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カイル 〜見えぬ距離〜

 秋の風が、黄金色に染まった木の葉をさらさらと揺らしていた。


 学園は収穫祭の準備でにぎやかだ。学生たちは浮き足立ち、誰と展示を回ろうかとざわついている。


 そんな光景をリディアは教室の窓から眺めていた。その顔は浮かない。


「これは……まずい、まずいわ」


 頭を抱え、リディアはぼやいた。スカートの裾を無意識にくしゃっと握りしめる。


 夏のエヴァンズ領での出来事が脳裏に蘇る。


 柔らかな星灯り。カイルの低くて穏やかな声。「リディ」と呼ばれたときの、胸の奥がふわっと温かくなるあの感覚。


 最初はただ、懐かしさから、だったはずだ。あの夏の再会と、一緒に祭りを楽しんだ時間。子どものころの思い出を共有して、距離感が戻って、自然とあの頃の呼び方に戻っていた。

 それは、あくまで「親しみ」からくる呼び方のはずだった。でも——


「……ダメ。ダメよリディア。あれは……フラグだわ」


 自分に言い聞かせるように何度も呟いてうなずいた。


(すっかり忘れていたわ。カイル・エヴァンズは、このゲームの攻略対象の中でも“初心者向け”のキャラクター。好感度の上がりが早く、展開もスムーズで、最も恋愛ルートに入りやすい相手)


 このまま惹かれてしまえば——カイルルートに入ってしまう。トゥルーエンドには辿り着けない。


 ゲームの記憶通りなら、カイルルートに入った場合、隣国が戦争をけしかけてくるのだ。彼が戦地に行くのを見送り、リディアは無事の帰還を祈り続ける、という展開。


(確かに最終的にはハッピーエンドになった。でも、カイルには怪我をして欲しくないし、何よりも戦争なんて起こってほしくない)


 そんな思いに縛られ、リディアは彼を避けるようになっていた。


 話しかけられても必要以上に返さない。廊下で顔を合わせそうになると何気ないふりをして逸らすか、方向を変える。


(我ながら不自然すぎるわよね……。でも、仕方ない。これは“調整”なの。全体のバランスを見て、好感度の波を整えるのは、トゥルーエンドに必要な戦略なんだから。だから……これでいいの)


 そう自分に言い聞かせる日々。心の奥にチクリとした痛みがあるのには気がつかないふりをしていた。


 ***


 王立学園の収穫祭は、毎年壮麗に行われる。貴族子息、令嬢が参加する秋の祝祭は、ただの文化祭ではない。政略と婚姻の香りすら漂う、格式高い「社交の舞台」だ。


 カイル・エヴァンズは、人々の視線から少し離れた位置で、青年騎士団として警備にあたっていた。剣の柄に手を添えながら収穫祭の様子を静かに見守る。


 その視線の先には、侯爵令嬢として完璧な立ち居振る舞いを見せる、リディアの姿があった。少し前までの、わがままで人を振り回すような素振りはどこにもない。


「……立派になったな、リディ」


 思わずこぼれた声に、自分でも驚いた。いや、最近彼女のことを呼ぶときは、自然と“リディ”になってしまっている。昔のように。あの夏以来、彼女との距離は確かに近くなった。


 しかしカイルの心中は複雑だった。


(最近……避けられてる、気がする)


 目が合わない。すぐ視線を逸らされる。以前は校内でもよく顔を合わせていたが、それも減った。嫌われてはいないのだろうが、微妙な距離感。


 今日、この収穫祭で彼女は王太子の婚約者候補として、レオナルドとの視察に同行していた。


「この作物に関しては——」


「確かに国益のことを考えれば、殿下の仰る通りかもしれませんが——」


 真剣に議論を交わしている様子の見目麗しい王太子と、美しい令嬢。どこからどう見ても絵になる2人。


「やっぱりお似合いだよなぁ」


「リディア嬢はこれまで、あまりの傲慢ぶりに評判がよくなかったけど、ここのところ見違えるように淑女らしくなったよな」


「彼女は魔術への見識も深いと聞くぞ。殿下も王太子妃候補を絞り込む段階だろうし、卒業と同時に婚約発表だろうか」


 仲間の騎士たちがそんな会話をするのが聞こえてきた。ふっと、そんな未来を思い浮かべる。


「……主君、か」


 そう考えたとき、不思議と苦しくなかった。


 それどころか、心の底からすっと納得する気持ちさえあった。


 もしリディアが本当に、王太子妃になるのだとしたら。


 自分は、彼女を主君とし、彼女の騎士でいよう。

 騎士として、彼女の剣となり盾となり、彼女が困っていればいつでも助ける。今までのように。


 それが彼女と自分との、一番自然な距離なのだと。


「一生かけて、守るだけだ。……それで、いいだろう」


 誰にも聞かれず呟いたカイルの横を、秋の落ち葉がひらりと舞った。


 それは誇らしいはずの誓いなのに、なぜだか彼の胸の奥は少しだけ空虚だった。


***


 レオナルドとの視察を終えた後、リディアは野外劇場で行われるフィナーレの演劇舞台の準備を手伝っていた。


 飾り用の布を持ち上げて舞台の上方に取り付けようとするが、小柄なリディアはなかなか届かない。


(もう少しで……届きそう、なんだけど……)


 手を伸ばして持ち上げた飾りが思ったより重く、バランスを崩した。一瞬の浮遊感。あっ、倒れるかも。そう思ったそのとき——


「っと……危ない」


 すっと肩を支えてくれた手があった。顔を見るまでもなく、声を聞いて誰かを理解した。その声と手の優しさに心臓が跳ねるのを感じる。


「カイル……」


「あんま、無理すんなよ。高いとこは俺がやるから」


 笑顔で言うカイルにリディアの心が震える。自然と微笑んでいた。


「ありがとう」


 小さな一言だったが、カイルは何でもないように返してくる。


「お前が困ってたらいつでも助けてやるよ。今までもそうだっただろ? これからも……な」


 それは、気取らず、重くもない。

 ただ、まっすぐで、温かい言葉だった。


(……やっぱり、この人は優しい。優しすぎるのよね……)


 困っているとき、何も言わずに助けてくれる。

 それが彼の自然な在り方なのだ、と。


 けれど彼との距離が急激に近づいているような気がして。越えてはならない壁を越えてしまいそうで、怖かった。



 その夜、部屋に戻ったリディアはベッドに倒れ込んだ。


「リディアお嬢様、お行儀が悪いです」


 アーニャの嗜めも耳に入らない。リディアは盛大にため息をついた。


 ここ最近のカイルとのやり取りが思い出された。

 どこか寂しそうな、でも追いかけることはしないと決めたような顔。それでも、さりげなく助けてくれた優しさ。


(ダメだよ。彼と恋に落ちちゃいけない。彼と、この世界が平和であるためにはそうするしかない。だから避けるしかなかった。でも——)


「ほんとうに、それでいいのかな……」


 ベッドの上で呟いた声は、自分でも驚くほどかすれていた。胸の中に広がるのは、曖昧で掴めないもやのような感情。


 それを振り払おうと目を閉じても、あのとき支えてくれた大きな手の温もりが、まだ残ってる。


(これは、ゲームの世界だけど、ゲームじゃない。

……もう——ただの“選択肢”では済まされない)


 静かに息を吐いた。そう自分に言い聞かせても、胸の奥で鳴り止まない鼓動が確かにある。


 それはまるで秋風に舞う葉のように。答えの見えないまま揺れ続けていた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
やっと追いつきました。 みんなと親友エンドって、難しいですよね。それ以上を望んでも不思議ではない年ごろなのに、無理に押し留めることを強いられるのは、とても大変だと思います。リディアの苦しさが良く伝わり…
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