ジーク 〜氷に差す陽光〜
秋の風が心地よい季節。学園では収穫祭の準備が進められていた。かごに盛られた作物たち。それらを用いた食べ物の香り。穏やかな季節の恵みが、今年も豊かに集まっていた。
リディアも周りの学生たちと共に、祭の準備に追われていた。だが、ある報せが彼女にもたらされた。
「アルステッド嬢。お父上がお呼びです。至急、魔術師塔までお越しください」
それを受けて魔術師塔にやってきたリディア。そこにいたのは難しい顔をしたリディアの父、アルステッド侯爵。彼は魔術師団の長として、現場に直々に立っていた。
「お父さま」
リディアが声をかけると侯爵が顔を向ける。
「リディアか。……実は先日、収穫祭の農作物と共に古代の魔道具が運び込まれた。これは、“対魔術師用”の兵器だ。その場にいる者から魔力を吸い取る。強制的に、徹底的に」
リディアは息を呑んだ。
(私、知ってる。この魔道具のこと……)
「なんでそんな物が……」
思わず漏れた声に、侯爵が返す。
「偶然か、意図的かはまだ調査中だが……。発動の瞬間、ジーク卿が魔道具本体に封印結界を施してくれた。しかし、その隙をついて……彼の魔力が吸われた」
背中を氷でなぞられたような悪寒が走った。前世でのゲームの記憶が蘇る。
これはジークルートに入った“後”に登場した。他国がジークの強大な魔力を“魔力兵器”とするために秘密裏によこしたものだ。
魔術の渦が世界を飲み込み、多くの犠牲が出る。リディアにとって、避けたいと思っている未来の一つ。
(今、このタイミングで、この魔道具が出てくるなんて。こんな展開、知らない。もしかして、シナリオがずれてしまった?)
激しく鼓動を打つ心臓を鎮めようと息を一つ吸った。そしてそっと尋ねた。
「ジーク様は……ご無事なんですか?」
その問いに答える侯爵。
「外傷はない。しかし……魔力欠乏症の症状が重く、衰弱が著しい。下手をすれば命に関わる。生命維持に必要な循環動態は、魔力循環とも密接に関係しているからな」
その言葉にひゅっ、と喉が鳴った。彼は低い声で続けた。
「リディア……頼みがある。お前の魔力を、ジーク卿に供給してやってくれないか」
「えっ……!?」
その発言にリディアは驚くが、侯爵は冷静だった。
「ジーク卿はこの国随一の魔力の持ち主だ。彼ほどの魔力を持つ者が欠乏状態に陥ると、自然回復では追いつかない。一時的に外部からの供給が必要だ。だが、魔力供給はその“波長”が合わなければ、かえって相手を蝕む。お前の魔力が、彼の波長に合うことは、聞いている」
リディアは逡巡した。魔力供給自体は座学で学んでいる。しかし実践したことはない。
(魔力の輸血、みたいなものよね。でも、ただ魔力を押し込めばいいってもんじゃない。受け取る側が、与える側を受け入れてくれなきゃ、流れは生まれない。口を閉じたままの水袋に水を注いでも、こぼれるだけなのと同じ。ハートローズがまだ1本の氷の魔術師が、私にそこまで心を開いてくれる?)
「本人は、了承しているんですか?」
リディアの疑問に侯爵は苦い顔をした。
「……拒否した。人の手は借りない、と。だが、放っておけば最悪の可能性もある。力を、貸してやってくれ」
***
「……必要ないと言ったはずです」
魔力供給のために、リディアがジークの手を取ろうとした瞬間、振り払われた。医務室の寝台に横たわりながらも、かすれた声でそう告げられる。
その言葉は、弱々しくも鋼のような拒絶の意思を帯びていた。
しかしその顔色は、ひどく悪かった。蒼白な肌に浮かぶ汗の粒、揺れる呼吸。
リディアは思わず声が出た。
「何を……言ってるんですか?」
怒りだけじゃない。戸惑い、悲しみ、そして心配。それらすべてが渦巻き、声となった。
「人の力を借りたくないって、それで命を落としたらどうするんですか!」
ジークの顔が、わずかに歪む。
「あなたの存在は、国にとっても……私にとっても……かけがえのないものです。だから助けたいんです。お願い、少しだけ……私を、信じてください」
そう言って、リディアは自分の手をそっとジークの手に重ねた。
ひんやりとした感触。今度は、拒まれなかった。
ジークはゆっくりとまぶたを閉じた。
「……一度だけです。何かあれば、すぐ離すこと」
「……はい」
リディアは深呼吸をして、目を閉じる。彼の左手を自身の両手で覆う。
魔力供給は繊細だ。相手の魔力の呼吸を読み、律動に合わせて自身の魔力を送り出す必要がある。
一拍、二拍……
(大丈夫……もっと、深く)
ふっと、ジークの魔力にリディアの魔力を受け入れる“間”が生まれた。
その一瞬を逃さない。リディアの魔力は、細い糸となり、氷の湖に差し込む一筋の陽光のように、ジークへと流れ込んでいく。
「……っ」
瞬間、ジークの指がわずかに動いた。その表情から緊張がほどけていく。そのまま、彼は柔らかな眠りに落ちていった。
リディアの額にもじんわりと汗が滲みはじめていた。
魔力の共有は与える側も体力を消耗する。けれど、どこか満ち足りた感覚が胸の奥にあった。
「……っ、ん……」
リディアは、そっと目を開けた。ジークの頬に、うっすらと赤みが戻り始めていた。
そっとハンカチで彼の額の汗を拭く。呼吸も、先ほどよりも安定しているようだった。
「……よかった……」
その言葉を最後に、彼女の視界が霞み、音が遠ざかった。
魔力を大量に送り込んだことによる極度の疲労感。リディアのまぶたが静かに閉じた。そのまま彼の寝台にもたれかかるように身を預けた。
***
どのくらい時間が経っただろうか。
ふと、ジークは目を覚ました。ゆっくりと身を起こす。
呼吸が楽だ。芯から冷え切っていたような感覚がなくなっている。まだ身体は重いが、これくらいなら休めば回復するだろう。
その時、自分の左手に重みを感じた。目をやると、リディアがそこで眠っていた。二人の手は、まだつながれたまま。その指先から、じんわりとした温もりが伝わってくる。魔力と、何か別のもの。
自らの中に流れる“自分のものではない魔力”をジークは感じ取っていた。
決して不快ではない。むしろ、懐かしいような、安心する波動。
冷えきった部屋に小さな暖炉の火が灯るような感覚。
そっと手を離し、側にあったブランケットを彼女にかけた。
「ありがとう……と、言うべきですね……」
思わず漏れた声は、ほとんど空気の振動のようにかすれていた。
もちろん、眠る彼女に届くはずもない。ジークはその横顔を眺め続けていた。
しばらくして、アルステッド侯爵が彼女を迎えに来た。眠り続ける彼女をそっと抱き上げた侯爵は、ジークにしばらく療養するよう告げ、帰って行った。
気だるい身体を再び寝台に横たえようとしたとき、ジークは枕元にハンカチが一枚あるのに気がついた。
《L. Alstead》
そう刺繍されていた。
彼女が忘れていったもの。
手に取ってしばらく見つめ、何の気なしに、指でその刺繍をなぞった。布越しに、彼女のぬくもりが残っている気がした。
「リディア嬢……あなたは何者なんだ」
誰に伝えるわけでもなく、彼はそっと呟く。
それは、彼が彼女の存在を“特別”として意識し始めた、小さな始まりだった。
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