『 迷宮工師と魂 』
【 セツナ 】
ハイロスさんに案内されて、たどりついた場所は迷宮内の一室。
彼が扉を開けて部屋に入るように促してくれるが、
部屋全体に刻まれている魔法陣に、目が吸い寄せられる。
僕は足を踏み入れずに部屋をざっと見渡したあと、
魔法陣の内容を大まかに読み取っていく。
所々おかしい箇所はあるが、その目的は理解することができた。
一通り内容を理解したあとに、再び中を見回す。
次に目に入ったのは、この部屋の中央に置かれている机の上で、
頼りなく浮かんでいる六つの球体。
その球体は寄り添うようにかたまって、淡い光を発している。
そう、すべてはあの球体を守るために、
この部屋の魔法は構築されていたのだった。
「どうぞ、こちらへ」
彼の勧めに頷いて、
部屋の隅に配置されているソファーへと進み腰を下ろす。
飲み物を用意しようとするハイロスさんに、
もうお腹がいっぱいだから入らないと伝えると、
彼は僕と反対側のソファーに座り、
「どうお伝えすればいいものか……」と、
軽くため息を吐いてから話し始めた。
「助けていただきたい子供達は、
わたくしと共にこの世界に召喚された一族のものです」
「ハイロスさんを拾って壊そうとしていた、
子供の一族ですか?」
「はい、そうです。わたくしと同様に、
この一族も召喚されてすぐは混乱していたようですが、
神に求められて呼ばれたのだと教えられてからは、
喜んでいたように思います」
「異なる世界の神でもですか?」
「……神の世界に招かれたと」
「なるほど」
ハイロスさんの世界の神は、姿を見せることはなかったようだ。
神の駒となる者だけに神託を下していたのだろうと、彼は話す。
「誰が見ても神だとわかる存在が優しく微笑み、
『選ばれた存在だ』と告げたのです。
喜ばないはずはありません」
それは当然のことなのかもしれないが、
無神論者だった僕には、よくわからない感情だ
「神も……この世界も……確かに神の国といえるほど美しかった。
エディアールでは、毎日が幸福に満ちていました。
それが…………」
「ハイロスさん……」
額に汗を浮かべ真っ青になっている彼の様子を見て、
「無理に語らないでいいですよ」と僕は左手を前に出して制する。
しかし、彼は話を続けた。
「……結論からいいますと、
神の寵愛を競っていた相手に嵌められ、
彼らの一族郎党は冤罪で粛正されました。
「せめて、子供は……」と懇願していましたが、
それも叶わない、慈悲の欠片もないものでした」
ハイロスさんの顔には、表情がなくなっていた。
「……彼らは必死に無実を訴えていましたが、
聞き入れてもらえなかった。
いや、神はすべてを知っていた。
知っていながら……聞き入れなかったのです。
このときの神はもう……」
神の仕打ちに対する怒りからなのか、
言葉にしたいのに言葉にできないものどかしさからなのか、
彼は少しだけ感情を取り戻し、その苛立ちを吐きだすように、
両手で顔を覆う。
「申し訳ありません」
「いえ。大丈夫ですか?」
ハイロスさんは無言で頷くと、
早く話し終えたいというように、口を開いた。
「自分の親が、親戚が、知り合いが……処刑されていく中、
子供は恐怖と絶望に打ちひしがれ、
指輪を強く握って助けを求めていました。
当時のわたくしは「助ける」という概念がなかった。
元々が人を殺す道具でしたので……」
ハイロスさんの視線が、淡く光る球体へと流れる。
「私の持ち主は……、
怯える幼子達に水辺で両親が待っていると……。
自身も指輪を握り震えながらも慰めておりました。
なのに、幼子達が……少し落ち着きを取り戻したそのとき、
神は優しく告げました」
「『生死を問わず、出来損ないの魂などいらぬ』と」
僕はその言葉の真意がわからず、
「出来損ない?」と問い返していた。
ハイロスさんから返答されることはなく、
僕を見つめただけで話を進める。
「神の言葉に……、
子供達の心は完全に折られてしまいました……」
彼は、話を切ると深く息を吸い込み、
額に手を当てながらいった。
「しかし今思えば、あまりにも救いがなさ過ぎる話です。
当時、子供と言葉など交わしたことはありませんし、
助けるつもりがなかったわたくしが、
憤る資格などないのかもしれませんが……」
そういったあとハイロスさんは、無言になって目を閉じていた。
「話を戻しましょう」
しばらくして、
自身の中の気持ちを押し込めるような低い声で、彼は話を再開した。
「子供達が神の言葉で心を折られたとき、
わたくしはハッと思い出したのです。
壊されるために拾われてから、共に在った日々を。
子供は神からの贈り物と指輪を大切に扱い、
ことあるごとに語りかけてきました。
わたくしはそれを特に気にすることなく、
自分が生き残るために子供に持たれていました。
わたくしにとっては、ただ、それだけの関係だったのです。
ですが、急にそういったことを思い出したときに、
わたくしの中で色づき始めたのです。
ずっと目にしていた彼女の成長が……」
静かながらも怒りを含んだ声だった。
僕を見ているようで、彼は僕を見ていなかった。
「それと同時に、
わたくしの中にようやく感情が芽生えたのです。
勝手に召喚しておきながら出来損ないだと冷笑し、
冤罪だと知っていながら命を踏みにじるこの世界の神に、
憎悪というものを抱くことで」
重く低い声が、僕の耳に届く。
「そこで神がいらぬというのならば、
わたくしが子供達の魂を掠め取ろうと思いました」
「掠め取る?」
「そうです。彼ら一族の魂を掠め取ることにしたのです。
『…………』という言葉を聞いて、
わたくしは子供達の魂を渡さないと、
この世界の神には渡さないと決めました」
彼が、そこでいったん言葉を区切る。
指先が微かに震えているのは……怒りか恐怖か……、
それとも別の何かだろうか……。
「わたくしに神をとめる力などありません。
子供達が殺されるのを見ながら、
わたくしにできることといえば、
誰にも知られないように能力を発動することだけでした。
そのとき初めて、わたくしは自分の能力を使いました。
人間を殺し陥れるための能力を、
神から魂を掠め取ることに使うなど……、
私を生み出した神も想像だにしなかったことでしょう」
彼は、軽く目を伏せた。
「……その能力は、
魂をわたくしの指輪の中に引き込むというものです。
……ただ、子供全員の魂を保護したわけではありません。
私を拾った子供とその子供が大切に思っている者達だけです。
今になってこのときのことを思い出すたびに、
すべてを手に入れておけばよかったと思ってしまいます」
罪悪感を滲ませて肩を落とす彼に、僕は思わず口を挟んだ。
「僕は……ハイロスさんの話を聞いていて、
その選択がそのときの最善手だったのではないかと思いました。
この世界の神だと謳っていたのなら、
多少の差異は許容できたとしても、
すべての魂が消えてしまえば、
絶対にその理由を探ろうとするのではないでしょうか。
……すべてを取り込んでいたら、
神に気が付かれていたかもしれません」
殺された人達のことを想うと胸が痛むけど……、
神が相手ではどうしようもないのではないだろうか。
この世界の理となるモノなのだから。
すべてを定めることができる存在に敵うはずがない。
「……確かに。
セツナさんの想像したとおりかもしれません。
あのとき……神は緩く首をかしげていましたし……。
ただ、それは結果論でしかありません」
顔を上げて僕を見たハイロスさんの顔色は、凄く悪い。
その体も震えている。
焼き付いた記憶は、そう簡単に消えないのかもしれない。
この世界の神は、
未だにハイロスさんに恐怖と苦しみを与える存在なのだと知った。
そして、慰め方を誤ったことに気付き、
ハイロスさんにかけるべき正しい言葉を考え終えてから、
語りかけた。
「それでも……、
ハイロスさんは人間性を得たばかりだったのですから、
仕方ないと思います。
本当に悪いのは、命の選別をせざるを得ない状況を作った、
身勝手で傲慢な神の行いでしょう」
「精霊に聞かれると怒られますよ」
ハイロスさんは少しの余裕を取り戻したのか、
血の気が戻りつつある顔で僕をたしなめた。
「ここだけの話にしてください」
僕は唇に人差し指を当てながら、
わずかながら笑みを浮かべると、
ハイロスさんも微笑を返してくれたのだった。
ハイロスさんは気持ちの整理をつけるためか、
黙っていた。時計の音だけが部屋の中で響いている。
彼が抱える様々な想いは、すぐに飲み込めるものではないだろう。
できることなら、ゆっくり休んで欲しい。
だけどそれができないほど、彼は切羽詰まっていたのだろう。
「……話の続きをよろしいですか?」
口を開き、真っ直ぐ背筋を伸ばした彼につられて、
僕も姿勢を正した。
「はい、お願いします」
「お願いするのは、わたくしのほうですが……」
小さく笑いながら、また続きを話し始めた。
「神から子供達の魂を助けたところまでは上手くいきました。
そのあと……色々とあり長い時を眠ることになりました。
眠りから覚めて、いえ、死ぬかと思うほどの魔力を流されて、
強制的に起こされたのですが……」
「カイルにですか?」
「そうです。何かの魔道具だと思ったらしくヘラヘラと笑いながら、
効果を確かめるために魔力を流したのだと、話されておりました。
そのときにうっかり『やめろ! 殺す気か!』と、
心話を送ってしまいました。
心話を送ったときのカイル様の表情を見て、
わたくしは、ろくなことにならないかもしれないと思いました」
「どんな表情だったんですか?」
「面白いものを見つけた、そんな顔で笑っておりましたよ……」
ハイロスさんがそういって、軽く息をはいた。
「カイル様との出会いは最悪でしたが、
出会えたことは幸運だったと思います。
そうでなければ、わたくしに居場所はなかったかもしれませんし、
貴方様とも出会うことはなかった。
まぁ……くだらないことを考えついて、
振り回されもしましたが……彼との日々は悪くはないものでした」
ようやく自然に笑った彼に、僕も頷いて返す。
「こうして目覚めたのですが、それと同時に子供達のことを思い出し、
カイル様と話している間も気になって仕方ありませんでした。
ただ、わたくしは迷宮がなければ、
自由に動くことすらままならないので、
まずは、自分の生きる場所を作る必要があり、
この迷宮を安定させるために日々奔走しておりました。
誤算でしたのは能力が不完全だったために、
思い通りに事が運べず。
そのため、当初なるべく早く迷宮を創り、
安全が確保できたところで、
子供達の器を創るつもりでいたのですが、結局……」
自分が思っていたよりも時間がかかってしまったと、
彼がため息交じりに呟いた。
「器とは、体のことですか?」
「そうです。わたくしの中に取り込んだままだと、
子供達は動くことも話すこともできません。
それは、とても不憫です。
だから外に出してあげるために、器に入れようと考えたのです。
わたくしの能力の一つに、
『魂を新たな器に入れ眷属として自立させ、それを使役する』と、
いうものがありましたので」
「……凄い能力ですね」
ある意味、神と同じことができる能力だ。
「わたくしが創られた世界では、
そこまで珍しい能力ではありませんでした」
「ハイロスさん」
僕は思わず口を挟んでしまう。
そんな僕に彼は柔らかく笑って頷いてから言葉を続けた。
「わたくしは、二度とこの能力を使うつもりはありません。
この世界では、魂に手をだすのは、
神の領域を侵すことに当たるようです。そうでしょう?」
僕は頷く。精霊に知られると粛正される可能性が高い。
フィーも警告してくれていた。
神が支配する領域には手をださないようにと……。
「ご心配ありがとうございます。
今回は、古代神樹様にお目こぼしいただいたようですが、
多分次はないでしょう。粛正されるのは御免被りたい」
「それがいいと思います」
「まぁ、それ以前に、肝心の能力が使えなくなっているのですよ。
なので、使いたくとも使えないというほうが正しいのですが」
子供達の魂を器に入れた後に能力を使えなくなったと聞いて、
彼に何が起こったのか気になった。
そんな僕の気持ちを察してか、ハイロスさんは苦笑を浮かべる。
「眷属を創るには……。
『魂奪』、『創器』、『封魂』、『渾然』の4つの能力が必要です。
それぞれ、独立した能力として使用することもできますが、
眷属を創るさいには『魂を奪い』、それを入れる『器を創り』、
その器に『魂を封入し』、
名をつけて魂と器を『渾然』化させるといった使い方をします」
「……」
「子供達の魂を眷属としようとしたときに、
私はそれら4つの能力が全て使えると思っていたのです。
しかし『渾然』を使おうとしたときに、
それが使えないことがわかりました。
使えない能力があるということに、もっと注意を払うべきでした。
魂を器に入れる前に気が付いていればと悔やまれます。
一度魂を器に入れてしまえば、取り出すことができません。
器を壊せば……取り出すことができますが、
器を壊した衝撃で魂が消滅してしまう恐れがありました。
……子供達の魂の傷は……神に殺されたときのまま……。
傷ついたままの魂は非常に脆いのです」
「器に魂を適合させることができないということは、
ただ魂が器に入っているだけの状態だということでしょうか?」
僕の問いに黙って頷きながら今日初めて僕の前で姿勢を崩し、
ハイロスさんは軽くソファーの背もたれに背を預けた。
「しばらくは後悔の日々を送っておりましたが……」
彼が視線を落として、じっと自分の手を見た。
「わたくしの迷宮で生き生きとしているハルの民を見て、
さほど悪い結果ではなかったかもしれないと、
思うようになりました。
安全に仕事ができることを喜ばれ、
気候が安定していることに驚かれ、
手をかければかけただけ収穫できる喜びを全身で感謝される。
迷宮の中にはいつも、ハルの民の笑顔がありました。
わたくしに対する尊敬と感謝がありました……。
そういった、本来わたくしとは相容れない感情が、
長い時間をかけてわたくしの中に積もり……、
わたくしの在り方を変えました」
「ハルの人々は、本当に気持ちのよい方々ばかりですからね」
僕の言葉に、彼が穏やかな表情で頷いた。
「ですから、今、能力が使えることになったとしても、
わたくしは子供達を自分の眷属にはしないと思います」
「どうしてですか?」
「一度眷属としてしまえば、
子供達はわたくしが創った迷宮の中で、
わたくしの命が尽きるまで生き続けることになります。
成長することもなく、閉じられた世界で生きていく……。
使役するつもりがなかったとしても、
果たしてそれは幸せなことなのか……。
そう考えるようになりました。
迷宮という閉じられた場所ではなく、
自由に生きることができる方法を模索するべきではないかと、
そう思い至ったのです」
僕は思わず自分の鞄に視線を向ける。
この鞄の中に入っている本体を壊さない限り、
彼は死なない。
彼が管理する迷宮を狭いとは思わない。
外の世界と同じような生活ができると思う。
だけど……長く生きれば生きるほど、
外にでることができない閉塞感は、
精神を蝕んでいくかもしれない……。
「ハイロスさんは、
本当に子供達のことを大切に思われているのですね」
根本的に自分が理解できない感情を、想像し相手を慮る。
それは、相手を大切にする行動だと思うのだ。
「それで、ハイロスさんは大丈夫なんですか?」
「外にでたいという感情自体がありません。
迷宮はわたくしにとっての守りであり自身でもある。
なので、一番居心地がいい場所となります。
セツナさんをお迎えに上がりましたが、
表に姿を具現化するだけでも恐怖を覚えます。
なので、正直……外にでたいという感情は理解しがたいものです」
そこで、ハイロスさんは一息吐いてから、
心底満たされた顔で続けた。
「まぁ、そのような訳で『わたくしは……幸せなのだ』と、
あるときそう思ったのです。
だからわたくしは……、
子供達に人の中で生きて、
人らしい喜びと幸せを取り戻して欲しいのです」
彼が視線を上げて、
ハルの民として第二の人生を歩んで欲しいのだと、
優しく目を細めて微笑んだ。
ハイロスさんが、顔を中央の机のほうへと向ける。
「お気付きだと思いますが、
中央の机の上に漂っているのが、
子供達の魂をいれた器となります」
「あの状態で、もう器に入っているのですか?」
「そうです」
僕はもっと人に近い形のものが用意されていると思っていた。
驚きに目を丸めながら、机の上に漂っている球体を凝視していると、
ハイロスさんが静かな声で、器が球体である理由を教えてくれた。
「器の形は、
本人達の意思によって変えることができるように創りました」
「どうしてですか?」
「……全く同じ姿のものを創ることはできませんが、
似たようなものなら創れます。
しかし、子供達はその姿を受け入れることが、
できないかもしれない。
似せたところで、
それは……彼らの両親から贈られた器ではないのです」
「……そうですね」
「それに……人の器を望むかどうかもわかりません。
そうならば、子供達の好きな姿に変えられるほうが、
いいのではないかと思ったのですよ。
そのときはまだ、人の中で生きて欲しいと、
願っていたわけではありませんでしたから」
そこで言葉を切ると、
短く息を吐き出したあと「失礼」と告げてから、
ハイロスさんが立ち上がり水の入ったグラスを手にして、
戻ってくる。そして、グラスを二つ机の上に置いた。
彼はソファーに座り直し水を一口飲んだ。
「どうにかならないかと、試行錯誤しておりましたが、
自分ではどうしようもなくなり、
カイル様に相談いたしました。
二人であれやこれやと模索し、
解決策となるものは一応見つけることができましたが……。
わたくしもカイル様も扱うことができない方法でした」
「声をかけていただいたということは、
僕に適性があったということでしょうか」
「おそらくとしか……。何もかもが曖昧で、
ことの経緯さえちぐはぐにしか説明できない状態で、
お願いするのは心苦しいのですが……、
もう、わたくしには手札がありません。
情けない……と思われても仕方がありません」
やるせない笑みを見せた彼に、僕は首を横に振って否定する。
ハイロスさんが悪いわけじゃない。彼も被害者だ。
カイルの助けがあったとはいえ、
この世界には適合しない生態や能力で、
生きていくのは大変だったはずだ。
それでも……子供達を見放さず、
ずっと子供達が幸せになる方法を模索してきたんだ。
それを情けないなんて思うはずがなかった。





