『 愛の行方 』
* イフェルゼア(セリアの恋人): 第四章 『私と彼』
* セルリマ湖 : 第二章 『黒の短剣』『閑話:月光と幽霊』
* セリアとピアノ : 刹那の破片 『セリアちゃんと宝物』
【 セツナ 】
月光のメンバーに席を勧めると、アギトさんは隙のない動作で座り、
彼の横に淡い笑みを浮かべながらサーラさんが座った。
クリスさんは苦笑を浮かべ、ビートは軽くため息をつき、
エリオさんは軽く俯きながら、それぞれが席に着いた。
「サーラさん、大丈夫?」
アルトが心配そうにサーラさんを見てそう告げる。
アルトはこれまでも泣いている酒肴のメンバーの人達に、
声をかけていたが、泣いていない人には声をかけていなかった。
今、サーラさんは泣いていない。
それなのにアルトは彼女に声をかけていた。
それは、彼女が無理して笑っているだろうことが、
誰の目から見ても明らかだったからだろう。
「大丈夫よ。ありがとう」
「……」
サーラさんの精一杯の微笑みに、アルトはそれ以上何もいわず、
最後にエリオさんをそっと見てから、僕を見上げた。
その眼差しに、軽く首を横に振ると、
アルトは軽く頷いてから、僕達の話を聞く姿勢になった。
「明日旅立つ準備は、もう終わっているのか?」
アギトさんの言葉に、
返答しようと口を開きかけるが閉じる。
目の前で、サーラさんが大きく肩を揺らし、
目を見開いて僕達を凝視したからだ。
どうしたのだろうと思い、声をかけようとしたのだが、
その前に、サーラさんが我に返り、真剣な表情で、
怒濤のように、アルトに話しかけていた……。
その内容に耳を傾けると、危険なことをしてはいけないとか、
僕から離れてはいけないとか……。
いつものように、アルトを心配するものだ。
アルトの眉間に少し皺ができているような気がするが、
その眉間の皺が今よりも深くなる頃には、終わると思う。多分。
サーラさんのその変わり身に、アギトさんが小さく笑っているが、
彼女に向けるその眼差しはとても優しい。
多分、彼女の気持ちを切り替えさせるために、
わざと旅立ちの準備のことを口にしたのだろう。
僕達との時間も限りがあるのだと、教えるために。
サーラさんとアルトの会話を聞きながら、
僕もアギトさん達と話していく。
エリオさんは何も話さなかったけれど、
話は聞いているようだった。
笑いながらあれこれと話していたのだが、
そろそろ、アルトの限界が近いようだ。
助け船を出そうかと思うと同時に、
セリアさんが、クロージャ達の名前を呼んだ。
その瞬間、アルトの耳が大きく動き、
意識が彼らの方へと向く。
サーラさんがそのことに気が付き、話すのをやめ、
少し寂しそうにアルトを見つめた。
アギトさんがサーラさんを横目で気にしながら、
アルトに「友達のところにいってくるといい」と、
席を立つことを勧める。
アルトは一人一人に顔を向け、
反対してないことを確認すると、元気よく返事をして、
セリアさんのほうへと跳ねるように駆けていった。
その背中を皆の視線が追う。
そんな中、アギトさんの視線がアルトから離れ、
ざっと周りを見渡すように動いた。
彼のその行動を不思議に思ったのか、
皆の顔がアギトさんに向くが、
彼はどこか違う場所を見ているような眼差しを、
周囲に向けている。
「アギトちゃん? どうしたの?」
サーラさんが少し不安そうに尋ねる。
彼は苦笑して「何もない」と首を横に振るが、
彼女は、彼から視線を外さなかった。
「いや、よい、食事会だと思ってね」
「そうね。私もそう思うわ。それで?」
サーラさんは追求をやめず、その先を促す。
「本当に、何もないんだよ。ただ……」
「ただ?」
「ふと、セツナと出会っていなければ、
私は、今頃何をしていたのだろうかと考えた」
僕はその言葉に、セルリマ湖での会話を思い出す。
『私は、冒険者をやめようかと思っていたんだよ』と、
静かに告げたアギトさんの言葉を……。
「セルリマ湖で、セツナとアルトと出会わなければ、
私は誰にも相談することなく、冒険者をやめていただろう」
アギトさんが静かな声音で語り、
僕達は黙って彼の声に耳を傾ける。
「多分、冒険者をやめたとしても、
完全に戦うことをやめはしなかっただろうし、
それなりに暮らしていただろう。
子ども達の成長を見守りながら、
幸せを享受していたかもしれない。
だが、心に空いた穴は一生埋められなかったかもしれない」
アギトさんは、サーラさんから視線をそらす。
そして、自分の手のひらに視線を落とすと、
何かを掴むように、ぎゅっと手を握る。
「私は、あのとき、絶望の中にあったのだと、
今更ながらに気が付いた」
サーラさんが軽く体を震わせたのをみて、
アギトさんが彼女の背をそっとなでる。
「私は、今、冒険者として、そして黒として、
この場にいることができて心から幸せだと思ったんだよ」
アギトさんは穏やかな表情で僕見た。
「ありがとう。セツナ」
「僕は、アギトさんの話を聞いていただけですから」
「そうか」
「はい。それに……」
「それに?」
「今だからいえることですが、
僕と出会わなかったとしても、
アギトさんは冒険者を続けていましたよ」
「断言するのかい?」
「はい」
不思議そうに僕を見るアギトさんから視線を外し、
彼らの後ろにいる人達に目を向ける。
そこには、黒達や黒のチームやオウカさん達が、
楽しそうに酒を呑み笑いあっている。
「まず、あのときのアギトさんの言い分では、
オウカさん達が納得しなかったと思います」
アギトさんに顔を向けて、理由を話していく。
「私が衰えたと申告しても信じなかったと?」
「はい。十中八九、アギトさんの衰えよりも、
魔物に異変があるかもしれないと、考えるだろうと思います」
「……そういえば、セツナと同じことをエレノアにもいわれた」
「そうでしょうね。
あのときも、今も、アギトさんに衰えは感じないので」
アギトさんの肉体も、魔力も、
どこにも衰えなど感じない。
セルリマ湖であったときのアギトさんは、
心が少し弱っていただけなんだ。
だから、僕と出会っていなくても、
黒達と話をすれば解決できただろう。
誰にも相談せず冒険者を辞めると決めても、
アギトさん自身が辞めたくないと思っていたのならば、
オウカさん達は、まず、その理由を精査するところから始めたはずだ。
そして、アギトさんと繋がりの深いエレノアさん達は、
傷ついたアギトさんを見捨てなかったはずだ。
「今の状態のアギトさんが、
冒険者を辞めなければいけないのなら、
ほとんどの人が辞めなければなりません」
あのときと同じ言葉に、
アギトさんもあのときと同じ顔で「くくくっ……」と笑う。
「働き盛りの黒を、オウカさん達は手放さないと思います」
「ああ……。そうだな」
未練がなく辞めたいと告げれば、
彼らは止めることはしないだろうけど、
心残りがあり、自身が納得していないのなら、
その憂いをまず晴らそうと動くはずだ。
魔物との生存競争に勝ち続けるためには、戦力がいる。
黒にはそれだけの価値があると僕は思っている。
まぁ、それ以前にお節介な人達が揃っているのだから、
手を伸ばさないはずがない。
「なので、本当にその力が衰えるその日まで、
黒で居続けてください。僕のためにも」
「ははは」
アギトさんが、心底楽しそうに声を上げて笑った。
「そうだな。そうすることにしよう。
これから、もっと、楽しくなっていくだろうからな」
そういったあと、また「ククク」と小さく笑う。
彼のその笑い方に引っかかりを感じる。
それは僕だけではなかったようで……。
「父さん?」
クリスさんが、どこか警戒するような声を響かせる。
「なんだ?」
「何を企んでいるんですか?」
「人聞きの悪いことを、私は何も企んでなどいない」
アギトさんの胡散臭い笑い方に、
それぞれが、アギトさんに胡乱な眼差しを向けた。
「ただ、娘が生まれるまでの、身の振り方が決まっただけだ」
月光と邂逅の調べは、次の依頼を終えたら、
チームとしての活動を休止することになっている。
その間、クリスさんは剣と盾と行動を共にし、
エリオさんはサフィールさんにつき、
ビートはアギトさんについて、黒の依頼を手伝いながら、
個人で活動すると聞いている。
「親父は黒の個人依頼をうけるんじゃねぇの?」
ビートの問いに、アギトさんは頷いてから口を開く。
「依頼がないときの話だな」
「何をするんだ? 俺も手伝うのか?」
「いや、ビートはビートで好きなことをするといい。
私はサフィールと学院の臨時教員として働く予定だ」
「は?」
「え?」
「サフィちゃんと?」
「……嘘だろ?」
全員が目を見開いてあ然とする。
衝撃的だったのか、
ずっと俯いていたエリオさんも顔を上げていた。
「そういったことに、
父さんは、興味がなかったのでは?」
「なかったな」
「では、どうしてそんな予定を立てているんですか?」
クリスさんの問いに、アギトさんが嬉々として、
学院の臨時教員になる理由を話し始める。
要約すると、僕が各国の密偵を排除したことで、
秘密裏にリシアを探ることができなくなった。
なので、とりあえずほとぼりが冷めるまで、
正攻法でリシアを探る方法を考えた結果、
長期滞在するのに適した、学院を利用するはずだと、
サフィールさんが予想したらしい。
「精霊に愛された、守護者の動向も気になるだろうし、
精霊が育てる古代神樹にも、
関心が集まっているだろうし、
しばらくは、落ち着くことはないだろう」
「……」
「だが、それだと、
真剣に学んでいる奴らの邪魔になるだろう?
だから、その対策として、私達を餌にして釣り上げ、
本気で学ぶ気がない輩をリシアから叩き出すつもりだ」
アギトさんはとてもいい笑顔で、そう締めくくった。
ああ、だから訓練所の結界を壊したのか。
学院の教員は、リシアの本国籍を持つものしかなれないから。
フィーが僕に二人の治療を頼んだ日のことを思い出しながら、
今、目の前で繰り広げられている舌戦をぼんやりと見ていた。
クリスさんとビートが、巻き込まれる人達が気の毒だから、
考え直して、ギルドに任せるようにと必死に説得していた。
しかし、アギトさんは「もう決めた」といって取り合わない。
「おい! セツナも親父を止めろよ!
リシアの学生達が可哀想だろうが!」
業を煮やしたのか、傍観している僕にビートが話を振ってきた。
「どういう意味だ?」
アギトさんが眉間に皺を寄せビートを見るが、
彼はサッと視線を外し、
クリスさんは疲れたようにため息をついていた。
アギトさんは、そんな彼らから僕へと顔を向ける。
「やれやれ、クリス達はこういっているが、
セツナも反対か?」
苦く笑いながら、明るい調子で問いかけるが、
彼の眼差しは、僕の返答次第では考え直すと、
いっているように見えた。
「僕はあまり、リシアの内政に口をだすつもりはないので、
守護者としてではなく、個人としての意見となりますが……」
「それで構わない」
「僕は、オウカさん達が許可するのであれば、
何も問題はないと思っています」
「どうしてそう思うんだ?」
ビートが腑に落ちないというように、口を挟んだ。
「毎日の訓練を見ていたら、わかることだよ」
「……」
「黒達は個人の力量を見極めることができる。
だから、ビート達が本気で向かっていっても、
かすり傷程度で大きな怪我をしたことはないでしょう?」
「そういえば、そうだな」
「戦闘経験が豊富で、知識量も多い。
手加減の方法も心得ていて、
ギリギリを見極めて追い詰めることができる。
相手を追い詰めたとしても、
攻撃を受け切れなさそうだと思ったら、
瞬時に攻撃方法を変えて、かすり傷程度に抑えてくれる。
そんな人達に戦い方を教わることができるのは、
とても贅沢だと思う」
「……」
「本気で強くなりたいと願う人達ほど、
揺らぐことなく、折れることなく、
アギトさん達との訓練に、食らいついていくと思うな」
「そんな奴らばかりじゃないだろう?」
「まぁ、そうなんだけど……。
反対に、諦めがついていいんじゃないの?」
ビートが軽く目を見張る。
「そもそも、覚悟のない人が、
黒の授業を選択すること自体が間違っているのだから」
僕の言葉にクリスさんが嘆息し、サーラさんが軽く頷く。
興味本位で授業を受けて、心が折れ辞めてしまうのならば、
もともと素質がなかったというだけのことだ。
命を失う前に、違う道を模索すればいいと思う。
それでも諦めない人ならば、
自分の力量にあった授業を選択するだろう。
「そうか。そうだな」
ビートが力を抜いて、背もたれに体重をかけて笑う。
「授業の選択は、自分で好きに選べるんだった。
俺の心配は余計なお世話ということか」
そういって納得するビートに頷き、
ふと、アギトさんを見ると、
彼は満足そうに口角を上げていた。
そろそろ、セリアさんとアルト達の話が終わるだろうかと、
彼女達の方を見ようとしたときに、静かな声が僕に届く。
「なあ」
誰の声かはすぐにわかる。
声の主とヒタリと視線が交わる。
「セツナは、セリアを恋人の元へ送りとどけるんだろう?」
僕がセリアさんのためにピアノを弾いたときの会話を、
黒のチームの人達に聞かれている。
そのときの会話から推測して、
セリアさんからの僕への依頼は、
彼女が恋人の傍で眠れるように、
彼の元へ連れていくことだと思われていた。
真実を話すつもりはないので、
僕もセリアさんも、特に訂正はしていない。
「そうですね」
「なあ、どうして、セリアの恋人は、
水辺へ旅立つ彼女を見送ってやらなかったんだ?
セリアの最後のときを共にすごしてやらなかった?」
「……」
「そいつが、傍にいてやっていたら、
彼女は……ずっと独りで彷徨わなくてもよかった」
エリオさんの声も、その瞳も、とても鋭く冷たい。
「そいつは、セリアのことを本当に愛していたのか?」
彼の問いに、嘘をつくのならば、
いくつも思いつくことができる。
嘘をつくのは簡単だ。
話せないと突き放すことも容易だ。
そもそも、セリアさんとイフェルゼアの真実など話せない。
これまでのように、話さないことを選べばいい。
だけど、エリオさんの目が『真実を教えてくれ!』と訴えている。
瞬きをすることなく、真っ直ぐ僕にその瞳を向けている。
(……)
幽霊だと知りながら、
叶わぬ恋だと知っていながら、
セリアさんを深く想い、彼女を愛するが故に、
エリオさんは、その想いを彼女に伝えないことを選んだ……。
これほどまでに彼女を想うエリオさんに、
歯を食いしばりながらたえる彼に……。
一欠片だけでも、真実を語ることができればと思ってしまった。
(真実だけを語ることはできないけれど……)
僕は、これまで何一つ、エリオさんが求める解を、
与えてあげられなかった。
せめて今夜ぐらいは、
セリアさんを心配する彼の言葉に、真実の欠片を。
たとえ、それが、痛みを伴うものだとしても。
だから、僕は心話でセリアさんを呼び、
イフェルゼアの揺るぎない愛を、
エリオさんに教えてもいいかと聞く。
セリアさんは、苦笑しながらも『いいワ』と答えてくれた。
彼女から許可をもらえたので、
僕は「話せる範囲だけ」と前置きをしてから、
千年前、セリアさんに何が起こったのかを話す。
セルリマ湖で、僕とセリアさんの話を聞いていたようだから、
彼女が貴族であったこと、父親に背いて殺されてしまったことは、
知っているとは思うけど、最初から順を追っていく。
貴族家に生まれたが、理由があって、
母親の実家で暮らしていたこと。
数回しか会ったことのない父親に呼び出され、
後宮に入れといわれたこと。
その要求に対して、将来を誓った人がいるからと、
拒絶したこと。
帰ろうとして閉じ込められそうになったから、
逃げ出したこと。
そして……それが失敗し、
血の繋がった父親の手によって殺されたことを……。
「そんな理不尽な理由で、
実の父親に殺された……?」
エリオさんが、机の上で拳を握り、
絞り出すような、小さな声で呟く。
「そうです」
「……」
誰もが言葉をなくし、その顔を憤りに染めた。
「そんな理不尽な理由で、
突然、命を奪われたそうです。
だから、セリアさんの恋人は彼女の死に際に、
傍にいることが叶わなかった……」
「……っ」
エリオさんが、そっと僕から視線を外し、俯く。
竜族は家族を大切にする。
だから、嫌な予感がすると腕輪を渡してはいても、
まさか、実の親が娘を殺すなど、
想像すらしなかったことだろう。
「彼はセリアさんの身を案じて、
腕輪に魔法を刻み渡しました。
絶対に外すなといわれたようですが、
彼女は父親に会う前に、その腕輪を外した」
右腕の腕輪は、婚姻しているという証だったから。
父親から許可をもらっていない状態で、
腕輪を付けるのは、母親に迷惑をかけるかもしれないと、
判断したからだと話していた。
「父親との話が決裂し、
机の中にしまった腕輪を持ち出すことができないまま、
彼女は逃げたそうです。ですが、すぐに捕まり、
その部屋に連れ戻され、
実の父親に剣で刺され、命を奪われてしまった……」
「酷い……」
サーラさんが声を震わせる。
「セリアさんが、どうして幽霊になったのかは、
僕にもわかりません。ただ、彼女の魂は水辺にいくことなく、
机の中にしまわれた腕輪の宝石に宿ることになった」
「……」
「腕輪がそこにそのままの状態で残っていれば、
セリアさんの恋人が腕輪を取り戻したでしょう。
ですが、彼女の死を偽装するために。腕輪は潰され、
宝石は売られてしまったようです」
腕輪が潰されていなかったら、
イフェルゼアがセリアさんの死を知るのは、
少し先になっていたかもしれない。
腕輪が壊れたために、
彼がかけた魔法が発動し、
セリアさんの元へ駆けつけただろうから……。
「……その恋人の元に、
せめて腕輪が戻れればよかったのにな……」
ビートが沈んだ声でいう。
「そうだね」
よいほうに考えるのであれば、
腕輪がイフェルゼアの手に渡っていれば、
セリアさんは、すぐに水辺に旅立てたかもしれないし、
イフェルゼアもセリアさんの願いを聞いて、
正気を保てていたかもしれない。
「だけど、そうはならなかった……。
そこから、セリアさんは自分の望みを叶えるために、
宝石とともに、千年以上のときを過ごすことになった」
宝石はセリアさんが宿っていたからだろうか、
壊れることなく在り続けた。
彼女が宿った宝石は、様々な装飾具の飾りとして用いられ、
時代とともにその持ち主を変えていく。
独りで移動できない彼女は、誰かに運んでもらうしかない。
魔法で操るといっても、彼女の魔法より、
生きている人の意志の方が強い……。
狂っていくイフェルゼアの声を聞きながら、
千年以上、誰も自分を認識しない世界で、
独りで在り続けた。自分の望みが叶うことを願いながら。
その苦痛は筆舌に尽くしがたい。
「セリアさんの望みを聞いてもいいか?」
クリスさんの問いに頷いて答える。
「恋人との約束を守るためです。
彼の元へ帰ると」
「……」
クリスさんが黙り込み、
今まで目を閉じて腕を組んでいたアギトさんが、口を開く。
「千年以上前のことだ。
恋人の足取りを追うのは困難だと思うのだが、
セツナには当てが在るのかい?」
「僕にはありませんが、セリアさんにはわかるようです」
「どうして……」
そこで言葉を止め、アギトさんが息を飲む。
エリオさんも何かに気付いたのか、
大きく目を見開いて、僕を凝視しする。
本当はすべて知っている。
だけどそれを告げるわけにはいかない。
できるだけ真実に近い話ができればいいと思いながら、
僕は続きを語っていく。
「ずっと、セリアさんを呼び続けているそうです。
声が聞こえるわけではなく、
彼の感情が流れてくるのだと……」
僕の言葉に、サーラさんの瞳から次々と涙がこぼれ落ち、
両手で顔を覆い声を殺しながら泣く。
「セリアの恋人も、
セリアと同じく幽霊になっている可能性があるのか?」
アギトさんの推測に、僕は首を横に振る。
「僕にはわかりません。
ですが、彼もセリアさんとの約束を、
守っているのかもしれません」
イフェルゼアはまだ生きている。
狂いかけながら、セリアさんが帰ってくるのを待っている。
「待っていてと告げた、彼女の言葉を信じて……」
セリアさんと出会った日の夜を思い出す。
『彼はまだ待ってる。
私の亡骸を抱えながら。独りで……。
帰ることのない私を、待っているの……。
心を肉体を削りながら待っているの』
彼の元へ帰りたいセリアさんと、
彼女の帰りを待ち続けているイフェルゼア。
セリアさんは僕と出会って、
すぐにでも彼の元へいきたかったと思う。
だけど、僕はそれをわかっていながら、
彼女の願いに応えることはなかった。
その理由は、僕とアルトの都合もあるけれど、
あのまま向かってもセリアさんの声が彼に、
届くとは思わなかったからだ。
僕とアルトだけならば、何も問題はない。
だけど、それではセリアさんの願いは叶わない。
あのときのセリアさんは、魔力がつきかけていた。
そんな状態で、狂いかけているイフェルゼアの側にいけば、
二人が会話を交わす前に、
彼女の存在自体が消し飛ばされてしまう可能性の方が高い。
イフェルゼアは、セリアさんの体を守るために、
近寄る人に、必ず殺気を向け攻撃してくるはずだから。
セリアさんが、怒り狂ったイフェルゼアに近づくには、
しっかりと対策を立ててからでなければなかったんだ。
アルト達と楽しそうに話しているセリアさんに目を向ける。
僕の視線に気付いたのか、彼女がこちらを見てふわりと笑い、
すぐに、子ども達との話に戻った。
(魔力も満たされているし、僕が刻んだ魔法も安定している)
セルリマ湖でセリアさんに、
『準備が整ったら向かいます』と話したけれど、
今のセリアさんなら、
イフェルゼアの近くにいっても大丈夫だろう。
「セツナ」
「はい」
エリオさんに名前を呼ばれ、
意識をこちらへと戻す。
「すまない……。
話したくないことを、語らせた」
「いいえ。セリアさんを心配してのことでしょう?」
「っ……」
「エリオさん」
返事の代わりに、彼は真剣な面持ちで僕を見る。
「セリアさんの旅立ちを、見送れそうですか?」
僕の問いかけに、目を見張り、数回瞬きをして、
ぎゅっと目を閉じる。
歯を食いしばり、拳を握り俯く。
アギトさんが静かに席を立ち、
チラリと僕を見てから、皆の元へと戻っていく。
サーラさん達も僕と視線を合わせたり、
頷いてから、アギトさんの後を追った。
静寂が僕達を包む。
アギトさん達が立ち去ってから、しばらくして、
エリオさんが大きく息をはきだした。
そして……。
笑みを浮かべ損ねた表情で、「ああ。送り出せそうだ」と、
はっきりと告げたのだった。





