3-9 優
「俺は自分のものを見つけられなかったよ」
優は困惑したように自分の鍵を握った。
「君が大切にしているもの。それが何か、分からないのかい?」
「分からない」
「君自身だ」
優が目を丸くする。老人が彼を指差す。
「君に鍵穴が開いているよ。鍵を差し込んでごらん」
優は怪訝な顔で、自分の体を見た。そして、ぎょっと飛びのいた。
胸に、穴が開いている。
「差し込むんだ」
「出来ないよ。何だよこれ」
「差せ」
老人の口調が激しくなると、優はびくりと体を揺らして、鍵穴をもう一度見た。真っ暗な空洞。
「差すんだ」
優は震える手で、鍵穴に鍵を差した。くるりと回すと、ガチャンと鳴った。
「あっ」
優が叫ぶ。彼の口から黒い煙が勢いよく流れ出している。煙は、無限に見える白い部屋中に広がった。部屋に置かれた様々なものが、煙で隠れていく。
何も、見えなくなった。しかし、椅子に座った老人と三毛、松子たち、優は見えてきた。
「これが君の過去か?」
老人が不思議そうな顔で辺りを見回している。優は、口をもごもごさせながら、黒い部屋のどこかを見ている。
「あれは、君だね」
老人が呟く。
暗闇の中央に、丸くうずくまった優が浮かんでいる。それを、全員が眺める。静かに、じっと。何分も時がたち、ようやく老人が声を出した。
「君の中身はこんな風か」
「目を閉じると見えるんだ。この景色が」
「なるほど」
途端に、暗闇は晴れ、元の風景に戻った」
「君の過去は松子から聞いているよ。親に、教師に、クラスメイトに、虐げられた」
「そうだよ。最悪の人生だ」
「それに君は自分の中しか見てこなかった」
「どういうこと?」
「さっきの幻を見たら、分かるだろう。君は自分しか見てこなかった。もっと、周りに目をやってもいいんじゃないのか?」
「でも、周りの奴らは」
「周りの奴らも君と同じさ。自分のことしか考えてないんだ。身を守るためにね。でも、君はあと少しで大人になる。人間はそれだけではないと、そろそろ気付くべき頃なんじゃないか?」
優は黙った。不満げな表情を浮かべている。
「奇麗事だ」
「そうかな? 君がこれから行く世界を生きれば、気付くはず」
「俺がこれから行く世界?」
*
ふわりと、優の体が浮いた。慌てふためく優と同じく、松子、絹子、繭子、水島も宙に浮いている。
「君たちは旅立つべきだ」
「おじいさん」
松子が老人に近寄ろうとするが、出来ない。
「もうこの船にはいられないよ。人殺しをしたからね。それに、少しは気付いたんじゃないか? 誰かと一緒にいられることの幸福に」
「嫌よ、ここから出たくないわ」
繭子が頭を抱えてわめいている。絹子はじっと老人を睨んでいる。
「私は気付いたよ。それでもここから出られないことの悲しさに、悶えた」
「一体、僕はどうなるんだ? 教えてくれ」
水島が怒鳴る。老人は微笑む。
「君たちの裁判をしていると言ったね。それはね、君たちに現実世界でどういうスタートをさせるかという裁判だったんだよ」
「いや。船の外なんていや」
今度は松子が泣き叫んでいる。
「本来いるべき場所だ。この船は少しの間、魂を休める場所でしかないんだよ」
「魂を休める場所?」
優が呟く。
「そう。私も誰も知らない、誰かが与えた、休憩所。私は誰にともなくこういう役目を仰せつかって、こんなことをしているんだ」
「おじいさん、おじいさん」
松子が呼びかける。
「君たちと話すのも、これが最後だ。さようなら」
松子たちが、一瞬で霧になった。そして、拡散して、消えた。
「君と二人でいよう、三毛」
老人は膝の上の三毛の喉を、優しく撫でた。三毛は喉を鳴らさず、松子たちが消えた辺りをじっと見ていた。