ストーン太郎
日曜日の午後、僕は、近所のカーリング場で友達とカーリングをしていた。
そして、僕が、その日何投目かのストーンを投げ、ストーンとストーンがぶつかった直後、ストーンの周りに人だかりが出来た。
「おーい ! 」
友達に呼ばれた僕は、急いでその場に向かった。
「なんだ、これ ! ! !」
僕の視線の先には、真っ二つに割れたストーンがあった。
そして、何より驚いたのは、その割れたストーンの上に、身長10cm位の裸の男の子が立っていたことだ。
「お前が投げたストーンが割れて、男の子が出て来たんだよ」
友達の一人、橋口が言った。
「えー ! ! !」
僕は、さっきの驚きでは今一つ驚き足りなかったので、もう一度驚きながら周りを見た。
しかし、周りの友達は、いたって冷静だった。
「なんで驚かないんだよ ? 」
「なんで驚かなきゃいけないんだよ」
「普通、驚くだろ・・・ストーンから男の子が出て来たんだぞ」
「驚くか驚かないかは、本人の自由だろ。それは、憲法でも保障されてるし・・・」
「憲法で・・・ ? 」
「ああ、習っただろ、小学校の家庭科の時間に」
「家庭科の時間に ? 」
「ああ、教科書の37ページ。こふきイモと波縫いの間のページ」
「習ってねえよ、そんな憲法。そもそも、なんで家庭科の時間に憲法習うんだよ」
僕たちがそんなやり取りをしていると、不意に声が聞こえた。
「はじめまして、お父さん」
「お父さん ? 」
声がした方を向くと、さっきまでストーンの上に立っていた男の子が、きちんと正座をして僕を見つめていた。
「お父さんて何だよ ? 」
「僕が生まれたストーンを投げたのはあなたでしょ。だから、あなたの事をお父さんとみなすよ」
「勝手にみなすんじゃねえよ・・・ていうか、なんで普通にしゃべってるんだよ。生まれてから2、3分しか経ってないのに」
「僕の名前はストーン太郎。よろしくね」
「ストーン太郎 ? 」
「うん」
「誰が付けたんだよ」
「僕」
「なんで自分で自分の名前付けるんだよ」
「自分の名前なんだから、自分で付けるのは当たり前でしょ」
「付けないだろ、普通」
「自分の事ぐらい自分で出来るよ。みくびらないでよ、生後3分だからって」
「いや、みくびるとかみくびらないとかじゃなくて・・・」
「それより、どうする ? 」
橋口が口を挟んだ。
「え・・・なにが ? 」
「ストーンだよ」
「ストーン ? 」
「弁償しなきゃいけないんじゃないか」
「弁償 ? 」
僕は、改めて、真っ二つに割れたストーンを見た。
「本当だ・・・どうしよう・・・」
「これ、20万くらいするって聞いた事あるぞ」
「え ! ? ・・・そんなに・・・」
「大丈夫だよ、心配しなくても」
そう言いながら、ストーン太郎は、割れたストーンの中から何かを取り出した。
「なんだよ ? それ」
「木工用ボンド」
「どうするんだよ、それで」
「ボンドなんだから、ひっ付けるに決まってるでしょ」
「なんで木工用なんだよ」
「まあ、いいからいいから」
そう言うと、ストーン太郎は、木工用ボンドを、割れたストーンの片側に塗り付けてから、ピョンとストーンから飛び降りた。
「ひっ付けてみて」
「ひっ付くわけないだろ。そんなんで」
「いいからいいから」
仕方なく、僕は、ストーン太郎の言葉に従った。
すると、ストーンは、ピタッと吸い付くようにひっ付いた。
試しに、蹴ったり、他のストーンにぶつけてみたりしたが、びくともしない。
振り向くと、ストーン太郎は、誇らしげに笑っていた。
「ね」
「なんで、木工用ボンドでひっ付くんだよ」
「お父さんは、固定概念にとらわれ過ぎなんだよ」
「固定概念って・・・」
「木工用ボンドのポテンシャルを甘く見ちゃ駄目だよ」
「・・・」
シャララララーン。
不意に、僕の携帯のアラームが鳴った。
ポケットから取り出し、用件を確認する。
「あっ・・・悪い、俺帰るよ。智子と約束してたの忘れてた」
「えー」
「じゃあな」
そう言って帰ろうとした僕を、橋口が呼び止めた。
「ちょっと待てよ」
「なんだよ」
「ストーン太郎はどうするんだよ」
「え ? ほっときゃいいよ。そいつなら、大丈夫だって」
「お前なあ。父親だろ。親としての自覚を持てよ」
「だから、父親じゃないって・・・」
「お父さーん・・・」
振り向くと、ストーン太郎が悲しげな目で僕を見つめていた。
「もう・・・どうする ? 一緒に来るか ? 」
「うん。行動を共にするよ」
「普通に言えよ」
仕方なく、僕は、ストーン太郎をシャツの胸ポケットに入れて、カーリング場を後にした。
「よお」
待ち合わせの喫茶店に着いた僕は、背後から智子の肩を叩いてから向かいの席に座った。
「待った ? 」
「ううん。今日もカーリング ? 」
「ああ。それがさあ、すごい事があって・・・」
「すごい事 ? 」
「いらっしゃいませ」
「あっ、コーヒー」
僕は、ウェイトレスに注文を済ませながらフリースを脱いで隣の椅子に置いた。
「何 ? すごい事って」
「これだよ」
僕は、胸のポケットからちょこんと顔を出しているストーン太郎を指差した。
「何それ ? 人形 ? 」
「こんにちは」
ストーン太郎は、智子の言葉を否定するかのように笑顔であいさつをした。
「こんにちは」
智子は驚く様子もなく、笑顔であいさつを返した。
「へー、しゃべれるんだ。生きてるの ? 」
「ああ・・・驚かないんだな・・・」
「え ? 」
「普通、目の前にこんな小さい人間が現れたら驚くだろ」
「驚くか驚かないかは本人の自由でしょ。それは・・・」
「憲法でも保障されてるんだろ・・・」
「分かってるんなら聞かないでよ」
「・・・」
「どうしたの ? この子」
「俺が投げたストーンが他のストーンにぶつかった時に、パカッて二つに割れて、そのストーンの中から生まれたんだよ」
「へー、すごいね」
そう言うと、智子は前に乗り出し、ストーン太郎をまじまじと見つめた。
「僕の名前はストーン太郎。よろしくね」
「もう名前付いてるんだ。よろしくね」
「こいつが自分で付けたんだよ」
「へー、そうか・・・えらいえらい」
智子は、人差指でやさしく、ストーン太郎の頭をなでた。
「お姉さんは、お父さんの彼女なの ? 」
「お父さんって・・・俊樹の事 ? 」
「ああ。俺が投げたストーンから生まれたから、俺の事をお父さんてみなすって」
「ふーん・・・そうよ、私、俊樹の彼女で智子っていうの」
「へー・・・お姉さん、きれいだね」
「えっ・・・ありがとう」
智子は、満面の笑みで礼を言った。
「社交辞令だけど」
しかし、ストーン太郎のその言葉で、すぐに笑顔は凍り付いた。
「ちょっと、どういう教育してるのよ」
「してねえよ、教育なんて。まだ生後30分くらいだぞ。持って生まれたこいつのポテンシャルだよ」
「お待たせいたしました」
注文したコーヒーが運ばれて来た。
僕は会話を中断し、コーヒーに砂糖とクリームを入れてかき混ぜた。
その時、不意に、ストーン太郎が口を開いた。
「お父さん、うんち」
「えっ ! ・・・ちょっと待てよ、おい ! ポケットの中にするなよ・・・トイレは ? 」
慌てふためき取り乱している僕をしり目に、ストーン太郎は至って冷静だった。
「なんでそんなに慌ててるの ? 」
「だって、お前、うんち出るんだろ」
「もう出てるよ」
「えー ! ! ! 」
「はいっ」
そう言いながら、ストーン太郎は、直径2、3ミリの粒をポケットから差し出した。
「なんだよ、それ」
僕が、そう聞きながら手に受け取ると、ストーン太郎はいともあっさりと言い放った。
「うんちだよ」
「わっ ! 」
僕は、慌ててそれをテーブルの上に放り投げた。
「あはは・・・大丈夫だよ、ちゃんとカプセルに入ってるから」
「カプセル ? 」
「うん」
よく見ると、確かに、それはカプセルだった。
その中に、うんちらしき物も入っている。
「どういう事だよ、これ」
「どういう事って ? 」
「お前が、カプセルの中にうんちを入れたのか ? 」
「僕が入れたわけじゃないよ。元々、カプセルの中に入った状態で出てくるんだよ」
「元々・・・」
「うん。僕をポケットの中から出して。実演して見せてあげるよ」
言われるままに、僕は、ストーン太郎をポケットから出しテーブルの上に置いた。
「見てて」
そう言うと、ストーン太郎は、立ったまま、自分のおちんちんを右に一回回した。
すると、お尻から、さっきと同じカプセルが一つ、コロンと出てきた。
「どうなってるんだよ、これ」
「見ての通りだよ。おちんちんを右に一回回すと、カプセルに入ったうんちが出てくるんだよ」
「・・・」
「ガチャガチャ方式を採用してるんだ」
「よく採用できたな・・・」
「お父さんたちは、どうやってうんちしてるの ? 」
「どうやってって・・・普通にそのまま出してるよ・・・なあ」
と言って、智子を見た。
「私に振らないでよ、そんな話」
「そのまま ! ・・・カプセルには入ってないの ? 」
「入ってるわけないだろ」
「へー、アナログだね。昭和丸出しじゃない」
「お前の方が異常なんだよ・・・じゃあ、おしっこもカプセルに入って出てくるのか ? 」
「おしっこは、普通に液体で出すに決まってるでしょ・・・そんな、非現実的な事言わないでよ」
「うんちがカプセルに入って出てくる時点で、充分に非現実的だろ。そもそも、ストーンからお前が生まれたこと自体、非現実的なんだよ ! 」
「もう、まだ、そんなこと言ってるの ? ・・・いい加減、現実を受け止めてよ。現実から目をそらさないで ! 事実をありのままに受け入れないと、未来は始まらないんだよ」
「何歳だよ、お前」
「生後58分」
ストーン太郎は、喫茶店の時計を見ながら答えた。
「ねえ、ちょっと質問があるんだけど」
智子が、僕たちの会話に割って入り、ストーン太郎に話しかけた。
「何 ? お姉さん」
「うんちを出す時、男の子はおちんちんを回すんでしょ」
「うん」
「じゃあ、女の子はどこを回すの ? 」
「えーっ ! そんな事を、このいたいけな僕に言わせるつもり ? ・・・智子は意外とドスケベだね」
ストーン太郎は、軽蔑の眼差しで智子を見つめた。
「ドスケベって・・・」
「まあまあ、・・・気にするなって」
「お父さんにも言われた事無いのに・・・」
「そりゃ言わないだろ、自分の娘に対してドスケベなんて」
落ち込む智子を必死でなだめていると、僕は、ある疑問にぶち当たった。
「それはそうと、お前、なんでうんちしたんだ ? 」
僕は、その疑問をストーン太郎にぶつけた。
「なんでって、うんちくらいするでしょ、人間なんだから・・・ストーンから生まれたからって馬鹿にしてるの ? 」
「いや、そうじゃなくて・・・うんちをするってことは、その前に何か食べてたって事だろ。お前、生まれてから、まだ何も食べてないよな」
「食べてるよ」
「いつ ? 」
「ストーンの中で」
「ストーンの中で ? 」
「うん」
「ああ、そうか。ストーンから栄養をもらってたってことか」
「うん。お父さんたちと一緒で、お母さんから栄養をもらってた」
「お母さんて、あのストーンの事か ? 」
「うん・・・でも、今はもう、死んじゃったけど・・・」
「ひっ付けただろ、お前が。木工用ボンドで」
「ひっ付けたのはひっ付けたけど・・・いったん割れちゃったら、もう・・・」
「・・・」
「可哀想だったな、お母さん・・・他のお母さんたちにガンガンぶつけられて・・・さんざん虐待された挙げ句に・・・」
しんみりとしたストーン太郎の話し方に、いつしか、智子も、もらい泣きをしていた。
と思ったら、突然、僕を、キッと睨みつけ
「人殺し ! ! ! 」
と言い放った。
「人殺しって、ただのストーンだろ」
「いいんだよ、お姉さん・・・知らなかったんだから、しょうがないよ」
「ストーンだからって、そんなにガンガンぶつけていいと思ってるの ! ・・・物には限度ってものがあるでしょ ! 」
「もういいよ、お姉さん」
「いやいや、そういうスポーツだろ、カーリングは」
「どう責任とるつもり ! 」
「どうって言われても・・・」
「俊樹が責任もって、ストーン太郎君を一人前に育て上げる事が、赤井ストーン子さんに対しての、せめてもの罪滅ぼしだとは思わない ? 」
「赤井ストーン子さんて・・・安易な名前を勝手に付けるなよ。ちなみに、俺が割ったストーンは黄色だぞ」
「どうするの ? 」
「分かったよ。育てりゃいいんだろ」
「分かってくれれば、それでいいのよ。そうと決まったら・・・じゃあ、まずは、ストーン太郎君の服を買いに行かなきゃね」
「服 ? 」
「そうよ。いつまでも裸じゃ可哀想でしょ」
「こいつの ? 」
「うん」
「どこに ? 」
「子供なんだから、子供服専門の店に決まってるじゃない」
「売ってるわけないだろ」
「なんで ? 」
「よく見てみろよ。この大きさだぞ。こんなに小さい服なんてあるわけないだろ」
「ありますよ」
僕たちは、子供服専門店に来ていた。
そして、そこの女性店員は、自信満々にそう言い切った。
「えーっ ! ! ! よく見てください。こんなに小さいんですよ。そんな服あります ? 」
僕は、ストーン太郎を鷲掴みにして、女性店員の目の前に突き出した。
「もちろん。うちは、子供服専門店ですから」
「確かに、子供は子供ですけど、このサイズですよ」
「どうぞ、こちらに」
僕たちは、女性店員に促され、後について行った。
この女性店員も、ストーン太郎を見ても、一切驚かなかった。
やっぱり、橋口が言っていた通り、家庭科の時間に習ったんだろうか。
帰ったら、家庭科の教科書をチェックしてみよう。
まあ、残ってないだろうけど。
そんな事を考えていると、不意に、女性店員が立ち止った。
「こちらです」
女性店員が指し示した場所には、確かに、ストーン太郎にピッタリだろうなと思えるサイズの服や下着や靴などが、売り場の一角を占拠して置かれていた。
そして、その上には、<ストーン太郎君も愛用中>と書かれたポップ広告が飾られていた。
それを見た智子が女性店員に聞いた。
「あの・・・」
「はい」
「このポップは ? 」
「ああ、私が、作成致しました。なかなかの出来だと自負しています」
「それは、どうでもいいんですけど・・・これ、ストーン太郎君も愛用中って書いてあるんですけど」
「はい。それが何か」
「まだ、愛用してないんですけど・・・ていうか、なんで、ストーン太郎君が来る前に貼ってあるんですか ? 今、貼ったわけじゃないですよね」
「はい、一か月前から貼ってますけど」
「一か月前 ! ? 」
「はい」
「なんでわかったんですか ? ストーン太郎君が来る事が・・・ていうか、それ以前に、ストーン太郎君が生まれる事が」
「わたくし、先見の明の方を少々持ち合わせておりまして」
「先見の明 ? 」
「ええ」
「生まれ付き持ってたんですか ? 」
「いえ、百円ショップで」
「えっ ! ? 売ってたんですか ? 」
「ええ」
「先見の明を ? 」
「ええ。10個入りで」
「安っ ! 1個10円 ! 」
「中国製ですけど」
「あー、それでか・・・百円ショップって、なんでも売ってるんですね」
「って、納得すんなよ ! 」
僕のツッコミにも動じず、智子は、しきりに感心していた。
そんな智子は放っておいて、僕は、取り敢えず買い物を再開させることにした。
「気に入ったやつがあったら、試着してみろよ」
僕は、ストーン太郎に話しかけると、
「もっと近くで見たいんだけど」
と言うので、ストーン太郎を手のひらに乗せて、服の前に持って行った。
「じゃあ、パンツはこれで・・・あと、これと、これ」
ストーン太郎が指差した服を一式手に取り渡してやった。
「すいません、試着室はどこですか ? 」
すると、ストーン太郎は、女性店員にそう尋ねた。
「ここでいいだろ」
「えっ ! ? ここで ! ? 」
「ああ」
「公衆の面前で ! ? 」
「ああ」
「欧州の免税店で ! ? ・・・あっ、間違えた。公衆の面前で試着しろって ! ? 」
「ああ」
「いくら子供だからって、そんな事言う ? ・・・お父さんって、本当にデリカシーが無いね」
「どういう事だよ」
「犬のウンコを踏んだ靴で、人の心に土足で踏み込むタイプだね」
「だから、どういう事だよ ? デリカシーが無いって」
「よく考えてみて。試着をするっていう事は、いったん裸になって、新しい服を着るっていう事だよ」
「ああ」
「いくら子供だからって、公衆の面前で、僕に裸になれって言うの ! ? 」
「すでに裸だろ」
「お姉さん」
ストーン太郎は、智子を呼んだ。
「どうしたの ? 」
「ちょっと聞いて欲しいんだけど」
「何 ? 」
「お父さんが、僕に、試着室じゃなくて、ここで試着しろって言うんだよ」
「えっ ! ? 」
智子は、信じられないといった表情で僕を見た。
「俊樹、正気 ! ? 」
「正気だよ」
「自分が言ってる事がどういう事か分かってるの ? 」
「何がだよ」
「試着するって言う事は、いったん裸になって、新しい服を着るって言う事よ」
「ああ」
「いくら子供だからって、欧州の免税店で・・・あっ、間違えた。公衆の面前で裸になれって言うの ! ? 」
「だから、すでに裸だろ。よく見てみろよ」
と言って、僕は、ストーン太郎を智子の目の前に突き出した。
「すでに裸だからとか、そういう問題じゃないでしょ」
「明らかに、そういう問題だろ」
「いい。そういうデリカシーのない発言が原因で、子供が非行にはしったりするのよ」
「・・・分かったよ。試着室に行けばいいんだろ」
僕は、女性店員に場所を聞き、渋々、試着室に向かった。
「どうだ ? 」
僕は、そう言いながら、試着室のカーテンを開けた。
すると、
「キャッ ! 」
まだ服を着ている途中だったストーン太郎は、慌てて前を隠した。
「ちょっと、開けないでよ ! 」
「なに恥ずかしがってんだよ。男同士だし、さんざん見てるだろ」
「親しき仲にも礼儀ありだよ。簡単に一線を越えられるなんて思わないで ! 」
「なんで、お前と一線越えなきゃいけないんだよ」
そこに、騒ぎを聞き付けた智子がやって来た。
「どうしたの ? 」
そして、カーテンの隙間から、ストーン太郎の裸を見た途端、
「キャッ ! 」
と言って、手で顔を隠した。
「だから、なんで今さら恥ずかしがるんだよ」
「だって、殿方の裸が・・・」
「殿方って、いつの時代の人間だよ・・・早く着ろよ、ストーン太郎」
そう言いながら、僕は、試着室のカーテンを閉めた。
子供服専門店を出た僕たちは、次に、おもちゃ屋に寄り、ストーン太郎用に、女の子が遊ぶ人形の為の家具や食器が付いた家を買い、ついでに、スーパーで買い物をしてから僕の部屋に帰って来ていた。
リビングに座った僕は、煙草に火を点け、
「ふー・・・大変な一日だったなあ、今日は」
煙を吐き出しながら、そう言った。
「本当だよね」
テーブルの上に座っているストーン太郎が、共感しながらうなづいた。
「他人事みたいに言うなよ。お前のせいで、どれだけびっくりしたと思ってんだよ」
「僕だって、びっくりしたよ」
「なんで、お前がびっくりするんだよ」
「そりゃ、びっくりするでしょ。コンビニで買い物してたら、いきなりお母さんが真っ二つに割れたんだから」
「コ、コンビニ ! ? 」
「うん」
「ストーンの中に、コンビニ ! ? 」
「そうだよ」
「ストーンの中に、コンビニがあるのか ! ? 」
「だから、そうだって言ってるじゃない。コンビニくらいで驚かないでよ」
「驚くだろ、普通。ストーンの中にコンビニって・・・」
「今時、近くにコンビニくらいないと、マンションの借り手が見つからないでしょ」
「マンション ! ? 」
「うん」
「ストーンの中に、マンション ! ? 」
「そうだよ」
「お前、ひょっとして、そのマンションに住んでたのか ? 」
「うん。いい所だったよ。最寄りの駅からも近かったし」
「最寄りの駅 ! ? 」
「うん」
「鉄道も通ってたのか ! ? 」
「うん」
「ストーンって、お前のお母さんだろ」
「うん」
「そのお母さんの中に、コンビニがあって、マンションがあって、鉄道まで通ってたのか」
「うん」
「どうなってんだよ。お前のお母さんの中って・・・」
「いつの世も、母は偉大だよね」
「そんな言葉で片付けんなよ」
「そんな事より、晩御飯にしない ? 」
智子が、僕たちの会話に割って入った。
「そんな事って・・・」
「お弁当でいい ? それとも、何か作ろうか ? 」
「弁当でいいよ」
「じゃあ、温めてくるね」
智子は、スーパーで買った弁当を持って、キッチンへと向かった。
テーブルの上には、弁当が二つと、ストーン太郎用のおもちゃの食器が並べられていた。
僕と智子は、おもちゃの食器に、それぞれの弁当の中から少しずつ、ご飯やおかずをよそってやった。
そして、僕のお茶が入ったコップの中に、おもちゃのコップを沈めお茶を汲んでやり、食事の準備が整った。
「まさか、このおもちゃ作った人も、この食器が実用化されるとは思ってなかっただろうな」
「そうよね。でも、本望でしょうね」
「本望なのかな ? 」
「そりゃそうでしょう。自分が作ったものが、実際に使われるんだから」
「まあ、そりゃそうか・・・じゃあ、食べようか」
「うん」
「いただきます」
僕たちは、手を合わせてから、食事を始めた。
しばらくして、智子が、不意に口を開いた。
「私、思うんだけど・・・」
「何 ? 」
「ストーン太郎君の名前って、長くない ? 」
「・・・まあな」
「略した呼び方考えた方がいいと思うんだけど」
「そうだな・・・じゃあ、何にする ? 」
「そうね・・・トン太郎」
「豚の名前じゃないんだから」
「・・・スト郎」
「ストローと区別つかないだろ」
「・・・スン郎」
「田舎の結婚式じゃないんだから・・・新郎が訛ってスン郎みたいだろ」
「じゃあ、何がいい ? 」
「そうだなあ・・・あっ、いいの思い付いた」
「何 ? 」
智子の問いかけに、僕は、ただ、口を開けて見せた。
「何よ、それ ? 」
「ストーン太郎の呼び方だよ」
「ただ、口開けてるだけじゃない」
「これは、ストーン太郎の、ストン太郎を略して、横棒だけにしてみたんだよ」
「ああ、それで・・・発音は一切せずに、ただ口を開けてるだけっていう事 ? 」
「そうそう・・・画期的だろ。一切発音せずに相手を呼べるって」
「そりゃ、画期的は画期的だけど、スン郎君が、俊樹の方を見てないと、呼ばれた事に気付かないんじゃあ意味ないじゃない」
「まあな・・・って、何勝手に、スン郎を採用してんだよ」
「ばれちゃった・・・既成事実にしようと思ってたのに」
「どれがいい ? ー」
「自分だって、勝手に採用してるじゃない。それだけは駄目」
「もう、人の名前で遊ばないでよ・・・どれでもいいよ」
そんな事を話していると、不意に、チャイムが鳴った。
僕が、玄関に行きドアを開けると、そこには、制服姿の警察官が立っていた。
新人だろうか。
ずいぶん若く見えた。
「あなた、川北俊樹さんですか ? 」
「はい、そうですけど」
「先程、署の方に、善良な市民の方から通報がありまして・・・」
「・・・はい」
「あなた、今日、カーリングされてましたよね」
「はい」
「その最中に、何か、変わった事がありませんでしたか」
「ありました」
「どのような ? 」
「僕の投げたストーンが他のストーンに当たって、その衝撃で、僕が投げたストーンが二つに割れて、その中から、ストーン太郎っていう小さい男の子が生まれましたけど・・・それが何か ? 」
「ああ、そうですか・・・実はですね、その行為が、善良な市民の方曰く、帝王切開にあたるんじゃないのかって・・・」
「帝王切開 ! ? 」
「ええ・・・あなた、医師免許持ってませんよね」
「ええ」
「そうなると、無免許医師ということで、逮捕という事になるんですが」
「いやいやいや、ちょっと待ってくださいよ。なんで、帝王切開っていうことになるんですか。勝手にストーンが二つに割れて、勝手に生まれて来たんですよ」
「でも、そのストーンはあなたが投げたわけですよね」
「そりゃ、投げたのは僕ですけど・・・」
「で、そのストーンのお腹が切開されて、ストーン太郎君が生まれたと・・・そうなると、やはり、帝王切開とみなさざるを得ないんですけど」
「いやいやいや、だから、僕が切り開いたわけじゃなくて、勝手に割れただけですよ」
「そうですか・・・あくまでも、自分がした行為は、帝王切開にはあたらないと・・・」
「そりゃそうでしょ」
「じゃあ、わかりました。二択問題にしてみましょう」
「はあ ! ? 」
「あなたがした行為は、帝王切開かバウムクーヘンかでいうと、どっちですか ? 」
「何ですか ! ? それ」
「さあ、どっちですか ? 帝王切開かバウムクーヘンか」
「なんで、バウムクーヘンが出てくるんですか ? ・・・そもそも行為じゃないでしょバウムクーヘンは」
「さあ、どっち ! 」
「選べるわけないでしょ、そんなの」
「どっちかっていうと・・・」
「だから、選べないですって」
「敢えてですよ・・・敢えて、どちらかを選ぶとすると・・・」
「もう・・・あくまで敢えてですよ」
「はい、もちろん」
「まあ、その二つでいえば・・・帝王切開・・・」
「よし ! 19時15分、現行犯逮捕 ! 」
と言って、警官が、僕に手錠をかけようとした。
僕は、慌てて、その手を振りほどいた。
「ちょっと、何するんですか ! 」
「今、自白したでしょ」
「自白って、あなたが、訳が分からない二択問題を作って答えを強要するから、仕方なく答えただけでしょ」
「往生際が悪いですね」
「警察手帳、見せてもらってもいいですか」
「何ですか ? 急に」
「本当に警察官かどうか疑わしいんで」
「まだ、見せてませんでしたっけ」
「ええ。早く見せてください」
「まあ、いいでしょう。自己紹介は嫌いな方じゃないんで」
「自己紹介って・・・転校生か」
「自己紹介、いける口なんで」
「酒みたいに言うなよ」
警察官は、ポケットから警察手帳を出して、僕に見せた。
「はじめまして。私、田中家西署の山川です」
「え ! ? 今、田中家西署って言ったんですか ? 」
「はい」
「田中家西署 ! ? 」
「はい」
「何ですか ? その名前」
「何ですかって言われても・・・」
「なんで、そんな名前になったんですか ? 」
「そりゃ、うちの署が、田中さんの家の西にあったからに決まってるでしょ」
「だからって、そんな名前付けます ? 普通、地名でしょ」
「それは、私たちの自由でしょ。昨今は不況で、オリジナリティーが求められてますから。他の署とは差別化を図らないと」
「それは、民間の話でしょ」
「まあ、我々も、裏を返せば民間みたいなものですから」
「意味わかんねえよ・・・じゃあ、そんな名前付けてて、もし、田中さんが引っ越したらどうするんですか ? 」
「もちろん、警察署も一緒に引っ越しますよ」
「えー ! ? 一緒に ! 」
「ええ。今まで何回も一緒に引っ越してますよ。そりゃそうでしょ。田中さんの家の西にあるから田中家西署なんですから。その田中さんがいなくなったのに、田中家西署なんて名乗ってたら嘘つきじゃないですか。そんな警察じゃ、市民から信頼してもらえないでしょ」
「いやいやいや、名前変えればいいだけでしょ。田中さん、プレッシャーになりますって。引越しするたびに、いちいち警察署について来られたら」
「まあ、新しく、別の田中さんを誘致するっていう案もあるにはあったんですけど」
「いや、だから、警察署の名前を変えればいいでしょ」
「それは、でも、ねえ。オリジナリティーと差別化がネックで・・・」
「絶対、変えた方がいいですって」
「そうですかねえ・・・」
「そうですよ」
「まあ、署内の一部には、そういった意見があるのも事実なんですけど」
「全部じゃないとおかしいでしょ」
「まあ、貴重なご意見を伺ったんで、署の方に持ち帰りまして、副署長と話し合ってみたいと思います」
「どうせなら、署長と話し合った方がいいと思いますけど」
「あっ、署長は僕なんで」
「え ! ? ・・・署長 ! ? 」
「はい」
「あなたが ? 」
「はい」
「何歳ですか ? 」
「18です」
「18歳 ! ? 」
「はい」
「高校生 ? 」
「いえ、高校はこの春に卒業しました」
「いつから署長なんですか ? 」
「高一の時から」
「高一の時から署長 ! ? 」
「ええ。昔、テレビでゴルフ見てたら、石川遼君が、高校に通いながらプロゴルファーになってたんで、ああ、ありなんだって思って」
「いやいや、高校に通いながらプロゴルファーはいいけど、高校に通いながら警察署長は駄目でしょ」
「大丈夫ですよ。毎日、テレビ見ながらご飯食べてますし」
「その、ながらは、全然別ですよ」
警察署長は、不意に腕時計を見た。
「ああ、もう、こんな時間か。今日は、貴重なご意見を伺わせて頂いて、ありがとうございました」
「・・・いえ」
「早速、署の方に帰って、話し合ってみたいと思います」
「・・・はい」
「お忙しい所、ありがとうございました。それじゃあ、失礼します」
訪ねて来た用件の事はすっかり忘れてしまった署長は、そう言うと、足早に立ち去って行った。
「馬鹿で良かった・・・」
僕は、ドアを閉め鍵をかけた。
「何だったの ? 」
僕がリビングに戻ると、智子が声を掛けてきた。
「なんか、警官が来てて・・・」
「警官 ? 」
「ああ・・・善良な市民から通報があって、ストーン太郎が生まれた行為が、帝王切開にあたるんじゃないかって・・・」
「帝王切開 ?」
「ああ・・・ストーンが二つに割れて生まれてるんだから、帝王切開だろうって・・・」
「何、それ ?」
「で、俺が医師免許持ってないから逮捕だって・・・」
「え ! ? ・・・それで、どうなったの ?」
「なんか、いろいろあって納得して帰って行った」
「何、それ」
「俺も、よくわかんねえよ」
田中家西署の件は、話すと、説明するのが面倒臭いことになりそうだったので黙っておく事にした。
「今日、泊って行くんだろ」
僕は、すっかり冷めてしまった弁当の残りを食べながら智子に聞いた。
「えっ、いいの ?」
「いいのって、いつも泊ってるだろ」
「だって、初夜でしょ」
「初夜 ?」
「スン郎君が生まれて、初めて一緒に過ごす夜なんだから、親子水入らずの方がいいんじゃないの ? 」
「えっ・・・そんな気使わなくていいよ。なあ、スン郎」
「なんだ、気に入ってくれてたの ? スン郎って呼び方」
「まあな・・・いいよな、スン郎」
「うん。大丈夫だよ、気にしないで。僕も、二人の邪魔するような野暮な事はしないから・・・二人も、いつも通り、本能のおもむくままに行動してくれればいいよ」
「だって」
「だってって・・・本能のおもむくままになんて、出来るわけないでしょ・・・じゃあ、お風呂の準備してくるね」
智子はそう言って、立って行った。
「お風呂の準備出来たよ」
そう言いながら、智子がリビングに入って来た。
「あっ、ありがとう。じゃあ、一緒に入るか ? スン郎」
「えっ、僕、智子お姉ちゃんと入りたいな」
「嫌なのか ? 俺とじゃ」
「そりゃ、どうせ一緒に入るんなら、どこの馬の骨とも分からないむさ苦しい男と入るより、きれいなお姉さんと入りたいに決まってるでしょ」
「誰が、どこの馬の骨とも分からないむさ苦しい男だよ ! お前が自ら父親に任命した男だろ」
「私は別にいいけど・・・じゃあ、一緒に入ろうか」
「うん」
二人は、着替えを用意し、風呂場に向かう智子の後を、ストーン太郎がトコトコと付いて行った。
一人になった僕は、仕方がないので、ソファーに横になり、テレビを見ていた。
すると、唐突に眠気が襲ってきた。
今日は、色々な事があって疲れていたんだろうか。
眠気に完敗した僕は、いつの間にか眠ってしまっていた。
「俊樹・・・俊樹・・・」
「ん・・・」
僕は、パジャマ姿の智子に体を揺さぶられ、目を覚ました。
「ああ・・・もう、風呂から出たのか」
「うん・・・ちょっと見て見て ! 」
「えっ・・・何を ? 」
「すごいんだから ! 」
「何だよ ? いきなり」
「スン郎君、さっきの、やってみて」
その言葉でストーン太郎を見ると、まだ、裸のままだった。
「パジャマぐらい着ろよ。風邪ひくぞ」
「いいからいいから。ねえ、早くやってみて」
「うん」
智子の言葉に頷いて、ストーン太郎は、自分のおちんちんを握った。
そして、そのまま勢いよく引っ張ると、おちんちんは、めりめりっという音と共に体から取れた。
「えー ! ! ! 」
「ねっ、すごいでしょ」
「すごいでしょって、お前・・・えー ! ! 」
「脱着可能なんだって」
「・・・脱着可能 ? ・・・」
「うん」
「どうやって付けるんだよ・・・あっ ! まさか、木工用ボンド ? 」
「違うよ。僕が、木工用ボンドアレルギーだって知ってるでしょ」
「知らねえよ、そんな事。初耳だよ」
「マジックテープだよ」
「マジックテープ ? 」
よく見ると、確かに、ストーン太郎の股間にはマジックテープが付いていた。
「マジックテープで脱着出来るのか ?」
「うん。まあ、木工用ボンドで付ける人もいるけどね」
「いるのかよ」
「うん。今、規格争いの真っ最中なんだ」
「規格争い ?」
「うん。ブルーレイとHD-DVDみたいなもんだよ」
「へー・・・」
「まあ、マジックテープ派が主流だけどね」
「でも、そもそも、何の為に脱着可能になったんだよ」
「何の為って・・・パーティーとかに出る時に、スーツの胸ポケットにおちんちん射しとけば、ポケットチーフ代わりになるでしょ」
「その為だけに ?」
「ううん。それは、あくまで副産物で、本来の目的は、ずっと付けてると邪魔だからだよ」
「まあ、確かに、邪魔だなって思う事はあるけど・・・そんな理由で、脱着出来るようになったのか」
「中には、ずっと脱着せずに、付けっ放しの人もいるけどね」
「へえ、そうなんだ」
「おちんちんの付け根に、ミシン目が入ってるから、取ろうと思えば簡単に取れるし、そのままにしておこうと思えば、そのままでも行けるし」
「おちんちんの付け根にミシン目・・・」
「うん」
「しかし、お前のおちんちん、万能だな。脱着は出来るし、右に回せば、カプセルに入ったうんちは出てくるし」
「まあね」
「いいなー」
「そんな事より、お風呂入ってきたら」
「そんな事よりって・・・さっきまで、あんなにノリノリだったくせに」
僕は、智子に言われるままに、着替えを持ってお風呂に向かった。
「そろそろ寝ようか」
風呂からあがり、パジャマ姿でテレビを見ながらくつろいでいた僕は、智子に声をかけた。
「そうね」
「スン郎はどうする ? ここで大丈夫か ?」
カーペットの上に置いてある、おもちゃの家のベッドでくつろいでいたストーン太郎に声をかけた。
「うん」
「俺たちと一緒の部屋で寝るか ?」
「ここで大丈夫」
「そうか・・・おしっこは ?」
「さっき、お風呂に入る前についでにしたから、今は大丈夫」
「どうやってしたんだ ?」
「スン郎君が便座の上に立って、私が、落ちないように後ろから体を支えてあげたの」
代わりに、智子が答えた。
「ふーん・・・でも、今は大丈夫としても、夜中にトイレに行きたくなったら困るから、簡易トイレ作っといた方がいいよな」
「簡易トイレ ?」
「ああ・・・だって、スン郎、一人でトイレ行けないだろ」
「その時は、お父さんを起こすからいいよ」
「えー ! ・・・面倒臭いな」
「面倒臭いって・・・本来、子育てって、手が掛かるものでしょ」
「そりゃ、実の子どもなら、大して苦にもならずに出来るかもしれないけど」
「酷い ! それが、一切、血の繋がりが無い、戸籍上は全くの赤の他人の僕に対して言う言葉 ! ?」
「言う言葉だろ」
「まあ、そりゃそうか・・・じゃあ、簡易トイレの件は、甘んじて受け入れるよ」
「じゃあ、どうしようかな・・・あっ、そうだ」
いい案を思い付いた僕は、キッチンに向かった。
「何 ? これ」
ストーン太郎は、新聞紙の上に置いてあるペットボトルの蓋を見ながら、立ち尽くしていた。
「簡易トイレだよ」
「このペットボトルの蓋の中におしっこするの ?」
「ああ。飲みかけのお茶があったから、飲みたくもないのに、わざわざ空にして用意してやったんだぞ」
「これにおしっこ ?」
「ああ」
「・・・僕の自尊心がズタズタなんだけど」
「まあまあ、そう言うなって」
「そんなの、可哀想よ・・・大丈夫よ。遠慮せずに起こしてくれれば・・・でも、万が一、起きなかった時の為に、このまま置いておいてもいい ?」
「・・・うん」
智子の提案に、ストーン太郎は、渋々頷いた。
「じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
僕は、リビングの明かりを消して、智子と一緒に寝室へと向かった。
トントントントン。
僕は、包丁の音で目を覚ました。
リビングに行くと、キッチンで料理をしている智子の後姿が目に入った。
「おはよう」
「あっ、おはよう。もうすぐ出来るから待っててね」
「うん」
次に、おもちゃの家を見ると、ストーン太郎は、まだ、気持ち良さそうに眠っていた。
傍に置いてあるペットボトルの蓋を見ると、空のままだった。
「スン郎、おしっこしてなかったのか ?」
「うん。してなかったよ」
「ふーん・・・スン郎・・・スン郎」
「・・・んー・・・」
ストーン太郎は、眠い目を擦りながら目を覚ました。
「朝だぞ」
「んー・・・おはよう」
「おはよう・・・トイレ行こうか」
「・・・うん」
僕は、ストーン太郎を手に乗せ、トイレに向かった。
トイレを済ませた僕たちがリビングに戻ると、丁度、朝食の準備が整っていた。
僕たちがテーブルに着くと、智子も、自分の料理を持って来て座った。
「おはよう、智子お姉ちゃん」
「おはよう。よく眠れた ?」
「うん・・・智子お姉ちゃん、今日もきれいだね」
「えっ・・・ありがとう・・・でも、どうせ社交辞令でしょ」
「違うよ」
「え・・・」
「お世辞だよ」
「・・・ちょっと、朝から、どういう教育してるのよ」
「だから、こいつの持って生まれたポテンシャルだって」
「お父さん」
「ん」
「大事な話があるんだけど」
ストーン太郎が、改まった感じで話し出した。
「何だよ、大事な話って ?」
「智子お姉ちゃんにも聞いてもらいたいんだ」
「何 ?」
「やっぱり、食べながらっていうのもなんだから、食べ終わってから話すよ」
「何だよ、勿体ぶって・・・」
しょうがないので、僕たちは、取り敢えず、食べることに専念する事にした。
「何だよ、大事な話って ?」
朝食を食べ終え、後片付けも終えた僕と智子は、改めて、ストーン太郎の前に座った。
「紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人 ?」
僕と智子は顔を見合わせた。
「こっち来て」
ストーン太郎は、僕たちを手招きしながら歩き出した。
到着したのは、おもちゃの家の前だった。
ストーン太郎は、いつの間にか、おもちゃの家の家主の人形を、ベッドに座らせていた。
そして、ストーン太郎も、自分の身長の2倍くらいはある、その人形の横に座った。
「リエちゃんっていうんだ」
「知ってるよ、俺が買ったんだから」
「リエちゃんと、結婚を前提に付き合いたいんだ」
「はあっ ! ? ・・・結婚を前提に付き合いたい ?」
「うん」
「人形と ?」
「うん・・・昨日、偶然、リエちゃんと相部屋になっちゃって・・・」
「偶然じゃねえよ、その為に買って来たんだから」
「そこで、意気投合して・・・」
「よく、意気投合できたな、人形と」
「大人の関係になっちゃって・・・」
「大人の関係 ! ? そんな機能付いてるのか ? この人形」
「付いてないよ !」
智子は、慌てて否定した。
「軽い気持ちで、そういう事になったわけじゃないんだ・・・よく考えたうえで、色々、将来の事も考えたうえで、最後は性欲に負けて・・・」
「負けてんじゃねえか」
「でも、男としての責任はちゃんと取るつもりなんだ」
「いやいやいや、ちょっと待てって・・・相手は人形だぞ」
「愛に、人形の壁は無いよ」
「何だよ、人形の壁って」
「よく考えてみてよ。今、世界の人口って何人 ?」
「70億ぐらいだろ」
「でしょ。その70億人もいる人の中で、奇跡的に僕たち二人は相部屋になったんだよ。すごい確率だと思わない ? もはや運命としか言いようがないよ」
「その70億人の中に、お前らは含まれてないけどな。人形に至っては、大量生産されてるし」
「だから、お願い ! 僕たちの事を認めて」
「聞いてねえな、俺の話」
「まあ、いいんじゃない。スン郎君の好きなようにさせてあげれば」
「そりゃ、まあ、誰に迷惑がかかるわけじゃないから、別にいいけど・・・」
「やったー ! ! 良かったね、リエちゃん」
ストーン太郎は、嬉しそうに人形と抱き合った。
「まだ、仕度しなくていいのか ?」
僕は、いつまでものんびりしている智子に聞いた。
「うん。今日は朝からパートさんが来る日だから、遅くてもいいの」
「あ、そうか」
「智子お姉ちゃんは、何の仕事してるの ?」
「実家のうどん屋手伝ってるんだよ」
僕が、代わりに答えた。
「へー、お父さんは ?」
「俊樹は、自分のブログに小説を書いてるの。プロの小説家になるのが夢なのよ」
今度は、智子が、僕の代わりに答えた。
「へー、そうなんだ・・・若いっていいよね、夢があって」
「昨日、生まれたばっかりの奴のセリフじゃねえだろ」
「ブログに小説書いたらお金が貰えるの ?」
「そういうわけじゃないよ。ブログに、バナーっていう広告が貼ってあって、ブログを見た人が、その広告をクリックして、ジャンプした先のサイトで買い物してくれたら、その売り上げの何パーセントかを貰えるんだよ」
「広告を貼ってるだけじゃお金は貰えないの ?」
「そうそう。買い物してくれないとな。サイトによっては、会員になってくれたらいくら貰えるとかっていうところもあるけどな」
「へー・・・それで、一か月でどれくらい稼げるの ?」
「今のところは・・・0」
「0 ! ?」
「ああ」
「0って、あの0 ?」
「ああ、あの0」
「曲線美で有名な ?」
「曲線美で有名かどうかは知らないけど」
「あの、円とは完全に一線を画した、楕円の0 ?」
「そう。その0」
「じゃあ、どうやって生活してるの ?」
「いろんな行列に代わりに並んだり、スーパーとかで買い物の代行したり」
「行列に ?」
「ああ。依頼主の代わりに行列に並んで商品を買ったり、食べ物屋の行列に並んで、依頼主が来たら入れ替わったり・・・」
「へー・・・じゃあ、そっちが本業って事 ?」
「本業は、小説の方だよ」
「でも、収入は0なんでしょ」
「そりゃまあ、そうだけど。本来やりたいのは、小説の方だからな」
「ふーん・・・小説で生活出来るようになったらいいね」
「まあな・・・」
ピンポーン。
不意に、玄関のチャイムが鳴った。
出てみると、橋口だった。
僕は、今の仕事を数人の友達と一緒にしていて、橋口も、その中の一人だった。
別に、電話やメールで事は足りるので、一々、僕の家に来なくても仕事に支障はないのだが、橋口は、遊びがてら、ちょくちょく僕の家に顔を出していた。
「智子ちゃん、おはよう」
僕の後を付いてリビングに入って来た橋口は、智子にあいさつをした。
「おはよう」
「おう、ストーン太郎。おはよう」
「誰 ?」
「誰って、心外だな。助産師の顔、忘れたのか ?」
「助産師って何だよ ?」
僕が、口を挟んだ。
「助産師だろ、俺。ストーン太郎の出産に立ち会ったんだから」
「立ち合ったって・・・ただ、見てただけだろ」
「立ち合った事には変わりないだろ・・・そういやあ、お前、よく釈放されたな」
「釈放 ?」
「ああ・・・無免許医師が帝王切開の手術した罪で、逮捕されてるかと思ったけど」
「あっ ! ひょっとして・・・」
「初めまして、善良な市民です」
「ふざけんなよ、お前。大変だったんだぞ、訳の分からない警官が来て」
「俺も、さんざん迷ったんだけどな・・・友情を取るべきか、善良な市民としての通報の義務を取るべきか」
「迷う必要なんてないだろ。そもそも、罪なんて犯してないんだから」
「でもな、善良な市民として、目の前で犯罪が行われたのに、見て見ぬふりは出来ないだろ」
「だから、犯罪なんて行われてないって」
「だから、俺は、心を鬼にして、友情は、シュレッダーにかけて粉々にして、泣く泣く通報したんだよ」
「何で、友情をシュレッダーにかけたんだよ」
「決まってるだろ。犯罪者と友情関係にある事が世間にばれたら、俺の将来に傷が付くからだよ・・・でも、まあ、良かったな。無実が証明されて・・・これからも、何事も無かったかのように、よろしくな」
と言って、橋口が手を差し伸べてきた。
「出来るか !」
僕は、その手を払った。
「まあまあ、そう言うなって。ほんの冗談のつもりだったんだから」
「うるせえ ! 冗談で済むか」
「メール来てるわよ。仕事の依頼じゃない ?」
そう言って智子が、まだ言い争っている僕たちの間に、僕の携帯を持って割って入って来た。
仕方なく、僕は、携帯のメールをチェックした。
「じゃあ、俺、そろそろ帰るよ。仕事の件は、電話で連絡してくれよ」
「あっ、ちょっと待てよ・・・」
橋口は、それだけ言い残して、さっさと部屋から出て行った。
「じゃあ、私、そろそろ行くね」
と言って、智子が立ち上がった。
「ああ、気を付けてな」
「うん」
智子を見送った僕も、出かける準備を始めた。
「お前も、準備しろよ」
僕は、まだ、人形と寄り添っているストーン太郎に声を掛けた。
「えっ、僕も行くの ?」
「当たり前だろ。一人じゃ何も出来ないんだから」
「リエちゃんは ?」
「置いて行くよ」
「えーっ ! 一人で大丈夫かな ?」
「大丈夫だよ、人形なんだから」
「振り込め詐欺の電話が掛かってきても、無視すればいいからね」
ストーン太郎は、心配そうに人形に話しかけた。
「出れないって、人形なんだから」
「誰か来ても、簡単にドア開けちゃ駄目だよ」
「開けれないって、人形なんだから」
「大丈夫かなあ・・・」
「いいから、早く準備しろよ」
僕は、ストーン太郎を胸ポケットに入れて街を歩いていた。
この街は、車で通った事があるくらいで、仕事で来るのは初めてだった。
今日の仕事場になるラーメン屋を探しながら歩いていると、いきなり背後で、ドーン ! ! ! という大きな音が鳴った。
驚いて振り返ると、車が民家に突っ込んでいた。
「えー ! ! ! ・・・」
そんな光景を初めてみた僕は、しばらくの間、呆然と立ち尽くしていた。
しかし、ふと我に返り、警察に電話を掛ける為に、慌てて携帯を取り出した。
すると、
「何してるんですか ?」
不意に、背後から声を掛けられた。
「わっ ! ・・・びっくりした」
振り返ると、50代くらいの男が立っていた。
「ああ・・・いや、あれ、事故が起きたんで警察に電話しようかと思って・・・」
僕は、事故の起きた場所を指差しながら言った。
「ああ、あれね・・・大丈夫ですよ、電話しなくても」
「えっ ! ? ・・・ああ、もう、電話したんですか ?」
「いいえ」
「えっ ! ? ・・・じゃあ、何で・・・」
「祭りなんですよ、あれ」
「えっ ! ? ・・・祭り ? ・・・」
「ええ。祭り」
「何が、祭りなんですか ?」
「車が民家に突っ込んだのが」
「車が民家に突っ込んだのが ?」
と言って、僕は、もう一度、事故現場を見た。
すると、運転手と、民家の家主らしき人物が、肩を組んで笑い合っていた。
「えーっ ! ! ! ・・・祭り ! ?」
「そう、祭り」
「車が民家に突っ込むのが ! ? ・・・」
「そうですよ」
「そんな祭りあります ?」
「まあ、驚かれるのも分かりますけどね・・・日本にも世界にも、いろんな変わった祭りがあるでしょ」
「そりゃ、まあ・・・」
「危ない祭りも」
「ええ・・・」
「それと一緒ですよ」
「一緒ですかねえ・・・」
やっと、少し落ち着いてきた僕には、ある疑問がわいてきた。
「でも、ぶつかられた家の人は、これからどうするんですか ? しばらくは、あの家、住めないですよね。あれだけぐちゃぐちゃになってたら」
「ああ、それは大丈夫ですよ」
「どうするんですか ?」
「ぶつかった車の運転手の家に一緒に住むんですよ」
「へー、一緒に・・・」
「ええ」
「じゃあ、車でぶつかる人って、毎年、変わるんですか ?」
「いや、一緒ですよ。ちなみに、この祭りは毎月行われてますけど」
「毎月 ! ? ・・・じゃあ、毎月、住人が増えていくってことですか ?」
「まあ、そうですね。確か、今、150人くらいで住んでるんじゃなかったかな・・・」
「150人 ! !」
「ええ、常に、満員電車みたいな状態らしいですよ。だから、毎日のように、お尻を触った触ってないで、警察沙汰になってますけど」
「へー・・・大変ですね」
「まあね。でも、まあ、しょうがないですね、祭りだから」
祭りという名の事故現場を後にした僕は、また、今日の仕事場のラーメン屋に向かって歩いていた。
そして、しばらく歩いた所で、人だかりを見つけた。
何があるんだろうと気になったので近付いてみると、その人だかりの中心にいたのは、オリンピック銅メダリストの山田選手だった。
山田選手は、ファンの、握手や写真の求めに、快く応じていた。
オリンピックの銅メダリストに会える機会なんて滅多にないので、僕も、順番を待つ事にした。
「次のオリンピックもがんばってください !」
「はい。がんばります」
人だかりの最後の人が笑顔で立ち去り、やっと、僕の番がやって来た。
「あの、僕も、握手してもらっていいですか ?」
「いいですよ、勿論」
そう言って、山田選手は、笑顔で握手をしてくれた。
「ありがとうございます !」
「よかったら、メダル見ます ?」
「えっ ! ? 見せてもらえるんですか ! ?」
「ええ・・・意気投合したんで」
「いつの間に ? さっき会ったばっかりですけど・・・」
「まあまあ、細かい事は気にせずに・・・今日は、無礼講という事で」
「意味がさっぱり分からないんですけど・・・じゃあ、折角なんで・・・見せてもらっていいですか」
「ええ、ちょっと待ってくださいね・・・」
そう言うと、山田選手は、ポケットから財布を取り出し、小銭入れを開け覗き込んだ。
「何してるんですか ?」
「銅メダルを探してるんですよ・・・」
「小銭入れの中に銅メダル ! ? ・・・」
「あー、あった、あった・・・はい」
山田選手は、そう言いながら、僕に、十円玉を手渡した。
「なんですか ? ・・・これ」
「銅メダルですよ」
「十円玉ですけど・・・」
「違いますよ。よく見てください」
「え ? ・・・」
言われるままによく見てみると、確かに、それは十円玉ではなく、いつかテレビで見た事のある、銅メダルのデザインに似ていた。
「確かに、デザインは似てますけど・・・」
「似てるんじゃなくて、本物ですよ」
「本物 ! ? ・・・冗談でしょ」
「いやいや、冗談じゃなくて、本当に本物ですよ」
「だって、大きさが全然違うじゃないですか」
「それは、大きいままだと持ち歩くのに邪魔になるんで、小さくしたんですよ」
「小さく ! ? ・・・どうやって ?」
「右手に握って、ぎゅーって」
「ぎゅーってって・・・握力で ! ?」
「ええ」
「銅メダルを ! ?」
「ええ」
「どんだけ握力強いんですか」
「まあ、オリンピック選手なんで、それくらいは」
「無理でしょ、普通、オリンピック選手だからって・・・ちなみに、握力はどれくらいなんですか ?」
「80メートルです」
「メートル ? ・・・キロの間違いですよね」
「いやいや、メートルでいいんですよ」
「どういうことですか ?」
「僕の場合、あまりに握力が強過ぎて、従来の握力の単位が枯渇しちゃって・・・」
「握力の単位が枯渇 ? ・・・」
「ええ、携帯電話の番号も、以前は090だけだったけど、番号が足りなくなって、080も使うようになったでしょ」
「ええ」
「それと一緒ですよ」
「どう一緒なんですか ?」
「僕の握力をキロなんかで表現してたら、ゼロがいくつあっても足りないんですよ」
「トンもありますけど」
「それでも全然・・・」
「えー、そんなに・・・」
「ええ・・・以前、僕のスタッフが、ゼロを書き過ぎて腱鞘炎になって・・・」
「へー・・・」
「それで、このままじゃあいけないなって思って、新しい単位に移行したんです」
「そうなんですか」
「まあ、数字じゃなくて漢数字にすればいいんじゃないかっていう意見も出たんですけど、海外では通用しないんでね」
「まあ、そうですね・・・でも、これって、見た人に、いまいち有り難がられないんじゃないですか ?」
僕は、十円玉大の銅メダルを改めて眺めながら言った。
「何でですか ?」
「このメダルの大きさじゃ・・・やっぱり、通常の大きさじゃないと」
「ああ、それなら大丈夫ですよ」
そう言うと、山田選手は、バッグの中からペットボトルに入った水を取り出した。
「ちょっと、こうやってもらっていいですか」
山田選手は、僕に、両手で器を作るように促した。
そして、十円玉大の銅メダルが入っている僕の手の器に、ペットボトルの水を注ぎ出した。
すると、見る見るうちに、十円玉大の銅メダルが大きくなっていく。
「こうやって水でもどすと、元の大きさに戻るんですよ」
そう言っているうちに、銅メダルは、完全に元の大きさに戻っていた。
「ねっ」
「ワカメか !」
僕は、今日の仕事場となるラーメン屋に辿り着いた。
そこには、もうすでに、かなりの行列が出来ていた。
僕は、依頼主に電話をした。
「もしもし、川北です。今、お店に到着しました。この分だと、たぶん一時間くらいで店内に入れると思います・・・はい・・・じゃあ、よろしくお願いします」
僕が電話を切ってしばらくした後、暇を持て余したのか、ストーン太郎が、突然、おさかな天国の替え歌を歌い出した。
「さかな、さかな、さかなー、さかなーを食べーるとー」
「・・・」
「さかな、さかな、さかなー、魚屋がー儲かるー」
「・・・」
「さかな、さかな、さかなー、魚屋がー儲かるとー」
「・・・」
「肉屋、肉屋、肉屋ー、肉屋ーがーつぶーれるー」
「・・・」
「肉屋、肉屋、肉屋ー、肉屋ーがーつぶれるとー」
「・・・」
「さかな、さかな、さかなー、魚屋がーほくそ笑むー」
「・・・」
「肉屋、肉屋、肉屋ー、肉屋ーのーあと地にはー」
「・・・」
「ビルが、ビルが、ビルがー、ビルがーたーちまーしたー」
「・・・」
「さーあー、みーんなでー、さかなーをーたべーよおー」
「食べにくいわ !」
「え ?」
「そんな歌、歌われたら、魚食べにくいわ」
「まあ、そうだよねー。資本主義社会の闇の部分が、もろに出ちゃったよねー・・・でも、安心して」
「何がだよ ?」
「この歌には、後日談があって、この肉屋さんは、そのビルのオーナーになって、テナント料で悠々自適に過ごしましたとさ」
「何が、過ごしましたとさ、だよ、お前が勝手に作った歌だろ」
僕たちが、そんな会話をしていると、それに反応した僕の前に並んでいたおじさんが振り向いた。
そして、辺りを見回す。
「今、子供としゃべってませんでした ?」
「しゃべってましたよ」
「でも・・・」
「ああ、こいつですよ」
そう言って、僕は、胸ポケットの中から顔をのぞかしているストーン太郎を指差した。
「こいつって、人形じゃないですか」
「人形じゃないよ。僕、ストーン太郎っていうんだ。よろしくね、おじさん」
「えーっ ! ! ! 人形がしゃべった ! !」
「これ、人形じゃなくて、これでも一応、人間なんですよ。まあ、人間って言っていいのかどうか分からないんですけど、カーリングのストーンから生まれたんで、ストーン太郎っていうんです」
「えーっ ! ! ! カーリングのストーンから生まれた ! ! !」
「ええ。カーリングしてたら、ストーンとストーンがぶつかった瞬間に、一つのストーンが二つに割れて、そこから生まれたんです」
「えーっ ! ! ! ストーンが割れてそこから ! ! !」
「そんなに驚きます ?」
「そりゃ、驚くでしょ、普通」
その瞬間、僕は、無意識のうちにおじさんを抱きしめていた。
「会いたかった ! あなたのような人に」
「何ですか ? 急に」
「初めてなんです。ストーン太郎を見て、あなたみたいに驚く人は」
「普通、誰だって驚くでしょ。こんな小さい人間見たら」
「いや、それが、驚かないんですよ、みんな。驚くか驚かないかは本人の自由で、それは憲法でも保障されてるとか言って」
僕は、おじさんからゆっくりと離れながら言った。
「そりゃまあ、自由と言えば自由ですけど、そんな事、憲法で保障されてるんですか ?」
「そうみたいなんですよ。小学校の家庭科の時間に習ったって」
「家庭科の時間に ? 憲法を ?」
「ええ。こふきイモと波縫いの間のページに載ってたって」
「こふきイモと波縫いの間に ?」
「ええ」
「そんなわけないでしょ」
「載ってましたよ」
不意に、僕の後ろに並んでいた男性が声を発した。
「えーっ ! 本当ですか ? 」
おじさんは、信じられないといった表情で、その男性に聞き返していた。
「ええ。なあ、載ってたよな」
その男性が、その後ろに並んでいた友人らしき人物に尋ねると、
「ええ。載ってましたよ」
その人も、あっさりとうなづいた。
「僕も、習いましたよ。家庭科の時間に」
今度は、おじさんの前に並んでいた男性も賛同してきた。
「本当に ?」
おじさんが振り返って聞くと、
「ええ」
その男性も、あっさりとうなづいた。
おじさんは、納得しきれない様子で、僕の方に向き直った。
「学校が違うから習わなかったのかなあ・・・」
「どうなんですかねえ・・・そういえば、僕の彼女や友達も同じようなこと言ってたんですけど、僕だけ、別の小学校なんですよね」
試しに、さっきの男性たちに卒業した小学校を聞いてみたところ、やはり、智子や橋口たちと同じ小学校だった。
「やっぱり、そうですよ。小学校が違うから習わなかったんですね」
悩みが解決した僕とおじさんは、すっきりした表情でうなづきあった。
「ちなみに、あなたは、どこの小学校なんですか ?」
「僕は、田所小学校です」
おじさんの問いに、僕は答えた。
「おじさんは、どこですか ?」
「私は、田中家西警察署西北西小学校です」
「えっ ! ・・・ひょっとして、田中家の西にあった警察署の西北西に小学校があったから、そんな名前に ?」
「ええ、その通りです」
「まただ」
「まただって、何ですか ?」
「いや、昨日、その田中家西警察署の人に会ったんで」
「ああ、そうなんですか」
「でも、また、何で、そんな名前に ?」
「そりゃ、まあ、田中家の西にあった警察署の西北西に小学校があったからでしょうね」
「それはまあ、そうでしょうけど・・・なにも、そんな名前にしなくても・・・」
「まあね・・・当時の校長は、とにかくオリジナリティーを重んじる人だったみたいで」
「また、オリジナリティーですか。警察署の人も同じようなこと言ってましたよ」
「言ってましたか、警察署の人も・・・でも、あの警察署って、本当は、西じゃないんですよね」
「西じゃない ?」
「ええ。若干なんですけど、南にずれてるんですよね」
「どうでもいいですよ、そんなこと」
「そのてん、我が田中家西警察署西北西小学校は、きっちり、寸分たがわず西北西にありましたから」
「だから、どうでもいいですって」
「でも、大変だったなあ・・・」
おじさんは、急に、昔を懐かしむような表情で話し出した。
「何がですか ?」
「登下校ですよ」
「何で大変だったんですか ?」
「片道、八時間かかったんでね」
「片道八時間 ! ! !」
「ええ」
「交通手段は ?」
「徒歩です」
「徒歩 ! ?」
「ええ」
「公共の交通機関は無かったんですか ?」
「ええ。無かったんです」
「お父さんかお母さんに、車で送ってもらえばよかったんじゃないですか ?」
「共働きだったんで」
「学校の寮とかは ?」
「無かったです」
「家族で、学校の近くに引っ越すとか」
「新築の一軒家を建てたばっかりだったんで。ローンを払いながら、家賃も払うっていうのは・・・家を売るにしても、建てた額よりは安くなるでしょうし」
「転校は出来なかったんですか ?」
「その学校が、一番近くにあった学校だったんで」
「どんな所に住んでたんですか」
「まあ、いろいろ不運が重なりましたね・・・しかし、田中さんも、何も、あんな所に引っ越さなくてもねえ・・・」
「付いて行かなきゃいいだけでしょ」
「田中さんも、罪な事をなさる」
「だから、田中さんのせいじゃないですって・・・それにしても、よく通いましたね、片道八時間もかけて」
「まあね」
「でも、片道八時間もかかったんじゃ、着いた頃には、学校終わってるんじゃないですか ?」
「そうなんですよね。着いた頃には学校終わってるんで、また、すぐ、八時間かけて家に帰って・・・まあ、家には、寝に帰るようなもんでしたね」
「それって、めちゃめちゃ忙しいサラリーマン限定のセリフですけど・・・何年間、そんな生活続けてたんですか ?」
「私が、小学校に入学する直前に学校が引っ越したんで、六年間ずっとです」
「六年間ずっと !」
「ええ。だから、同級生には、一度も会ってないですね」
「へー・・・」
「歳のせいですかね・・・同級生の顔を覚えてないんですよね、一人も」
「歳のせいじゃないですよ。会ってないんですから」
「不思議と、思い出らしい思い出も無いんですよね・・・」
「不思議じゃないですよ」
「でも、この間、初めて、小学校の同窓会を開いたんですよ」
「無謀な事しましたね」
「みんな、あの頃と、変わってなかったな・・・」
「初対面ですよね」
「当時のあだ名で呼びあったりして・・・」
「どうやって付けたんですか ? あだ名」
「初恋の彼女も、いまだに可愛いままで・・・」
「会っても無いのに、初恋 ?」
「まあ、でも、そんな学校でしたけど、いい事もありましたよ」
「どんなことですか ?」
「毎日、八時間もかけて学校に通ってたんで、足腰が鍛えられて、マラソンが、めちゃめちゃ速くなりました」
「それって、アフリカ出身選手限定のエピソードですよ」
「おかげで、大会で優勝する事も出来ましたし」
「大会って、何の大会ですか ?」
「校内マラソン大会です」
「校内かい・・・でも、同級生同志、会った事無いんでしょ。一緒に走れないんじゃないんですか ?」
「だから、一人づつ別々に走って、タイムも自分で計って、記録は自己申告ですよ」
「へー・・・でも、そんなことしてたら、ズルする人もいたんじゃないですか ?」
「そうでしょうね。だから、私の一つ上の先輩が出した、当時の校内新記録は、5キロのマラソンで、確かタイムが、8秒3でしたかね」
「8秒3 ! ! ! 5キロを8秒3 ! ! ?」
「ええ」
「100mの世界記録よりも速いじゃないですか」
「ええ。まあ、だから、さすがに当時も問題になりましたよ。これは、あまりにも速すぎるんじゃないかって」
「そりゃそうでしょう」
「で、まあ、結局は、追い風参考記録ってことに落ち着きましたけど」
「どんな追い風ですか ! 台風並みの追い風でも無理ですよ。そんな記録」
「日本陸連も色めき立ってましたけどね。スーパー小学生が現れたって」
「現れてないです・・・それはそうと、勉強はどうしてたんですか ?」
「ああ、勉強ね。登下校の時に、教科書読みながら勉強してました」
「じゃあ、家でやればいいでしょ。学校なんか行かずに」
「そういうわけにはいかないでしょ。学校に行かなかったら不登校になるじゃないですか。世間体もありますからね」
「世間体より、もっと気にしなきゃいけない事があるでしょ、特に、あなたは」
「でも、毎日、教科書読みながら登下校してたおかげで、僕の銅像が出来たんですよ」
「え ! ? あなたの銅像が ?」
「ええ。知ってるでしょ、あなたも。薪を背負いながら本を読んでる銅像」
「え ! 二宮金次郎の銅像ですか ! ?」
「ええ」
「ということは、もしかして、あなたは・・・」
「そうです。私が、二宮金次郎です」
「えーっ ! ! ! あなたが二宮金次郎 ! ! ?」
「まさしく」
「御存命だったんですか ! ?」
「ええ、この通り」
「もう、とっくの昔に亡くなってる人だと思ってましたけど」
「よく言われるんですよ。みなさん、勘違いしてるみたいで」
「・・・嘘ですよね」
「ええ、嘘です」
「本名は ?」
「佐藤義男です」
「めちゃめちゃ普通の名前ですね」
「でも、佐藤義男と二宮金次郎は異音同義語ですけど」
「異音異義語でしょ・・・なんで、そんな嘘ついたんですか ?」
「若気の至りですかね」
「お見受けしたところ、完全なるおっさん、おっさんの最終進化形ですけど」
「でも、その他の事は全部本当です」
「・・・」
その時、僕は、背後から不意に声を掛けられた。
「川北さん」
振り向くと、今日の依頼主だった。
「ああ、どうも」
気が付くと、行列はずいぶん短くなっていた。
僕は、料金を受け取り、依頼主と入れ替わった。
「あれっ、ラーメンは食べないんですか ?」
「ええ、仕事で、代わりに列に並んでただけなんで」
「ああ、そうなんですか」
「それじゃあ、失礼します」
僕は、依頼主と佐藤さんにあいさつをして立ち去った。
「ありがとうございました」
僕は、少し遅めの昼食を済ませ店を出た。
すると、歩道に、一本のひもが横たわっていた。
そのひもは、普通のひもではなく、ネバネバした感じで、何かの腸のように見えた。
しかも、そのひもは、左にも右にも延々と伸びていて、どこまであるのか先が見えない。
気になった僕は、そのひもに沿って、取り敢えず右に歩き出した。
そして、しばらく歩いた所で、ひもの終点に辿り着いた。
ひもは、三十代くらいの男性のズボンの裾の中へとつながっていた。
僕は、たこ焼き屋の前でたこ焼きを食べている、その男性に話し掛けた。
「あの・・・」
「はい」
「スポンの裾からひもが出てるんですけど・・・何ですか ? それ」
「ああ、これね・・・へその緒ですよ」
「へその緒 ! ? ・・・」
「ええ」
「へその緒って、お母さんがお腹の中の胎児に栄養を与える為につながっている、あの、へその緒ですか ?」
「ええ、そうですよ」
「ひょっとして、このへその緒を辿って行ったら、まだ、お母さんにつながってるって事ですか ?」
「ええ、勿論」
「えー ! ! ! ・・・何で、まだ、つながってるんですか ? もう、三十代でしょ」
「いやいや、僕、こう見えても、まだ、妊娠八カ月目の胎児なんですよ」
「えー ! ! ! 妊娠八カ月目の胎児 ! ? 」
「ええ。人からは、よく、老けて見えるねって言われるんですけど」
「老け過ぎでしょ。妊娠八カ月目の胎児が三十代に見えるって・・・でも、胎児って、もう生まれてるじゃないですか」
「いやいや、まだ、正式には生まれてないんですよ。一時的に外出してるだけなんで」
「一時的に・・・という事は、もしかして・・・」
「ええ。勿論、また、お母さんのお腹の中に戻りますよ」
「えー ! ! ・・・どうやって戻るんですか ?」
「掃除機のコードを収納する為のボタンがあるじゃないですか」
「ええ」
「あのボタンが、お母さんの腰の所に付いてて、そのボタンを押すと、シュルシュルシュル・・・スポンっていう感じで、お母さんのお腹の中に戻るんですよ」
「戻らなくてもいいでしょ。充分成長してるんですから・・・っていうか、成長し過ぎですけどね」
「いやいや、まだ、妊娠八カ月目の胎児ですから。今生まれたら、早産になりますから」
「早産って・・・すでに、かなり遅いですよ、生まれるの」
「そうですかねえ・・・」
「あなた、身長170cmくらいありますよね」
「ええ」
「お母さんは何cmですか ?」
「170cmくらいですかね」
「ピッタリじゃないですか。よく戻れますね」
「ええ、まあ・・・お母さんの着ぐるみを着たみたいな感じにはなりますけど」
「ですよね・・・お母さんの骨とか内臓はどうなってるんですか ? スペースが無いでしょ。あなたの体だけで一杯になるから」
「それは、銀行の貸金庫に預けてますけど・・・大事な物なんで」
「貸金庫に ! ? 」
「ええ。まあ、貸金庫なんで、利子は付かないですけど」
「いらないでしょ、利子なんて・・・骨や内臓が2割増しになって帰って来ても困るでしょうし・・・」
「まあね」
「じゃあ、お母さんは、どうやって栄養を摂ってるんですか ? 内臓がないんじゃ、栄養摂れないでしょ」
「ああ、それは大丈夫ですよ。僕が食べ物を食べて、へその緒を通じて、お母さんに栄養を与えてるんで」
「逆 ! 逆 ! 」
「えへへ・・・」
「えへへ、じゃないですよ・・・そもそも、何で、一時的に外出するようになったんですか ? 」
「妊娠中でも、運動はした方がいいって聞いたんで」
「それは、妊婦の方ですよ。妊娠してるお母さんの方は、運動した方がいいって聞いた事はありますけど・・・胎児の方じゃないですよ」
「えー ! ! ! そうなんですか ? 」
「ええ」
「わー・・・勘違いしてたー・・・」
「だから、もう、お母さんのお腹の中には戻らずに、今すぐ、へその緒を切ってもらった方がいいですよ」
「そうですね・・・じゃあ、早速、帰ってそうします」
その時、シュルシュルシュルっという音が聞こえてきた。
すると、男性は、その場にバタンと倒れて、へその緒に引きずられるようにして、僕の視界から消えていった。
プルルル・・・プルルル・・・
僕が街中を歩いていると、不意に携帯が鳴った。
電話は智子からだった。
「あっ、俊樹・・・今、大丈夫 ?」
「うん」
「今日の晩御飯の事なんだけど・・・」
「うん」
「あのね・・・」
と智子が言ったところで、電話が急に切れてしまった。
「あれっ・・・」
携帯を見ると、電池が切れて、電源が落ちていた。
「あっ、充電するの忘れてた・・・」
昨日、電池が残り少ない事に気付いたので、充電しなきゃいけないなあと思っていたのに、いろんな事があり過ぎて、つい忘れてしまっていた。
「どうしたの ?」
胸ポケットから、ストーン太郎が話し掛けてきた。
「携帯の電池がなくなっちゃったんだよ」
「なんだ、そんな事か・・・かしてみて」
「どうするんだよ」
「いいから、かして」
僕は、言われるままに、ストーン太郎に携帯を渡した。
すると、ストーン太郎は、ポケットの中で携帯を抱きしめた。
「何やってんだよ ?」
「充電に決まってるでしょ」
「充電 ?」
携帯を見ると、確かに、充電している事を示す赤いライトが点灯していた。
「えっ ! ? ・・・なんで、ライトが点いてるんだよ」
「だから、充電してるからに決まってるでしょ・・・同じ事、何回も言わせないでよ」
「だから、なんで、充電できてるんだよ」
「僕が、抱きしめてるからだよ」
「えーっ ! ! お前が携帯を抱きしめると、充電できるのか ?」
「そうだよ」
「なんで ?」
「なんでって・・・体内で発電してるからだよ」
「体内で ! ?」
「うん」
「どうやって ?」
「色々だよ、瞬きする時の力を利用したり、血管にタービンを取り付けて、水力発電みたいに、血の流れを利用して血力発電したり、腸に溜まったオナラを燃やして、屁力発電したり・・・」
「すごいな、お前の体」
「そうかなあ・・・お父さんも、そうすればいいのに」
「出来るもんならしたいよ」
「だって、勿体無いでしょ。ただ瞬きしたり、体中に血を巡らせたり、屁をこいたりしてるだけなんて・・・エネルギーをドブに捨ててるようなもんだよ」
「そりゃそうだけど・・・」
「使えるエネルギーは、全部使わないと・・・」
「普通は使えないけどな・・・でも、助かったよ。お前の体に、そんな機能が備わっててくれて・・・初めて、お前と知り合えて良かったと思ったよ」
「お父さん。もしかして、僕の体だけが目当てだったの ?」
「人聞きの悪い事言うなよ。不倫中のカップルだと思われるだろ・・・」
夕方になり、僕は、ストーン太郎と一緒に帰宅した。
そして、智子に、今日起きた出来事を話しながら夕食を済ませ、テレビを見ながらくつろいでいた時、不意に、ストーン太郎が大声を出した。
「えーっ !!!」
「なんだよ、いきなり・・・」
ソファーに座っていたストーン太郎を振り返って見た僕は、
「えーっ !!!」
同じように、大声を出していた。
「どうしたのよ、二人とも・・・」
洗い物をしていた智子も、僕たちの所へ来て、ストーン太郎を見た瞬間、
「えーっ !!!」
同じように、大声を出した。
「どうしたの !? これ・・・」
智子は、ソファーの前にひざまずき、ストーン太郎に顔を近付け凝視した。
その視線の先にあったのは・・・明らかに色と質感が変わったストーン太郎の足だった。
「どういう事だよ !? これ・・・」
僕が触ってみると、ストーン太郎の足は、硬くて表面がツルツルした石のようになっていた。
「石・・・になったのか ?」
「そうみたい・・・」
ストーン太郎が、今にも泣き出しそうな顔で答えた。
「なんで、石になったんだよ !?」
「僕にも分からないよ」
「何か聞いてないの ? お母さんから。こういう時の対処法とか」
「聞いてない」
智子の問いに、ストーン太郎は首を横に振った。
「金づちで叩き割ってみるか」
「馬鹿なこと言わないでよ」
僕の提案を、智子は即座に却下した。
「なんでだよ・・・石になってるのが表面だけなら大丈夫だろ」
「表面だけとは限らないでしょ・・・足ごと粉々に砕けちゃうかもしれないじゃない」
「そうなったら、ジグソーパズルみたいに組み立てて引っ付ければいいだろ」
「そんな事、出来るわけないでしょ」
「そうだよ。僕をバケモノ扱いしないでよ」
ストーン太郎が反論した。
「バケモノみたいなもんだろ。ちんちん取り外し出来たり、体内で発電出来たり・・・」
「それとこれとは別だよ」
「どう、別なんだよ」
「とにかく、早まった事はしないでよ」
「わかったよ・・・でも、どうすりゃいいんだよ」
「そうねえ・・・病院に連れて行ってみる ?」
「病院 ?」
「うん。だって、尿管結石とか、体内に石が出来る人いるじゃない」
「尿管結石とは訳が違うだろ。こんな症状の奴連れて来られたって、医者も困るだろ」
「じゃあ、マッサージは ? 肩がこってカチカチになってる人みたいに、足がこってるだけかもしれないし」
「こってるのレベルじゃないだろ。石になってるんだぞ」
「じゃあ、どうすればいいのよ ?」
「わかんねえよ、俺に聞かれても・・・」
僕と智子が手をこまねいていると、
「あー !!!」
再び、ストーン太郎が大声を出した。
「どうした !?」
「石の部分が広がってる !」
「えっ !」
確認すると、ズボンの裾から見えている脚の一部も石になっていた。
「どこまで広がってるんだ ? ズボン脱がせてみよう」
脱がせてみると、膝の所まで石になっていた。
「他の所は大丈夫かな。全部、脱がせてみよう」
服を全部脱がせてみたが、他の所は大丈夫だった。
「寒いよ」
ストーン太郎は、腕を組んで体を丸めながら訴えた。
「それどころじゃないだろ・・・あっ、そうだ ! いい事思い付いた」
「何 ? いい事って」
智子の言葉を無視して、僕は、作業に取り掛かった。
紙とペンを持って来て、その紙に、交通標識の進入禁止のマークを書き、それを、ストーン太郎の両脚の太腿に、セロテープで貼った。
「何してるの ?」
「何って。これで、石の進入を防いでるんだよ」
「そんなの、効果あるわけないでしょ」
「わかんないだろ、やってみないと・・・どうだ ? スン郎」
「紙を貼った部分が温かくなった」
「な」
「な、じゃないわよ。服着ればいいだけの話でしょ、温かくしたいんなら・・・今、エアコンの温度上げてあげるからね」
と言いながら、智子は、ストーン太郎の太腿に貼った紙を剥がした。
打開策が無いまま、時は過ぎていった。
その間もストーン太郎の石化は進行し続け、胸元まで来ていた。
「・・・けど、お父さん・・・お父さん !」
薄れ行く意識の中で、微かに、ストーン太郎の声が聞こえていた。
「俊樹 ! ・・・俊樹 !」
智子に体を揺さ振られ、僕は、ハッとして、ソファーに突っ伏していた体を起こした。
「寝てたよね、今・・・僕が一大事な時に」
「寝るわけないだろ」
「よだれ垂れてるけど・・・」
「これは、お前・・・俺は、目と口がつながってるから、涙が口から出て、よだれみたいに見えるだけで・・・」
と言いながら、僕は、よだれを拭った。
「そんな変わった体質の人が、いるわけないでしょ」
「お前が言うなよ・・・で、なんか用か ?」
「なんか用か ? って・・・」
「ごめんねスン郎君。最初からお願い」
「うん・・・」
ストーン太郎は、咳払いをしてから話し出した。
「お父さん、智子お姉ちゃん、短い間だったけど、二人と一緒に生活できて、とても楽しかったよ」
智子は、既に涙ぐんでいた。
「楽しい時間は、あっという間に過ぎて、二人に出会ったのが、まるで昨日のように感じます」
「実際に昨日だからな」
「ちょっと ! 茶化さないで」
ハンカチで涙を拭いながら、智子が、僕の肩を叩いた。
「お父さんに、帝王切開で取り上げてもらって・・・」
「だから、帝王切開じゃないって」
「その後、服とか買ってもらって・・・」
「うん」
「今日は、お父さんの仕事に付いて行って、いろんな変わった人に会って・・・」
「そうだな」
「・・・」
「どうした ?」
「・・・」
「ネタ切れか ? ・・・まあ、実質、一日半くらいしか一緒に生活してないから、そんなに話す事もないよな・・・いろんな変わった人の所、もっと具体的に言った方が良かったな・・・」
「・・・楽しかった、修学旅行・・・」
「卒業式みたいになってるぞ。行ってないだろ、修学旅行なんて」
「お父さんと力を合わせ、二人三脚で走った、運動会」
「だから、やってないって、そんな事・・・お前と二人三脚したって、俺が一人で走ってるようにしか見えないだろ」
「痛みに耐えながら初めて打った、インフルエンザの予防接種」
「地味なとこチョイスしたな・・・話す事が無くなったからって、エピソードを捏造すんなって」
そんな事を話している間に、石は、首元まで迫って来ていた。
「・・・そろそろ、話す事も出来なくなるみたい・・・」
「おい ! スン郎 !」
「スン郎君 !」
石は、アゴを覆い隠す。
「・・・お父さんと智子お姉ちゃんに会えて、本当に良かった・・・」
「おい !!」
「スン郎君 !!」
石が、唇の下まで到達した。
「・・・じゃあ、もう、お別れだね・・・楽しかったよ、ありがとう・・・」
ストーン太郎が、そう言い終わると同時に、石は唇を飲み込み、そこから一気にスピードを上げ、頭の先までを覆い尽くし、とうとう、全身石になってしまった。
「スン郎ー !!!」
「スン郎くーん !!!」
僕と智子は、石になったストーン太郎に、すがり付くようにして大声で泣き崩れた。
ずっと・・・
そのまま、ずっと・・・
そして、やがて、泣き疲れて眠ってしまっていた。
気が付くと、朝になっていた。
ソファーに突っ伏して寝ていた僕は、上半身を起こした。
ストーン太郎は、昨夜と変わらず石のままで、脚を伸ばした状態でソファーに座っていた。
「おはよう」
智子が声を掛けてきた。
「・・・ああ・・・おはよう」
「これ、作ってみたんだけど・・・」
智子は、一辺10cmくらいの、立方体のお菓子の缶を手に持っていた。
「何だよ ? それ」
「スン郎君、石になっちゃったから・・・どうせなら、石像として飾ってあげようかと思って」
「えっ ? ・・・」
良く見てみると、缶には、『ストーン太郎像』と書かれた紙が貼ってあった。
「これを台にして、スン郎君を飾ってあげようかと思って・・・」
「貧相過ぎるだろ、それじゃあ」
「しょうがないでしょ、こんなのしか無かったんだから・・・また後で、俊樹が、ちゃんとしたの作ってあげて」
「ああ・・・でも、珍しいよな」
「何が ?」
「普通、石像って、誰かをモデルにして作るもんだけど・・・まさか、本人自体が石像になるなんてな」
「そうね・・・スン郎君らしいって言えば、らしいけど」
「でも、石像として飾るんなら、立たせた方がいいよな、スン郎」
「何で ?」
「おかしいだろ。脚を伸ばして座ってる石像なんて・・・見た事ないだろ、そんな石像」
「まあ・・・そうね・・・でも、どうやって ?」
「どうやってって、簡単だろ」
そう言って、僕は、ストーン太郎を手に取り、上半身と下半身を握って思いっきり力を入れ、真っ直ぐにしようとした。
「ちょっと !」
智子は、慌てて僕の手を握って止めた。
「何してんのよ !」
「何って、立たせる為に、真っ直ぐに伸ばしてんだよ」
「駄目よ、そんなの。真っ二つに折れたらどうするのよ」
「大丈夫だよ。もし、折れたって、スン郎のお母さんのストーンみたいに、木工用ボンドでくっつけりゃ」
と言って、僕は、また、腕に力を入れた。
「駄目って言ってるでしょ ! 離して !」
と言って、智子は、僕の手を叩いた。
「大丈夫だって」
「駄目 ! 離して !」
「大丈夫だよ」
「駄目だってば !」
そんなやり取りをしていると、ピキッという音がした。
「何 ? 今の音」
恐る恐る見てみると、石になったストーン太郎の脚の付け根に、ひびが入っていた。
「あー !!! ・・・だから言ったじゃない !!」
智子が、僕の肩をバンバン叩きながら責めた。
「大丈夫だって・・・たぶん・・・」
僕は、ストーン太郎を、そっとソファーに置きながら言った。
そして、しばらく様子を見ていると・・・
ピキッ、ピキッという音と共に、ひびが大きくなっていった。
「ちょっと ! どうするのよ、これ・・・」
「・・・」
ひび割れはどんどん進んでいき、あっという間に、ストーン太郎の全身がひびで覆われてしまった。
「どうなるの ? スン郎君・・・」
「・・・」
僕達の不安が最高潮に達した、その時・・・
パリンッ !
という音と共に、ストーン太郎は、粉々に砕け散った・・・
「あーっ !!!」
と思った次の瞬間、砕け散った石の中から、ストーン太郎が姿を現した。
「スン郎 !!!」
「スン郎君 !!!」
ストーン太郎は、すこぶる元気そうに笑っていた。
「大丈夫なのか ?」
「うん」
「どこも、なんともないの ?」
「うん・・・ごめんね、心配かけて・・・」
「良かったー・・・」
智子は、安堵の表情を浮かべた。
「でも、何だったんだよ、あれって・・・体の表面だけが、石に包まれてたって事だろ ?」
「うん・・・ちょっと言いにくいんだけど・・・脱皮だったみたい・・・」
「脱皮 !?・・・」
僕と智子は、顔を見合わせた。
「脱皮って、エビとかカニがする、あの脱皮か ?」
「うん」
「じゃあ、何で言わなかったんだよ ! 心配したんだぞ !」
僕は、ストーン太郎の胸倉を掴もうとしたが、裸だった為に空振りした。
なので、急いでストーン太郎に服を着せて、改めて胸倉を掴んだ。
「言わなかった訳じゃないよ、忘れてたんだ・・・お母さんに言われたのが、だいぶ前だったから・・・」
「まあまあ・・・いいじゃない・・・こうやって、また元気なスン郎君に会う事が出来たんだから」
智子になだめられ、
「まあ、そうだな・・・」
僕は、ストーン太郎から手を離した。
「ごめんね、本当に。心配かけて・・・」
「いいよ、もう・・・気にすんなって」
「そうよ、気にしないで」
こうして、一旦は終わったと思われたストーン太郎との生活は、また、続いていく事になった。