門出を祝う酒
門出を祝う酒
本当は知っていた。あの才気あふれる弟が、一生を読書と畑仕事で終わるはずがないことを。
しかし諸葛亮から来た手紙の内容は、諸葛瑾を大いに戸惑わせるものであった。
「よりによって劉備殿とは、なあ…」
「劉備殿が何だって?」
盛大なため息とともに漏れた呟きにいち早く反応したのは、盟友の魯粛であった。人の良さそうな笑みを浮かべているが目は油断なく諸葛瑾の持つ手紙に注がれている。
「荊州の情勢を我らが注視しているのを、君も知っているだろう。新野の劉備殿が何か?」
「そういうわけではないよ、子敬」
諸葛瑾はもう一度ため息をついて手紙をひらひらさせた。…面倒な相手に見つかった。
「とても個人的なことだ。すぐ下の弟が仕官したらしい。それが劉備殿だと知らせてきたのだ」
「君のすぐ下というと、諸葛家の奇人、孔明君か」
「その呼び方はやめてくれ」
今度は頭痛がしてきた諸葛瑾は三度目のため息をついて眉間を指で押さえた。
「呉では孔明君の奇人ぶりは有名じゃないか。孫権様をあれだけ怒らせる若者も珍しい。一種の才能かもしれん」
魯粛は面白そうににやにやしている。以前諸葛瑾が諸葛亮を孫権に引き合わせた時のことを言っているのだ。
「あの時のことは忘れてくれ。頼む」
だいぶ前だが、いっこうに仕官しようとしない諸葛亮に業を煮やし、諸葛瑾が所用にかこつけて呉に引っ張ってきたことがあった。孫権に目通りさせ、気に入られればそのまま仕官させようという肚だったのだが、ここで諸葛亮はとんでもないことを言い放った。
――豎子、ともに諮るに足らず。
当然のことながら孫権は烈火のごとく怒った。一国の主を子供呼ばわりしたのだから無理もない。ちなみに豎子と呼ばれた孫権と諸葛亮は一歳違いである。
諸葛瑾が必死に宥めたため大事には至らなかったが、「諸葛瑾どのの弟は相当な奇人らしい」という噂は残った。同じ主君に仕えれば自分が守ってやれるという諸葛瑾の思惑は逆効果になってしまった。
「ここでの孔明君の評判は散々だからなあ。ここまで悪評だといっそ清々しいほどだ」
「もう言わないでくれ…」
さらに諸葛亮は追い打ちをかけるように黄氏の娘を娶った。江夏太守の黄祖は孫権の父孫堅の命を奪った因縁の相手である。その黄氏の姻戚になった諸葛亮はますます呉でいい顔をされるはずもなく。恐らく諸葛亮は二度と呉に足を踏み入れられないだろう。まともな神経なら。
「黄氏の娘を娶ったのに、劉表と蔡家に仕えなかったのは意外だな」
魯粛の言うとおり、それは諸葛瑾にも不思議であった。黄氏と姻戚になったのは劉表に近づくためかと思っていたからだ。劉備といえば知名度は高いが自前の領土を持たぬ傭兵集団のようなもの、というのが諸葛瑾の認識である。しかし弟の選択に疑問をさしはさむような野暮を諸葛瑾はしなかった。
「我が弟には余人の分からぬ眼力があるのだ。私は弟の才を高く買っている。あれは一種の天才だ」
魯粛は曖昧に笑った。兄馬鹿、という言葉を諸葛瑾の前で出すほど魯粛は礼儀知らずではなかった。
「ま、あの性格でなければな」
諸葛亮の偏屈な性格は兄である諸葛瑾にはよく分かっている。頭はおそろしく良いのだが人の心の機微というものに疎いうえ時々突拍子もない行動に出る。あれではどの主にもまともに仕えられないのではないか。孫権ならずとも、一国の君主というものは総じて自尊心が強く自信家である。諸葛亮のような癖者を重用してくれる人物などいるだろうか。
そんなわけで諸葛瑾は弟の仕官に半ば匙を投げていた。諸葛亮も懲りたのか隆中で梁父吟など歌っているらしい。
――弟は上手に生きられない性格なのだ。
そんな諸葛亮が仕官したと知らせてきたことは諸葛瑾を大いに驚かせた。しかも自力で。
めでたいことではないか、と諸葛瑾は思った。そしてそれは諸葛亮からの手紙に如実に表れていた。簡潔だが真心に溢れた、いい手紙だった。最初の戸惑いは消えていた。
「それで君は、弟御が劉備殿に仕えることがご不満なのかな?」
「…いや」
諸葛瑾は手紙を広げ、魯粛に見せた。
「こんなことを言われたら、もう何も言えんよ」
そこにはこんな一文があった。
この人のもとでなら、上手に生きられそうです。
ほう、と魯粛は感心の声を上げた。
「孔明君は自分の生きる場所を見つけたようだな」
これは人生の一大事である。魯粛は破顔し、杯を傾ける真似をした。
「酒でも飲んで祝おう。蝦と川魚の美味い店がある。奢りだ」
「子敬が?ここは兄である私が」
「いやいや、兄貴としては、少し寂しいんじゃないかと思ってね」
魯粛に言われて、諸葛瑾は図星をさされた顔をした。分かりやすすぎる、と魯粛は大声で笑った。
門出の酒はとろけるほど甘く、美味くて少しだけ苦かった。
――兄上がいなくても、もう上手に生きられます。
(了)