カイル 〜星祭りの夜に〜
夏休み。
リディアはアルステッド領に向かう馬車に揺られていた。普段暮らす王都とは違う雰囲気に心も浮き立つ。
(やっぱり夏といえば旅行よね! たまにはゲームイベントから離れてのんびりしたい……)
「本日はエヴァンズ領都で一泊します。明日にはアルステッド領に到着しますよ」
侍女アーニャの説明に頷くリディア。
エヴァンズ領を治めるのは、騎士家系のエヴァンズ家。その長男が幼馴染のカイルだ。
エヴァンズ領都の街は、華やかな飾りつけがされ、露天が並んでいた。聞けば今日は年に一度の“星祭り”らしい。
ランタンや花が飾られ、音楽とダンス、ワインや甘いお菓子が並ぶ。そして願いを込めた星形の紙を魔術で空に放つ、“星の祈り”が名物とのこと。
そのお祭りに聞き覚えがあった。
(これ、ゲームの“イベント”だわぁ……)
頭の中に蘇るのは前世の記憶。
(確か、お祭りでカイルに出会って『一緒にお祭りをまわる』を選択すると、わがまま放題のリディアにカイルが呆れる、ってやつ。選択肢一つですぐ好感度下がる。ほんとに、どこまでも鬼畜なゲーム……)
しかし、お祭りには抗えない魅力がある。なんたって見た目は侯爵令嬢、中身は前世庶民のリディアだ。キラキラした街並み、楽しげな音楽、屋台から香る甘い匂い。ワクワクが止まらない。
「ねぇ、アーニャ……」
「ダメです」
即答。
「まだ何も言ってないわよ!」
「言わなくてもわかります。星祭りに行きたい、とおっしゃるつもりでしょう?」
「そう! さすがアーニャね!!」
「人も多く、危険もあります。それに屋台のものはお嬢様の口には合わないかと」
「そんなことないわよ! お願い、アーニャ!! 他領の民の生活を知れば、見聞も深められると思うわ! ほんの少し! 表通りだけでいいから!」
粘り強い交渉で最後はアーニャが根負けした。
「……表通りだけですよ。服装も地味にして、商家の娘風にしましょう」
その言葉にリディアはガッツポーズした。
***
夕陽に照らされた街は、夢のような美しさだった。
石畳には金色のランタンが並び、音楽隊が優雅な旋律を奏でている。露店では、焼き林檎やパイ、星を模した砂糖菓子などがずらり。
人々は笑い、踊り、語らい、まるで物語の中のような光景が広がっていた。
「うわ……ほんとに、絵本の中みたい……」
感動して声を上げた、そのとき。
「リディア? なんでこんなところにいるんだよ」
その声に振り向くと、立っていたのはカイル。驚いた顔でこちらを見ている。服装はラフだが、腰には剣。領主の息子として、見回り中のようだ。
「アルステッド領に帰るところなの。今夜はここで一泊するんだけど、ちょうどいい時に来れたみたいね。どこもすごくキレイ」
そう答える後ろでアーニャがカイルに一礼し、彼も声をかける。
「アーニャさん、お久しぶりです」
「ご無沙汰しております」
こうして誰にでも分け隔てなく接するのも彼の魅力の一つだ。なんとなく嬉しい気持ちになる。
「にしても、侯爵令嬢が侍女1人だけ連れてお祭りとはな。大方、リディアが押し切ったんだろうけど」
「……なんでわかるのよ」
「そりゃあなぁ……」
優しい顔で笑うカイル。ふと、思い立ったように言った。
「見回りも一区切りついたし、リディアの護衛、俺が引き受けますよ。アーニャさん、屋敷に戻ってください。色々と支度、あるでしょうし」
その言葉に驚愕したのはリディア。
「えっ! でも、ほら、悪いし」
(カイルとお祭りを回る、って選択肢、ゲームではアウトなやつだし!)
アーニャが断ってくれるかも、と期待したが、一侍女の彼女が貴族令息からの申し出を断るわけがない。
「……ありがとうございます。それでは、お嬢様をよろしくお願いします。お嬢様、私は先に戻って、入浴の支度を致します」
深々と礼をしてその場を辞するアーニャ。
(結局、こうなるのか……)
リディアはこっそりため息をついた。
(でもこうなった以上は仕方ない。カイルがいればたくさん見て回れるし! わがままは言わない! お祭りを楽しもう! )
そう開き直ると、キラキラと眩しい祭り会場に飛び込んで行った。
出店の甘いお菓子を見て目を輝かせたり、音楽隊の演奏に思わず足を止めたり、ランタンに照らされた街並みに声を漏らしたり——そんなリディアをカイルは、どこか懐かしそうに眺めていた。
(好感度ダウンイベントは怖いけど。でも、私がここにいることを受け入れてくれる彼は、本当に優しいわね……)
リディアの心もふわっと暖かくなった。
広場で行われていたのは子ども向けの朗読会。タイトルは“星の鍵”
「懐かしい……」
思わずリディアの声が出た。
「昔、よく読んでたな」
カイルも足を止める。
『選ばれし者が鍵を開ける。だが、その鍵が自らの意思を持ったとき、世界は書き換えられる』
朗読会からそんな一節が聞こえてきた時、心がきゅっと縮むような感覚があった。自分の心の奥深くにある“何か”を呼び覚ますような、そんな感覚。
「そういえば昔、リディアはあの話を聞いて『鍵を探しに行く!』って言って走り回ってたな。本当にお転婆だったよなぁ」
カイルが思い出し笑いをしながら言った。
「なんでそんな余計なこと、思い出すのよ! 今はもう立派な淑女よ! 私、変わったんだから!」
必死に言うと、彼は遠くを見るような顔を見せた。
「……そうだよな、あの時から、リディアは変わった。いや……変わらなきゃ、心が追いつかなかったんだろうな」
「あの時?」
「……あの夏の日だよ。リディアの母上が身罷られた。お前、泣かなかったよな」
自身の中にあるリディアの記憶。あの夏の暑さと共に思い出された光景。皆が涙を流す中、真っ直ぐに母を見つめ、口を真一文字に結んで耐えていた自分。
「……泣いたら、現実になってしまう気がして……。受け入れられなかったのよね。お母様のこと」
「そうか……そうだよな……」
独り言のように彼は言った。優しい声。決して責めず、ただ寄り添ってくれるようなそんな声。
(……ありがとう。カイルがそう言ってくれるだけで、私の中にいるあの頃のリディアが少し、救われる気がする)
「確かに、リディアは変わったよな。でもさ、根っこのところは変わってないと思うぜ」
「え?」
リディアの問いかけるような眼差しに悪戯っぽい視線で応えるカイル。
「今だって、焼き林檎の香りでテンション上がってるし」
「ちょっ、何言い出すのよ! 淑女の品格が!」
そのやり取りに彼が思わず吹き出した。そしてふっ、と笑ったかと思うと優しい声で呼んだ。
「……リディ」
心臓が、どくんと跳ねた。
“リディ”
(私の愛称。昔は彼もそう呼んでくれていた。いつの間にか“リディア”になってしまった。私が“わがまま悪役令嬢”になってから……)
リディアは笑顔を返しながら、目を伏せる。
「……また、そう呼んでくれるの?」
「嫌ならやめるけど?」
「いいえ、嫌じゃないわ」
「なら、よかった」
どこか遠い夏の日の記憶と、今ここにある景色が重なって、時空がぐにゃりと歪んだような心地だった。
夜空を見上げれば無数の星。そして皆の願いが込められた星の祈りが、舞っていく。
(きっと今の私は、あの頃の私とは違う。でも、根っこの部分は同じ。だとしたら、もう一度彼と向き合うこともできるかもしれない)
そんなことを考えながら、2人で美しい夜空を見ていた。
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