『 僕と完成された世界 』
【 セツナ 】
熱い戦いを繰り広げた子供達の体温が上がっているようだった。
少し休ませた方がいいと思って鞄から机と人数分のコップを取り出し、
子供達が休める場所を準備する。
最後に何か飲み物を取り出そうと鞄に手を入れた瞬間、
すべてのコップに水が注がれた。
水の精霊が精霊水を振る舞ってくれたらしい。
喉が渇いていたのか、子供達が精霊と僕にお礼をいいながらコップを取り、
男の子達は一息に飲んでいた。
ミッシェルは頭の上にいるデスに「飲む?」と聞いている。
デスは水分はいらなかったらしく「ギャギャ」と声を出しながら、
葉っぱの手でコップをそっと押し返していた。
子供達が口をつけたことで、大人達も各自コップを手に取って、
精霊と僕にお礼を告げてから、美味しそうに水を飲み干していった。
僕も自分の分を手に取り飲んだけど、とてもおいしい水だった。
クッカが作った精霊水とはまた違った味わいがあった。
水使いの魔導師が作る水も、個人の魔力の質で味が違うようだから、
精霊が作る水もそうなのだろうと考えた。
今度、蒼露様に逢うことがあれば蒼露様にも水を貰ってみようと思う。
一息ついたところで、アルトが僕の傍に来た。
「師匠」
「うん?」
「古代神樹の花の蜜はまだ食べないの?」
アルトのこの言葉に、古代神樹の花を貰ったことを思い出し、
鞄の中から取り出して机の上に置くと、
一瞬で花の香りが辺り一面を満たしていった。
「甘くていい香り……」
アルトのこの言葉に、
アルトと出会いガーディルへと戻る道中のことを思い出し笑う。
僕の弟子になったばかりのアルトが花の蜜に興味を示し、
甘い香りのする花の蜜を手当たり次第口に入れていたっけ。
僕が笑ったことで、アルトが軽く首を傾げて僕を見る。
「どうしたの?」
「前も同じことをいっていたなと思って」
僕の返答に、アルトは少し考えそして眉間に皺を寄せた。
蜜に含まれている麻痺毒や甘い香りがするのにものすごく苦い蜜のことを、
多分……思い出したのかもしれない。
「そんなこと思い出さなくてもいいと思う」
「えー」
「あの時の俺は子供だったの!」
アルトの言い分に、
今も子供だと思うけどという言葉は飲み込んで「そうだね」と頷くと、
アルトは僕の返答に満足したのか嬉しそうに笑って頷いた。
それからアルトは、古代神樹の花をじっと見つめたあとに、
サフィールさんの傍に、いつの間にか戻ってきていたフィーへと顔を向けた。
アルトと目が合ったフィーが、可愛らしく首を傾げてから口を開く。
「どうしたのなの?」
「古代神樹の花の蜜は美味しい?」
苦い思い出がよみがえった後なので、慎重になっているようだ……。
そんなアルトの質問に、フィーはスッとアルトから視線を外した。
そして、一拍置いたあと「美味しいと思うのなの」と答えた。
「……怪しい」
フィーのその態度にアルトが目を細めてぼそっとそう呟いた。
「食べてみるといいのなのなの~」
フィーはそれ以上何も答えなかった。
フィーが美味しいと断言しなかったことで、
古代神樹の花を見る皆の目つきが……楽しみという目つきから、
一体どんな味なんだという困惑した目つきに変わった。
確かにフィーのあの態度は気になるけれど、
古代神樹がわざわざ姿を見せて僕に与えてくれたものだから、
食べないという選択肢はない。
古代神樹の花の蜜は花びらの内側にあり、
食べるときは花びらごと食べればいいと教えてもらった。
この世界の動植物はやっぱり変わっているなと思いながらも、
もしかしたら、僕が知らないだけで地球上でもそういった植物が、
あったのかもしれない。
少し気になったがもう知ることはできないので考えることをやめ、
机の上に置かれている古代神樹の花に手を伸ばす。
花びらを軽く引っ張るとスッと抵抗なく剥がれた。
花びらを手にした僕を、アルトが固唾をのんで見ている。
アルト達の近くでは怖いほど真剣な目をして、
僕を凝視している酒肴の女性達もいた。ちょっと怖い……。
彼女達の視線を気にしないようにして、僕は花びらを口に入れ咀嚼する。
口の中に微かな酸味と苦みが広がり、
その後に、濃厚な甘みが口の中を支配した。
なるほど。確かにこれは子供達には苦手な味になるかもしれないと思った。
大人にとっては、
微かな酸味も苦みも甘味のアクセントになる程度のものだろうけど、
子供の舌には辛いかもしれない。
微かな酸味と苦みは花びらの味なのだと思う。
「師匠?」
「うーん。アルトは苦手かも知れない」
僕の言葉に、フィーが何度か小さく頷いた。
フィーはアルトの好みを熟知しているから、
美味しいとは断言しなかったのだろう。
「え!? こんなに美味しそうな香りなのに!」
「僕の好みの味かな」
「えー……」
僕の好みの味だと伝えたことで、アルトが眉間に皺を寄せながら僕を見た。
その目は、珈琲を砂糖なしミルクなしで飲んでいる僕に向ける視線と同じものだ。
「まぁ……一枚だけ食べてみたら?」
「うーん」
「お肌が若返るらしいよ?」
花の蜜を食べても、神々の時代のような効能は現れないが、
確実に肌の年齢は若返ると風の精霊が話していたのを、
この場にいる全員が聞いている。
「それはどうでもいいと思う」
確かに、まだ子供のアルトにはどうでもいいことなのだろうが、
この場に居る女性達は複雑な表情を浮かべている。
風の精霊の言葉に、一番反応していたのは女性達だったから……。
アルトは僕と古代神樹の花とを見比べどうしようか悩んでいたが、
甘い香りと好奇心には勝てなかったのだろう。
花びらを一枚手に取り、口へと運ぶ。
じっと成り行きを見守っていた子供達や、女性達にもどうぞと声をかけると、
子供達は恐る恐る手を伸ばし、女性達は喜びに顔を輝かせて花びらを取っていた。
「……」
花びらを口に入れ、咀嚼したアルトの表情は……苦悩に満ちていた。
笑ってはいけないと……必死に笑うのを堪えるが肩が揺れてしまう。
酸味と苦みが邪魔して、美味しいとはいえないけれど、
甘味に関しては、美味しいと思っているのだと思う。
それでも……。
僕とフィーが予想した通り、アルトは次に手を伸ばすことはなかった。
それはエミリア達やセイル達も同様で、
子供達にはこの味は少し早かったのだろう。
大人たちは気にせず口にして、酸味や苦みも含めて楽しんでいた。
楽しみにしていた分だけ、その落ち込み方も激しく、
しょんぼりとしているアルトを、クロージャ達が慰めているのを、
風の精霊とフィーが苦笑しながら見つめている。
「アルト」
僕の呼びかけに、耳を寝かせながらアルトが僕を見た。
「屋台でおやつになるものを買っておいで」
僕の言葉に、アルトの耳がピンと伸ばされ尻尾も機嫌よく揺れている。
「師匠は?」
「僕は、休憩できるように準備しておくよ」
「そっかー。じゃぁ、師匠の分も買ってくるね」
「うん。お願い」
僕は鞄の中から財布を取り出しアルトに渡す。
「支払いはその財布からするといいよ。
精霊達も食べると話していたから、僕が支払うね」
「好きなものを買ってもいいの?」
「いいよ。あ、昨日のトレーを持っていく?」
「持っていくー」
アルト達の背中にはまだ羽が生えているし、
ギルスとヴァーシィルと……デスもいる。
それに、風の精霊もついていくだろうから、
何かに巻き込まれる心配はしていない。
手を伸ばすアルトに、鞄からトレーを出して渡すと、
クロージャ達に声をかけて、転移魔法陣の方へと走っていった。
「帰りはバルタスさんのお店から帰るように!」とアルト達の背中に声をかけると、
アルトが手を振ってこたえた。
子供達がお祭りを楽しんでいる間に、
休息できる場所をここにいる人達と手分けして整えた。
その後は、いったん解散ということになり、
昼食をとるために13時あたりにまた集まることになったのだった。
昨日の殺伐とした時間とは反対に、今はとてもゆったりとした時間を過ごしていた。
精霊達が創り出した、エディアールを再現した場所で、
各々が穏やかな表情を浮かべながらくつろいでいる。
アルト達は、酒肴の人達が用意した料理と自分達が購入してきたものを、
お腹に詰め込むだけ詰め込むと相棒となったリグシグに乗って、
この広大な場所を探検しに出かけていった。
子供達と一緒に、
ジゲルさん、ロガンさん、ケニスさんとミッシェルの兄であるナキルさんが、
共についていくことになった。
ただ、リグシグは大人が乗るには小さすぎるため、
風の精霊が用意してくれた別の生き物に乗ることになった。
それは大型のトカゲのような生き物だった……。
僕が知っている生き物に当てはめるとしたら、
エリマキトカゲが巨大化したような感じだろうか……。
走る速度はリグシグよりも速いそうだ。
ジゲルさんとロガンさんは驚きに目を丸めていたが、
ナキルさんとケニスさんは嬉しそうにその生き物を撫でていた。
さすがはミッシェルの兄妹だなと思ったのは、僕だけじゃないはずだ……。
ミッシェルのご両親はお菓子を焼いて持ってきてくれるようで、
アルト達が探検から戻るころには、こちらに戻ってくるらしい。
ヤトさんやオウカさん達はギルド本部へと戻っている。
色々とやることが山積みらしいが、今回は他国の貴族が精霊様を気にして、
大人しくしているので、いつもよりはるかに楽だと笑って話していた。
オウカさん達には迷惑をかけているという意識はきちんとあるので、
少しでも楽になっているのならよかったと思う……。
黒のチームは、月光と邂逅そして酒肴の一番隊が仮眠をとりに屋敷へと戻り、
エレノアさんも僕との約束を守り、屋敷へと戻っている。
エレノアさん以外の剣と盾のメンバーは、休憩所で待機することになっていた。
僕も手伝いましょうかと声をかけたのだが、
沢山の精霊が訪れているこの状況で、悪さをする奴はいないだろうから、
大丈夫だとアラディスさんに肩を叩かれた……。
そして「頼むからここにいてくれ」と願われた。
要は、精霊の傍にいろということだと思う……。
そして……。
酒肴の2番隊から5番隊は、それぞれのお気に入りの動物と一緒に、
とても幸せな表情を浮かべながら眠りについていた。
結局、カルロさんだけではなく若い人達全員がここにいる。
カルロさんを説得しようとしていた人達が、
反対にカルロさんに説得されてしまったのだ。
カルロさんのその手腕は、とても鮮やかなものだった。
ジゲルさんが「商人にもなれる」と断言するぐらいに……。
ビートとエリオさんも一緒になって寝ているが、
彼らは最初から、ここで寝るつもりだったようだ。
ふと……僕の耳に唸り声が聞こえたことで、
そちらの方に視線を向けた。
すると、ヤトさんが居なくなり寂しかったのか、
テレッテ達が、クローディオさんの体の上に乗って寝ていた。
クローディオさんがうなされているのは、テレッテ達が重いのだと思う……。
一瞬、下ろそうかと考えてやめた。
クローディオさんぐらいの冒険者なら、
自分の体の上に何が乗っているかも分かっているだろうし、
重さに耐えることができなくなったら、自分で起きて下ろすだろう。
あえて下ろさないのだとしたら、この状況を楽しんでいるのだと思う……。多分。
一部の起きて草を食んでいるテレッテ達のせいで……草にまみれているけれど、
きっとそれもいい思い出になると思う……。
そんな感じで、それぞれが自分の時間を満喫しているなか、
僕は一匹の魔犬にもたれながらぼんやりとした時間を過ごしていた。
本を読もうかとも思ったのだけど、気持ちよさそうに寝ている人達を見ていると、
なんとなく、ぼんやり時間を過ごすのもいいかと思ったんだ。
僕の背もたれになってくれている魔犬の頭を撫でると、
気持ちよさそうに目を細めて、尻尾をパタパタと動かしてくれるのだが、
その尻尾は僕のお腹を覆ってくれていた。
初めて見たその生き物は、僕よりも大きかった。
きっと僕がその背に乗ってもびくともしないと思う。
だから、僕にはそれが犬のように見えているが別の動物ではないかと思えた。
なぜなら、犬科は猫科と違い大きい種はいないと何かで読んだことがあったから。
でも、この世界でもそうなのか分からないため、風の精霊に聞いてみると、
それが、魔犬であることを教えてくれた。
もっともこの大きさに育つまでには、5年ほどはかかるらしいが。
精霊の話を聞き終えて、僕はサクラさんのことを思い出した。
正確には、サクラさんの所にいる魔犬のことを……。
近い将来、サクラさんが飼っている魔犬もこの大きさに成長するのだとすると、
何かしら手を打たないと、リペイドの住民が恐怖を覚えるかもしれない。
そうなると、サクラさん達がしなくてもいい苦労をするかもしれないため、
魔犬の実際の大きさを映し出す魔道具を付けて、手紙を送ることに決めた。
サクラさん達はきっと驚くと思うけど……。
魔犬に対する愛情は変わることはないだろう。
『セツナ……』
心話で僕の名前を呼ぶセリアさんの声に、目を閉じて心話で返事をする。
『大丈夫ですか?』
『うん。大丈夫ヨ。外に出るのは怖いケド、指輪の中なら平気みたい』
セリアさんは、朝早く古代神樹を見て来たらしいのだが、
古代神樹に近づくにつれて恐怖を感じたのだと話した。
神の気配が濃いらしく、
近づくと強制的に水辺にいくことになるかもしれないと怯えていたので、
僕は指輪を置いてくるつもりだったのだ。
それなのに……。セリアさんは少し思案してから、
「指輪の中にいるカラ、一緒に連れていってネ」と僕に告げた。
恐怖と同じぐらい、古代神樹の中が気になったようだ。
一応、セリアさんを連れていっても大丈夫かと風の精霊に聞いてみたが、
「多分……大丈夫かな」という曖昧な返事だったので、
指輪に幾重にも結界を張ってセリアさんを連れて来たのだが……。
外に出ていなくて本当によかったと思う。
セリアさんに古代神樹の神気は……耐えられなかったかもしれない。
だけど……これは予想なのだが、セリアさんが外に出ていた場合は、
古代神樹の彼は、僕の傍に来ることはなかっただろうと思う。
セリアさんを強制的に水辺に送ることはしなかっただろうと、
なんとなくそう思った。
『どこか見たい場所があるなら移動しますよ?』
『ここにいるだけで楽しいワ』
セリアさんから伝わってくる感情は、彼女の言葉が真実だと語っていた。
セリアさんとたわいない話をしていると、
テレッテが一匹僕の傍に来て、膝の上に乗って動かなくなった。
時々僕の顔を見てぷーぷーと鳴くので、そっと撫でると静かになる。
そんなことを何度か繰り返し撫でられることに満足したのか、
テレッテは目を閉じ眠りに落ちていた。
そして、僕にも心地よい眠気が訪れていた。
テレッテの温もりと、セリアさんの柔らかな声。
そして、背中に感じる魔犬の呼吸……。
昨日の眠りが浅かったのもあるけれど……。
僕は周りの人達と同様、自然と眠りに落ちていったのだった……。
しばらくして目が覚めると、
僕の周りで子供達とリグシグが寄り添いながら気持ちよさそうに寝ていた。
アルトはなぜか僕の横で僕とリグシグに挟まれて寝ている……。
狭くないのだろうか……。
子供達とはいえ、ここまで近づかれても目が覚めなかったなんて……。
不覚と思っていると、
セリアさんが心話で精霊達が僕に魔法をかけていたと教えてくれた。
僕が気持ちよく眠れるように気を使ってくれたようだ。
アルト達を起こさないように立ち上がり、ジゲルさん達がいる場所へと移動する。
簡単に挨拶をして、何か珍しいものがあったかを問うと、
ジゲルさん達は顔を見合わせて、楽しそうに首を横に振り、
子供達から直接聞いて欲しいといわれた。
どうやら、子供達は今回の冒険を僕に話すのを楽しみにしているようだ。
それなら仕方ないと思い、
巨大なエリマキトカゲっぽい生き物の乗り心地を聞いてみると、
乗り心地は案外いいらしい。だけど、かなり速度が出るようで……。
ジゲルさんとロガンさんは、結構怖かったと話していた。
だけど、ナキルさんとケニスさんは速度の限界を試すために、
二人で競争したようだ……。さすがミッシェルの兄達……。
ちょっとやそっとでは、経験できないほどの速度がでたと二人とも笑っていたが、
ジゲルさんとロガンさんはかなり引いていた……。
黒達が仮眠から目覚め集まりだしたことで、
酒肴の若い人達も起きてはいたが動物とじゃれ合っていたのをやめ、
休憩に入った剣と盾の人達や、疲れた様子で休息に来た、
ヤトさん達にお茶とお菓子を配り始めた。
そして……子供達が目を覚ますと一気にこの場が賑やかになった。
いつもは遠慮して控えめな、ロイールやエミリア、ジャネットさえも、
目を輝かせて、アルト達と競うように自分達の冒険を僕に教えてくれた。
ものすごく大きな果物が地面になっていたこと。
それを、全員で完食してきたこと。
凶暴そうな目つきのクマから、花を貰ったこと。
その花は、男の子達は胸ポケットあたりに、
女の子達は耳に飾っている。
湖のほとりに謎の卵があったから近づくと、
その卵から、大きな蛙が出てきて驚いたこと。
蛙を見た瞬間、アルトの首にいたヴァーシィルが巨大化して、
蛙が逃げていくのを、ヴァーシィルが追いかけようと動いたため、
アルトが怒って止めたこと。
ナキルさんとケニスさんの競争に、
リグシグでついていこうとしたら、全然追いつけなかったこと。
川で珍しい魚が泳いでいたので、
魚釣りをしたいと思ったけど、釣竿がなくて諦めようとした時、
風の精霊が、釣竿のかわりになる植物をくれたこと。
その植物を水の中に入れて魚を釣り上げると、
その魚が鳥になって飛んでいってしまったことなど……。
楽しかったこと、驚いたこと、感動したことなどを、
全身で僕に伝えようとしてくれていた。
そして最後に、今度は反対側に探検にいこうと思うから、
僕も一緒にいこうと、アルトだけではなく子供たち全員が誘ってくれた。
その気持ちが嬉しくて、夕食を食べた後に夜の世界を探検にいくことに決めた。
アルト達の話を聞いて、黒や酒肴の人達も時間をみつけて見て回ろうかと、
楽しそうに話す声が耳に届いた。
とりあえず、アルト達についていくのは、
僕とミッシェルの家族、そしてロガンさんになりそうだ。
ジゲルさんは、他の商人の人達と約束があるらしく、
残念だけど夜は宿屋に戻るとアルト達に伝えていた。
ジゲルさんが来ないと知ってアルト達は残念そうな表情を浮かべていたが、
明日の早朝にも別の探検予定を立てていたことを知っていたジゲルさんが、
優しい声で「明日の早朝の探検には、あっしも参加するでやんす」と告げたことで、
子供達の気持ちが浮上していた。
そして、賑やかに夕食をとったあと、
アルト達と探検の旅に出ようとしたところで日が沈んだ……。
すると……日が沈んだ瞬間、精霊達の創ったこの世界がガラリとその様相を変えた。
光を放つ植物が辺りを照らしはじめ、昼間には見えなかったものが見え始める。
余りにも幻想的な風景に、全員が茫然として周りを見渡していた。
それは僕も例外ではなく……心に衝撃を受けるほど……。
この風景を美しいと思った。
「こんな美しい風景があるんですね」
僕から自然と零れ落ちた言葉を、風の精霊がそっと拾い上げた。
「確かにここは美しいけれど……。外の世界はもっともっと美しいかなって」
風の精霊の言葉に、僕はそっと彼女を見た。
僕と彼女の視線が交差すると、風の精霊は穏やかに笑いながら口を開く。
「生きた世界はそれだけで、美しいかなって」
生きた世界……。
「確かにここは美しいけれど……。これ以上美しくはならないかなって」
精霊達の記憶で構築された、時が止まった世界……。
それは……完成された世界だ。
風の精霊が僕から視線を外し、ミッシェルを見た。
ミッシェルはデスを抱きしめながら、この美しい景色に目を輝かせている。
「生きた世界でしか、生きた表情は見られないかなって」
「そうですね……」
生きているからこそ……。
輝くモノがある……か……。
「生きた世界で、
これ以上に美しい風景を……僕は見つけることができるでしょうか」
そう呟いた僕に、風の精霊は少し寂しそうな笑みを浮かべながらも、
真っ直ぐに僕を見つめて頷いた。
「きっと見つかると思うかなって」
風の精霊から視線を外し、精霊達が創った世界の風景を心に焼き付けた。
「師匠」
僕が魔犬を可愛がっている時のアルトの視線が……なぜか痛い気がするが、
気が付かなかったことにする。
「どうしたの?」
「そろそろいこう!」
アルトと子供達にうながされ、僕と一緒に昼寝をしていた魔犬の背に乗る。
アルト達と一緒にこの完成された世界を探検したのだった……。
今日という日が終わりを告げようとする時間帯……。
リグシグに抱き付き、帰りたくないという子供達をなだめて家に帰した。
明日が最終日になるわけだけど……。
今日の子供達の様子から……明日は大変そうだと、
海が見える東屋で独り飲みながらため息をつく。
アルトはとっくに夢の中へと入り、セリアさんも疲れたのだろう、
指輪から出てくることはなかった。
先ほどまでの喧騒を酒の肴にしながら、独りお酒を飲んでいると、
足音が僕の耳へ届いた。
足音がする方へと視線を向けてみると、
そこにはアギトさんが食事を持ってこちらへと歩いて来ていた。
「セツナ探したぞ」
「何かありましたか?」
僕の問いにアギトさんは軽く首を横に振り、
僕と反対側の椅子に滑るように座った。
「サフィールが夜番だからな。
煩い奴がいないうちに、二人で飲もうかと思って探していた」
アギトさんはそう告げると、料理を机の上に置き、
僕の目の前にあったお酒をすべて自分の側に寄せる。
「だが、その前に、セツナにはきちんと食事をとってもらうがな」
「ちゃんと食べましたよ?」
「いや、頼まれた。今日はほとんど食べ物を口にしていないとな」
誰だろうか? きっと子供達ではないだろうし、ジゲルさんだろうか?
だけど、今日一日僕と一緒だったとなると違うな……精霊達だろうか……。
それなら、分からないでもない。直接僕に言えばいいのにと思わなくもないけど。
「僕なりには口に運んだつもりだったんですが……」
お皿からカットされた野菜を一つつまみ口にいれる。
「セツナはエレノアに、酒を飲むなら腹に何か入れろと注意されていただろう?」
仕方なしに鶏肉を取り、また、口に入れる。
それを見ていたアギトさんが噴き出す。
「やはりほとんど食べてなかったんだな」
「かまをかけたんですね」
「ちょっとした悪戯だ。それにちゃんと食べないのが悪い。
体は冒険者の資本だからな」
アギトさんが笑いながら、でも少し説教っぽくいう。
アギトさんが僕のことを心配してくれたためか、
悪戯という言葉でラギさんを想い出したためか、
または、その両方だったのかはわからないけれど……。
素直に彼の言葉を受け取ることができた。
アギトさんは、そんな僕のグラスにそっと酒を注いでくれたのだった……。
10月5日にドラゴンノベルス様より『刹那の風景1』が発売されました。
よろしければ、手に取っていただけると幸いです。