ジーク 〜魔術という言語〜
2人の魔術論議は雰囲気で読んでいただければ
夏休み直前の学園は、どこか浮き足立った空気が漂っている。
誰もが休暇の予定に心を弾ませ、領地への帰省の準備や友人との語らいに忙しい中、リディアは誰もいない図書館の書架の前で唸っていた。
「……もう、この辺りの魔術書はほとんど読んじゃったかなぁ」
春から始めた魔術の鍛錬。
自身の魔力に無頓着だった過去の自分を許せなくて、ただがむしゃらに学び始めた。
気がつけば魔術そのものに惹かれていた。複雑な構成式、流れを導く魔力のリズム、発動詠唱——。
(奥が深くて、すごくおもしろい。ゲームプレイ中は魔術の描写はあまり深くは出てこなかった。けど、この世界に確かに魔術はある。やっぱり実際に触れると感動するわね)
そんな努力の成果は確かに出ていた。
先日の期末魔術試験では“優”を意味する“銀星”を獲得した。
担当教員からは「魔術師団長であるお父上譲りの魔力制御ですね」と評価してもらい、嬉しさと誇らしさで胸がいっぱいになった。
しかしこうも言われた。
「筆頭宮廷魔術師、ジーク・ヴァレンティア様と魔力の波長が似ていますね」、「彼と魔術について意見交換をすれば、互いに新たな視座が得られるかもしれません」と。
(そんな簡単に交流できる相手なら、苦労してないんですけど……)
「よりによって、ジークかぁ……」
つい口から漏れた溜息に、自分でも笑ってしまう。春のあの凍てつく眼差しを思い出すだけで、まだ少し背筋が寒くなる。
(ゲーム内での彼との交流も、序盤はファンの心が折られまくると評判の塩対応だったよなぁ)
確かに彼の魔術は一級品だ。もし、少しでも学べることがあるなら、対話をしてみたい。しかし、あの氷のような人と語り合える未来なんて来るのだろうか。想像はつかない。
リディアは書架を移動し、より高位の魔術書の棚の前に立った。
その中の一冊を手に取り、ページをパラパラとめくる。その内容を読みふけてっていると、ふと、背後から視線を感じた。
(……え? 何? この本、そんな人気なの?)
そっと振り返ると——そこにいたのは、まさかのジーク・ヴァレンティア。
書架に寄りかかってこちらを見ているが、その顔は相変わらず無表情。薄青の瞳は氷のようで、彼の周りだけ気温が3度くらい低そうだった。冷房いらずだな、とどうでもいい考えがよぎる。
「……何か?」
リディアはできるだけ平静を装って言った。
ジークはゆっくりと口を開く。その視線はリディアの持つ本だ。
「その本……あなたが?」
(……え、何それ。私に読めるのかって意味?)
ここで『教えてください』なんて選択肢を選んだら、確実に好感度はダウンする。もしかしたら氷の視線を通り越して、ブリザードが吹き荒れるかもしれない。
(ってか私だって努力してるのよ。それを否定される謂れはないんだけど!)
リディアは真っ直ぐに彼を見返すと、毅然と答えた。
「そうですけど?」
それを聞くや否や、ジークの視線がすっと鋭さを増した。そして突然、問いかけてきた。
「では、問います。五重複式展開における魔力分割比率の最適構成は?」
(……いきなりそれ?)
リディアは一拍だけ間を取った。一つ息を吸って、すぐに答える。
「基本は主配列が6:2:1:0.5:0.5。属性によって第二配列以降の比率は変動しますが、主配列の6を基準に構成式を展開すれば安定します」
ジークの目が僅かに細められる。どうやら正答だったようだ。
しかしすぐに次の問いを投げてきた。
「変性魔術における媒介物の選定基準と、その理論背景は?」
今度は魔術理論の応用編だ。リディアは一瞬考え、ゆっくりと口を開いた。
「——媒介物はその物質の純度や形状より、振動数をもとに選定する必要があります。理論としては、魔術の性質とその波長の共鳴は相関しており、さらにその共鳴は媒介物の固有振動数と干渉することで増幅する性質を持つため……私はそう、理解しています」
そう答えた瞬間だった。
ジークの目が、かすかに、僅かだが見開かれた。
その反応にリディアの心が跳ねた。
(あれ……今、ちょっと驚いてた……よね?)
「……あなたが多少変わって、魔術にも真剣に向き合っているという噂は、真実だったのですね」
静かな、でも認めるような言葉。リディアは内心でガッツポーズを取りたくなった。
「あ……、ありがとうございます。期末試験も、魔術は“銀星”をいただいたんです」
誇らしげに言った後、少しだけ意地悪な調子で続けてみる。
「ちなみに、ジーク様は?」
その問いかけにジークは無感情に答えた。
「宮廷魔術師は、学園の魔術試験は免除です」
「……ですよねー」
相手は天才筆頭宮廷魔術師様だ。何を当たり前のことを聞いてしまったのか。思わず肩を落とすリディア。
しかしその場に少しだけ、空気の緩みが生まれた。
「……それで?」
ジークが静かに言った。
「その本、どの章に興味が?」
「あ……第五章。詠唱式の不完全理論です。共鳴干渉の実例が豊富で……」
そこからは、自然と“魔術の会話”になっていた。
「この詠唱式は、あえて一音短くしてるんですね。共鳴を抑えるため?」
リディアが問えば、
「そう。共鳴による魔力の暴走を防ぐためには、あえて“不完全な音”を入れる方が安定する。けれどそれは、精度を犠牲にすることでもある」
ジークが答え、
「なるほど……それなら、“不完全”のまま収束できる補助魔法を組み込めば——」
リディアの発想に、
「……それができるなら、詠唱の呪文、そのものを短縮できる可能性がある」
ジークが補足する。
気がつけば、彼の声がほんの少しだけ柔らかくなっていた。まるで、互いの言語が“魔術”で統一されたかのようだった。
「……確かに、魔力の波長が似ているようですね」
会話が途切れたタイミングで、ぽつりとジークが呟いた。
「なぜ、それを?」
リディアは尋ねた。視線を合わせずに彼は言う。
「魔術担当の教員から。初め聞いたときは何をバカなことを、と思いました。しかし確かに……波長にも、魔術の構成思考にも妙な一致がある。無理に合わせようとせずとも、自然と噛み合う感触があります」
ジークほどの魔術師であれば、相手の魔力の波長を認知できるのだろう。リディアにはそれは感じられない。けれども、少しは自分のことを信じてもらえた、そんな気がした。
「そうなのですね。……でも、私はまだまだ未熟ですから。もっと学びたいと思ってます」
リディアの言葉に、ジークは何も返さなかった。
だがその沈黙は拒絶のものではなく、どこか、思案を含んだものだった。
「……また、意見交換をしても?」
リディアの希望に、ジークは一度瞳を閉じて、小さく答えた。
「必要ならば。……ただし、基礎が甘ければ即、終了です」
「それはもちろん。期待、裏切りませんから」
その言葉を聞いた一瞬——本当に一瞬だけだが、ジークの唇が弧を描いたように見えた。
魔力の波長が似ている。
それは、ただの偶然かもしれない。
けれどそこから生まれた共鳴は、やがてふたりの距離を、少しずつ変えていく……かもしれない。
ほんの、少しずつ。
読んでいただき、ありがとうございました。
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