『 僕と古代神樹 : 後編 』
【 セツナ 】
「君は食べないの?」
不意に僕の隣から、聞き覚えのない子供の声が聞こえた。
警戒はしていたはずなのに、声をかけられるまで全く気が付かなかった。
「警戒しなくても大丈夫。
私は君に危害を加えるつもりは無いよ」
どう考えても、僕よりも強いと思われる存在に、
警戒を解くことなどできるわけが無い。
「私は、お礼をいいに来ただけだから。
警戒しないでほしいのだけど」
困ったような声音で告げられたその言葉に、
警戒を解くために軽く息をはきだしてから、声がする方へと顔を向けた。
目を向けた先には、鮮やかな赤色の毛皮を持つトラに似た生き物がいた。
大きさはまだ子供のように見えるけれど、
その体から溢れる魔力? は僕の比ではない……。
この世界で……初めて僕よりも魔力の多いモノに出会った瞬間だった。
世界最強という称号を返上しなければならないかもしれない。
「いや、君が世界最強で間違いないと思うよ」
口にすることなく、頭の中に思い浮かべたことに対して返答された。
どうやら、彼は人の思考を読めるようだ……。
「あ、悪気はないんだこの姿になると、
自然と聞こえてしまうのだから大目に見てよ」
彼の言い分はわかるが、思考を読まれるのは、
あまり気分がいいものではない……。
だから、相手に読まれないように魔法を発動しようとしたが、止めた。
極力、魔法は使わないで欲しいと、
風の精霊に頼まれていたことを思い出したから。
仕方がないとため息をついた僕に、
彼が微かに目を見張り僕を見つめていた。
「そこまで……」
何かをいいかけて途中でやめ、
なぜか僕を労わるような目を向けてから彼が口を開く。
「私の神力は、成長し花を咲かせ実を実らせるためのものだから、
精霊達や人間達のように、攻撃魔法を使うことはできないよ。
できるのは、私の周囲に簡易の結界を張ることぐらいなんだけど……。
正直、この街に張られている結界の方が強いから、
私が結界を張ることはないかもしれない」
精霊達はよくこんな場所を見つけたなぁ……と、
彼はどこか楽しそうに呟いた。
彼が神力といったことで、彼が誰なのかを理解する。
「君のことは、精霊達から聞いて知っている。いや……聞く前から知っていた」
楽しそうな表情を消し、真っ直ぐに僕を見て彼がそう告げた。
「私は……シルキエスのそばにいる中位精霊達に、
大切に保護されていたから。
蒼露の樹の苦痛も、シルキエスの悲しみも……。
そして、すべての精霊達の絶望と祈りを……聞いていたよ」
彼のその声音は……酷く暗い。
彼の思考と話し方が、子供のトラの姿と声にあっていない気がするが、
風の精霊は記憶を引き継ぐといっていたから、姿形は子供のトラでも、
その精神は最古の精霊と同じぐらい時を重ねているのだろう。
彼の本体は……古代神樹なのだから。
「私が、神々の時代の神樹だったならば、
蒼露の樹を癒すことができただろう。
シルキエスの魔力を満たすこともできただろう……。
だが……神々が眠りについたこの世界では、
私が成長したとしても、してやれることはなかったはずだ。
私のそういった力を封じることと引き換えに……。
私という命を、サーディア神とグラディア神が守ってくれたのだから」
サーディアというのは、太陽神のことで、
グラディアというのは、大地神のことだ。
グラディアはサーディアの親友で、
エンディア……月の女神の恋人だったといわれている。
いったい……この世界に何が起きたのだろうか。
世界を創ることができるほどの力を持つ神が眠りにつき、
女神の一人と神と共にあった神樹が……その力の殆どを失った。
その理由は一体何だったのだろう……。
「神々の歴史を暴こうとしてはいけないよ」
彼が僕の思考を読んでやんわりと釘を刺した。
「本当は、今日姿を見せる気はなかった。
今の私が人の前に姿を見せれば……こうなることは理解していたから」
彼がそういって視線を向けた先には、僕以外の全員が平伏に近い姿で頭を下げていた。
それはアルトも例外ではない。アルトの耳がぺたりと寝て微かに体が震えていることから、
恐怖を感じているのだろうか?
恐怖というより……畏怖だろうか?
アルト達が楽になるように結界を張ろうとしたが、
「私の神力は結界では遮ることはできない」と彼が告げる。
「最古の精霊達によって、
幾重にもかけられた私を保護するための封印が解けたばかりのため、
私は、まだうまく神力の制御ができない状態なんだ」
魔力ではなく神力。
古代神樹は、精霊達より更に神に近い存在なのかもしれない。
「僕は精霊達よりも、シルキエスに近い存在だった……」
どこか遠くを見るように囁かれた呟きは、悲しい色を帯びていた。
視線をアルト達から僕へと戻し、彼はゆっくりとその口を開いた。
「……君は、神の祝福の殆どを削られてしまったんだね。
だから、私がすぐ隣に居ても立っていることができるし、
彼らのように、私や精霊に畏怖を覚えない……。
先ほども、私の干渉を嫌がって魔法を発動させようとしていた。
普通ならば……私の言動に逆らうことなど考えもしないだろう」
「申し訳ありません」
魂の形が完全であっても、
きっと僕には信仰心なんてものはなかったと思う。
それでも形だけでも跪くべきかと思い、体を動かそうとしたが、
彼が僕の行動を止めた。
「必要ない。精霊達が君が君のままでいることを許した。
シルキエスも許している。だから、私も許そうと思う」
「どうしてですか?」
そこまで特別にされるいわれがない。
「私も感謝しているんだ。蒼露の樹を癒してくれたこと。
シルキエスを救ってくれたこと……。
精霊達の絶望を希望に塗り替えてくれたこと。
そして……私の心痛を取り払ってくれたことを……感謝している」
もしかして僕は……これから先ずっと、蒼露様を慕う人達から、
お礼を受け取ることになるんだろうか?
……それはちょっと嫌だ。
そんなことを考えた瞬間、僕の耳に吹き出して笑う声が聞こえた。
「神の眷属を救ったんだよ?
私にも精霊達にも解決できなかったことを、
君は解決できたんだ。もっと、誇っていいと思うんだけど」
「感謝の気持ちは、もう十分すぎるほどいただいてます」
「私からは初めてだろう?」
確かにそうだけど……これ以上感謝されるのは、流石に居心地が悪い。
「謙虚というわけではなく、謙遜しているわけでもない。
あぁ、そうか。君にとって誰かを癒すことは特別ではないのだね。
神の眷属を癒す力を持ち……その実績があるのなら、
多少驕っても、許してもらえると思うけれど?」
僕なら驕っている人間に自分の治療を頼みたくはない。
「まぁ……確かにそうだけどね」
彼が僕の思考を読んで苦笑しているのを見て、
それだけではないと、内心で反論する。
この能力が僕に備わったのは、偶然に過ぎない。
僕以外の人に発現していたら、その人も同じことをしたはずだ。
「そうだとしても、結果は違う。君だから、蒼露の樹を癒すことができた」
そう断言する彼に僕は首を傾げるが、
彼は僕を真っ直ぐに見て、同じ言葉を繰り返した。
「君以外の人間が、同じ能力を持っていても……。
癒すことはできなかった」
「そんなことは」
そんなことはありませんという僕の言葉を遮るように、
彼は首を横に振りながらその理由を語った。
「あるよ。君が蒼露の樹を癒した時に必要だった魔力量は、
この時代の人間が持てる魔力量ではなかった……。
シルキエスも精霊達も……癒しの能力のほうへ目が向いて、
癒しの能力を使用するために溶けていった魔力量に、
最後まで気が付いていなかった」
蒼露の樹を癒したあの時……、
使用できる魔力量に制限を加える魔力制御の指輪を一つ壊している。
となると、僕の使用した魔力量は単純に考えても、
8種持ちの魔力量と同等くらいとなるだろう。
この時代に全属性を使える魔導師が居ないことを鑑みれば、
古代神樹の告げたことはもっともなことだ。
「君だったから。神からの祝福を削り取られた君だったから……。
蒼露の樹もシルキエスも助かったんだ」
僕だったから……癒すことができた……か……。
「蒼露の樹も回復し、シルキエスも元気になった。
精霊達の心も救ってくれた……。そして私の憂いも晴らしてくれた。
だけどそれは……君が、想像を絶する苦痛を乗り超え、
生きていてくれたからだ……。ありがとう……」
生きて……。
お礼をいわれることではない。
殺してくれるというのであれば、僕は抵抗する気はなかった。
結果的に生きているに過ぎないのだから……。
僕の思考を読んだのだろう。彼はその瞳を悲し気に揺らした。
「なのに、私は君の魂を癒してあげることができない……。
君は今朝も、精霊達を想い彼女達に新しい希望をくれたのに。
私は、君に何も報いることができないでいる」
彼がそっと僕から視線を外した。
「正直……君の魂の傷がここまで深いとは想像していなかった。
女神の愛も届かなかったと聞いている……。
そして、精霊達のここまで濃厚な想いが満ちているこの空間でも、
君には……何も届いていない。精霊達を通してさえも……。
君に神の愛は届かない」
僕の魂の傷は、彼のせいでも精霊達のせいでもない。
なのに……彼は自分を責めているようだった。
「私と精霊が支配するこの空間で、君一人だけが警戒心を持っていた。
本来なら、神に守られていると安堵し満たされ心安らぐこの空間で、
君だけが……孤独だった……」
彼の言葉に、僕は思わず目を見張った。
そうか……。そうだったのか……。
僕以外の誰もが、本能的にこの場所が安全だと認識し、
純粋に今、この時を楽しんでいた……。
だからこそ……その光景が僕には眩く映っていたんだ……。
ここは、本当にエディアールを再現した場所だったんだ。
「……祝福を与えられた者達が、言葉にせずとも、
理解できるであろうモノを、この先ずっと君は理解できない。
そういった感情を……君は他人と分かち合えないんだ。
その孤独は……想像を絶するものだ……」
そして、彼は小さく呟くように言葉を零した。
「だから……私は君と話そうと思った。君に、精霊達の心を伝えるために」
「精霊達の心ですか?」
「そうだよ。精霊達の想いを君に届けたいと思った」
彼の言葉に思わず僕は風の精霊を見た。
風の精霊はどこか困ったような笑みを浮かべて僕を見ていた。
「私を中心に色付いたこの世界は……。
精霊達が君のために用意したものだ」
「え……?」
「君に楽しんでほしいと、精霊達が君に対する愛と願い……。
そして感謝を籠めながらこの世界を創り上げた」
ミッシェルのためではなかったの?
「確かに、風の精霊は自分が守る子供のためでもあるが、
それだけではないよ。そして、他の精霊達は完全に君のためだけに、
これだけのモノを創り出したんだ」
「どうして……ですか」
「深く考える必要はないだろう?
自分達が愛している子供に、楽しんでもらいたいと思うのは、
当然のことなのだから」
「子供?」
「子供だろう?」
「僕はもう成人しています」
僕の反論の言葉に、彼は微笑ましそうに笑みを浮かべた。
「そういうことは、最低100年生きてから告げるといい」
風の精霊にも同じことをいわれた気がする。精霊と同じにしないでほしい……。
内心ため息をつく僕の姿に、彼は「ははは」と声を出して笑ったが、
すぐに、その表情を真面目なものへと変えた。
「だから、精霊達に代わって、言葉で伝えよう。彼女達の愛を君に。
ここには君を傷つける者は誰もいない。警戒する必要はない……。
精霊達の想いの形を受け取り、どうか、この時間を楽しんで。
感じ取れなくとも……君の周りは沢山の愛で満ちている」
彼はそう告げるととても柔らかく笑った。
そして、彼が何かを呟くと僕の目の前に蓮の花に似た花が現れた。
この花は、僕が知っている蓮の花よりも花びらがものすごく多い……。
そして大きい……。僕の顔より大きいのではないだろうか……。
「古代神樹の花だよ」
「え?」
「古代神樹の蜜の味を気にしていたのだろう?
風の精霊に蜜の味を聞いて殴られていたと、他の精霊達が話していたよ」
彼が楽しそうにそういって笑う。
「この姿になった私が、初めて咲かせた花を君にあげよう」
彼の目が断るなというように僕を真っ直ぐに見ていたから、
僕は自分の前に現れた花を潰さないように、そっと受け取った。
僕が受け取ったことに、彼は満足そうな表情を見せたあと、
その姿をトラから人型へと変え僕の頭にそっと手をあて、
先ほどと同じように、僕にはわからない言葉で何かを呟いた。
そして消えるようにスッと姿を消したのだった。
トラから人の姿をとったのに……。
その姿を僕は見ることができなかった。
詰めていた息をはきだし、手の中に残る巨大な花を見てから、
彼が今までいた場所に視線を向けてお礼を告げた。
「ありがとうございます」
彼の姿はもう見えないけれど、
僕の髪を揺らすように優しい風が吹き抜けたあと、言葉だけが僕に届く。
『オウカ達に、地下を壊してごめんと謝っておいてくれる?』
地下?
『それと……君がこれから出会うことになる、
悲痛に嘆く子供達の魂を……できるなら救ってあげて欲しい。
彼らは…………の犠牲者だから……』
犠牲者?
何の犠牲者なのかと聞いてみたが、その答えは返らなかった。
彼が姿を消した瞬間、僕と精霊以外の全員が脱力したように、
寝転んだり座ったりして、先ほどまでの衝撃を逃がしているようだった。
僕は早足でアルトの傍へといき、アルトや子供達の背中を軽くさすっていくと、
徐々に元気を取り戻していった。
「お兄様の神力が強すぎて、衝撃を受けただけかなって。
ずっと穏やかな神力だったから、心身ともに問題ないかなって」
「そんなものなんですか?」
「そんなものかなって」
僕と精霊の会話をオウカさん達や黒達が、
その表情に呆れを浮かべながら聞いていた。
古代神樹の花を、鞄から出した机の上に置いた。
アルト達は僕が貰った花を見て目を輝かせている。
物凄く甘い香りがするので、惹きつけられているようだ。
ミッシェルが「美味しそうな香り」といっているのを、
風の精霊が微笑ましく眺めながら、小さな声を響かせる。
「お兄様との会話は、誰にも聞かれてないかなって」
「分かりました」
古代神樹は色々と配慮してくれていたようだ。
「そういえば、古代神樹と話せるようになるのは、
2000年後ぐらいだと話していませんでしたか?」
「お兄様も話していたけど、神力は樹を成長させたり、
花や実をつけるためのものかなって。
話すために必要な姿を構築するには魔力が必要で、
お兄様は、その魔力が少ない状態だったかなって」
神力と魔力は使い道が違うのか……。
「うーん。多分、私達の魔力を搾取したのだと思うかな。
信じられないぐらい、昨日魔法が失敗していたのって、
お兄様のせいかなって……」
「僕のせいではなかったんですね」
あの時の失敗はセツナのせいかなって、と風の精霊に少し睨まれた。
風の精霊が忙しいといっているのを無視して、
エレノアさんのことを聞こうとしていた時の話だ。
「お兄様が、私達の魔力を搾取していたから、
魔力が足りずに魔法が失敗していたかなって」
「愉快な方なんですね」
「……そんなことをいえるのは……。
きっと、セツナだけかなって……」
風の精霊が困ったように笑い、オウカさん達は眉間に皺を寄せていた。
後でガミガミいわれないように……程々にしておこう。
「お兄様は、セツナと話したかったのだと思うかな。
だから、私達の魔力をせっせと集めていたのかな?」
「……」
「今日ではなく……セツナが一人の時に、
姿を見せる予定だったのかもしれないかなって」
本当は、今日姿を見せる気はなかった、と彼もいっていた。
「僕のために姿を見せて下さったんですね」
あの時の僕の姿は、それほど寂しそうに見えたのだろうか……。
『……祝福を与えられた者達が、言葉にせずとも、
理解できるであろうモノを、この先ずっと君は理解できない。
そういった感情を……君は他人と分かち合えないんだ。
その孤独は……想像を絶するものだ……』
確かに……僕には理解できないことが多い。
女神の愛を感じることもなければ、
エレノアさんが抱いた恐怖の理由も分からなかった。
多分……。
僕がこの世界で生まれこの世界で育った人間だったなら、
孤独感を覚え絶望していたかもしれない。
誰もが分かることが分からない。
教えられなくとも認識できることが認識できない。
神の愛が届かないということは、
この世界の理から外れるということだから。
だけど……。
この世界に召喚された時点で、
僕は……この世界の理から外れているし、元々、神を信じてもいない。
時々、寂しさを覚えるときはあるけれど、
共感できないことで、絶望することはないと思う……。
絶望なら散々してきた。
あの時の絶望は今もまだ僕の中にあるのだから。
「師匠!」
アルトが僕を呼んだことで、
あれこれ考えるのをやめ、思考を切り替えることにした。
『だから、精霊達に代わって、
言葉で伝えよう。彼女達の愛を君に。
ここには君を傷つける者は誰もいない。
警戒する必要はない……。精霊達の想いの形を受け取り、
どうか、この時間を楽しんで』
僕が楽しめるように、姿を見せてくれた彼の言葉通り、
精霊達が与えてくれた貴重な時間を、僕も楽しむことにした。
「僕のためにありがとうございます」
精霊達に届くように、気持をこめて感謝の言葉を口にすると、
風の精霊が瞳を揺らしながら僕を見た。
古代神樹が話していたように風の精霊も、
僕の魂の損傷がここまで酷いとは思っていなかったのだろう。
僕が思うに、魂の損傷というよりは、
僕がこの世界の人間ではないという理由の方が大きい気がするが、
どちらにしろ、気にしないでほしいと思う。
「僕は、ここに招待して貰えたことがとても嬉しい」
「本当かなって?」
「本当ですよ。
この風景は……貴方方と知り合わなければ、
絶対に見ることができなかった。
なので、精霊に気にかけてもらえるのはお得だなと思いました」
「お得……」
僕が笑いながら告げた言葉に、精霊が呆れたように僕を見て……。
そして、風の精霊がとてもとても楽しそうに声を出して笑った。
僕達の周りの空気が揺れているのは、他の精霊達も笑っているのだろう。
風の精霊はひとしきり笑ったあと軽く深呼吸してから、
「セツナらしいかな」と苦笑したのだった。