薔薇が示すもの
アーニャが淹れてくれた紅茶は、ほっと心を落ち着かせてくれた。カップを両手で包みながら、私は深呼吸する。
とりあえず頭の中を整理して、今後のことを考えよう。リディアのこれまでの記憶と前世でのゲームの記憶、両方ある私なら、縛りプレイもなんとかなるのではないか。
私、リディア・アルステッド侯爵令嬢。ストロベリーブロンドの長い髪と、翠色の瞳が自慢の美少女——自分で言うのもなんだけど。
父は宮廷魔術師団長、アルステッド侯爵。私も魔術の素養はあるけれど、わがままに育ったせいで、魔術の訓練はほとんどしていない。まさに宝の持ち腐れ状態だ。
明日から、私は王立学園の3年生として登校する。そこで、彼らと——あの攻略対象たち4人、そしてヒロインに会うことになる。
ゲーム『薔薇色の夢』は、一通りクリアしていた。だが、トゥルーエンドの存在を知った翌日に、まさかのリディア本人に転生してしまったのだ。ほんとに、何で私が。考えてもわからないので、そこは考えるのをやめよう。
鬼畜な設定のくせに、グラフィックの美しさがやけに印象的で、攻略対象たちの顔は今でもはっきりと覚えている。そしてリディアが彼らにやらかした黒歴史も残念ながらしっかり残っている……。
レオナルド・フォン・グランツ——
この国、グランツ王国の王太子。金髪碧眼の正統派イケメンで、王位第一継承者。冷静沈着で皆に優しい、まさに完璧王子様だ。リディアはまだ婚約者“候補”の関係なのに、まるで婚約者に決定したかのように日々振る舞っていた。彼の腕にへばりついて他人を見下し、高圧的な態度をとる有様。これじゃ嫌われるのも当然だ。
ジーク・ヴァレンティア——
ヴァレンティア伯爵家次男。筆頭宮廷魔術師で、黒髪、淡い青目の塩顔イケメン。国最強の魔力を持つが、人嫌い。父が彼の上司だからと、彼を呼びつけ、空を飛びたい、だの晴れにしろ、だのわがままを言っていたリディア。氷のように冷たい視線を浴びせられても気にしていなかったなんて、今考えると厚かましいにも程がある。
ルシアン・クレイ——
クレイ伯爵家の三男で、貴族にも大人気の舞台俳優。茶髪茶目の童顔が可愛いと評判で、誰にでもフレンドリーな愛されキャラ。リディアは彼のファンであり、スポンサー権力を振りかざして舞台に口出しし、彼を独り占めしようとしていた。これまた幼稚でみっともない。
カイル・エヴァンズ——
エヴァンズ侯爵家の長男で、銀髪、黒目。代々王家に仕える騎士家系の生まれで、魔術のアルステッド家と剣のエヴァンズ家は王家に仕えるもの同士、古くから交流がある。カイルは幼馴染で、わがまま放題のリディアにいつも振り回され、癇癪の尻拭いをしていた。もしかしたら1番の被害者かもしれない。
「リディア、どれだけやらかせば気が済むのよ……」
一通りノートに攻略対象たちのことを書き上げたが、自分のヤバい過去に頭を抱えたくなる。これで彼らの好感度を友人以上にすることなんて可能なのだろうか。
ふと、窓の外に目をやった。アルステッド家自慢の広大で美しい庭園。その先には薔薇園が広がっている。
(そうだ、思い出した)
私は部屋を出て、薔薇園に向かう。
「やっぱりあった……」
薔薇園の隅には五つの区画に分けられた薔薇の茂みがあった。ゲームの中でも何度も見た場所だ。
ゲームタイトル『薔薇色の夢』の名の通り、このゲームは薔薇がキーアイテム。攻略対象とヒロインの好感度は“ハートローズ”というゲームらしい名前の薔薇で表されるのだ。赤、青、オレンジ、白、そして黄色——色とりどりの薔薇たちが、それぞれの感情を象徴している。
薔薇が6輪以上咲くと、その相手の恋愛ルートに入ったことを意味する。逆に4輪以下だと、バッドエンド。
(確か薔薇は攻略対象は全部で10輪、ヒロインは5輪だったはず——)
トゥルーエンドのための条件は、攻略対象全員の好感度を友人以上、恋愛未満にする、そしてヒロインとは友情度をMAXにすること。
つまり、これから全ての色の薔薇をそれぞれ5輪ずつ、咲かせる必要があるということだ。
改めて考えてみると、めちゃくちゃキツい条件。しかもゲームと違い、分岐点に選択肢など出ないのだ。私が、私のタイミングで、私の思いを声に出して、行動しなくてはいけない。セーブもロードもない世界で。
それぞれの薔薇を見つめ、そっと触れてみた。
どの薔薇もまだ固く蕾を閉ざしている。冷たく硬いその姿は、まるで私の未来の不安や孤独を映しているようだった。
「まだ、何も始まっていない」
胸がぎゅっと締めつけられ、覚悟を問われるような気がした。
バッドエンドは私の断罪、即ち追放や死を意味する。
ハッピーエンドを迎えても、戦争や災害が待っている。まるで詰みのような世界。
その苛烈な現実に、正直、心が折れそうになる。
(でも、今ここで逃げたら、すべてが終わってしまう。私だって……平和な世界で幸せになりたい。だからトゥルーエンドを、自分の手で切り拓くんだ)
この一輪一輪の薔薇を咲かせることは、私の生きる道に繋がっていくはず。
「よし……やるしかない。これが私の物語だもの」
たとえ傷ついても、拒まれても、負けられない。
心の奥底から熱いものが込み上げてきた。私は強い決意を持って、拳を強く突き上げたのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。
もしよろしければ、評価、感想いただけると嬉しいです。