『 サフィール 』
3月3日(木)にドラゴンノベルス様より、
『 刹那の風景3巻 竜の縁と危亡の国 』が発売されました。
Webとは80%ほど……違う物語になっているので、
よかったら読んでみてください。
今回のお話は、
第三章:風への尊敬【トゥーリ】に関連する物語となります。
【 サフィール 】
「サフィ、起きるのなの」
「もう少し……寝ていたいわけ……」
フィーの目覚めを促す声に、かろうじて返答するが、
意識はまた眠りの底へと落ちようとしていた。
「起きるのなの!」
「……無理……」
集中して本を読んでいたせいで、
気付いたら朝方だったのだ。
「朝……ご飯はいらないわけ……」
夜更かしして、朝食の時間に遅れそうなときに、
フィーはこうして僕を起こしに来てくれるわけだが、
5回のうち1回……いや2回は起きることに失敗していた。
前回と前々回は頑張って起きたから、今回は寝かせて欲しい……。
「もう、朝食の時間はとっくに終わっているのなの!」
プンスカと怒っているフィーに、
半分寝ぼけながら謝ろうとしたところで、
フィーではない声が耳に届き、一瞬で意識が覚醒することになった。
「また、明日来るのですよ?」
その声と話し方に、
セツナと契約している上位精霊だと気が付き、飛び起きた。
「ま、待って欲しいわけ!?」
「やっと起きたのなの~」
「起こしてしまって、ごめんなさいなのです」
フィーが呆れたように、
クッカは少し苦笑しながら僕を見つめていた。
「ど、どうしたわけ? 何かあったわけ?」
セツナに何かあったのかと、
フィーとクッカの顔を見てそう尋ねるが、
二人同時に首を横に振った。
何もないという二人に、
それならどうして僕は起こされたのだろうと、
疑問が脳裏をよぎり、質問しようと口を開いたのだが、
でた言葉は自分の所在地を問うものだった。
「……ここは一体どこなわけ?」
僕はセツナの家の二階の床で寝ていたはずだ。
なのに、どうして見渡す限りの草原の中にいるんだろうか?
簡単に周りの気配を探るが、魔物はいないようだ。
フィーが、僕を魔物の近くに連れてくることはないと、
知っているけれど、冒険者として染みついた習性が、
警戒を怠るなと告げていた。
「ハルの結界の外なのなの」
「どうして……結界の外にきたわけ?」
「ご主人様に内緒でお願いしたいことがあったから、
サフィールを呼んでもらったのですよ」
「誰にも気付かれないように、
フィーがここに連れてきたのなの」
なるほど……。
とりあえず、理由はわかった。わかったが……。
「フィー」
「はいなの?」
「……僕達の家じゃ駄目だったわけ?」
寝癖のついた髪を、手ぐしで整えながら問いかけてみるが返答がない。
彼女のほうへと顔を向けると、フィーはそっと僕から顔を背けた。
「お姉様からお願いされて、慌てていたのなの」
フィーは耳まで赤くして、小さな声でそう呟いた。
「私が誰もいない場所で会いたいと、伝えたのですよ~。
本当は、昨日の夜伝えるはずだったのが、忘れていたのですよ」
恥ずかしそうにしているフィーをかばうように、
クッカがそう告げた。
クッカにお願いされて舞い上がっていたらしい。
それ以上、フィーを追求するのはやめて、
軽く息を吐き出してから立ち上がり、
服についた草を払って落としていった。
靴も履いていない……。
こんなに無防備で、結界の外にでたのは初めての経験だ……。
ある意味新鮮で笑いたくなるのを堪えた。
この場でできる限りの身だしなみを整えてから、
クッカに体を向ける。
一瞬家に戻ってゆっくり話を聞くか迷ったけれど、
ハルはセツナの庭だと話していたことを思い出した。
もしかするとクッカの魔力を感知してしまうかもしれないと考え、
この場所で聞くことにした。
「それで、僕は何をすればいいわけ?」
少し緊張しつつクッカに問うた。
契約者であるセツナにも内緒だという願いとは、
何なのだろうかと……。
フィーも微かに緊張を纏いながら、
クッカが話し出すのを待っている。
どうやら、クッカの願いについては知らないようだ。
「刺繍糸と布が欲しいのですよ」
「刺繍糸?」
「刺繍糸なの?」
「そうなのですよ」
「何に使うのなの?」
「……刺繍をするのですよ?」
少し呆れたようにフィーの問いに答えてから、
クッカが「ご主人様に贈り物をするのですよ」と幸せそうに笑った。
その表情を見て、僕とフィーは緊張を解くようにほっと息をついた。
クッカのお願いとは、僕に刺繍糸と布を購入できる店に連れていけと、
いうことなのだろう。
セツナに内緒だというから、
いったいどんな無理難題をいわれるのかと思ったが、
買い物だったとは……。
まぁ、確かにセツナへの贈り物を、
セツナにねだるわけにはいかないかと考え、
もう一度軽く息を吐き出した。
「お姉様は刺繍をするのなの?」
「最近、トゥーリ様と一緒に刺繍を始めたのですよ~」
可愛らしく首をかしげながら聞いたフィーに、
クッカが嬉しそうに刺繍を始めた経緯を語っていた。
セツナの伴侶が刺繍を始めたのを見て、
自分もやってみたくなり、
刺繍道具一式をセツナからもらったらしい。
刺繍について楽しそうに話す二人を眺めながら、
僕は……姉のことを思い出していた。
姉も刺繍が好きな人だった……。
『サフィール。この刺繍はどうかしら?』
そういって穏やかな笑みを浮かべ、
僕に完成した物を見せてくれていた……。
彼女の最後の作品は……今も僕のそばにある。
「サフィ」
フィーの声で閉じていた目を開ける。
それと同時に穏やかに笑っていた姉の姿が霧散する。
心配そうに僕を見るフィーに大丈夫と笑いかけてから、
クッカへと視線を向けた。
「ハルで一番大きい店に案内すればいいわけ?」
「品揃えが豊富なお店に、連れていって欲しいのですよ~」
「承知しました」
了承の言葉と同時に、
敬意を示すために、幼少の頃から教え込まれた貴族らしい礼を、
クッカに見せたのに……。
「ご主人様が望まれていたので、フィーと同じでいいのですよ~」と、
苦笑された。そういえば、僕達にクッカを紹介するときに、
そんなことを話していたなと思い出し頷く。
「フィー、ハルに戻ろう」
僕の言葉に、クッカが首を横に振る。
「少し準備をするから、待って欲しいのですよ」
「準備?」
待てといったあと、クッカは僕の疑問に答えることはせずに、
フィーの手を引いて僕から少し距離を取り、
精霊語で何やら話し始めた……。
二人してにんまりという表現が的確ともいえる表情を、
浮かべている……。嫌な予感がする……。
ごにょごにょと何かを話しながら、
フィーとクッカが振り返り、真剣な表情で僕を見た。
観察されるような二人の視線にたじろぎそうになるが、
踏みとどまった。
しばらくして二人が僕から視線を外し、
クッカが頷いたと思ったら、可愛らしい声で魔法を詠唱し始めた。
一体何の魔法を使うのかと興味を引かれ、
一歩足を進めたが、その瞬間に魔法が発動し、
クッカとフィーの周りに霧のようなものがまとわりつき、
そしてすぐにその霧が晴れた。
「は?」
霧が晴れた先、二人の姿を目にして思わず声が出る。
「いい感じなのですよ~」
「サフィとお揃いなのなの」
目を見張って驚いている僕のことなどお構いなしで、
クッカが魔法でだした水鏡の前で、自分達の姿を確認し、
満足げに頷いていた。
「これで、精霊だとばれずにすむのですよ」
「これで、フィーだとはわからないのなの」
そう話しながら二人が僕の前にくる。
「精霊だとばれたら駄目なわけ?」
「ご主人様に内緒なのですよ」
「セツナに内緒なの。お忍びなのなの」
「あー……なるほど。だから、魔力も抑えているわけか」
「そうなのですよ~」
「そうなのなの」
フィーはともかく、
クッカも先日の大会でセツナの精霊だと、
知られることになった、
確かにそのままの姿で歩いていれば、
セツナの耳に入る可能性が高くなる。
「これで目立たないのです」
「これで目立たないのなの!」
「……」
自信満々に僕にそう告げる二人だが、
髪の色と瞳の色を僕と同じにしたところで、
可愛らしい容姿が変化することはないのだ。
精霊だとは思われなくても、
美幼女が並んで歩いていれば人目を引くと思うのだが、
嬉しそうに笑うクッカとフィーを見て、
水を差すのもどうかと思い、
僕の感想は心の中にしまうことにした。
ハルに戻り自宅で身なりを整えてから、
クッカとフィーと一緒に歩く。
チラリチラリとこちらに視線を向けられているのがわかるが、
いつものことなのでさほど気にはならない。
クッカに、先ほど使っていた精霊魔法の内容を、
教えてもらいつつ目的のお店についた。
「沢山の種類があるのです!」
店内を見渡し、頬を染めて目をキラキラさせている姿は、
とても微笑ましい。初めてフィーの服を一緒に買いにいったとき、
彼女も今のクッカと同じように、目を輝かせていたことを思い出した。
「サフィ?」
「なに?」
「何か楽しいことがあったのなの?」
「こうやって、クッカやフィーとでかけるのも、
悪くないなと思っていたわけ」
「フィーもそう思うのなの」
僕に同意するように笑う彼女を見て、
研究ばかりではなく、もっと色々なところへ、
フィーとでかけてみようと思った。
店員にあれこれと尋ねながら、
クッカは、お店が用意してある籠へと、品物をいれていく。
小さな箱や包装紙も店員に勧められ、籠にいれていた。
店員をよく見ると、ここの店長じゃないか……。
目尻を下げながら、
甲斐甲斐しくクッカのために、色々な商品を紹介していっている。
時々レースのリボンだとか余計な物も勧めているが、
クッカは首を横に振って断っていた。
真剣な表情で商品を選んでいるクッカから視線を外し、
フィーへと目を向けると、
興味深そうに店内の物を見ていることに気付く。
「フィーも刺繍をしてみるわけ?」と聞いてみたが、
「面倒なのでやりたくないのなの」と一蹴された。
綺麗な糸や布を見ているだけでいいらしい。
まぁ、フィーが刺繍をしている姿を思い浮かべてみたけれど、
しっくりこなかった。姿形は深窓の令嬢にみえるが性格は……。
「サフィ……」
「……」
フィーの不機嫌な声を耳にして、
僕はそれ以上考えることをやめた。
それなりに時間が経ち、クッカが商品を選び終わったようだ。
店長が僕に視線を向けたことで、彼女のそばへと移動し、
僕が支払いをすると告げたのだが、
大切な人への贈り物だから、
自分で支払うのだといわれ引き下がった。
一人で使うとは思えないほどの布と糸に、
首をかしげそうになるが、頻繁に買いにくることができないためだと、
思い至り、クッカが持てない分を僕が持った。
帰り際に店長が「これからもご贔屓下さい」と、
レースのリボンをクッカとフィーに渡していたが、
それ……結構、値の張るリボンだと思うんだけど……。
多分、次に来店するときに、
このリボンを身につけてきて欲しいという、
願望が込められているのだと思う。
しかし、次にクッカがこの店にくるときは、
セツナと一緒に本来の姿で買い物にくるはずだ。
そのときに、今日のリボンをクッカが身につけるかはわからない。
だけど、その、リボンを身につけた精霊を見て、
店長がどういった表情を浮かべるのか見てみたい気がした。
きっと、ものすごく驚くに違いない。
お礼をいって店をあとにする。
紙袋を抱えて幸せそうに笑っているクッカに、
どこかお店に入って、お茶でもどうかと誘ってみたのだが、
早く帰りたいと断られた。
なので、お店から少し離れた路地裏で別れることになった。
「今日は、ありがとうなのですよ。
素敵な買い物ができたのです!」
「どういたしまして、
今度はもっと、ゆっくりしていくといいわけ」
「了解なのですよ~。
あと、これは今日のお礼なのです」
そういって手渡されたのは、
綺麗な大瓶に入れられた水だった。
「精霊水なのです。
これでフィーと一緒にお茶を飲むといいのですよ」
「ありがとうなのなの!」
「店に案内しただけなのに、
もらってもいいわけ?」
「フィーからもお願いされたのですよ」
「フィーが?」
僕には精霊水を渡さないで欲しいといっていたのに。
「食欲が落ちていると聞いたのですよ」
「……」
そろそろ……あの季節が巡ってくるのか。
自分で意識していなくても、
心と体は敏感に感じ取っていたのかもしれない。
フィーを見ると、
クッカから受け取った水を大切そうに腕に抱え、じっと僕を見ていた。
「フィーと大切に飲ませてもらうわけ」
「はいなのですよ。
足りなければいつでも水を分けるのですよ」
最初の言葉は僕に、最後の言葉はフィーに向けていた。
クッカはフィーの頭を軽く撫で、
僕達に優しい笑みを見せてから、
転移魔法で帰っていったのだった。
僕は、クッカがセツナのために刺した刺繍を、
いつか見てみたいと思った。
「フィー。僕達も帰ろう」
「……」
「美味しいお茶が飲みたいわけ」
「フィーがいれてあげるのなの」
そういって笑うフィーに僕も笑って頷いた。
セツナの家ではなく自分の家で、
フィーの優しい気持ちが籠められたお茶を飲み、
今日のことを楽しげに話す、彼女に相づちを打ちながら、
今までのように、全く食事がとれなくなることはないだろうと、
確信していた。
「フィナリナ」
「どうしたのなの?」
「ずっと僕を支えてくれて、ありがとう」
家族を殺めた日を……いつも乗り越えることができたのは、
フィナリナが僕のそばにいてくれたからだ。
彼女を酷く恨んだことも……憎んだこともあったけれど、
フィナリナが僕のそばにいてくれたから、
僕は長い長い冬を終わらせることができた。
「これからも、僕だけの精霊でいて欲しいわけ」
「当然なのなの」
目を細めて幸せそうに笑うフィーにつられて僕も笑う。
「ずっとずっと、一緒なの」
神聖な誓いのように静かに落とされた言葉に、
僕も同じ言葉を返した。
「ずっとずっと、一緒なわけ」
胸いっぱいに満たされる幸福な想い。
穏やかに流れていく時間を僕はとても愛おしく感じていた。
しかし、このときの僕はまだ知らない。
僕の隠し子疑惑が浮上し、
目の据わったエレノアとバルタスに尋問されることを……。
まだ……このときの僕は知らないのだった。





