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砂糖細工の船  作者: 酒田青
第四章 「その後」の日々
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4-2 美枝

 それから数日経って、一階のアトリエでビスクドールの型の製作をしていた松子は、不意に虚脱したように腕をぱたりと落とした。

「美枝」

 松子はそれから慌てて二階に行き、自分の部屋に入ると、本がびっしり詰まった壁一面の本棚の片隅に手を伸ばした。引っ張り出したのは、真っ赤なアルバムだった。ページを開く。

「美枝」

 ぽたぽたと涙が落ちた。そこには写真があり、冬のセーラー服を身に付けた絹子が、卒業証書を持って笑っている。その横に、松子と、松子より二十ほど年上の女性がいる。写真の下のシールにはこう書いてある。

「絹子の卒業式。絹子と美枝さんと」

 涙がどんどん溢れてくる。止まらない。

「生きてた。生きてた。それも、絹子のお母さんとして私に関わってた。生きてた」

 松子はアルバムを抱きしめた。

「良かった」

 ひいひいと声を出して泣いた。絹子が帰るまで、そのままでいた。

 絹子は浮かない顔で帰ってきた。目を真っ赤に泣き腫らした松子を心配していたが、考えは別のところにあるようだった。

「うちのお母さんに電話した?」

 絹子は作ったような笑顔で松子に聞いた。松子はぶんぶんと首を振って、とんでもない、と言った。

「勇気が無いわ」

「私に、繭子さんにメールしろって言ったのは松子さんだよ。私、勇気を出してメールしたのに」

「そうね」

 松子が笑う。しかし、相変わらず作り笑いを浮かべている絹子を見て、おかしな顔をする。

「どうしたの? 絹子」

「繭子さんからメールが来ない」

 早口で絹子は言った。

「繭子さんからその境遇を聞いてるの。親に放置虐待を受けて育ったって。中学もろくに出てないって。家にはあんまり帰らずに、友達の家やネットカフェをふらふらして生活してるんだって。それ、聞いてたの。この間は言えなかったけど。ねえ、松子さん。私、繭子さんに会うの、恐い」

 薄暗い松子の部屋の中、絹子が松子に抱きついた。松子は絹子の震えている体を抱きしめて、

「大丈夫よ」

 と言った。

「必ず、必ず通じ合える。私たちが通じ合えたように」

 絹子が顔を上げる。その目は冷たく光っている。

「私たちが通じ合えたのは、あの老人が作った私たちの人生の記憶のせいだよ。私たち、仲良く接してきたっていう記憶があるから一緒にいられるだけ」

「絹子」

「そうだよ。嘘だよ。こんな人生、嘘。私には繭子さんがいる人生だけが本当なの。それに、赤ちゃんだって」

「赤ちゃん?」

 松子は青ざめた。絹子は一瞬顔を歪めて、

「良樹の所に行く。しばらく泊まるから」

 と言い、部屋を飛び出した。松子は呆然としていた。良樹とは、絹子が今交際している同級生のことだった。

     *

「しょうがないわね、あの子は。ごめんね、松子」

 電話の向こうで物静かな声が話している。松子は一瞬ぼんやりとし、はっとしたように、

「いいえ」

 と答えた。今、松子は美枝と電話をしている。とても自然に。

「ごめんね、美枝さん。私の監督不行き届きだわ」

「松子のせいじゃないわ。あの子、すごくわがままだから」

「絹子は子供の頃から我が強かったわよね」

「そうね」

 美枝がくすくす笑う。

「偽物の人生なんかじゃ、ないわよね」

「え?」

「何でも無いわ。ねえ、ところでどうして美枝さんは私と同じ人形教室に通っていたの?」

 松子は緊張した面持ちで尋ねた。電話の向こうの美枝が笑う。

「突然ね。あのね、父には秘密よ。母がアマチュア彫刻をしていたからなの」

 松子の体の力が抜ける。

「私、昔ね、自殺を図った事があるの」

「そう」

「助かったけど、母がショックで失踪したの」

「そうなの」

「私、本当に申し訳なくて。それ以来母を追いかけてるの。物を作るという形で」

「そう」

「どうして泣いてるの?」

 美枝が心底驚いたように大きな声を出す。松子は床に崩れ落ちていた。

「う、恨んでないの?」

 嗚咽が漏れる。

「どうしたの? 恨むわけないわよ。私が悪いんだもの。何を言うの」

 松子はしばらく泣いた。美枝はその間黙っていた。松子は尋ねた。

「私、名前も顔もお母さんと同じね。辛くなかった?」

「どうして知ってるの?」

「絹子が持ってたの。写真」

「むしろ懐かしかったわ。嬉しかったわ。あなたと親友になれて、すごく幸せよ。ねえ、どうして泣くの。泣かないで、松子」

「ありがとう」

 松子は泣くのを止められずにそう言った。

「ありがとう」


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