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砂糖細工の船  作者: 酒田青
第二章 香辛料入りの少年
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2―6 発覚

 繭子が一人でぼんやりと、ロビーの椅子に座っている。三毛は驚いて近寄った。何故なら今は真夜中で、普段ならロビーには人っ子一人いない時間だからだ。

「あら、三毛」

 いつもと違って気のない調子の繭子は、三毛が来ても抱き上げずにテーブルにひじをついたままだった。赤い襦袢姿だ。生気を失った風情の繭子に、それはあまり似合っていないように見えた。

「ねえ、三毛。私、何をしたのかしら?」

 繭子が呟く。まぶたが半分閉じ、半月形になった目は、長い睫毛にひさしのように覆われている。今まで見たことの無い、繭子の顔だ。少し、恐い。

「絹子さんとまた喧嘩をしたの。今となっては何も思い出せないのだけれど。絹子さん、いつものことを言ったわ。それが何か、分からないの。ねえ、三毛。私何をしたのかしら?」

 三毛はじっとその横顔を眺めていた。明り取りの下、青白い月の光は繭子の肌の色を不健康に見せていた。化粧をしていないのもあるだろう。繭子は人形のように無機質な顔だちをしていた。

「私は絹子さんを愛しているだけ。喧嘩なんかしたくないわ。それなのに、絹子さんは私に突然突っかかってくるの。私の愛情が異常だって」

 三毛はお座りをして聞いている。

「異常じゃないわ。私には絹子さんしかいないのだもの。絹子さんのことが大好きでもおかしくないの。それなのにあんな、醜い男の子なんかを私たちの中に誘い込んで」

 わずかに、繭子の顔が歪んだ。三毛は少しぞっとしたが、繭子の顔を見つめ続けていた。

「ここに来た時、私たちはお花しか食べない妖精よ、と言ったのは絹子さんよ。なのに、あの男の子のために普通の食べ物なんか部屋に持ち込んだりして。どういうこと? 私たち、どうなっているの? 私は元に戻りたいだけなのに。お花と、絹子さんと、私、そして三毛。きれいなものと好きなものに囲まれた毎日に戻りたいだけなのに。どうしてかしら?」

 三毛は人の気配に気づいた。誰かが階段を降りてくる。振り向いた時には、すぐそこに、水島がいた。

「久しぶり、絹子」

 水島はそう言うと、驚いている繭子の肩を抱いて、口付けをした。繭子は呆然としている。水島も、人違いに気付いてぱっと離れた。

「何、するの」

 繭子が唇を震わせ、目を見開きながらささやいた。水島は狼狽して、真っ赤な顔で何か言おうとした。

「汚らわしいわ。何するのよ」

「繭子さん」

「名前を呼ばないで頂戴」

「絹子さんと間違えたんだ」

「絹子さんと間違えたら、どうして私にキスするの?」

「それは」

「あなた、絹子さんとどんな関係なの?」

 繭子は立ち上がって大きな声を上げた。水島は表情を固くし、呟いた。

「言えない」

 繭子の目に、涙の粒が盛り上がる。

「言えないような関係なの?」

「僕はただ、お千代を愛していただけ。それだけだ」

「訳の分からない事を言わないで」

 繭子がヒステリーを起こしたように金切り声で叫んだ。眼球がぐらぐらと揺れている。

「お千代って誰よ。どうでもいいのよ、そんなこと。重要なのはあなたと絹子さんがどういう関係だっていうことよ」

「僕と絹子さんは、自分の子を失った。愛する人との間に出来た子だ。だから慰めあっていただけ。それだけだ」

 そう言うと、水島は踵を返して早足で歩いていった。残されたのは、泣きじゃくる繭子とそれを見つめる三毛だけだ。繭子の中が変化した音を、三毛は聞き逃さなかった。

     *

 三毛は姉妹の部屋にいた。花の匂いがむせ返るような場所に。絹子はしきりに優とばかり話し、繭子は籐椅子の上で丸くなって窓の外を眺めていた。二人は数日間話していないようだった。優はそのようなことに敏感らしく、絹子と話すときも気まずそうにしている。

「あ」

 繭子が小さく声を上げた。絹子はそれでも優に何でもないことを話し続ける。

「煙草の香り……」

 すると、絹子はぴたりと話を止めた。繭子の方を見る。窓の外には、手すりに寄りかかり、煙草を吸う松子の後姿があった。三毛は繭子の普段とは違う態度に少し驚きながら、窓の縁に置かれるのを待った。すると、繭子は三毛を抱き、円い部屋の出口のドアを開けて出て行こうとする。

「繭子さん?」

 絹子の声を背後に、繭子はふらふらと歩いていった。

 外に出ると、デッキには松子が立っていた。困惑している。繭子はにっこり笑うと、松子に三毛を渡した。

「私の大事な三毛だけれど、あなたにとっても大事な三毛なのですよね」

 松子は、動揺したように繭子の顔を見つめ続けている。

「今日から共有しましょう」

「え?」

「三毛は私たち二人のもの、ね?」

 三毛は何が何だか分からなくなって、二人を交互に見ていた。繭子は微笑んでいるし、松子は煙草を手に持ったまま固まっている。

「そうそう、あなた、お名前は何というのですか。もう何十年もお見かけするのに、私、存じ上げなかったわ」

 繭子がコロコロと笑う。松子は眉をひそめて、

「高原松子です」

 と言った。その声は不審そうだ。

「私は柚木繭子です。変わった名前でしょう?」

「そんなことはありませんけれど」

「ねえ、お友達になりませんこと?」

「どうしてですか?」

 繭子は微笑を崩さずこう言った。

「私、愛する人を失ってしまいましたの。だからせめて、お友達が欲しくて。私、悲しくて、悲しくて」

 微笑みながら、涙がこぼれ出した。繭子は震える手を眺め、そこにぽたぽたと水が落ちるのを不思議そうに見守っていた。松子は慌ててハンカチを取り出して繭子に渡した。繭子は、

「そう、私泣いているのね」

 と呟いて、それを受け取った。そっと目元を押さえながら、繭子は松子にもう一度言った。

「お友達になりませんこと?」

 松子は三毛を見て、繭子を見た。そして少し考えて、

「とにかくその辺りに座りましょう。あなたが悲しいのは分かりましたから。お話ならあなたの好きなだけ聞いてあげます。ロビーに戻って、座りましょう」

 と、繭子の肩にそっと触れ、押した。繭子は泣きながら頷いた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 10/30 ・繭子さんのメンタルがががが………ブチ切れて当然の場面ですが、ここで泣くのが繭子さんらしさ? ・今のところ繭子さんにどっぷり感情移入してます。 [気になる点] アメリカ文学…
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