3-1 無音室
三毛たちは老人によって無音室に誘われた。そこでは何かが起こる。老人は千代が死んでしまったことで、何かをしようとしている。老人には何が出来るのか。老人は何者なのか。それは三毛にも分からない。
無音室は一階の一番奥にある。三毛は行った事が無い。いくつもの廊下の先にある、壁の前の空間。素朴なドアが取り付けられた壁の前で、三毛は立ち尽くすばかりだ。何故か。三毛は鍵を持たないからだ。無音室のプレートの下にあるドアに鍵を差した者でなければ中には入れない。
絹子と繭子が鍵を回してそれぞれ中に入った。続いて水島。水島は暗い目をしている。そして松子。ちらりとこちらを見る。優が彼らに倣って鍵を差し込もうとすると、老人が後ろから止めた。三毛の目の前で、床まで届くローブの胸元を探って取り出した。鍵が二つ。老人が髭の中でにっこり笑う。
「三毛、これが三毛の鍵だよ」
差し出された鍵は銀色で、五〇五五の数字があった。三毛が老人を見ると、目が合った老人は嬉しそうに微笑んだ。
「君はちゃんと部屋を持っているんだよ。知らなかっただろう」
もう一つは老人の鍵らしかった。老人は三毛を優から預かると、優が中に入った後に三毛の鍵でドアを開けた。三毛は恐る恐る中に入り込んだ。
白い。
白い場所には慣れきっている三毛にとっても、ここは白すぎた。窓など一つも無い。真四角で、だだっ広い空間。松子たちが一ヶ所に集まって何かを見ていた。白くて良く分からなかったが、水島がそれを抱いて泣いているのが分かった。三毛は近づいてみた。後ろに老人の気配がする。
それを間近で見て、三毛は立ち止まった。白い、千代の像。気味が悪いほどそっくりだ。
「この船から死者が出ると、ここには像が出来る」
老人の声。
「船が死者を弔っているのか、死者の思いがそうさせるのかは分からないが」
「じゃあ、本当に死んでしまったのね」
松子が目を潤ませる。老人が頷く。
「でも、いつかは船に吸収される。そこはただの床になる」
水島が老人を睨んだ。真っ赤な目が眼鏡の奥でぎらぎらと光っていた。
「さて、話をしよう」
老人は彼らから少し離れた所に立っていた。老人が床をちらりと見た。すると床の砂糖が突然盛り上がってきて、ごつごつした大きな椅子になった。松子たちが驚いているのをよそに、老人はそこに座った。
*
「ここは真っ白な場所だ。どこまでも白い。そして音が無い。だから船の人々はここに来たがるのだろうね」
老人は皺だらけの瞼を少し閉じて、ゆっくりと話した。
「けれど、ここにいるほとんど全員が知っているのだろう? それだけではないと」
「知っています」
松子がささやくように言った。そして床をじっと見て、そこにある砂糖を払うような仕草をした。三毛はそれを見て、鍵穴だ、と思った。
「誰でもいい。そこを開けてごらん。皆で行こう」
老人が言うと、周りを見回して少しためらいながら、松子が鍵を床に差し込んだ。すると、床に大きな真四角の切れ目が出来、蓋はゆっくりと上に上がってきた。中を覗くと、下に続く階段がある。
「入りなさい。私も行くから」
松子がゆっくりと降りていった。絹子も、繭子も。水島はしばらく千代の像にすがっていたが、何かに誘われるように階段の方に行き、吸い込まれていった。優も中に入る。
「三毛、私と一緒に行こう」
老人は三毛を抱き上げた。三毛は温かでごわごわしたローブに包まれて、あまり嫌ではない事に気付いた。この老人は何なのだろう。正体不明なのに、居心地がいい。
三毛と老人は長い階段を下りた。やっと下に着いたと思うとそこは踊場で、続きの段がまだまだある。踊場をいくつ越えた時だろうか。真っ白な空間が急に色鮮やかになった。
棚や床にずらりと何かが並んでいるのだ。本物の飛行機や、ヨットがある。かつらがある。縫いぐるみがある。それらは全て、誰かの想いが詰まったもののように見えた。トゥ・シューズもある。あのバレリーナのものだろうか。
「さあ、自分のものを持ってきてご覧」
老人が言うまでも無く、絹子と繭子は花びらの砂糖漬けの壜を、水島は本物のように見える白文鳥の人形を、松子はあの三毛が恐ろしがっている少女の胸像を持っていた。優はうろうろと歩き回って、
「無い」
と呟いた。老人が悲しそうな顔をする。
「君はいつも砂糖室で本当に欲しい物を手に入れられなかった。本当に大事にしている物は、そこに無いのが当然だ」
「じゃあ、どうすればいいの?」
優が困ったように尋ねると、老人は眉を下げたまま微笑んだ。
「君の順番が来たら教えてあげる」