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所詮は月が欲しいと泣く行為

作者: 月嶋朔

「レイア・シルドニア! お前との婚約を破棄する!」

 シルドニア公爵令嬢レイアの婚約者である、この国の第二王子リーオンが声高に宣言する。

 その腕に、レイアの姉アンネリゼの、ドレスから今にもはみ出しそうな豊満な胸を押し当てられて、鼻の下を伸ばしながら。

 リーオンとアンネリゼの後ろには宰相の一人息子、騎士団長の長男、そしてレイアとアンネリゼの兄のテオ。レイアが視線を少しずらした先には、珍しく両親が仲睦まじそうに並び、レイア向けてニヤニヤと笑みを浮かべながらワイングラスを傾けている。

 この場にいる他の貴族達は、憐憫の眼差しを玉座とレイアに向けた。

 玉座には、彫刻のようだと謳われていた美貌が心労で痩せて損なわれた王と、同じく、黒真珠のようだと誉めそやされた髪をすっかり白くしてしまった王妃、そして人形のように無表情で弟の愚行を見下ろす第一王子が座っている。王と王妃は、俯いて固く目を瞑ってしまった。

「お前は兄であるテオと姉であるアンネリゼを差し置いてシルドニア公爵家嫡子を名乗り、あまつさえ前公爵夫妻まで唆して己が後継者だと周囲に嘯くような悪女だ。そんな女が私に相応しいわけが無いだろう!」

「家は長男である私が継ぎ、そして婚姻した殿下とアンネリゼが支えていくと決まった。お前はどこぞの後妻にでもくれてやるから、覚悟しておくんだな!」

「勝手に跡継ぎだと宣言していたとはいえ、お兄様が継いだ後も家にいると肩身の狭い思いをして可哀想だと、家族(・・)で話し合って決めたのよ」

 リーオンの言葉から続けたテオとアンネリゼは、一見すれば神妙そうな表情だが、よくよく見れば長年疎んでいたレイアを公衆の面前で陥れた事に酔いしれて、悦に入っているのが分かる。

 なるほど、そう落ち着いたのか。と、レイアは考えを巡らせ、玉座に視線を戻す。王と王妃はもう言葉を発する気力も無いらしい。代わりに第一王子が立ち上がり、宣言した。

契約通り(・・・・)、この時を持ってリーオンは除籍! 本日より奥の塔へ移り、以後表に出てくる事を一切禁ず!」

「…………はぁ?!」

 腕どころか視線と足まで絡め、恍惚とした表情で今にも始めそうな雰囲気のリーオンとアンネリゼだったが、しかし第一王子の言葉に正気に戻り振り返る。テオと騎士団長の長男も驚いた様子だったが、宰相の息子だけは静かな表情をしていた。第一王子は彼らを無視して、言葉を続ける。

「同時に、本日付でシルドニア公爵家当主はレイア・シルドニアとなる!」

「どういう事ですか! 何の権限があって!」

 声を上げたのは公爵だった。

 発言の許可も得ずに突然大声を上げた彼へ向けられる周囲の視線は冷たく険しいものばかりだった。だが、本人も横にいる夫人もそれには一切気付かない。

「権限? 言っただろう、リーオンとシルドニア嬢が婚約した際に交わした契約(・・)によって、だ。まさか、契約の場にいて、契約書を確認して、了承のサインもしておきながら、記憶に無いと言うのか?」

「け、契約……」

 覚えていないのだろう。レイアはおろおろとしている父親の姿を横目に見て、そっと溜め息を吐く。

 レイアとリーオンの婚約は少々特殊だった。異例とも言うべきか。そのため細かく決められた契約も交わされたのだが、公爵は目先の利益に眩んで書類の文章が読めなかったらしい。

 レイアは発言の許可を得て公爵に向き直る。その目は、親に対する娘のものではなく、どうしようもない愚か者に常識を諭すようだった。

「例え契約の件がなくても、義兄(・・)義姉(・・)は公爵家を継ぐ事はできません。何故なら、お二人とも片親が平民なので、我が国で定められている『高位貴族の後継者に足りうる血筋』に当てはまりませんから」

「母親が平民だからなんだ! アンネリゼは公爵家当主の俺が真に愛した女との子だぞ!」

「テオだって! 公爵夫人の私が愛した方との間の子よ! 彼が平民であっても真実の愛の前に関係ないわ!」

 二人は何を言っているのだろう? という周囲からの冷めた視線にも気付かず、二人は平民の愛人と築いた尊い愛とやらを説いて喚く。


 公爵と夫人は絵に描いたような『政略結婚』をした。

 公爵は初夜に「お前を愛することは無い。俺には真実愛し合っている相手がいる」と夫人に言い放った。

 対して夫人は元々公爵を良く思っておらず、ならば自分も好きにすると返して、婚前から体の関係にあった庭師の男を実家から呼び寄せて真っ先に子を作った。

 それが、長男のテオ。

 彼は夫人と庭師の男の面影があり、黒髪と褐色の肌の精悍な青年に成長し、夫人は『愛の結晶』である彼を溺愛した。


 それに対抗意識を燃やした公爵が、懇意にしていた娼婦の女を身請けし愛人として別宅に住まわせ子を作った。

 それが、長女のアンネリゼ。

 彼女は美しい愛人の面立ちに、公爵の色を継いだふわふわの金髪に宝石のような碧眼を受け継いだ少女で、こちらも『愛の結晶』だと公爵が溺愛した。


 そして、テオとアンネリゼが夫妻それぞれの愛人との子であるのは、社交界で有名な話だった。公爵夫妻が互いに恥ずかしげもなく周囲に吹聴していたからだ。

 だが相手が平民である事は知られていなかったため、夫妻に対して「政略にも負けず、真実の愛を貫いたのですね」と密かに肯定していた下位貴族もいたが、彼らは今、事実を知って顔をしかめている。

 確かに貴族が愛人を囲う事は少なからずあるが、しかし平民に手を出す事はまず無い。何故なら、平民との間に子を作ってしまうと得など無く、面倒でしかないからだ。

 爵位のある貴族同士であれば、身分差が大きくとも何かしらの理由をつけて養子に迎えたり、あるいは子を認知して援助することも可能ではある。

 だが、平民の血が入った子どもは、例え片親が王族で尊い血筋であったとしても『平民』であると見なされ、貴族との養子縁組は禁じられている。如何なる理由があっても例外は許されない。しかもこの国では堕胎は罪だとされている。

 そのため貴族と平民の間の赤子は、産後すぐに実の親から離し、何も知らない平民の家に里子に出してしまう。

 全てを『何も無かった事』にするためだ。

 それなのに二人は国の決まりなど知らんとばかりに互いに溺愛する我が子を跡継ぎにしようと争い、それを知った前公爵夫妻、つまりレイアの祖父母が激怒した。

「平民の血を引く子は公爵家を継げないのだから、跡継ぎになる子を産め」

 はっきりと、テオとアンネリゼが継げない理由も添えて、そう言って祖父は二人を無理矢理寝室に閉じ込めて、敢えて部屋の内側に見張りを立てた。他人に性行為を見せるのも見るのも本来なら有り得ない事だが、見張りを外側に立たせると二人が共謀して行為の偽証するだろうと祖父が踏んだからだった。

 夫妻は見張りまでも巻き込んで三日三晩罵り合い、四日目にようやく諦めた。

 その際、夫人はまるで暴漢にでも犯されているかのように嫌々足を開きながら泣いて泣いて恋人の名を呟き続け、公爵は萎えたものを薬でなんとか起たせて愛人の名を呼びながら行為に及んだと、見張りはげんなりとした様子で祖父母に報告したという。

 そうして夫妻に一切望まれず、それどころか互いに望んでもいない行為を強制されたために恨まれて恨まれて産まれたのが、公爵家次女であり前シルドニア公爵が唯一の嫡子と定めた、レイア。

 彼女は公爵に似た凛とした面立ちに、夫人の色である薄い茶髪に月のような黄金色の目を受け継いだ、美しい少女だった。だが、互いに毛嫌いしている相手の面影が見える故に、両親からの愛はついぞ得られなかった。


 もしテオとアンネリゼの存在を公にしなかったなら、密かに養育する程度だったなら、恐らく祖父母も周囲も黙認しただろう。

 だが公爵夫妻はテオとアンネリゼを『公爵家の子』として迎え入れ、出自を偽って貴族籍に加え、跡継ぎであるレイアを無視して二人ばかりを溺愛し、あまつさえレイアではなくどちらかを跡継ぎにしようとした。

 愛を与えても泥水が清水に変わることは無いように、心から愛したところで『平民』の血が『貴族』になる事は無いというのに。

 だから公爵夫妻が懸命に愛を説いても、レイアの心はおろか、他の貴族たちの心にも全く響かない。

「……感情では血統は賄えません。だからお祖父様は私を産むように命令したというのに。何と言われたのか、お忘れですか?」

 唯一、シルドニア公爵夫妻の間に産まれた子であるレイアの言葉に、夫妻は思い出したくない事を思い出して、ようやく口を閉じた。

「お祖父様たちは平民による公爵家の乗っ取りを防ぐためと、お父様やお母様達の事まで思って、無理に男児を産ませずに女児(わたし)で妥協したのに、まさか本当にこのような形で乗っ取りを決行しようとは……。

契約が反故された瞬間を持って私が公爵家当主になる事。万一事を考えて、この条件をこちらから追加させて頂いたのですが、正解でしたね」

「お、お前は、親を信じなかったのか!」

「平民って、自分の兄と姉だというのに、そんな風に思って見下していたの?!」

 耐えきれず口を開いたかと思えば、夫妻は愚かな事を言い始める。

 親? 兄? 姉?

 形だけでも家族のように接する事が一切無かったくせに? そうさせてもくれなかったくせに?

 レイアは、深く溜め息を吐いた。

「……目が合うたびに汚物でも見るような目で睨む方々を、例え血縁であろうと、無条件に慕うと思いますか? あと、お二人を見下したつもりはありませんが、法律上は『平民』ですので、同じシルドニア公爵家の血筋だと思った事は一度もありません」

 きっぱりと言い放つレイアに気圧されテオとアンネリゼは黙り込むが、夫妻はまだ信じていない。終いにはレイアが家を乗っ取るための嘘だと言い出した。

「そんなに疑うなら、確認するといい」

 埒が明かないと第一王子は契約書を持ってこさせて公爵に渡す。奪うように受け取った公爵と夫人は、そこに書かれた細やかな文章に、ようやくしっかりと目を通す。

「お……お父様……?」

 いつもならアンネリゼが呼び掛ければ、公爵は優しく甘ったるい表情で振り返る。しかし愛娘の声は父親には届かなかった。

 公爵が、そして夫人が食い入るように読んでいるのは、『リーオン第二王子の婚約者をレイアからアンネリゼに変更した場合、またはシルドニア公爵家後継者をレイアからテオ、又はアンネリゼに変更した場合、貴族法違反と簒奪の容疑で以下六名を逮捕する』と書かれ、夫妻とそれぞれの愛人、テオとアンネリゼの名前が記載されている箇所。

 夫妻は貴族であるが故に、直ぐ様理解してしまった。

 貴族である夫妻は取り調べと裁判で刑が決まるが、貴族法に違反した平民——愛人である庭師の男と元娼婦の女、そして……法の上では『平民』に当たるテオとアンネリゼの四人は、公爵家の乗っ取りを企て『貴族に害を成そうとした平民』として問答無用で極刑になる。

 夫妻の愛人たちは巻き込まれたようにも思えるが、今現在もテオとアンネリゼの親として振る舞い、両親からの愛を得られないレイアを見下した発言もしていた。長く夫妻の愛人として『貴族』のような生活を送っていたため、自分達が『平民』である事をすっかり忘れてしまったらしい。

 それぞれ、レイアではなく自分たちの子が公爵家を継げたなら、という公爵と夫人の発言に同意していた事も王家の調査で知られている。

 そして今回、婚約者をレイアから『平民(アンネリゼ)』と替えるという宣言と、後継者をレイアから『平民(テオ)』に替えるという宣言が人前で、しかも王族の目の前で行われた。

 公爵達は今更「乗っ取りの(そんな)つもりは無かった」等と言い逃れできない。

 レイアが爵位を継ぐまで何もしなければ、あるいは、レイアに関するものだからと適当に扱った契約書の内容をきちんと理解していれば。

 もし今日何も起こさずそのままレイアがリーオンと結婚していれば。その後リーオンとアンネリゼがどうしようともレイアは気にも止めなかっただろう。

 テオの事も、レイアはそのまま追い出すつもりは無かった。希望するなら仕事の斡旋も考えていたし、必要なら幾つか所有している別宅のどれかを、手切れ金代わりに、譲るつもりでもいた。

 公爵夫妻もそうだ。レイアに爵位を譲った後にそれぞれが愛する者との幸せな余生を送るのなら、レイアも目をつぶるつもりでいた。テオ同様、別宅のどれかを譲って実質縁を切るつもりでいたからだ。

 だが彼らは、その幸福を自ら手放す愚行を犯した。

 レイアに責任転嫁する気力は、もう無い。

「ああ、公爵。それを破いて無効にしよう、とは思っても実行しない方が良い。それはありふれた契約書とは違う。故意に破損した場合、極刑に処す事がある。……紙切れ一枚で爵位だけではなく命までも無くして構わないというなら、話は別だが」

 暗に「愛する者たちと一緒に死ぬか?」と尋ねた第一王子の言葉は、兵に囲まれて泣き叫ぶ愛しい我が子(テオとアンネリゼ)の声は、呆然とする夫妻の耳には届かなかった。




「何故俺が除籍されなければならないんだ! 公爵家の相続問題とは関係無いじゃないか!」

 リーオンは、二人の生い立ちを知らなかったようだ。世論に疎く、自分に都合の良い事や信じたい事しか記憶に残らない頭だから当然か、と周囲は溜め息を吐く。

 しかも『平民』だという事実を知った瞬間、あんなにいやらしく密着していたのにリーオンはあっさりアンネリゼの腕を振り払った。兵に連行されながら泣いて助けを乞うアンネリゼとテオを無視した。

 今更無関係を貫いたところで、遅いのだが。

「王族から除籍された以上は平民と同等になるのだが、今日が終わるまではその口の聞き方を許そう。……リーオン、父と母がレイア嬢との婚約について、お前に常々何と言って聞かせていたか、僅かでも覚えていないのか?」

「機嫌を取れだの何だの言っていた事だろう。だがレイアが婚約者でなくなったところで、困る事など——」

 そこまで言ってようやく第一王子の視線が冷めきっている事に気付いたリーオンは、たじろぎ、僅かに後ろに下がる。隣に座る王と王妃の様子にも気付き、いつもの優しげな様子とは違う冷めた表情に、リーオンは焦りを覚える。

「確かに、お前が今後どうなろうと俺は一切困らない。……だが、そんなお前でもどうにかしようとした父と母はどうだろうな。まさか、まだ二人がどうにかしてくれる、とでも思っているわけではないだろう?」

「そ……それは……」

「お二人はお前がまだ幼い頃からきちんと考えていた。自立できるように教育も与えた。それを拒んだお前でも婿入りが決まれば変わると信じて、他国に頭まで下げた。自国の貴族たちにまで、好条件での婚約を頼み込んだ。一国の王が愚かなお前にそこまでさせられた(・・・・・)んだ。それを見たお前がお二人に何と言ったか、覚えているか? 覚えていないだろうな。もし自分の愚行を一つでも覚えていたなら、公の場でレイア嬢との婚約を自分から破棄をするなど、馬鹿な真似はしないだろう」

 自分が愚かでは無いと反論するには、過去の言動を振り返って証明しなくてはならない。だが、どれだけ考えても兄の言うような愚行に当たるものがリーオンには分からなかった。

 だからリーオンは、堂々と言い放った。

「間違った事はしていない」と。

「……まさか、父と母がどんな気持ちで頭を下げてまわっていたのか、理解していなかったとは……」

 失望を滲ませながら溜め息混じりに呟かれた言葉に、リーオンはようやく自分が今窮地に陥っている事を理解し始めた。


 第二王子リーオンは国王と正妃の間に産まれた正統な王家の血筋であったが、しかし誕生が、十歳以上の離れた第一王子の即位が決定した後であったが故に、彼には他国との政略結婚か、自国で臣籍降格して生きる道しかなかった。

 もしリーオンが文武どちらかに秀でていたなら城に残り、文官長、あるいは騎士団総長も有り得たのだが、与えられた教育も努力を積み重ねて結果を出す事も面倒だと拒んだ。大国の王族である事を笠に着て傍若無人に振る舞い続けた。

 教育においても日常生活においても差別だと思われないよう第一王子と大きく変わらない扱いをされていたはずなのにリーオンは、理知的な第一王子とは真逆の、我儘放題の暴君になってしまった。何故なのかと王達は頭を抱えていたが、『第一王子と変わらない』扱い、つまり自分も兄と同等の国王になる立場だと勘違いしてしまったからなのだが、それに気付いた時にはもう手遅れだった。

 それでも王と王妃は、ただの暴君に成り下がったリーオンを見限らなかった。

 婚姻先を探す目的で幼いリーオンと共に他国との交流の場に出ていた。だがリーオンは繕おうともせず我儘を通していたため、どこも婿に欲しがらない。二人が何度厳しく言って聞かせても

「なぜ、格下の国にへつらわなければならないのですが。だから父も母も兄も侮られるのですよ」と偉ぶる。

 そもそも『中身に難有り』でも大国との縁が結べるまたとない好機だというのに向こうが断っているのだ。それほどまでにリーオン自身に魅力も利点も無く、故に王自ら頭を下げなければならない原因になっているというのに、その本人は

「外交というものをわかっていませんねぇ。僕はわかっているんですけどねぇ」という顔でふんぞり返っているのだから、どうしようもない。

 そうして他国との縁談を諦めた王と王妃は、今度は自国の高位貴族に頭を下げるはめになった。国内の貴族が後回しになったのは、政略もあったが、大きな理由としてリーオンに『王族としての生活』を続けさせたかったからなのだが、皮肉にも本人の我儘で縁談が決まらなかった。

 しかし、他国が欲しがらないものをどこの家が欲しがるのか。やはり王命であっても色んな理由を付けて断られた。

 その度にリーオンは「威厳がありませんねぇ。情けない」と言いたげな態度をとるため、王と王妃の心労は増すばかり。代わりに第一王子が言って聞かせようとしたが、リーオンが一方的に兄を毛嫌いしているため、そもそも会話にならない。

 自分に都合の良い言葉しか聞かないリーオンの周囲にはまともな思考の人間はまず寄り付かない。騎士団長の長男は知らないが、宰相の息子のように「傀儡に丁度いい」と考える者が集まりやすく、王家としてもリーオン自身も危険だった。

 そのため王と王妃は、とうとう多額の金銭と破格の契約を提示し、唯一反応の良かったシルドニア公爵に頭を下げて、嫡子のレイアとの婚約をお膳立てした。

 レイアを嫌っていた両親すらこの縁談を受け入れて、勝手に婚約を決めた事を怒った祖父母も最終的に納得するほど、公爵家側に都合の良い条件だった。本来有り得ない事だが、しかしそれほど王と王妃はリーオンの行き場をどうにかしたかったのだ。

 もし破談になってしまうとリーオンは完全に行き場を無くし、奥の塔に幽閉せざるを得なくなるからだ。

 奥の塔は主に罪人となった王族が除籍されて送られる場所だ。例外として心の病を発症した者や、今回のリーオンのような暴君に成り下がり国を傾ける恐れのある王族も入れられる。そこに入れられると、如何なる理由があれど、二度と俗世に戻ることは許されない。罪人も恩赦で俗世に戻る事もあるが、しかしこの奥の塔の住人になるとそれは適応されない。

 だから王と王妃はリーオンに対し常に「公爵家の機嫌を損ねるな。レイア嬢とも友好的に、円満に過ごすように」と何度も言い聞かせた。愚かでも、暴君でも、愛しい我が子だから。

 だが、二人の思いも己の立場も理解していないリーオンは長年不満を抱いていた。

 王族である自分が何故に格下に、しかも顔と体は良いのに中身が可愛げの無い女にへつらわなければならないのか、と。もっと自分の事を持ち上げて、欲求を満たしてくれる相手……そう、姉のアンネリゼの方が良い、と。

 それに女公爵の夫という立場より、テオを公爵にして、その妹婿の方が楽できると判断した。

 自分の娘を跡継ぎにしたかった公爵は最後までリーオンの提案に渋ったが、さすがに王族とその妻になるアンネリゼを夫人は邪険に扱わないだろう、と判断した。

 実際、夫人は愛息子のテオが公爵家を継ぐなら、他の詳細はどうでもいいと考えていた。公爵から家督を奪う事のみが目的だったため、その後の事はテオに全て任せるつもりだったからだ。

 テオも、アンネリゼはリーオンが持ってくる金で勝手にやるだろうから適当な別宅を与えて本邸から出すつもりだったし、アンネリゼも公爵家の事はテオに丸投げして働かずに遊んで暮らす算段だった。

 公爵と夫人、テオとアンネリゼ、そしてリーオン。全員の利害が一致する企みだった。

 婚約の条件や契約相手がレイアであるのが前提、だという事を除けば、だが。


 連れていけ、と第一王子の一声でリーオンも兵に囲まれ会場から引きずり出される。ここまできてようやくリーオンは、今日の(・・・)己の行いが良くない事だったのだと思い知った。

「待って、待ってくれ!」

 謝るから許してほしい。謝るから何も無かった事にしてほしい。何度言われても父と母が大事にしていた調度品を遊びで壊した時のように、兄が大事にしていた宝物をわざと壊した時のように、謝れば許してくれるはずだ。

 そう思って手を伸ばした。いつもその手は誰かが取って、「仕方無いな」と笑ってくれた。

 しかし、リーオンが助けを求めて伸ばした手は、何度宝物を壊されても許さざるを得なかった(・・・・・・・・・・)兄も、何度調度品を壊されても許す事が出来るほど愛していた父も母も、今回ばかりはリーオンから目を背けて見ぬふりをする。宰相の息子も、騎士団長の長男も、断罪劇を見ていた客も、皆リーオンから目を背けている。誰もリーオンを見ようとしない。

 何があっても自分を見捨てる事が無かった周囲から、とうとう見限られたのだと、孤立したのだと、リーオンはやっと気付く。だが、己が愚かだったとは気付かない。今日はまずかった、ただそれだけ。

 誰もリーオンを見ない中、レイアだけがリーオンの行く末を見ていた。

 考えを読まれないよう作り慣れた無表情のレイアと、絶望に顔を歪ませたリーオンの視線が絡まったが、それはほんの一瞬で、すぐに重い音と共に閉じられた扉によって遮られた。






 * * *






 騒ぎの始末がついた数日後。レイアはとある場所にいた。

 豪華だが落ち着きのある部屋のドアが、ノックも断りもなく、突然開かれる。

「やはり君が私の運命だったんだな!」

 嬉しそうにそう言いながら入ってきたのは、リーオンだった。

「お久しぶりでございます」

「堅苦しい挨拶などいらん! 私とお前の仲なのだからな!」

 当たり前のようにレイアの腰に手を回して隣に座ろうとするリーオンを、控えていた護衛がさり気無く向かいの席に誘導する。その護衛達に向かってリーオンは全員退室するよう命令するが、誰一人動かなかった。更に自分の分の飲み物が用意されない事に気付くが、やはり誰一人動こうとしない。

 この時点で自分の立場を理解できたなら利口だったのだが、そうではないリーオンは一切変わっていなかった。予想通り、何故だ、と怒鳴り始めたため、レイアは用意していた書類を彼の前に差し出す。

「こちらの婚姻届と契約書(・・・)にサインを頂くだけですので」

 暗に「数分で終わるから貴方をもてなす必要は無い」とも言われているのに、全く気付かないリーオンは書類を見て笑みを深める。

「ああ、そうだったな! まったく、どうしてもっと早く来なかったんだ。あんな辛気くさい奥の塔になど一日も居たくなかったぞ」

 ご機嫌な様子で書類を斜め読みしながらサインをしていくリーオンを、レイアは笑みを浮かべながら見つめ

「準備がありましたから」と返した。

「私の新居か。だが私の好みもあるのだから、私を迎える方が先だろう? そういう気の利かないところは変わらないな」

「そちらの書類の内容は全て確認されてから、サインされましたか?」

 リーオンの言葉を遮るようにレイアが訊ねれば、リーオンは一瞬以前見せていたように顔をしかめたが、しかしアンネリゼに向けていたような笑顔を作る。

「もちろんだ!」

「そうですか。……では、用件は済んだので、彼を塔に戻してください」

 レイアが護衛達に振り返って頼むと、彼らはさっと動いてリーオンを左右から押さえて立たせる。

「おい! 何故だ!?」

「何故? リーオン様は生涯奥の塔に幽閉だと、陛下が正式に告げられましたし、今しがたサインを頂いた契約書にも記載されていますが……」

 レイアの小首を傾げる幼い動作を見たリーオンは、初めて彼女を『可愛い』と感じたが、しかし今はその感情に構っている場合ではなかった。

 昨日レイアとの婚姻が決まった事を、外側から鍵のかけられたドア越しに告げられ、リーオンは塔から出られるのだと喜んだ。婚約していた頃は可愛らしさの欠片もなく、媚を売る事も笑顔を見せる事も無かったが、しかしやはりレイアは自分を好いていたのだとも考えた。

 だからレイアの言動が信じられなかった。

「だが、お前と結婚したのだから……」

「だから塔から出られる、と? まさか。この婚姻は、リーオン様が幽閉されたままである事が条件なので。それを反故したとなれば、更に王家の信用は失墜するでしょうね」

「……どういう事だ」

 理由などはリーオンが先程斜め読みした契約書に全部記載されているため、内容をきちんと確認していれば出てこない疑問なのだが……。例え読んでも、正確に理解できなかっただろう。

 レイアは小さく溜め息を吐いて、護衛に一旦リーオンを座らせるよう指示し、残念な頭でも理解できるよう一旦頭の中で経緯を噛み砕く。

「今回の件で私は予定していたよりも早く公爵を継ぎましたが、結果として婚約者を失いました。婿候補として選別されたのは、まだ学園に通っていらっしゃる方か、少々事情がある年配の方ばかり。そうそう、宰相の子息様の名前が上がっていましたね。もちろん、その場で選考から落としましたけど。

色んな方から釣書を頂きましたが、お祖父様達が婿に相応しいと思う方はいらっしゃらず、しかも今回の件で更に慎重になってしまって……。考えた末に、私からリーオン様との婚姻を、条件付きで、お祖父様と陛下に提案したんです。先に言っておきますが、貴方に心を寄せているからではありませんよ。公爵家のためです」

 リーオンの塔での生活環境を公爵家が生涯整える代わりに、以前の契約内容から更に条件を足してもらった。特に跡継ぎに関しては、父親が『貴族男性』であれば、その子を嫡子として養子にする事を認める、と前公爵夫妻からも王家からも改めて(・・・)許しを得ている。これに関しては王家側が少しだけごねたが、レイアが

「穀潰しを生涯養うのだから、跡継ぎくらいは私の自由にさせてほしい」とオブラートに包んで訴え、それが駄目なら婚姻の話は無かった事にすると匂わせた。

 王と王妃も、恥さらしの騒動を起こした息子の顛末としては最良過ぎるくらいだと、最後には首を縦に振った。

 そこまで説明して、しかしリーオンが不可解だと言う表情を浮かべているのに気付いて、レイアは仕方なくもっと噛み砕いて説明し直す。

 公爵家にとって問題のある者からしか婿を選べない現状で、公爵家に最も好条件を出してくるリーオンと婚姻する方が一番都合が良かった。白い結婚になるが、リーオンの塔での生活を整える事を一生涯ーーつまりリーオンが亡くなるまで約束する。跡継ぎはレイアと愛人との子を黙認する。

 そういう話だと。


「な、……しかし、夜会のパートナーはどうするんだ? 一人では困るだろう?」

「幽閉の身で心配される事では無いと思いますが、独りで参加しても問題は無いでしょう。だって、本来パートナーになるはずだった方が幽閉されてしまうような事をした方ですから。それに、ほとぼりが冷めた頃に愛人を連れても良いと許可も頂いていますので、ご心配には及びません。噂にはなってしまうでしょうけど、幽閉されてしまうような事をした方ですし、仕方無いと多少お目こぼし頂けるでしょう」

「ぐ……わざと二度言ったな。……待て、お前『愛人』と言ったか? まさか、俺に隠れて浮気していたのか? この裏切り者が、許さんぞ!」

 レイアの言動に激昂し殴りかかろうと立ち上がったリーオンを、後ろにいた護衛が抑える。その様子にレイアは、ただ不思議そうに「何故怒るのですか?」と小首を傾げた。

 リーオンは、悪びれる様子も無いレイアを、信じられないといった目で見据える。

「私の両親にも愛人がいて、周知されていたのにリーオン様はその事について特に何も言いませんでした。それに私と婚約していたにも拘わらず義姉と恋仲になっていたのに、私には『浮気を許せない』とは。リーオン様()言うのは、筋が通りません」

「通っているだろう! お前は俺の婚約者だったのだし、今は妻なのだから!」

「ですから、不貞を働いていた貴方が私を一方的に責めるのは理不尽では? と言っているのですが。……水掛け論になるので今は一旦置いておきましょう。

仮にリーオン様が王太子であったなら、確かに婚約者の私の処女性は重要ですので、責められても仕方無いでしょうね。王家の血を継がない子を産む訳にはいきませんから。ですがリーオン様は、公爵家の入り婿になる予定だったんですよ?」

「だからなんだ!」

「つまり公爵家嫡子である()の子であれば、父親がリーオン様でなくても、問題は無いんです」

 愛人の子を跡継ぎにするのは外聞が良くないが、リーオンの起こした問題に比べれば些事であるし、公爵家の血筋で更に優秀な子であれば問題は小さくなる。

 レイア自身もわざわざ塔に出向いてリーオンと行為に及ぶ気など全く無いし、そもそもリーオンと婚約していた時から『そのつもり』だった。

「私がリーオン様に疎まれている事は分かっていましたし、友人方にも不満を漏らしていたでしょう? 『あんな女を抱かねばならないなんて、まだ岩でも抱いた方がマシだ』と。なのでリーオン様のご希望通りにしようと私の愛人になって下さる方を選んでいたのですか、何故責められるのでしょう?」

 心底不思議そうなレイアの問いに、リーオンは忌々しげに睨んで黙り込む。

 確かにリーオンはレイアを疎んでいたが『自分のもの(レイア)』を他人に取られる事に対する抵抗感はあった。岩の方がマシだと人には言ったが、かといって自分以外にレイアが体を許すには何だか我慢ならないし、それがレイアの処女だったら口惜しい。それでもレイアは容姿だけは美しいから閨もそれなりに楽しめそうだと、下劣な事を考えていた。

「だっ、だったらアンネリゼも公爵の血を継いでいたではないか! 彼女は公爵の娘だっただろう!」

 先日平民として処刑され、もうこの世にはいない女性を、閨を妄想した流れで思い出す。……どうせ死んでしまうなら、もう何度かヤっておけば良かった、とも思いながら。

「……義姉の母親は平民ですから、まず話になりません」

 リーオンの思考が透けて見えたうえに、あの日に散々話題にしたのにまだ理解していないのか、とレイアは改めてリーオンの理解力の低さに呆れ返る。

「私の家の事より、ご自分の事を心配された方が良いと思いますが」

「どういう事だ?」

「……あら、奥の塔で『どういう暮らしをされるのか』が私の心次第なのだと、まだご理解できていなかったのですね。……契約書にも書かれていたのですが」

 まさか自分を貶めようとしているとは思ってもみなかったのか、リーオンは驚いてレイアを凝視する。その視線の先でレイアは、物騒な物言いをしたとは思えないほど淑やかに笑んでいる。

「婚姻したばかりですので今は(・・)、あの塔での最良をお約束しましょう」

「レイア、貴様……」

 さすがにレイアの言葉の意味を理解したらしいリーオンは目を釣り上げ睨み付ける。一瞬立ち上がりかけたが止めたのは、背後で護衛が動いた気配を察したのだろう。二人きりだったら恐らくレイアはリーオンに押し倒され、彼に首を締められていたに違いない。そう思うほど視線に憎悪がこもっている。

 だがレイアは、悠然と淑女の笑みを返す。

「この事は陛下も了承されていますし、リーオン様が先程記名した契約書にもその旨を含め、全て明記されています」

 その言葉にテーブルの端に避けていた書類に飛び付く。ようやく契約内容をしっかりと確認したリーオンは、顔を真っ青にして書類を八つ裂きにしようとする。

「王家の紋章が入った契約書を故意に破損した場合、極刑に処す事もある。第一王子も仰っていましたね」

 石の部屋に生涯幽閉されるくらいなら、今死ぬ方が楽かも知れない。ただし、そこに至るまでの日々が楽であるかは分からないが。

「……何が目的だ、レイア。まさかアンネリゼを選んだ事に対する復讐か? だとしたら、これから俺の愛を独占するのだから、もういいだろう?」

「公爵家にとって都合が良いから婚姻するだけなので、貴方の愛は不要です。リーオン様を養うのは単に、王家の心証を良くするため、でしょうか。何度も言いますが、都合が良いので」

 レイアは復讐なんて考えてはいない。

 何故なら、最初からリーオンを愛していないから。

 だからリーオンの戯れ言を、心の中で一笑に付す。貴方の愛にそんな価値は無い、と。

 今回の件はレイアにしてみれば、ちょっと猫に引っ掻かれた程度の痛手で、傷は残るけど、大した事の無い出来事だった。とは言え自分だけが痛い思いをして終わるのは癪なので、怪我を負わされた事を利用して自分に都合良く動くように対処した。それだけの話。

「そうそう。契約書にも記載しましたが、リーオン様にはして頂きたい事があるんです。……そんなに警戒しないで下さい、簡単な事ですから。毎月私に手紙に認めて下さい。内容はお任せしますが、貴方への毎月の待遇はそれを読んだ上で、私が判断致します」

 これ以上はもういいだろう、とレイアは護衛に目配せしてリーオンを下がらせる。ずっと何か叫んでいたが、レイアは一切そちらに目をやる事はなかった。

 これが、レイアとリーオンが顔を合わせた最後になる。


 一ヶ月後、リーオンから届いた手紙にはレイアに対する怨嗟の言葉で埋め尽くされていたため、レイアは宣言通りリーオンから柔らかなベッドと暖かな食事を奪い、薄い布と冷えたスープを与え続けた。

 それでも恨みのこもった手紙が続いたので、三ヶ月ほどそうしていると、リーオンはわざとらしいほどレイアを褒め称える文章を認めてきた。

 さすがにそれがリーオンの本心ではない事が分かったが、敢えて多少改善してやる。すると調子に乗ったリーオンは、部屋の中ではレイアに対して罵詈雑言を笑いながら言うようになった。そう見張りから報告を受けたレイアは、次の月にもわざとらしい賛美の手紙を受け取ったが、また以前の待遇に戻してやった。その際に、塔での言動は全て自分に筒抜けだと、見張りを通してリーオンに教えてから奪った。

 そういった事を繰り返しているうちにさすがにリーオンも心が折れたのか、一年も経つ頃にはレイアにきちんとした感謝を述べ、人が変わったように慎ましく過ごすようになった。

 その後リーオンは老人と呼ばれる歳まで生き、奥の塔の一室で、レイアよりも数年早く長い眠りについた。

「すまなかった」

 しゃがれた声で最期に呟かれた言葉は、リーオンを看取った見張りと医者からレイアに伝えられた。レイアは黙って受け取ったが、それが何に対する謝罪だったのかは、灰になった彼しか知らない。






 * * *





 レイア・シルドニアには、かつて祖父母が決めた婚約者がいた。

 あの日リーオンとアンネリゼの後ろに控えていた青年。そして、婚約者候補の選別からレイアが落とした一人。

 宰相の一人息子。

 だがその婚約は、幼いレイアの言動で解消されていた。


 まだ幼かったレイアは『婚約者』の存在を正しく理解しておらず、将来結婚する人、程度の軽い認識だった。だから彼よりも、祖父に連れられて参加した茶会で知り合い仲良くなった男の子に心が移り、同じ会に参加していた宰相の子息にその場で

「私の愛人(・・)は、この子に決めたわ!」と大声で宣言した。

 周囲は当時ある貴族(・・・・)のそういう噂が社交界で流行っていたため、それを見聞きしたレイアが真似したのだろうと苦笑して眺め、幼子のした事だとその場では大事にはならなかった。

 だが、レイアの祖父、少年の両親、そして宰相夫人は慌てて会場の一室を借りて話し合い、結果、宰相側から婚約の解消を願い出られた。

 何故なら、レイアが本気だったからだ。

 そのため、倫理観の乏しい令嬢に大事な一人息子をやりたくない、と言う宰相側の至極真っ当な理由と

「どうしてお父様とお母様には愛人がいるのに、私は駄目なの?」と、ある貴族(・・・・)の事を引き合いに出されてしまっては、祖父は婚約の解消に同意するしかなかった。

 レイアが気に入った少年にも実は婚約者が決まっていた事と、少年の身分が男爵という事もあり、祖父が宰相夫人と少年の両親に頭を下げ、この話はそれで終わった。

 リーオンとの婚約が打診されたのはその後の事で、祖父母はこの一件もあったため「愛人は結婚相手に問題があった時にだけ、絶対に貴族から選びなさい」と、理由も説明してレイアに約束させた。


「それにしても、まさか裏であの茶番を唆していたとは思いませんでした」

 夜会の片隅。遠巻きにされるレイアに、その日最初に声をかけたのは、宰相の子息だった。

「一応敬称を付けましょうか。リーオン様との婚約が解消されれば、再度貴女に婚約を申し出られると思ったんですよ」

「あら」

「一度は断られてしまいましたが、私の愛を、これで分かっていただけましたか?」

 熱っぽい視線で子息がレイアを覗き込む。

 彼は婚約を結んだ頃からレイアが好きだった。

 愛人を決めたと宣言された時はショックだったが、夫であれば離縁しない限りはレイアを自分に縛り付ける事ができるから構わない、と幼心に思っていたのに、レイアの奔放さと公爵夫妻の噂を不安視した両親が婚約解消を申し出てしまった。絶望しながらも懸命に両親を説得している間にレイアはリーオンとの婚約が決まってしまい、子息は目の前が真っ暗になった。

 今後自分が宰相を勤めるだろう王家の血筋、その相手に手を出せば、合意であったとしても離職と悪評は免れない。

 ならば諦めて二人を祝福しようと子息が影から見守っていれば、傲慢なリーオンはレイアを大事にするどころか疎んじて蔑ろにし、しかも義姉と通じ、婚約者の交換を企んでいる。子息は腸が煮えくり返りそうになったが、はたと気付く。

 リーオン達の企みが明るみに出れば、邪魔だった公爵夫妻も義兄姉も『公爵家の乗っ取りを企む平民』として排除できる。レイアの婚約者の座は空き、そこに座るのは過去に婚約者だった自分。有り得ないが、万一婚約者の交換に成功してしまいレイアが公爵家を出されても、その時は自分が娶れば良い。と。

 唯一の誤算は、婚約破棄の茶番の際、直前にリーオンに引っ張られ彼の方に立ってしまった事だった。

 それも問題無いと思っていたのに、終わった後に子息が再度公爵家に申し込んだ婚約は、レイア自ら断ったと聞いた時は谷底に突き落とされた気持ちになった。

 父からは「第二王子を諌める立場でいながら、逆にあの茶番を唆したのだから、当然だろう」と呆れられたが、子息はきちんとレイアに話せば理解してもらえると信じていた。

 だからレイアが、自分の言葉に淑やかに微笑んで頷いたのを見て、心底安心した。


「ええ。貴方の愛が、紙より薄い愛なのだと、よく理解できましたわ」


「は……」


 思っていなかった、欲しかった言葉ではなかった衝撃で、子息は一瞬レイアの言葉を理解できなかった。

「父も母も、そしてリーオン様も、ご自分の立場より愛を選び取りました。私の求める『愛』は、それなのです。

でも貴方は躊躇った。私が愛人を求めていた事も知ろうと思えば知れた事だったのに、宰相としての将来を選んで、私へ盲目的に愛を囁くのではなく、リーオン様へ甘言を囁いた。違います?」

「そ、それは……」

 そうだろう、と子息は返そうとした。

 だが、レイアがその言葉を望んでいない事は分かる。

 レイアの両親もリーオンも、自分の立場を忘れて愛人を優先し、溺愛した。明らかな不貞であり、それで身を滅ぼしたのは確かだが、レイアは、ずっとそれが欲しかったと、残念そうに言った。

 解消された後、リーオンとの婚約が結ばれるまで、レイアへ手紙を絶えず送り続けた、もう無い、あの執着()が。

 瞬間、子息の目に見えるレイアが、美しい淑女にも、おぞましい獣にも、寂しげな迷い子にも見えた。




「結局貴女が選んだのは、彼ですか」

 レイアが愛人に選んだのは、幼い頃に気に入ったあの少年ーー今は子爵代理の青年だった。

 宰相の子息に問われ、レイアは無言で笑みだけを返したが、子息代理の青年は無愛想に無言のまま、するりとエスコートしていた腕をレイアの手から抜き、彼女から離れると、彼の友人らしい集まりの方に向かう。

 彼はレイアに対して、常に冷たく接しているのは有名な話だった。


 再会するまで、彼の中でレイアは、キラキラと眩く刹那的な過去の思い出の女の子だった。

 なのにそのレイア(女の子)が金銭的支援と引き換えに自分の子種が欲しいとにこやかに愛人契約を持ちかけてきた。

 その言動に彼は、率直に嫌悪感を抱いた。

 彼にとっての愛は、伴侶だった子爵令嬢と子ども達に向けられたような純粋なもので、レイアの提案はそれらを冒涜している事のように思えたからだ。

 だが、事業に失敗したせいで傾き始め、令嬢が自死を選んで得た保険金でも負債を埋める事ができず、多額の金銭を必要としていたのも、事実だった。

 義父母は義理の息子を売るようで嫌だと言っていたが、彼は子ども達と二人のために契約に同意した。

 子どもと義父母のためだと嫌悪感を圧し殺し、レイアと何度か行為を重ね、先月ようやく彼女の妊娠がわかり『子を作る』契約は果たしたと子爵代理は思っていた。しかし『社交でのエスコート』も契約に含まれていると言われ、最低でも週に一度は顔を合わせる事になり、並んで歩く機会が増えた。契約だからとレイアとの関係を続けていると、子爵代理の娘達がレイアの存在を悟り始め、あんなに愛していた母を忘れたのかと、まるで汚物でも見るような目で睨んで彼を避け始めた。

 それが堪え難くなった子爵代理は、せめて会う頻度を減らしたいと訴えても、レイアは頷かない。

 最低でも二人は子が欲しいからと、今腹にいる子が産まれ、ある程度成長してから次の子を宿すまでの契約で、そう書いてある、と言って譲らない。会う頻度を減らす事くらいは出来るのではないかと聞いても、招待が多いからとしか言わない。

 仕方なく子ども達にかいつまんで説明すれば、不潔だと騒がれて、余計に忌避される。これには子爵代理も義父母も困り果てた。

 その話を聞いて、ならばその娘を公爵家の養子にしようとレイアが提案した。『愛人関係』ではなく『家族』になってしまえば、その程度のわだかまりは簡単に解決するだろうと思って言ったのだが、「私と妻の大事な娘だ」と子爵代理が激怒したので、レイアはそれは諦めた。だが、それを切っ掛けに二人の間の溝は完全に広がってしまった。

 今では子爵代理はレイアを嫌ってしまい、恐らく二人目を求める行為はひどく冷めたものになるだろう。






 * * *






 二人目を宿した事が分かると、契約は果たした、と言ってさっさと離れて行った青年の背中を、レイアは窓越しに見送る。

 契約の解除と同時に援助も打ちきりになるが、しかし契約期間中に持ち直した子爵家に、公爵家の力はもう必要無いだろう。

 彼の娘達も成長し、レイアとの関係については納得は出来ないが理解はしたらしく、今では少しづつ以前の仲に修復されつつあるという。

 愛する家族との幸せを手にした彼の中に、レイアに対する好感は、もう僅かも残っていない。


 ただ自分を愛して欲しいだけなのに、とレイアは溜め息を吐く。


 父も母も、愛人を選んだ。

 そして産まれたテオとアンネリゼを溺愛した。

 今は亡くなった祖父母も、テオとアンネリゼに対して密かに温情を与えていた。

 片親が平民とはいえ、男児の初孫と愛らしい容姿をした女の孫。しかも後続ではないため厳しくする必要も無い。可愛がるのには丁度良かったのだろう。レイアが二人から虐げられている事も知りつつ、表向きは二人を無視しておきながら、二人を公爵家から権力を使って放逐していない時点で、察する事ができる。

 故に、公爵と夫人がテオとアンネリゼは祖父母に認められていると勘違いし、その結果が、あの夜会に繋がってしまったのだが……。その事を後悔した祖父母がテオとアンネリゼの顛末に密かに涙を流した事も、レイアは知っていた。


 リーオンもそうだ。

 傲慢に我儘に振る舞いながら、王と王妃から心から愛されていた。そうでなければ、本来ならレイア側から提案されたとしても、リーオンがレイアをどう扱っていたか知った後に欠片も考慮せず婚姻を結ぶなんて厚顔無恥な真似はしないだろう。

 実際、第一王子は最後まで反対し続けていたし、隣国の貴族を紹介すると言われたが、首を横に振ったのはレイアだった。欲しいのはそれ(政略)じゃないから、と。

 

 レイアには、何も無い。


 産まれながら両親に疎まれ、義兄と義姉に軽んじられた。

 性別はどちらでも良いと言いながら、結局祖父母から、女児ではなく男児だったなら、と事あるごとに落胆される。

 それでもきちんとした教育は受けさせてもらえたが、しかし甘い愛情は与えられなかった。与えられたのは、後継者に対する厳しい義務だけ。


 宰相の子息は嫌いではなかったが、気に入った令息も欲しくなったから、父や母と同じく迎えようと思った。何故なら、周囲に祝福され、許されていた(・・・・・・)から。だから祖父母に叱られ、子息と婚約を解消し、令息ともそれきりになった事は、レイアにとって大きな疑問として忘れられない出来事になった。

 

 婚約を結んだリーオンも、レイアではなく、アンネリゼを選んで愛を注いでいた。

 隠れるどころか堂々とレイアや周囲に見せつけていたのに、王も王妃も影から報告を受けて知っていたはずなのに、最終的にレイアと婚姻を結びさえすれば良いと思ったのか、リーオンに対して強く注意しなかった。

 塔に入った後もリーオンはレイアを愛する事は無く、そこにあったのは、看守と囚人のような歪な主従関係だった。


 唯一、兄である第一王子がリーオンを叱っていたが、それもレイアを思ってではなく、ただ王家を守るためだった。だからレイアがリーオンとの婚姻を提案し、その際に決めた条件でこれまでの事を全て清算すると言うと、レイアを心配する素振りを見せていたのを一転させた。今では契約で仕方無く(・・・・)公爵家を厚遇していると思っている。似ていないようで性根がそっくりの兄弟だと、レイアは思っている。


 選別した婚約者候補も全員望んだのは『レイア』ではなく『シルドニア女公爵』の伴侶。

 熱っぽい視線を送っていた宰相の子息ですら、あの後新たな婚約者ができるとそちらに愛を囁いて、レイアから離れて行った。

 欲していた身を滅ぼすような愛をレイアに与える者は、最期までいなかった。皆、彼女が求めるような愛を、レイア自身からは与えてもらえない事を知っていたからだ。

 一方的に与えるだけでは片側が疲弊するだけなのに、レイアはその『特別な愛』を複数欲しがった。


 何故、私だけ(・・・)許されなかったのだろう。


 傲慢で強欲な自覚が無く、生涯『無いもの』を渇望し続け、何故与えられなかったのか見当も付かないまま、レイアは誰に看取られる事も無く、独り長い眠りについた。

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