『 私と彼 』
『刹那の風景二巻』発売中。
【???】
私の家は、レグリア国北東、
ガーディルの国境からはやや離れたフバニウという町にある。
フバニウは、魔物から町を守るための外壁もない、
小高い丘の中腹にある小さな町だ。
そして、町を含む丘の周囲一帯が私の家の所領だった。
母はトリアの国に嫁いでいたが、
私が生まれたことでこの地に戻ってきた。
それから、私の生まれた記念に、
丘の最も高い場所に建つ家の屋根の上に展望台を作り、
毎日のように私を連れて眼下に広がる景色を眺めていた。
色とりどりの家が集う丘の中腹の町や、それに隣り合う林、
そして、どこからともなく流れ町を横断し、
林の中を蛇行しながら、どこともわからない地へ流れていく小川を。
だから、私はこの丘の景色しかしらなかったけど、
この光景が大好きだった。
今日は暑いので、風通しのよい展望台で涼を取っていた。
一口大に切られた桃を口に運びながら、私は町の方へ目を向ける。
町の人達も暑さに辟易しているみたいで、
かなりの人影が小川や川原に集まっていた。
水に足を浸している人や泳いでいる人を見ていたら、
次第に羨ましくなり、私は家の中へと戻った。
そして、鞄の中に柑橘系の果汁の入った水筒と焼き菓子を入れ、
馬小屋から馬をだして飛び乗り、丘の下へと駆った。
向かう先は、林の中の小川と決めていた。
木々がある分、街中よりも涼しいだろうから。
もちろん奥までいけば、
獣に出会って危険なのは知っているので、
入ってすぐのところにするつもりだ。
供を連れずに外を出歩くのは止められてはいるのだけど、
この近辺で悪人や魔物など見かけたことはなかったので、
守ったことはない。
そのため、領主のおてんば娘と揶揄されることも多い。
「いいたい人には、いわせておけばいいわ」と思いつつも、
これ以上悪評がたたないように、
町に入らずに、道のない野原を馬を走らせ、
私は林の中に流れ込む小川へとたどりついた。
そこには先客がいた。
数週間前にこの町にやってきた旅人だという噂の人だ。
ただ、その人は足を冷やしていたわけでもなく、
泳いでいたわけでもなかった。
「大丈夫ですか!?」
人が倒れているのを見たのは初めてのことだったので、
気が動転して声が大きくなった。
「大丈夫やで。腹が減ってちっと寝とっただけや。
しばらくしたら魚をとる予定やねん」
その答えに変な人だと思いながらも、胸を撫でおろす。
「食べ物を買うお金がないんですか?」
「そうなんですわ。だからいつも腹が減ったら、
魚や獣をとって焼いて食べてんねん」
それから……。
「ただ調味料がないから、あまりおいしくはないねんけどな」と、
しょんぼりと付け加えた。
かわいそうになって、
私は持ってきた水筒と焼き菓子を「食べますか?」と聞くと、
彼は嬉しそうに頷く。
「わいの名前は、イフェルゼアいうねん」
私が差し出した焼き菓子を美味しそうに食べながら、
彼は自分の名前を告げた。
その後も、もごもごと話を続けようとする彼に、
「話すのは、食べ終わってからにしたら?」というと、
彼は嬉しそうに頷いて、私の持ってきた焼き菓子を、
脇目も振らずに胃に詰め込んでいた。
私は……イフェルゼアを観察するように眺める。
彼は私が今まであった中で、一番の美形といっても過言ではない。
侍女がいうには、容姿がかなりいい彼は、
街中では時の人という感じになっている。
年頃の女性に人気があると話していたのだが、
それなのに、なぜか彼の周りには人が集まらないという。
実際こうして話してみると人当たりもよく、
爽やかな笑みは親しみやすいのになぜだろうと、
思わずにはいられない。
「わいの顔に何かついとるか?」
あまりにも不躾に見つめていたからか、
彼が苦笑を浮かべて私を見る。
お腹が満たされてきたのか、
いったん食べるのをやめて話し続けた。
「焼き菓子くれたし、
答えられることだったら答えるで?
何を考えてたんや?」
「んー。女性に人気がありそうなのに、
どうして空腹で倒れていたのか気になったの。
貴方ぐらい男前だったら、食べるのに困らなさそうなのに」
その理由を考えていたと伝えると、
彼は人好きのする笑みを浮かべていった。
「そんで、なんかわかったんか?」
「貴方の話し方が独特だからとか、
調子がいいからとかいろいろ考えてみたけれど、
どれも遠巻きにされる理由としては、
弱いということぐらいかしら?」
「えらいはっきりいう、お嬢ちゃんやな」
お嬢ちゃんなんて久しぶりにいわれた気がする……。
「私はもう成人しているのよ」
「そうなんか? それはすんませんな」
その声の響きから、
彼が本気で私のことを子供扱いしていたのだと知るが、
それ以上何かをいわれるのは避けたいと思って、
とっさに気になっていたことを口にした。
「……貴方のその話し方は、故郷のものなの?」
今まで全く聞いたことのない発音に、どうしても違和感を覚える。
「いや……」
私の問いに彼は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「答えたくなかったら、答えなくていいからね」
私の持ってきた焼き菓子を結局すべて食べきった彼は、
「美味かった!」とお礼をいってから、私の疑問に答えてくれた。
「別にかまわんで。
隠すようなものでもあらへんしな。わいは、呪われてますねん」
「え?」
さっき会ったばかりの他人に、
普通は聞かせないだろうことを、イフェルゼアは気軽に語り出した。
「話せば長くなるんやけどな、ええやろうか?」
私は構わないわと頷く。
「話は、わいが成人した日までさかのぼるんやけど、
その日は今までの積もり積もったもんがあって、
ひい爺と喧嘩して家出してん。
あまりにも、むしゃくしゃしてたから、
その矛先を誰かにむけたかったんや。
ちょうど魔王なんて名乗って、
調子に乗ってる輩がいるってのを思い出して、
ボコボコにしてやろうと思い立ったから、
そいつの元に向かいましてん……」
「へぇ……」
本当のことをいうつもりはないのだろうと、
彼の話を聞いてそう思った。
私をお嬢ちゃん扱いしていたから、
もしかすると私が成人していると、
信じていないのかもしれない。
だから、お菓子のお礼に私を楽しませようと、
してくれているのだろうと考えたのだ。
だって、魔王なんて言葉を使うから……。
魔王という言葉には、3つの意味がある。
1つ目は、すべての魔法を統べる王という意味で、
今は魔極王とも呼ばれている。
この言葉の指す人物は一人だ。
魔極王シゲトという史上最高の魔導師で、
数千年前に亡くなっている。
だから彼のいう魔王は、この意味ではない。
2つ目の意味は、魔物の王という意味で使われていた。
そう、使われていたのだ。
昔は世界中に不定期に湧いて生まれてくる魔物には、
王がいると考えられていたため、この言葉が生まれたのだが、
現在、すべての魔物を統率している王のような存在はいないと、
冒険者ギルドによって否定されている。
だから彼のいう魔王は、この意味でもない。
3つ目の意味は、2つめの意味での魔王が人に対して、
傍若無人に振る舞うことから転じて、
強さをかさにきて傍若無人な行いをする者の意味で使われる。
結果、彼のいう魔王は、この意味だと思った。
私を楽しませようと感じたというのは、
つまり、世間知らずなお嬢様の私が、
2つ目の意味で彼の話を聞き入り、
最後に3の意味でしたということで、
話を盛り上げようとしているのではないかと、
私は感じたということだ。
まぁ、楽しませてくれるつもりでいるのなら、
気付かないふりして話に乗ったふりをするのもいいかなと思い、
私は彼に聞き返した。
「魔王はいたの?」
「いたで……」
彼が何かを思い出したかのように、
体をふるっと震わせて腕をさすった。
「おっそろしい、化け物がいた……」
「魔王って、魔物の王様でしょう?
やっぱり魔物のような姿なの?」
「多分……人間やで? いや、あれは人間になるんか?」
「私に聞かれても……」
貴方が考えた設定でしょうと、
声に出しかけたのを飲み込んだ。
楽しませようとしてくれている彼に対して、
この言葉はとても失礼だと思ったのだ。
「まぁ……容姿は人間やったな」
「その魔王は、貴方よりも男前だった?」
魔物の王なんてものは存在しないと知っている。
だけど、それはいわないのがお約束だ。
私は魔王の強さには興味がなかったから、
彼の想像する魔王像を聞いてみる。
「殺意を覚えるぐらい、くっそ男前やで」
「貴方より男前って、想像できないけど……。
そんな人がいるのなら会ってみたいかな?」
「わいを褒めてくれてるんか?」
「そう聞こえたのなら、そうかも?」
「なんで疑問形なんや」
イフェルゼアが声を上げて笑い、私もつられるように笑う。
「魔王はくそ男前やけど、
冷酷やからな……近づいたらあかんで」
彼は笑うのをやめて真面目な顔でそう告げる。
本気で警告するような彼の瞳に一瞬……息が止まる。
思わず頷きそうになるがぐっと堪えた。
なんとなく頷いたら負けのような気がしたのだ。
私は子供ではなく成人している大人なのだから。
簡単に話に流されたりはしないのだ。
「魔王は、私が簡単にいける場所にいるの?」
「いや、無理やろな」
彼が魔王がいる場所を簡単に教えてくれたけど、
到底たどりつけるとは思えない場所だった。
とても緻密な設定に、
彼は物書きに向いているかもしれないと思った。
「なら、私が会うのは無理ね」
「会わんほうがええって。会ってもええことない」
「貴方がそこまでいうのなら、
魔王を見つけても知らない振りをしておくわ」
「それがええで……」
ほっとしたように笑う彼の顔を見て、
なぜか私の心臓がトクリとなった。
今のは何だったのだろうと思ったけれど、
考えてもわからなかったので、
続きを促すように彼を見て口を開いた。
「それで、呪いの話と魔王とはなんの関係があるの?」
「その魔王にかけられたんや、この呪いは。
頭で考えている内容をそのまま話すことができへん呪いでな、
だから、こんな話し方になってしまうや。
ほんま恐ろしい呪いやで……」
「……」
例えばといって、
彼は鞄からノートとペンを取り出し文字を書いた。
『私の名前は、イフェルゼアといいます』
「これを、発音しようとするやろう?」
「うん」
「わいの名前は、イフェルゼアといいますねん」
「……」
「こうなってまうんやなー。
さらに時々、語尾にわけのわからん言葉がついたりもしますんや。
そして、ごくたまに普通に話せるやで。
意味わからんやろ? 意味がわからんから、恐ろしい……」
途方に暮れたような表情を浮かべた彼の様子に、
思わず笑ってしまう。
「笑い事ちゃうねんで」
「ごめんなさい」
「はぁ……なんで、
わいは……あの男と出会ってしまったんにゃろ」
「……」
「……」
「っ……」
「笑ったらあかん!」
彼がそういうけれど、そういわれればいわれるほど……、
可笑しくなってしまうのはよくあることで、
堪えきれずに噴き出してしまい、お腹を抱えて笑ってしまう。
「あぁぁぁぁぁ……」
そんな私を見て、
彼は魚が死んだような目をして遠くを見つめていた。
あまりにも私が笑ったものだから、
彼が盛大に拗ねてしまって機嫌を取るのが大変だった。
まぁ……本気で拗ねているわけではないと、
彼の態度からわかってはいたけれど。
彼の目に宿る色はとても穏やかだったし、
楽しげに揺れていたから。
イフェルゼアは優しい人なのだと思う。
「その呪いは解けないの?」
「……いろいろ試してんけどな、解けんかった」
「そもそも、どうして呪いをかけられたの?
もう少し経緯を詳しく教えてもらってもいい?」
「ええで。まぁ……。
八つ当たりで魔王に殴りこみをかけたんやけど、
返り討ちにあったんや。それで、賠償金を請求されましてん……」
いきなりひどいことをして、無罪放免とはいかないのはわかる。
魔王の住処を壊したことで、
莫大な賠償金を請求されたと彼から聞いて、なるほどと思った。
「そんなん、払うわけないやろ?」
「なぜ? 貴方が壊したのでしょう?
もしかして……支払いを拒否したから、呪いをかけられた?」
強い弱いは置いといて、
どちらが傍若無人な魔王なのか、
話を聞いていたらわからなくなってきて頭を抱えてしまう。
「……」
私の質問に、彼が軽く頷いてからがっくりと項垂れた。
「請求額は……?」
彼はチラリと私を見て、その額を教えてくれたのだが、
到底返せる額ではない……。
「どうして……そこまで」
「全壊してん」
彼は鞄をごそごそと探ると、数十枚の紙を私に渡してくれた。
首をかしげながらもその紙を受け取って目を通していくと、
数十枚の紙すべてが請求書だった。
家を建てる際に使われている建材が……、
ちょっとやそっとでは手に入らないもので建てられている。
使えなくなった魔道具類や装飾品なども、
一つ一つ値段が記されていた。
「ほ……ほんとうに、これを壊したの?」
私の声が震えるのは仕方がないと思う。
「偽物……とか?」
「全部、本物やったで……。
壊してから気付いてん……」
「よく殺されなかったわね……」
今では手に入らない貴重なものが沢山記されている。
お金に換算できるようなものではない。
自分の命を狙い、貴重な家まで壊されているのに、
お金を払えば解放すると告げた魔王は、
思ったよりも懐の広い人なのかもしれない。
「少しでも返済できたの?」
「俺を倒せたら、借金をチャラにしてやるっていうたから、
必死に殺そうとしてんけど……」
殺す気で向かったのに返り討ちにされたと、
悔しそうに顔を歪ませていた。
「わいは、結構強いんやで?」
「でも、負けてしまったのでしょう?」
「死ぬ覚悟で全力で魔法をぶっ放して……、
奥の手まで使ったんやで?
それやのに、かすり傷一つつけることができんかった……」
「生きていてよかったわね」
死ぬ覚悟って……どんな戦いをしたのだろう。
多分……彼は、相当私に気をつかって話しているのだと思う。
ところどころで物騒な言葉が飛び出し、
完全には隠し切れていないけれど……。
「死んだほうがましやった。
あの男にいわれた言葉を、わいは生涯忘れへん」
彼の目が暗く陰り、歯を食いしばる音が響いた。
その拳は震えるほど強く握られている。
「……何をいわれたの?」
「『弱ぇ、殺す価値もねぇ』っていわれたんや」
彼は本当に自分の強さに自信があったのだろう。
それを粉々に打ち砕かれたのかもしれない。
「なるほど。貴方は借金返済のために生かされていたのね。
……魔王が憎い?」
「当時は憎々しく思ってたで。
今も思い出すたびに、腸が煮えくりかえるんやけど……、
いつの間にか憎いと思わんようになってた」
「そう……。なら、いい出会いだったかしら?」
「ない。それはない。あれは出会ったらあかん男や」
全力で否定する彼に思わず笑ってしまった。
「私には、魔王はとてもいい人のように思えるのだけど……」
「あー。あかんで。わいやから、生かされてたんや」
「どういう意味?」
請求書を返しながら、質問をする。
「魔王は……人間が嫌いやねん」
他にも理由がありそうだが、それを話す気はないようだ。
「それで、貴方はどうしてこの町にきたの?
真面目に働いて借金を返すため?
それとも魔王から逃げてきたの?」
「いや、俺は逃げてないで。逃げたのは魔王のほうや」
「え?」
「ある日突然、魔王をやめるいうて宣言したと思ったら、
その土地からすべてが消えてん……。
まるでそこに、魔王なんていなかったかのように消えてんで?
まぁ、統治されていた人間達は、よろこんどったけどな」
「そうなの?」
「元々その国は、人間の治める国やってんけど、
魔王が一人で制圧して恐怖政治をしとったからや。
だけど、魔王から手を出すことはなかったな。
それでも……ひとたび刃向かえば容赦せーへんかった……」
彼の顔色が悪いところを見ると、
相当酷い経験をしたのかもしれない。
「あかん。思い出すだけで震えが止まらんわ」
「……」
「わいは、魔王のあの姿を見てから、
真面目に借金を返そうと誓ってん。
あー。話を戻すけど、正直魔王がいてもいなくても、
そこで生活する人間は特に困ることはなかったんや」
「……魔王は何がしたかったの?」
「わいにもわからん。あの男の考えは……ようわからん」
真剣な表情で呟いたあと、首を横に振った彼は、
私と視線をあわすと苦笑した。
「……情けない話をしてもうた」
重くなった気配を振り払うように、彼が明るくそういった。
「それでやな、わいは魔王を探して旅してるんるん」
「……」
「……」
イフェルゼアがじっと私を見るから、
必死に笑うのを堪えた。笑わなかった私は偉いと思う。
「じゃあ……借金を返すために?」
だけど……ちょっと声が震えたのは仕方がない。
だから、そんなに見つめないで欲しい。
「わいは、借金を返す方法を見つけてん」
とりあえず、何もなかったことにした彼は、
自信満々に胸を張った。
「もっと早く気付いたらよかってんけど、
すっかり忘れとってな」
「どんな方法?」
「わいの血を売ればええねん」
「……」
ヘラヘラと笑いながら、物騒なことを話している。
「わいの血は特殊やから、売れば金になるんやで」
「うーん……」
これで万事解決というように彼は語っているけれど……。
魔王は彼よりもかなり強い存在みたいだし、
血が欲しければ殺してでも奪うのではないだろうか。
「冷酷な魔王が、
そのことに気付いたら……交渉する前に殺されない?」
「……」
目を見開いて私を見る彼の様子に、
全くその可能性を考慮していなかったことがわかった。
「魔王が貴方を放置して姿を消したのなら、
さほど金銭に執着していないのかもしれないし、
貴方に呪いをかけたことで満足したのかもしれない……。
少しでもお金を貯めてから、探した方がいいのではない?
借金を踏み倒す気はないという誠意を、
見せた方がいいような気がするけれど」
「わい……全然、金ないで?」
それは、いわれなくてもわかっている。
「今、魔王に会うと危なくない?」
「……やばいやろか?」
頭を抱えている彼に、
気にかかっていたことを口にする。
「それに……自分の体を傷つけるのはよくないわ」
私の呟きに、彼がはっとしたように顔を上げた。
「せやな」
「うん」
頷いた私に、彼が少し嬉しそうに顔を綻ばせた。
「わいの話すことを、信じてくれたんか?」
「え?」
「最初、信じてなかったやろ?」
そういわれて初めて、
私は、いつの間にか彼の話を信じていることに気が付いた……。
「知っていたのに、話をしてくれていたの?」
「信じようが、信じまいが、どっちでもええねん。楽しければ」
焼き菓子を食わせて貰ったしなと無邪気に笑う彼に、
私は苦笑を返した。
「しかし、働かなあかんのか……」
よほど働くのが嫌なのだろうか?
彼が深くため息をついた。
「わい……どこかで雇ってもらえるやろか?」
いったい彼は……今までどうやって生活していたのだろう……。
気になって聞いてみると、魔王がご飯を食べさせてくれていたらしい。
魔王はやはり、かなりお人好しなのではないだろうか……。
普通、命を狙ってくる人間と一緒に生活しようなんて思わない。
それに彼もおかしい。
「やばい」といって怯えていながら、
魔王を嫌っているようには見えないのだ。
考えれば考えるほど、魔王と彼の関係が理解できない。
「働く気があれば、雇ってもらえるんじゃない?
この町の人達は優しい人ばかりだから」
「いやー。わいが近づくと怯えられるねん」
「怯えられる?」
「そうやで、だから、誰かとこんなに長い間話したんは、
ほんま久しぶりやねん」
「どうしてかしら?」
「わいの魔力量が桁違いやからやろな」
「あぁ……なるほど」
最初に疑問に思った彼が遠巻きにされていた理由が、
ようやくわかった。
魔力量が桁違いなために、
彼に近寄ると威圧されているように感じるのだろう。
私が彼に近づいても平気なのは、私自身が魔導師であり、
私の周りには魔力量の多い人間が多かったために、
魔力の威圧になれているんだ。
魔力感知ができない人も感じるほどの魔力量って……、
凄いのでないかしら。
あながち、彼が強いというのは本当かもしれない。
そこまで考えて……、
「魔力をもっと抑えてみたら?」といってみる。
「これ以上抑えるんか?」
「魔力量の多い魔導師は、
一種使い程度の魔力に抑えて生活している人もいるようよ」
「なるほどな……。ちょっと考えてみるわ」
そういいながら彼が立ち上がる。
座って見上げる私と彼の視線が交わった。
「わい。大切なことを忘れてたわ」
「大切なこと?」
「命の恩人の名前をまだ聞いてへん」
「命の恩人って大げさだわ」
立ち上がろうとした私に、彼が手を差し出してくれる。
その手を握ると、イフェルゼアがそっと力を入れて引き上げてくれた。
お礼の意味を込めて淑女らしい礼をすると、
彼もぴしりと背筋を伸ばして、もう一度自分の名前を口にした。
「わいは、イフェルゼアやで。
呼びにくかったら、イフェルって呼んでや」
「イフェルさん」
「イフェルでええ」
男性を呼び捨てにするのは褒められたことではないけれど……。
彼が真剣な顔でそう告げるから、
私は迷わず頷いて「イフェル」と呼んだ。
「それでは、貴女の名前を教えてくれませんか?」
「……」
「っ……」
「笑ったらあかん!」
「も、ものすごく、違和感が……」
「わいは、頭の中ではいつも丁寧に話してるねんで!?」
叫ぶようにいわれても、
私の耳に届くのは聞き慣れない言葉と発音だ。
最初は違和感を覚えていたのだけど、
彼と話しているうちに慣れてしまった。
結構、彼の性格にあの話し方はあっているのかもしれないと、
思ったのは内緒。
ブツブツと魔王に文句をいっている、
イフェルゼアの様子に思わず笑みが浮かんだ。
懐かしい夢を見た気がして、私は目を覚ました。
体が凝っているはずはなかったけど、
つい腕を上方に伸ばし指輪の中で背伸びをする。
すると、心の中から彼の声が……、
イフェルゼアが私を呼ぶ声が聞こえた気がした……。
「まっていて。もうすぐいくワ。イフェル」
彼の呼びかけに答えるように、私はそう囁いていた。





