始まりは酒場から
とある王国の大通りに面した、とある酒場にて。
だんだんと夜が深くなっていくにつれて、店主サンドラの悩みは深まるばかりだった。
「うぃ~~……はあ~~、ヒック」
目の前で陰気なツラをぶら下げながら呑んだくれる駄目男を、どう言って外に放り出してやるか。
いくら此処が大衆向けの安酒場で、眼前の男が客だとしても、こうも湿ったような空気を周囲に振りまきながら、夜が更けるまで長々と居座られてはたまらない。
「あぁ〜〜……どうして僕がこんな事を……。ホントなら今頃、商隊の女の子たちとイチャイチャしてるはずだったのになぁ……」
「知らないよ。こっちはアンタの愚痴もいい加減聞き飽きたんだ。追加で注文しないんなら、とっとと出てっておくれ」
すげなく切り捨てるサンドラに、客の男は慌ててメニューを手に取って眺めた。
「待ってよおかみさん……今注文するからさ。ええっと……じゃあこの塩豆をちょうだい。一番安いの」
「はぁ……ったく」
溜息をこぼしながら、サンドラは注文を用意するため奥に下がる。
この男、昼下がりにふらっと現れて、安酒と肴をちびちびとやりながら実に半日以上も居座っているのだ。
そのくせ近付けばブツブツとよく分からない愚痴を垂れ流すものだから、気が付けば客も店員も遠巻きにして側に近寄らないようになっていた。
ハッキリ言って商売の邪魔だ。
それでも注文を受けたからには、店が客に商品を出さないわけにもいかない。
渋々と言った体でサンドラがつまみを準備していると、酒場のドアベルが鳴った。
見てみれば若い女性の一人客だ。こんな夜更けに珍しい。
ここらじゃ見かけない美しい銀髪をストレートに伸ばし、すらりとした細身のスタイル。それに反して男受けしそうな一部の肉付き。サンドラが生涯見かけたこともないような、とびきりの美女だった。
そんな人物が夜に独りでこんな場末の酒場に来るとは危なっかしい。
まあ、きっと酔客や荒くれ者の対処には慣れているのだろう。
この街の名物女将であるサンドラが目を光らせるこの酒場で暴挙に出るような馬鹿な男も、最近はめっきり減った。
いらっしゃいと声をかけるが、彼女はこちらを意に介さずに迷いなく歩を進める。どうやら待ち合わせか何かのようだ。
女性は目的の人物に向かって一直線に歩むと、挨拶も無しに用件を告げた。
「こんな所に居ましたか、団長。リズからの報告があります。一緒に来てください」
「えぇ〜……」
ドロシーは驚いた。なんとあの呑んだくれのお迎えだったようだ。
しかも、男は団長だとか呼ばれている。
一見うだつの上がらなさそうな風体の二十歳前後の若者のようだが。
実はどこぞのお貴族様の息子か何かで、親から商売でも任されているのだろうか?
だとしたら、場末の酒場で大した金も出さずに安酒とケチくさい肴で長々と居座らないでもらいたいものだが。
どちらにせよ、ようやくあの陰気な客が居なくなってくれそうだ。
目下の悩みが解決したことを察して、ドロシーはにっこりと笑みを浮かべた。
----
「はあ……。まったく、御自身の立場をお考えください。貴方が居ないと始まらないのですから、いつまでも酒場でくだを巻かれていては困ります」
酒場を出て道なりに進んだ先の大通りを二人は歩く。
女性の風に吹かれてゆらゆらとなびく銀髪を目にして、行き交う男たちが次々と振り返るが、当の本人に気にする様子はない。
「そんな言い方しなくてもいいじゃないか、クラリーナ。僕だって情報収集に勤しんでたんだよ。ほら、酒場って新鮮な情報の宝庫じゃない? ぼかぁ、身を削って現地調査をだね……」
「そうですか。では、その現地調査のために、午前中は商隊に接触して可愛い女の子達と和気藹々、楽しくお話していたと?」
「あー、いや、それは……」
銀髪の女性クラリーナ・キャンベルは、自らが団長と呼ぶその青年を横目で軽く睨むと、口元に冷笑を浮かべて詰め寄った。
見るものによっては寒気を感じるであろう冷淡な瞳。普段なら男達を魅了して止まないその端正な顔立ちも、今は魅力よりも先に威圧感を醸し出している。
しばらく青年を睨みつけていたクラリーナだったが、やがてため息を一つ吐いて空気を弛緩させると、口を尖らせて軽く目を伏せた。
「可愛い女の子に囲まれながらのお喋りが御希望でしたら、わ、私達がいくらでもお相手しますのに……。わざわざ他所の女性に声などかけずとも」
言いながらクラリーナは気恥ずかしさを覚えたのか、頬を薄っすらと赤くして視線を合わせずにいる。
そんな彼女を見て、男は一瞬目を丸くすると、さわやかな笑みを浮かべた。
「いや、悪いけどクラリーナとは遠慮しとこうかな。なんか3分に1回は仕事の話題とかぶち込まれそうだし」
「ッ……! この、男は……」
再度圧力を増した絶対零度の視線を軽くいなしながら、男が大通りを歩いて行く。
すると、前方から一人の少女が大きく手を振ってこちらに走ってくるのが見えた。
「お、リズ」
「団長! やっと会えたぁ!」
勢いあまって胸元に飛び込んできた小柄な少女を受け止めると、男はそのまま少女ごとくるりと一回転。勢いを殺してからそっと手を離した。
男に会えたことがよほど嬉しいのか、少女は頬を紅潮させ、腰の下辺りから伸びる尻尾をブンブンと元気良く振り回している。
栗色のショートヘアを揺らして目の前に頭を寄せてきたので、青年が手のひらで軽く撫でつけると少女は満足気に微笑んだ。
「リズ。団長はお忙しいの。スキンシップは手短にね」
「あれぇ? クラリーナさんゴキゲン斜めだね? もしかしてぇ、また団長に相手にされなかったぁ? だめだよ、だからって他の人に当たっちゃ」
「は?」
不相応な態度を取るリズを嗜めようとしたクラリーナだったが、生意気盛りの少女に煽られて額に青筋を浮かべる。
この幼な気な獣人の少女はリーザリーザ・ガルシア・ノッドランド。
長い名を当人が嫌うこともあって、親しい者は彼女をリズと呼んでいる。
ある時、スラムで捨てられていた彼女を団長と呼ばれている青年が拾って以来、行動を共にするようになった。
元来はずいぶんな甘えん坊で、二人には特に懐いていたが。
どうやら何時の間にか子供らしく反抗期を迎えたようで、最近ではクラリーナがよく被害に遭っている。
今では顔を合わせる度に小生意気に彼女を煽るリズと、いちいち対抗するクラリーナの間で毎回のように小競り合いが発生するようになっていた。
(何を張り合ってるのかは知らないけど、僕を挟んで火花を散らすのは止めてくれないかなあ……)
君子危うきに近寄らず。
青年が我関せずを決め込んでいると、二人の視線が向くのを感じた。
どうやら無関係を装っていたのがお気に召さなかったようで、二人はじりじりと両隣を詰めてくる。
両手に花というものだ。大いに結構。
気にせずに、男はそのまま歩き続けることにした。
「それで? 僕を呼んだからには、何か進展があったと考えていいのかな」
「うん。例の人たちが『廃坑』に潜ったのを確認したよ」
「私の方でも確認しました。ギルドから私達に正式な依頼として発行されています」
男が仕事の話を振ると、二人も即座に思考を仕事モードに切り替えて応えた。この辺りはもう慣れたもので、仕事に関しては二人とも、自分よりもよほど真面目に取り組む事を男は知っている。
彼らはもう何年もこの仕事を続けている。とはいえ普段は男まで出張ることは少ないのだが、今日は特別な日だ。彼らにとっての収穫の日。
ここ数週間の調査の成果が得られる夜になる予定だ。
「うん、いいね。それじゃ早速、仕事に取り掛かろうか」
「はぁい!」
「ええ、そうしましょう」
男はこれから起こる事を予想して、愉快そうに口の端を軽く吊り上げた。
彼は仕事を行う時、いつも薄っすらとした微笑を絶やさない。
それは例えば、余裕を知らしめて相手を萎縮させるためだとか、己を鼓舞するためだとか。
あるいは、強敵との闘争に高揚感を覚える戦闘狂だからなどと周囲は認識しているが、実際のところは誰にも理解できていなかった。
それが彼の抱える強烈な、ある欲求の現れだということを。
「楽しそうですね、団長」
「分かる? 久々の迷宮だからかな……何だかワクワクしちゃってさ」
見慣れたその表情を目にしたクラリーナの呆れたような呟きに、男は軽い口調で返す。
男の名は、通称『微笑む魔人』 ルジュラック・シーカー。
その本性を知る者は、未だいない。