幼馴染みと初登校
降り立った見慣れない駅のホームに、春の柔らかな陽が差し込んでいた。この場所で、今日もまた新しい一日が始まる。そんなありふれた日常の一コマが背後からの優しい声と肩を叩く感触によって、ふわりと色づき始めた。
「ちーちゃん! おはよう」
振り返ると、そこにいたのは美咲葉菜。風に揺れる緩やかな編み込みの長い髪と、陽だまりのような温かい笑顔が、千歳の目に飛び込んでくる。葉菜は千歳と同じ制服に身を包み、いつものように屈託のない声をかけてくれた。
少しだけ千歳よりも背の高い葉菜は、その落ち着いた佇まいでどこか大人びた雰囲気を漂わせている。初めて会う人が見れば、きっと上級生と見間違えるだろう。それほどまでに、彼女は真新しい制服を着こなしていた。そんな葉菜は、千歳にとって幼稚園の頃からの大切な親友だ。高校を選んだ理由も葉菜と同じ学校に行きたいという、実に単純なものだった。もっとも、推薦入学であっさりと合格した葉菜とは対照的に、千歳は合格ラインギリギリで、文字通り猛勉強の日々を送ったのだが……。
「おはよ! はなちゃん」
千歳は笑顔で挨拶を返し、葉菜の姿をじっと見つめた後、わざとらしく大きなため息をついた。
「はなちゃんって本当に可愛いよね。私なんて、この制服を着ている自分がなんだか浮いているみたいで……」
まるで自分の肌のように制服を着こなす葉菜の姿は、千歳にとって少しばかり眩しかった。ホームの端に置かれた鏡を見なくても、その差は明らかだった。
「そんなことないよ。ちーちゃん、すごく似合ってるよ? すっごく可愛い。あっ、前髪切ったんだ、可愛いね」
葉菜はそう言って、優しく微笑みかけてくれる。その変わらない優しさが、千歳は本当に綺麗だと思う。容姿の美しさはもちろんのこと、友達の些細な変化にも気づき、それを言葉にして褒めてくれる葉菜の心遣いは昔から変わらない。いつも笑顔を絶やさず、優しさでできているような女の子。それが、美咲葉菜なのだ。
「私だって、ちーちゃんに憧れるところ、たくさんあるんだよ? 小さくて可愛くて、それに綺麗な二重だし。それに、いつも私を笑わせてくれる」
葉菜の言葉には、いつも温かい光が宿っている。千歳はそんな心許せる親友の顔を見ながら、また少しばかりわざとらしい苦笑いを浮かべて言葉を返した。
「小さいのは、もはや悪口でしょ? 笑われてるだけじゃんか、それ」
軽口を叩きながらも、千歳は心の奥底で安堵していた。信頼できる友達と一緒に登校できるという、何気ない日常の瞬間に、ささやかな幸せを感じていたのだ。
「悪口じゃないよ? 本当に、ちーちゃんはいつも楽しいことを見つけてくるし……あっ、ほら、中学校の時の体育祭の時とか!」
「いやいや、あれは見たままを伝えただけだってば」
千歳の特異な体質のことを知っているのは、両親を除けば葉菜だけだ。幼稚園の頃からの付き合いで、葉菜はいつも千歳の話を面白そうに聞いてくれた。他の人には理解してもらえない、見たくもないものが見えてしまうという悩みを打ち明けた時も、葉菜は一番に心配して、どんな話も受け止めてくれた。葉菜の存在がなければ、今のようにお互いに冗談を言い合って笑える日々はきっと訪れなかっただろう。
「でも、まぁ、ありがと。はなちゃん」
少し照れながらそう言った千歳は、本心を打ち明けられる親友と共に歩ける毎日に、心の中でそっと感謝の言葉を贈った。
ちなみに、葉菜が持ち出した体育祭の話というのは、グラウンド一面にいる無数のダンゴムシやバッタなどの虫たちが、校長先生の始まったばかりのスピーチの声に合わせて先生の顔に向かって一斉に飛び回ったという、今となっては笑い話のような出来事だった。もちろん、その異様な光景が見えていたのは千歳だけだったのだが。
「でもさ、同じクラスになれて本当によかったよね。私、結構人見知りなところがあるから……、ちーちゃんと一緒で心強かったよ」
葉菜は、心からの笑顔を千歳に向けた。千歳は、「それは私のほうこそ」と言いかけ、二人は並んで校門へと歩き出した。
「待った!」
突然、千歳は立ち止まり、声を上げた。
「え?」
葉菜は驚いて振り返る。
「一応ね……。一応」
そう呟いた千歳は校門に向き合うと、ゆっくりと両手で自分の耳を塞いだ。
「あー、結構すごい……かも」
千歳の視線の先には、開かれた校門の向こうに広がる学校の敷地と、そこへ足を踏み入れようとする制服姿の生徒たちの群れ。そして、彼女だけが見ることのできる、異質な光景が広がっていた。
規律正しく隊列を組み、足並みを揃えて行進する大勢の兵隊たちの姿。そして、地面や草むら、空気中にまで、おびただしい数の虫や小さな動物たちが蠢いている。その異様な光景は、平和な学校の風景とはあまりにもかけ離れていた。
「ちょっと、入るの抵抗あるな……」
千歳は、またしても苦笑いを浮かべてそう呟いた。いつもどおりの、少しばかり面倒な一日が始まりそうな予感がしていた。