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砂糖細工の船  作者: 酒田青
第三章 無音室で裁かれる
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3-5 繭子

「結婚?」

 父の書斎で、絹子は呆然としていた。繭子も隣にいて、目を丸くしている。

「そうだよ。もうお前も数えで十九だし、結婚しなければな。大丈夫。相手は私が選んでいるから」

「そう」

「良いだろう? 相手は私の教え子だ。風貌は冴えないが、頭は切れるぞ。将来は工学博士だ」

「良いですね」

 絹子が笑うと、繭子がぶるぶると震えて、叫んだ。

「嫌、嫌、嫌。絹子さんが結婚するなんて嫌」

 父親は落ち着き払って、取り乱した繭子の様子を見ている。繭子は涙を流し、

「嫌よ。認めないわ」

 とわめいて、部屋を出て行った。

「繭子にも、困ったものだな」

 父がぽつりと呟いた。絹子はぼんやりとその顔を見つめている。

「君はお父さんが提案した事に逆らう事が出来なかったんだね。お父さんに嫌われたくなくて。繭子はそれに反発した。では、最後の絹子を見てみよう」

 老人が言うと、幻は新しく生まれ変わった。

 そこには絹子がいた。耳隠しに結い、落ち着いた藍の着物を着ている。小奇麗な家の玄関で、小さな薄い紙を持って、彼女は硬直していた。

「奥様、どうなさいました?」

 後ろから女中が声をかけた。絹子はそれも聞かずに、外へと駆け出した。

「お父様が亡くなった」

 走りながら、無表情に絹子は呟いた。平屋建ての家が続く住宅街を、足袋だけで駆ける。

「お父様が亡くなった」

 そのまま、消えていく。

「お父様が亡くなった」

 最後に、声だけがその場所に揺らいだ。

「君はお父さんが大切だったんだね」

 老人が尋ねると、絹子ははらはらと涙を落としていた。繭子が懸命にそれを拭く。

「思い出すのも辛い。そしてこれは繭子が起こしたことだ」

 繭子の手が止まる。

「次は繭子を見てみよう。君は千代には何もしていないけれど、見てみなければ」

「何故?」

 繭子が問う。

「まだ気付かないか? これは千代についての裁判だけではない。君たち自身の裁判なんだ」

     *

「私たちを裁判しているの? どうして?」

 繭子が尋ねると、老人は頬杖を突いたまま、

「最後に教えよう」

 と言った。納得できないらしい繭子や、松子、優が互いに顔を見合わせた。

「大事な事は全て最後に教えるよ。今までもそうしてきたんだ」

「今まで?」

 三毛は老人を見上げた。髭の向こうの褐色の顔は、少し疲れたように見える。

「とにかく繭子、見せてくれ。恐いかもしれないが」

「恐くなんかないわ」

 繭子は唇を尖らせて、絹子の真似をして花びらの砂糖漬けの壜の蓋にある鍵穴に、自分の鍵を差した。三毛は繭子の壜も、絹子の時と同じように花びらに変わるのだろうと思っていた。しかし、違った。

 壜は次第に黒ずみ、ぼろぼろと崩れた。繭子が小さく悲鳴を上げてそれを落とした。それは花びらの形をした炭だった。

「どうして私だけ、こんなに汚いの?」

 繭子の呟きに、老人が答えた。

「君が汚いからだろう」

「止めて」

 それまで黙っていた絹子が悲鳴に近い叫び声を上げた。

「お願い、見ないであげて頂戴」

「絹子さん、どうして?」

 繭子が絹子を不思議そうに見る。

「私の過去を見てはいけないの? 私が汚いって、何故?」

「さあ、二人とも黙って。見えてきたよ」

 老人の言葉に、二人は顔を上げた。

 ここは女学校だろうか。先ほど絹子がいた教室によく似ている。大勢の、袴姿の女学生たちが帰り支度を始めていた。その中に、絹子がいる。

「柚木さん。妹さんがお見えよ」

 教室の出入り口に一番近い席の女学生が、絹子に声をかけた。絹子は少し笑って、

「教えてくださってありがとう。今すぐ行くわ」

 と答えた。途端に教室中が静かになる。視線が、絹子の向かう先に集まる。

「絹子さん」

 繭子が嬉しそうに絹子の手を取った。まるで数年ぶりの再会であるかのように。繭子は出入り口を塞いで絹子に擦り寄った。

「早く家に帰りましょう」

「そうね」

 背後で同級生たちの噂話が聞こえる。

「二人はエスなの?」

「何を言うの。本当の姉妹よ」

「変わっているわね」

「柚木さん自身が変わっているもの。でも妹さんは更に変人らしいわ」

「お綺麗なのにね」

「あの方に目をつけてお手紙を差し上げた方は、もれなく目の前でそれを破られるらしいわ。泣いた方は数知れずよ」

「君たちがいた時代に、エスというものが流行っていたね。エスというのは女学生同士が結ぶ関係のことで、恋愛に似た友情、と言うべきだろうか。この関係にあった者同士は、まるで夫婦のように、一人だけの相手を特別扱いした。上級生が美しい下級生に恋文に似た手紙を送り、二人はエスになる。それは日常茶飯事だった。とても不思議だね。少女というものは」

 老人が言うと、絹子は少し笑った。

「詳しいわね」

「私はどんな本でも読むんだ。日本の少女小説だって読むよ」

「変わっているわ」

 繭子はぼんやりと、幻影の中の自分を見ていた。

「次を見てみよう」

 老人がそう口にした途端、幻は消えた。繭子はそれでも同じ場所を見つめていた。


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