『 僕と精霊の宝物:前編 』
【 セツナ 】
いつもより早い時間に目が覚めた。
体を起こして軽く伸びをしてから、もう一度横になる。
すぐ動く気にならないのは、昨日の余韻が残っていたために、
眠りが浅かったからだろうか……。
昨日の大会で、僕はリシアの守護者になることを宣言し、
この国を守っていくことを決めた……。
武闘大会を乗っ取り、リシアの国にとって害になるものを一掃したわけだけど……。
そのあとのことはあまり考えていなかった……。
正直、素行の悪い冒険者をあそこまで痛めつけた僕が、
リシアの守護者として認められることはないかもしれないと考えていたから。
認められないのなら、必要最低限の体裁は保ちながら裏から守ろうと思っていた。
それなのに……。この国の民はなぜか僕を受け入れてくれたんだ。
「怖がられても仕方がないと思っていたのにな……」
それはこの国の民だけではなく、同盟を組んだチームの人達、アルトの友人……。
そしてアルトにさえも……。
結局……同盟を組んだチームの人達の態度は今までと変わることなくというより、
今までもよりも過保護というかぞんざいになったというか……遠慮が無くなった。
アルトの友人達も武闘大会の途中までは怯えていたのに、それが無くなっている。
アルトに至っては……更に心を許してくれているような気がする。
僕の考えていた方向性と全く別の道に踏み込んだ気がして、
昨日の夜はどうも落ち着かなかった。
僕はどうしたらいいのだろう……。どこか途方に暮れながらも、昨日のことを思い出す。
『ジャックが、リシアに君を帰してくれた。
私達は、ジャックに感謝しているよ』
オウカさんのこの言葉に込められた気持ちは本物だった……。
爆発するような空気を震わせるほどの歓声が、今も僕の耳に残っている。
風の精霊は、僕のことを『彼らの希望の星になった』と告げた。
リシアの守護者として、僕はこの国の民とどう向き合っていくべきなんだろう。
いや、そもそもこの世界の人とどうかかわっていくべきなのだろうか……。
今更かもしれないけれど……。きっと……僕はかなでのようにはなれない。
サガーナでも、リペイドでも……そしてリシアでも。
簡単に敵になれば『殺す』といえる僕は……。
花井さんの子孫以外の人間に対して、
さほど感情が動かされないのだと気が付いた。
人間として大切なモノを失いかけている……。
この世界の人を僕と同じ人だと認識できない僕は……。
「どうすればいいのかな……」
自分の思考が言葉となって零れ落ちると同時に、
ヤトさんの言葉が脳裏によみがえった。
『私達は、そんなジャックを慕っていたのだ。
どこまでも自由な心の彼を。
大空を自由に泳ぐ鳥を、見ていたかったのだ。
だから、セツナ。セツナも自由であれ』
かなでがリシアを守るために選んだ唯一人の騎士。
かなでの一番弟子であり……僕の兄弟子の言葉……。
その想いは、かなでが同郷の者達の心情を慮って残してくれたものだった。
だからなのか、花井さんの子孫が治めるこの国ではとても楽に息ができるんだ。
リペイドも過ごしやすい国だとは思ったけれど……。
このリシアを知ってしまった今は、
リペイドの国王様の誘いに応えることはできなさそうだ。
僕がこの国の守護者になったことを伝えたほうがいいのだろうか。
リペイドから届いていた手紙もまだ読んでいないことに気が付き、
その手紙を読んでから返事を書こうと決めた。
その時に、僕の近状を知らせることにしよう。謝罪と共に……。
一度ため息をつき、寝返りをうってうつぶせになる。
枕を抱きかかえ、枕に自分の顔を押し当てながら抑えるように声を出した。
「花井さんが……。かなでが……。この国を愛したように……。
僕もこの国を愛することができればいいのに……」
今は……かなでが残してくれた遺産ともいえる七光りで、
この国の人達は、僕を受け入れてくれたに過ぎないのかもしれない。
僕が、花井さんとかなでが守った場所だからこの国を守ろうと決めたように……。
今の僕は、本当の意味でこの国の守護者ではないのかもしれない。
「……」
それでいいじゃないかと考える僕と……。
この国の民に応えたいと考える僕がいる……。
どちらが僕の本心なのか、僕にもわからない。
どちらも僕のような気がするし、どちらも僕ではない気もする。
そんなことを考えていると、僕が僕ではなくなるような感覚に襲われそうになり、
目を閉じて深くため息をつき、無理やり思考を中断させたのだった。
いつもの通り訓練をするために外に出て空を仰ぎ、
目に映ったモノを見て一瞬呼吸が止まる。
なぜこんなことになっているのかと考えながらも、僕はその答えを知っていた。
「はりきり過ぎでしょう?」
「頑張ったかなって!」
いつの間にか傍にいた風の上位精霊が機嫌よく、僕の呟きを拾い上げ言葉を返した。
「育てるって、このことだったんですか?」
「うん。物凄く大変だったかなって!」
風の精霊の嬉しそうな声を聞きながら、
僕は空を覆うほどの葉を茂らせている巨大な枝を眺めていた。
冬だというのにその葉は輝く若葉色で、
葉の一つ一つが、輝いているように見える。
時折、風の精霊の説明に相槌を打ちながら、空を覆う巨大な枝から視線を流した。
視線の先には異様な存在感を放ちながら大樹が鎮座していた。
確か……あの場所は、休耕地だったような気がする。
きっと今頃……オウカさん達は胃痛薬を飲んでいるかもしれないなと、
ほんの少しだけ彼らに同情してしまった。
しかし、蒼露の樹も大きな樹だと思っていたけれど……。
一晩で出現したこの大樹は大きいというより、巨大という言葉が似合う。
その巨大な樹から伸ばされる沢山の枝葉は、ハルの街全体の空を覆っているのだから。
「本当にすごい……」
圧倒されるほどの存在感に目が離せない。大樹の側はどうなっているのだろうと、
風の魔法で鳥を作り、大樹まで飛ばしてみる。
大樹の周りは沢山の人がひしめきあっていて、ギルド職員が集まっている人達の前で、
大樹が一晩で出現した理由を説明している姿が見えた。
上位精霊と守護者の共同作業での催しものだと伝えているが、
僕は何もしていない……。何もしていない。
内心ため息をつきながら、魔法で作った鳥を大樹に近づけるが、
途中から進むことができなくなり、大樹に近づくことが出来なかった。
「今はまだ内緒かな?」
僕が魔法の鳥を飛ばしたことに、気が付いていたのだろう。
風の精霊が笑いながら、口元にそっと人差し指を持っていき片眼を軽く閉じた。
その仕草がどこか人間のように見える。
「今はまだ内緒ということは、ミッシェルを驚かせる仕掛けが、
他にもあるということなんですね……」
「それも、内緒」
目を細めて、悪戯気な表情を見せた風の精霊に少し不安がよぎったけれど、
風の精霊が本当に幸せそうな笑みを浮かべたから、水を差すようなことは止めた。
彼女との会話が一段落してから、彼女に断りを入れ自分の訓練を開始した。
風の精霊は僕と行動を共にすることを決めているらしく、
僕の訓練が終わるのを静かに待ってくれていた。
僕の訓練が終わるころに、アルトや他のチームのメンバーが集まりだしてくるが、
剣と盾のチームのメンバーは、姿を見せなかった。
いつもならば……わいわいと話しながら準備運動を始める彼らだったが、
今日はアルトも含めほぼ全員が目を見張り、軽く口を開けながら空を見上げていた。
黒達も例外ではなく空を見上げている。
「これは、驚いた」
バルタスさんが呟くようにだした声に、サフィールさんとアギトさんが、
同意するように頷いている。
疑問を解消するためだろう。サフィールさんが小さな声でフィーを呼んでいるが、
フィーが姿を見せることはなく、サフィールさんが眉間に皺を寄せている……。
多分……フィーはまだ準備を手伝っているのではないだろうか。
「今日も怒涛の一日が始まるのか?」
昨日の戦闘の影響がまだ残っているのか、少しだるそうにしていたアギトさんが、
そんなことをいいながら微かに笑っている。
だるそうにはしているけれど、その表情は何処か明るい。
アギトさんは、昨日何かを思案しているように見えた。
だけど、ギルドの訓練所でアギトさんと話をした時には、
何かを吹っ切ったような表情をしていたから、大丈夫だとは思っていた。
そして今、アギトさんを見つめるサーラさんの顔を見て、それは確信に変わった。
「僕は今日は……戦えないわけ」
「私もだ」
サフィールさんが、ため息をつきながら残念そうにそんなことを口にし、
追随するようにアギトさんが深く頷く。
戦闘狂達の戦えないという言葉に、
周りにいた人達が戦闘狂がおかしいことをいっているというような目で、
アギトさん達を見ているのがちょっと面白かった。
風の精霊が、ミッシェルのために用意した贈り物だ。
なので、そんな物騒なことにはならないと思う。
僕の隣で僕にだけ姿が見えるように、調整している風の精霊も、
「戦いたいなら、結界の外にいけばいいかなって」と僕に話しているので、
血生臭い催しではないことは確かだろう。多分……。
多分なのは、精霊の常識がいまだに僕には理解できていないためだ。
まぁ……生涯理解できない可能性もあるけれど、気にしないことにした。
「師匠!」
衝撃から立ち直ったアルトが、僕を呼んで機嫌よく尻尾を振りながら走ってくる。
僕の前で立ち止まり、元気よく朝の挨拶をしたあと……怒涛の質問攻めがきた。
風の精霊はそんなアルトの姿を見て、肩を震わせて笑っている。
僕は風の精霊に聞いたことを、アルトや周りにいる人達に伝えようとした。
だけど……「あの大樹は、神々の時代のものらしいよ」と口にした瞬間、
サフィールさんが驚愕に目を見開きながら、そのままの勢いで空を仰ぎ叫んだ。
「は?! 古代神樹だといっているわけ!?」
サフィールさんの言葉に、その意味を理解している人達が息をのみながら、
彼につられるようにして空に視線を向けている。
そして、サフィールさんが空を見上げながら古代神樹の説明をしてくれていた。
古代神樹を知っている人も知らない人も、皆が彼の説明に耳を澄ませている。
古代神樹とは、神々の時代に存在したといわれている大樹のことだ。
神話の時代の物語によく登場している。
この世界に降り立った、神々の余った力が具現化し大樹を生やしたらしい。
神というものは、降り立つだけで生態系を変えるモノだったのだろうかと、
心の中でこっそり考えてしまったのは秘密だ。
さて……。古代神樹は天にも届くかといわれるほどの大樹だったようだ。
どの大陸からでもその姿を目にすることができるほどの大きさだったらしい。
その大樹の周りでは争いは起こらず、様々な動物が大樹の周りに集まり、
心身を癒していたと記述されている。
神話で謳われている古代神樹は、完全無欠な大樹だった。
花の香がすべての病を癒し、その葉を口にすると死者が蘇り、
神樹の枝葉から零れ落ちる朝露を口にすれば、魔力と体力が回復し、
神樹の花の蜜は永遠の美貌を得ることができる。
そして、神樹の実を食べると不老長寿が約束されるといわれている。
まさしく、神の名を冠するに相応しい大樹だ。
神話の時代の物語を初めて読んだ時に、クッカに真実なのか尋ねてみたが、
「内緒なのですよ」といって、教えてくれなかった。
風の精霊に聞いても教えてくれなかったので、真実は闇の中だ……。
それでも、一つだけどうしても気になったことがあったので、
風の精霊に、神樹の花の蜜はどんな味がするのかと尋ねたら、
ぽかりと殴られた。酷い……。僕は味を知りたかっただけなのに。
神樹の実の方を聞けばよかった。
きっと至高の蜂蜜と謳われている、
フェルドワイスの蜂蜜よりも美味しいのだろうと考え、はたと気が付く。
僕はまだ、フェルドワイスの蜂蜜すら食べたことがない。
フェルドワイスのことを調べた時に、
かなでがこっそり作った養蜂所のようなものがあることを知ったので、
近いうちに採取しにいくことに決めた。
蒼露様や精霊のお礼は蜂蜜にしよう。
蜂蜜が好きなアルトもきっと喜んでくれると思う。
サフィールさんの古代神樹語りが終わり、アルトはいつもの通り目を輝かせ、
古代神樹の蜜と実の味が気になっているようだった。
女性達もアルトと同様、蜜と実に惹かれているようだが……。
その理由は味ではなく効能だろう……。
男性達は不老長寿の効能のある実の話から、
神樹の枝葉から零れ落ちる朝露の味の話に移行していた。
物語の中では、自分の好きなものが極上の味で再現されると書かれてあった。
好きな味というところで、酒肴のメンバーが盛り上がりを見せている。
カルロさん達は今まで飲んだお酒の味の上位版を想像し、悶えていた。
アルトは自分が好きな食べ物が、物凄く美味しい飲み物になると聞いて、
ハンバーグか唐揚げで悩んでいた。
僕は肉の味の飲物は遠慮したい……。
「あれは、本当に古代神樹なわけ?」
サフィールさんが、自分を取り戻し僕のそばへと移動してくる。
「そのようですよ。ただ、神々の時代の古代神樹ではないようですが」
「どういう意味なわけ?」
「古代神樹の苗を核として魔法で古代神樹を顕現させているようです」
「古代神樹の苗……?」
神々が眠りについた時に古代神樹もその姿を消したといわれている。
「古代神樹は、神々の神力で育つ樹木だったようです。
神々が眠りについたことで枯れてしまったようですが、
神樹の根元から、新しい芽が出ているのを見つけてずっと保存していたようです」
神力? とサフィールさんが首を傾げたが、僕もよくわからないと答える。
カイルや花井さんの知識の中にも神力に関するものは何もなかった。
数千年にも及ぶ知識の累積の中にもないなんて珍しいなと思い風の精霊に聞くと、
神々が使える力の一部だと教えてくれた。
精霊が魔力とは別に祈りの力で、大地の穢れを払うように、
神々も魔力とは別の力を持っていたのだろう。
「今日まで保存していたのに、なぜ今になって植えたわけ?」
「そこまでは、教えてもらえませんでした」
そう告げる僕に、黒達が僕を見たがそれ以上追及されることはなかった。
多分、理由を知っていることを勘付かれているのだと思う。
追及されなかったのは、精霊から口止めされていると思われているようだ。
「今、僕達が目にしているあの樹は精霊達の記憶を具現化したものだそうです」
「あの大きさのものが、全部魔法で構築されているのか?」
驚きの声を上げるアギトさんに僕は頷いた。
「風の上位精霊様とのダンスで、セツナが見せた魔法と同じものか?」
「似てるけど違うと思うわけ」
アギトさんの問いにサフィールさんが答え、
そこにバルタスさんも交えて会話が交わされている。
古代神樹を具現化した魔法は、風の精霊とのダンスで僕が使った魔法に似ているが、
全く違うモノだった。
「結局どういった魔法の構築がされているんだ?」
アギトさんの言葉にサフィールさんが首を横に振り分からないと告げ、
僕へと視線を向けたので、風の精霊が嬉々として話していたことを教えた。
「は? 香りも味も感じることができるわけ……?」
「そうみたいです」
僕が頷いたことで、サフィールさん達が絶句する。
精霊達はそれだけあり得ない魔法を構築したのだ。
幻像を五感で感じることができるといったのだ。
触覚と視覚……それと聴覚は今の僕でも魔法で創り出せるだろう。
だけど……臭覚と味覚を創り出すのは今の僕では無理だ。
風の精霊に構築方法を尋ねてみたけれど……秘密だといわれた。
その理由が、教えたらご飯を食べなくなりそうだと真顔で話していたけれど、
僕を何だと思っているんだろう……。
アルト以外は、精霊達の強烈な魔法に言葉なく頭上で揺れる枝葉を眺めていた。
だけど、アルトは魔法よりも食べ物。
ぶれることのない食への探求は、酒肴の人達よりも強いかもしれない……。
そして、そんなアルトが僕を呼んだ。
「師匠!」
「うん?」
「古代神樹の蜜、俺も食べることができる?」
アルトの問いに、僕の隣にいる風の精霊に視線を向けると彼女がコクリと頷いた。
「栄養にはならないようだけど、味はわかるようになっているみたいだよ」
「朝露も? 俺の好きな味の飲物になるの?」
衝撃から立ち直った人達が、僕とアルトの会話を真剣に聞いている。
特に酒肴……。目を合わせると怖いので、僕の視線はアルトに固定していた。
「朝露の味は、精霊達の好んでいるものから無作為に選ばれるみたいだよ」
「無作為に選ばれる?」
「うーん……くじ引きと同じかな。何が当たるか分からない」
「そっかー」
アルトは少し残念そうに耳を寝かせた。
そんなアルトに少し笑い、アルトが興味を持てるように誘導していく。
「長く生きている精霊達はどんな味を好んでいたんだろうね?」
僕の言葉に、アルトの耳が元に戻りゆらゆらと尻尾が揺れている。
「精霊は僕達よりずっとずっと長生きだから、今は手に入らない食べ物の味を、
体験することができるかもしれないね」
僕の言葉にアルトの尻尾が期待を示すように大きく揺れた。
「楽しみだなぁ」
自分の好きな味が楽しめなかったことへの残念そうな表情が消え、
アルトは目を輝かせ、心の底から楽しみにしているという笑みを浮かべ僕を見た。
だけど、それはアルトだけではなくこの場に居る皆も同じ気持ちのようだった。
話の途中から、エレノアさん以外の剣と盾の人達が気配を消してやってきて、
僕達の話を聞いていた。邪魔にならないようにと気遣ってのことだろう。
アルトが機嫌よく振り返った位置にアラディスさんがいて、
アルトが驚いて尻尾を膨らませている。
アルトは本当に驚いたようで、アラディスさんに八つ当たりをしていた……。
気配を感じ取れるようにならなければと、口をだそうとかと一瞬考えてやめた。
アラディスさんの実力は黒のランク同等だ、今のアルトでは到底無理だ。
それに、アラディスさんがプンスカと怒っているアルトの頭を撫でながら、
冒険者なら気配を感じ取れと伝えているから、それでいいと思う。
「さぁ、アルト。訓練を始めるか」
アラディスさんの言葉に、アルトが少し首を傾げてから、
昨日の約束を思い出したのだろう。元気よく首を縦に振って頷く。
「よろしくお願いします!」
アルトのこの挨拶で、今日の訓練が開始されたのだった。