな人生を与えられました」

 水島は突然語りだした。

「妻と子、それに伴う幸福な記憶。僕は人を殺したのだというのに、不思議でしょう?」

「そうかもしれません」

 松子は目を伏せた。

「でも、気付いたんです。こうして、守るべきものを持つことが、僕への罰ではないかと。僕の記憶が二重になって、時折家族は混乱します。本来の僕ではないと思うらしいんです。そうして、少しずつ溝が出来始めている。それでも守らなければならない。妻は病弱だし、娘はまだ幼いのですから」

 松子は黙っている。

「傍若無人な僕を変えたのはこの人生です。枷でもありますが、僕は感謝していますよ」

「そうですか」

 松子は顔を上げた。少し笑った。

「あなたが変わることが、千代さんの死を無意味にしないことに繋がります。その気持ちを、忘れないで」

 水島は、一瞬辛そうな顔をした。しかし笑って家族の元に帰っていった。

     *

 絹子は学生結婚することを松子に宣言した。松子は戸惑って、美枝に電話を掛けて、大騒動になった。ある日のこと、台所で二人は長い話し合いをしていた。

「私、育てたいの。赤ん坊を失うのはもう嫌なの」

 絹子は鋭い目で松子を射た。松子はそれを聞くと急に黙った。

「産みたいの」

「真剣に?」

「当たり前でしょ」

 絹子が自分の腹部を優しく撫でた。

「おじいさんは、こんなことまで用意していたのね」

 松子が言うと、絹子の勢いが急にそがれた。

「あの老人は関係ない。この子は私と良樹の」

「そうね。そうだわ」

 松子は頷いた。

「私、産むから。お父さんやお母さんや松子さんがなんと言おうと産むから」

「その代わり、通い婚にしなさいよ」

「え?」

 松子はにっこり笑っている。

「あなたのお母さんと相談したの。あなたを家に置いて、休学させる。良樹君も自分の家にいて、卒業までは一緒に暮らさない。大学生が同棲して赤ちゃんまで育てるのは大変だからね」

「松子さん、子育て手伝ってくれるの?」

 絹子が泣きそうになりながら尋ねる。松子が頷く。

「結婚も出産もしたことのない私で良かったらね」

 絹子は黙って立ち上がり、テーブルを回って松子に抱きついた。泣きわめく絹子を、松子はあやしていた。幸福が、この家を包もうとしていた。

 その時、チャイムが鳴った。松子が一階に降りていくと、もう客はアトリエの中にいて辺りを見渡していた。松子は呆然とした。

「繭子さん」

 繭子は笑った。小奇麗な格好をして、化粧も相変わらず濃いけれど、丁寧だ。髪は栗色になっている。

「雑誌のモデルになることが決まったの。ここに住んでもいい?」

 上の階から絹子が覗いていた。そっと降りてくる。繭子が腕を広げると、絹子は飛びついて、泣いた。

「私、真剣に生きるよ、絹子さん」

 繭子がそう言うと、松子も笑って、涙をこぼした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ