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砂糖細工の船  作者: 酒田青
第三章 無音室で裁かれる
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3-8 松子

「繭子はどうしてここに来たのかな? 見てみよう」

 老人の言葉と共に、幻影が現れた。繭子の家の応接間だ。そこに背広を着た男が二人、座っている。向かいには、繭子。

「お父様は、自殺の気配がありましたか?」

「分かりませんわ」

 繭子は、泣いている。

「誰かが味噌汁に毒を入れたらしいのですよ。それはお父様本人か、女中か、あなたしかいない」

「私、お父様を殺したりしないわ」

 繭子がヒステリックに叫ぶ。刑事たちは困ったように顔を見合わせる。

「落ち着かれて下さい」

 そこに、別の若い刑事が現れた。困った顔をして駆け寄ってくる。

「藤波さん、死亡したここの主人の娘の一人が」

「絹子さんが?」

 繭子が立ち上がる。

「自殺した、との風評が。あちらの女中に聞いても、草履を履かずに出て行ったまま行方が知れないと」

 繭子はふらふらと立ち上がり、部屋を出て行こうとした。

「どこに?」

 刑事が聞く。

「お水を飲みに」

「そんなもの、女中に運ばせればいいでしょう」

 それを聞かずに、繭子は出て行った。ドアを閉じた瞬間、消えた。

「そして姉妹仲良くこの船に乗った、と」

 老人が呟いた。

「絹子と繭子は二人とも自殺した事になっているよ。図書館にある新聞は読んだか?」

「ええ」

 繭子が答えた。

「世間は騒いだだろうね。何せ名のある工学博士が亡くなって、それを追って二人の娘が」

「違うわよ。あんな人のことなんて追っていないわ」

「絹子はそうだよ。自殺はしていないけれど」

「絹子さんも違うわ」

「どうして事実を認めようとしない。見ただろう? 絹子が船に乗る直前のことを」

「絹子さんはあの人の事なんて愛してないわ。私を愛しているのだもの」

 繭子が泣き始める。震えながら、涙の粒を落とす。

「絹子はどうして何も言わない?」

 老人が繭子の隣に立って、同じように泣いている絹子に問いかけた。

「繭子がこうなってしまったのは、繭子自身のせいかもしれない。けれど、君が繭子を自分の物にしたせいでもあるんだよ。繭子がこんな風になってしまったのは、半分は君の責任だ」

「そうね。繭子さんがいつも忘れたがっている、お父様を殺したという事実。これを作り出したのは私だわ。繭子さんを自分ひとりのものにして、心の平衡を保っていた。それによって繭子さんが壊れてしまうのに気付かずに。でも」

 絹子が言葉を切った。繭子が絹子にすがり付こうとして、振り解かれた。

「時々憎い。お父様を殺した繭子さん。お父様が亡くなった事を、電報で冷たい言葉を送りつけて、私の子供の時を止めてしまった繭子さんが憎い」

 絹子がそう叫ぶと、繭子は衝撃を受けたようによろけて、無表情に涙を流し始めた。

「だから喧嘩になった」

「そうよ。だって繭子さんは自分に都合の悪い事を年々忘れて、今ではここに連れてこなければ思い出さないのだもの」

「今までの喧嘩で、繭子のことを憎いと、言った事があるか?」

「無いわ」

「そうか」

 老人はほっとしたように頷いた。そして急ににっこりと笑い、

「これで絹子と繭子のことは解決したよ。次は松子だ」

 と言った。

     *

 松子は突然名指しされて、戸惑ったように腕の中の胸像を抱きしめた。

「それに鍵を差し込んでくれるか?」

「仰るとおりに致しますけれど」

 胸像を片手で持って、苦悶の表情を浮かべている少女の額の鍵穴に、鍵を差した。自分が痛いかのように、顔を歪めていた。少女の像は、苦しげな顔のまま、崩れた。その木屑の中から、何かが現れた。

「私が見たいのは、君の最後だけだ。君の話は何度も聞いているから」

「え?」

 出てきたのは、廊下だった。今と変わらない松子が、ドアを何度も叩いている。

「美枝、空けなさい、美枝」

 返事は無い。松子は廊下を走って、広めの階段を降りた。階段下の物置から、ドライバーのセットを取り出す。それを持って、部屋の前に戻る。

 くるくるとドライバーを回し、器用にドアノブを基盤ごと外した。ドアを開ける。

 叫ぶ。

 中は可愛らしいぬいぐるみや、勉強机やシングルベッドなどで埋め尽くされた少し広い部屋だった。その真ん中で、少女が倒れている。ショートカットの、茶色いワンピースの少女。少女の周りは血で満たされていた。フローリングの床に、広がっていく。手首からは未だに血液が漏れ出しているらしい。少女の顔は青ざめている。

「美枝! いや! 美枝!」

 松子が少女の名前を何度も呼んだ。近寄ろうとはしないで。その内、体が透明になってきた。松子はそれでも叫び続けている。

「美枝、美枝」

 そして、完全に消えた。

「どうして駆け寄らなかったんだ? 死んだ娘を見て叫んでいたら、船にいた。いつもそう言ったね。でもこれを見ていると、君は美枝を助けようとしてないね」

 老人が悲しげな顔で呟いた。松子は呆然としていた。

「美枝に近づくのが恐かったんです」

「どうして?」

「近づいて触ったら、これが現実のものになるんじゃないかと」

「あれは現実だよ」

「そう、ですね」

 松子の目がじわりと赤くなる。

「君は現実から逃げてばかりだね、松子」

「はい」

「美枝が自殺に追い込まれてしまったのも、君が頼りなかったからじゃないか?」

「はい」

「夫が若い女に現を抜かしたのも、夢見がちな君に愛想を尽かしたからじゃないか?」

「はい」

「『はい』と言えば済むと思っているんだろう。いい加減にしろ」

 老人が怒鳴った。三毛は老人の膝の上で飛び上がった。

「松子は一番の被害者に見える。自分でもそう思っているのだろう。だけどね、君はそうやって被害者の顔をしてきたから君の夫も君が嫌になったんだ。家庭が険悪な雰囲気になって、一番傷ついたのは娘の美枝だ。それなのに母親が被害者面をして、毎日泣いている。そんな状況で希望を見出せると思うか? 自殺を図ったのも当たり前だ」

 松子は鼻を鳴らして泣いている。

「それに君はサロンを作ってしまった」

「え?」

「この船ではね、人がまとまってはいけないんだよ。皆ぎりぎりの精神状態だ。何かが起こるのは必然だ。千代が死んだようにね」

 松子が顔を覆う。

「それに、君は千代がいる所に三郎を呼んだ。皆にとってのいい人間になりたいのだろうが、そんな人間はいないんだよ」

 顔を覆ったまま、泣き声を漏らす。

 老人はため息を吐き、真っ直ぐに、松子の後ろを見た。

「次は君だ、優」

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