楽毅の末裔が試みた鶏卵占いの結果
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
あれは確か、私こと楽永音が台北大学に在籍する一介の学生に過ぎなかった頃の話でした。
「こうして書類手続きも全て終わりましたし、これで来年度には私も台北大学大学院修士課程の仲間入りですね。さて…折角ですから前途を占ってみるのも趣向として悪くはないでしょう。」
学部から院への内部進学とはいえ、進学に伴う人生のライフステージの変化という事に変わりはありません。
こうしたタイミングに今後の運勢や吉凶を占いたくなるのも、また人情でしょう。
私の故郷である台湾島の中華民国の人々は、結婚や就職といった人生の重要な局面は言うまでもなく、日々の生活においても占いを活用する傾向にあるのです。
それは道教や仏教といった伝統文化の影響は勿論ですが、自分達の人生をより充実した物にする為の目安として各種の占術を楽しもうという考えの現れなのでしょう。
そしてそれは、「燕国の武将として活躍した楽毅の末裔」という来歴を持つ名族として台北で生まれ育った私もまた例外ではないのでした。
「四柱推命や紫微斗数では普通ですし、わざわざ出掛けて易者や八卦見に見て貰うのも大袈裟ですからね…」
そうして沈思黙考した後に閃いたのは、鶏卵を用いた手軽な占いだったのです。
用意するのは、新鮮な鶏卵一つだけ。
それを慎重に割って中身を取り出し、残った殻の内側に生じた模様や割れ方から吉凶を判断する占術なのです。
四柱推命や紫微斗数に比べたら、随分と単純に思えるかも知れません。
あくまでも民間伝承の気楽な占いです。
しかし我が故郷である台湾を始めとした中華圏において、卵には特別な意味があるのです。
卵の中で成長した盤古による宇宙創造や清明節に祖霊へ捧げる紅蛋の風習、そして何より生命の象徴である卵を用いる事での神秘性。
それらの諸要素から卵を占術の道具に用いるのは、確かに理に適っていると言えそうですね。
「ほう、これは…」
現れた結果に、当時の私は訝しむばかりでした。
卵の殻が綺麗に割れたのは幸運と成功の証ですが、殻の内側に現れた紋様は変化と不安定を司る曲線だったのです。
「幸運と成功という吉兆が見えながらも、変化と不安定も伴っている…はてさて、これは…」
そうして小首を傾げても、当時の私には自分を納得させられる答えを導き出す事は出来なかったのです。
精々出来たのは、「日々精進あるのみ」という当たり障りのない教訓を導き出した上で、今の自分に出来る事を全うするだけでした。
とはいえ今となっては、あの鶏卵占いの結果は正しかったと言えそうですね。
その後も勉学に没頭した私は飛び級と飛び入学を重ね、二十歳前の若さで修士学位認定という栄誉に与れたのです。
そればかりか清朝皇位請求権を行使する形で中華王朝を建国された愛新覚羅紅蘭女王陛下の御眼鏡に適い、清朝の流れを汲む中華王朝の宮中へ仕官する道も開けたのでした。
「もしも私の執政に少しでも疑問を感じられたならば遠慮なく諫言を御願い致しますよ、永音先生。それでも先生の意に沿えなければ、躊躇する事なく他国へ降って下さい。その時は私の執政から徳が失われたと現実を認め、潔く貴女の背中を見送る事を御約束致しましょう。」
そう女王陛下にお声を掛けて頂いて紫禁城に出仕するようになってから、もう何年になるでしょう。
今では宮中での立ち振舞いもすっかり板に付き、本名の「楽永音」よりも役職名の「丞相」で呼ばれる機会の方が遥かに多くなりました。
「成る程…変化と不安定とは、この事だったのですか。確かに修士課程を卒業してから今日に至るまでの日々を振り返りますと、確かに私の遍歴は変化の連続でしたよ。一介の学生から一国の官僚へ。その振れ幅の大きさは、確かに不安定と言って差し支えないでしょう。」
そうして若き日に試みた占いの結果に納得した私は、間近に控えた中秋節の式典の式次第に改めて目を通したのでした。
中華王朝の国内の情勢に、諸外国を始めとする国際社会の動向。
私こと楽永音が丞相として直面する社会は、常に変化し続けています。
それを不安定と言い切ってしまえば、身も蓋もありません。
しかし私が官僚として栄達出来たのは紛れもない成功であり、陛下という良き理解者を主君に仰ぐ事が出来たのは幸運としか言い様がないでしょう。
この幸運と成功を国家に還元して、「国益」という名のより大きな幸運と成功に繋ぐ事。
あの鶏卵占いで殻を割った時に此の世に生まれ出でたのは、そうした大望と志だったのかも知れませんね。