レオナルド 〜知らない感情〜
黄金色の稲穂が揺れ、赤く色づいた果実が陽を浴びて輝く。
学園では待ちに待った収穫祭が始まった。広大な学園の敷地には各地方から運ばれた秋の恵みが所狭しと並べられている。学生たちは展示を巡り、ある者は収穫物で作られた料理に舌鼓を打ち、ある者は軽快な音楽に耳を傾ける。
皆、思い思いに祭りを楽しんでいた。が、そんな中、リディアは戦地に赴くような表情で前を見据えていた。
「……とうとう来たな、このイベント……」
貴族らしからぬぼやきを喉の奥で噛み潰す。
この祭りでは、王太子妃候補の貴族令嬢たちが交代で、王太子レオナルドの収穫祭視察に同行することが決まっている。
表向きは、王太子の隣で存在感を示すこと、そして王族と民の架け橋としての資質を養うこと。
だが実際には、王太子妃の座をめぐる“女の戦”の主戦場だった。
そして前世のゲームの記憶では……悪役令嬢リディアがその戦場の中心にいた。
農作物への興味など一切ない。他の令嬢たちを牽制し、蹴落とし、レオナルドの隣に居座り、自らが最も彼にふさわしいと豪語していたのだ。
清々しいまでの自己中っぷり。むしろ頭が下がるくらいだ。
もちろん、そんな態度ではレオナルドの好感度は得られない。下手するとレオナルドお決まりの『君には失望したよ』が発動する。
今のリディアにはそんな野心も、自己顕示欲もない。あるのは破滅エンドを回避して、トゥルーエンドに向かいたいという願いのみ。
(目立たず、ささやかにレオナルドの好感度を上げることが最大の目的。上げすぎは厳禁。まかり間違ってレオナルドルートに突入したら、本末転倒)
そう固く心に決め、視察という名の戦地へと足を踏み入れた。
***
視察の同行が始まった。レオナルドのさりげないエスコートに胸を高鳴らせながらも、農民たちへ丁寧に礼を述べるリディア。
「お目にかかれて光栄です。本日の収穫祭のご準備、誠にお疲れ様でした」
頭を下げながらも、その瞳は並べられた農作物へ興味深げに向けられていた。
(わぁ、ゲームで見た野菜たち! 実物に触れられるなんて、感動! 設定は鬼畜なゲームだけど、攻略対象だけでなく景色や食べ物の描写がめちゃくちゃよかったのよね)
見た目は栗のような艶やかな果皮。ほのかに甘い匂いが鼻腔をくすぐる。現実にしかない五感の情報に、胸が高鳴った。
「このセルトリアの実は南部の特産ですね。香りがとても芳醇。サラダにすれば、風味が引き立ちそうですわ」
感動に駆られて言葉がこぼれた。どんな味がするのか、想像して思わず生唾を飲んだ。
その隣のブースには金色の小麦。それを見た瞬間、ゲームで見たパンが思い出された。
(そうそう、この麦で作るパンは、ビジュが最高だったわ。確か、雨に弱いのよね)
「こちらは……ルーク麦ですね。長雨の影響は……?」
問いかけるリディアに、農家の婦人が微笑む。
「えぇ、収穫が少し遅れましたが、なんとか間に合いましたよ。あと数日遅ければ、全滅でした」
「それは……ご苦労をおかけしました」
そう頭を下げ、ねぎらいの言葉をかける彼女。
そんな様子を、レオナルドは静かに見ていた。
かつて彼の腕に絡みつき、他を蹴落とすような視線を投げていた令嬢の姿はもうそこにはなかった。
代わりにいたのは、農民に目線を合わせ、土の香りに顔を緩ませながら、真剣に話を聞くリディア・アルスレッド、その人だった。
次に芋のような作物を見た瞬間、リディアの目が一際輝いた。ゲームでも一番気になっていたものだ。
「殿下。こちらの農作物はスィルタムといいます。まだ広く知られてはいませんが、冷害にも強く、成長も早いと聞きますわ。今後、国の備蓄作物としての価値もあるかと」
(この先、平和に暮らしていくためにも、食物について見識を深めるのは大事よね。国の一大事に陥っても食べ物さえあれば、きっとなんとかなるんだから!)
リディアの発言にレオナルドも興味深気に頷く。
「聞いたことがあるが、実物を見るのは初めてだ。確かに、流通と管理体制次第では戦時や災害時の食糧として期待できる」
それは視察という枠を超え、静かな熱を帯びた意見のやり取り。けれど、会話はあくまで自然で、心地よい時間だった。
(それにしてもレオナルドはすごいわ。私はゲームで見たっていう情報があるけど、彼は自分の知識と経験で論理を組み立てる。一を話せば、十が返ってくる。話がどんどん広がるわ。すごく……楽しい)
彼と話す時間はリディアにとって心躍るものだった。
一方、レオナルドもまた、言葉を交わす中で気づき始めていた。彼女の話はただの知識披露ではない。土地や収穫物への敬意と思いが通っている。
(彼女の知識は的確で自然で、そして深い。何よりも……私と同じ目線で語れる人間だったのか)
傍から見れば恋の駆け引きなど皆無、だがそれは2人にとって深く心に残る時間だった。
「……君は、本当に……すごいな」
ぽつりとつぶやいたレオナルドに、リディアの胸が高鳴り、頬が赤く染まった。
(今、褒めてもらえたのよね? あの完璧王子様に? それ、すごく嬉しい……)
その言葉には“王太子”としてではなく、ただの“レオナルド”としての思いが込められているような気がして、彼女の心に暖かく沁みた。
「私など、ただの一意見に過ぎません。少しでも、殿下のお役に立てれば、ありがたいことですわ」
やがて担当時間終了の声。リディアは一礼する。
「それでは殿下、次の候補者との視察も実りあるものになりますように」
「あぁ、有意義な時間を……ありがとう」
ふわりと微笑むその顔にリディアの鼓動が早まった。
(正直、もっと話していたかった……ってそんな感情は、危ない。彼に気持ちを寄せちゃいけない。レオナルドルートに足を踏み入れるわけには……)
そんな後ろ髪引かれる思いには気づかないふりをして、その場を辞するリディア。
その姿をレオナルドは目で追っていた。彼女の姿も、声も、もうそこには残っていない。それが、寂しいと思ってしまった。
***
収穫祭のフィナーレを飾るのは、夕暮れと共に始まった舞台。野外劇場で華やかに繰り広げられ、大歓声の中、その幕を閉じた。
全ての視察を終えたレオナルドも、側近と共に引き上げようとする。
ふと、舞台の控え用テントから聞き覚えのある声が聞こえた。
「君の助言がなかったら、きっとあの小道具、壊れてたよ。助かった。ありがとう、リディ」
「いえ、私は端っこで道具の確認をしていただけですから……」
その声に、レオナルドの足が止まった。
帳の向こうには、ルシアン・クレイ——学生でありながら人気舞台俳優として名を馳せる青年と、リディアの姿。ルシアンが親しげに名を呼び、リディアはそれに自然に応じている。
(“リディ”……?)
その音が、なぜか耳に残る。
心臓がぎゅっと縮む。知らぬ間に湧き上がった感情が自分でも理解できず、レオナルドはその場から足早に去った。
「……なんだ、これは」
思わず言葉が漏れた。王太子妃候補の1人が他の男性と会話をしていた。ただそれだけだ。だが、自分の知らない場所で、彼女の世界が広がっていく。何故か胸の奥がざらついた。
(もっと、彼女のことを……)
そう考えかけて、頭を振る。しかしその思いは消えなかった。彼女との時間が頭から離れない。
(これは……“興味”なのか? いや、違う……。何だ、この感情は)
秋の夜風が、思考を冷ますように吹き抜けていった。
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