『 僕と故郷 : 前編 』
【セツナ】
すべてを話し終えたからか、
ハイロスさんがどこか安堵したような息をついた。
思い出したくないことまで思い出しながらの説明は、
彼の心にかなり負担になったのではないだろうか?
そんなことを思いながら「大丈夫ですか?」と声をかけると、
彼は軽く笑って大丈夫だと答えた。
正直、彼の話は最初から最後まで驚くことばかりだった。
一番不思議なのは、ハイロスさんが本体……、
目の前にあるのは疑似本体らしいけれど、
そう呼んでいる知恵の輪のようなものが彼の命なのだという点だ。
僕にはどう見ても銀色の無機質な知恵の輪にしか見えない……。
いったいどこで思考して、どうやって消化しているんだろうかとか……
次々と疑問が湧き出てくるが、そのことを本人に尋ねる勇気は無かった。
ただそれをいってしまえば、
早々に考えることを放棄したセリアさんのことも、
どうなっているのだろうかと気になってくる。
だから、疑問は疑問のままで、
そういった事象なのだと理解することにした……。
ふと、ユウイに『どうして、そんなところにおみみがあるの?』と、
聞かれたことがあったのを思い出して、内心で苦笑する。
そもそも……彼は神に創られたと話していた。
どうしてその姿なのかと聞かれても返答に困るだけだろう。
その答えを持っているのは、
ハイロスさんが元いた世界の神だけだろう……。
だから、彼が答えることができると思われる疑問を、
口にすることにした。
「ハイロスさんが、迷宮工師だというのはわかりました。
その役割が迷宮を創造し管理することだというのも理解できました。
たぶん、今……僕がいる場所は迷宮の中なのでしょう。
なぜ、迷宮を作ったのかは聞きません。
迷宮こそが貴方の存在意義なのでしょうから」
「ありがとうございます。
セツナさんのご想像通り、ここは迷宮の内部となります」
「それでですね……。
僕が気になったのは、この迷宮自体のことです。
カイルと貴方は、このリシアでどういった迷宮を創り上げたんですか?」
少し身を乗り出してハイロスさんを見ると、
彼は楽しそうに声を出して笑った。
笑われた理由がわからず首をかしげれば、
彼が「申し訳ありません」と謝罪してからその理由を教えてくれた。
「何やら、わたくしに関する疑問を厳選していただいたようなので」
「顔に出ていましたか?」
「いえ……。カイル様はどうやって思考しているのかとか、
どこで記憶しているんだとか躊躇なく口にされていたので、
セツナさんにもそういったことを聞かれるかと思っておりました」
「その答えがあるのですか?」
「ありません」
「そうですよね。
僕も、どうしてそんなところに耳があるのかと聞かれても、
答えることができませんでしたから」
ハイロスさんが興味深げに僕を見たので、
簡単に説明すると楽しそうに目を細めて頷いた。
「子供は好奇心の塊ですから、可愛いと思えますが……、
カイル様は可愛いとは思いませんでした。
唯々……面倒だったように思います」
「……」
ハイロスさんがため息をついて紅茶を一口飲んでから、
綺麗な所作で立ち上がった。
「それでは、ご案内しましょうか。わたくしの迷宮を」
すでにいれて貰った紅茶は飲み干していたので、
僕は頷いて立ち上がった。
その瞬間、目の前に広がったのは、
広大な草原の中で草を食む牛の群れだった……。
「え?」
瞬きをする間の出来事に、唯々、驚くばかりだ。
「ここは家畜の飼育に適した領域になっております。
牛だけでもかなりの種が飼育されており、
目の前にいる牛は夜に活動する種の一つです。
他国ではかなり高級な食材として扱われておりますね。
リシアでも、記念日などで食べられることが多いようです」
周りを見渡している僕に、
ハイロスさんが淡々と説明してくれているが、
その目は楽しそうに笑っていた。
「凄いですね……果てが見えない」
「おっしゃる通りです。
そのため移動は、転移魔法か馬での移動が主となります」
「迷宮と聞いて、僕はもっと洞窟よりなものを想像していました」
「カイル様に、どうせ創るなら美しいものを創れといわれました。
わたくしの存在意義なのだから手を抜くなと。
美しいものはそれだけで心が癒やされ、
記憶に焼き付くのだから妥協するなと、
ことあるごとに口うるさくいわれていました」
「大変だったんですね……」
そのときのことを思い出したのか、
ハイロスさんは嘆息しながら深く頷いた。
「ああ、なるほど」
そんなハイロスさんの様子を見ている間に、
ふと、彼の言葉の真の意味に思い至る。
「どうかされましたか?」
「人の命を奪うものではなく、
人を生かすためのものとなる……。
この迷宮はリシアの民にとって途轍もない恵みの大地だ」
「……」
ハイロスさんが目を丸くして、僕を見た。
「ハルの民は、結界がある限り魔物の脅威にさらされることはない。
これはこの町の創設者のなした偉業でした。
それと同じくらい、素晴らしいことですね。
この迷宮がある限り、飢えることもない」
敬意を込めた言葉に、
ハイロスさんが軽く苦笑しながら口を開いた。
「そして、古代神樹がある限り、
人間からの侵略に怯える必要もなくなりました」
「……他国の王族からかなり妬まれそうですね」
「迷宮の存在は、リシアの本国籍を持つものしか知りません。
厳密に管理されておりますから」
「そのほうがいいでしょう」
「まぁ……、ここまでの規模のものではないにしろ、
他国も地下に農耕地を創り管理しておりますよ。
迷宮ではありませんが」
「そうなんですか?」
かなでの記憶を探っても地下に関することは引っかかってこない。
そうか。故意に隠されていたのか。
知っていれば、ハイロスさんと出会ったときの驚きが、
半減するとでも、考えていたのかもしれない。
かなでらしいといえばかなでらしいが……、
そろそろお腹いっぱいだ……。
なんとなく、これが最後ではないのだろうなと、
思ってしまったのはきっと正しい。
「わたくしは能力で、階層や領域ごとに、
適した環境を作ることができますが、
他国では複数人の魔導師が協力して、
農耕地を作り維持していると、カイル様が話していました」
ハイロスさんがくる以前のハルの町ではどうしていたのだろうと、
僕はふと気になり尋ねてみた。
「この町の創設者の子孫が他国と同じように、
地下に農耕地を作っていました」
「そうなんですね」
「これもまたカイル様の受け売りですが、この町の結界がなければ、
自動で永遠に管理をしてくれる農耕地を魔法で作ることも、
創設者ならば可能だったそうです。
しかし、結界との兼ね合いでそれができなく、
そのために、自分の子孫に地下の農耕地を作って、
維持することに決めたようです」
兼ね合いというのは、魔力の供給に関してだろうと推測する。
この町の結界には多大な魔力が使われていて、
そこにさらに農耕地用に魔力を供給するのであれば、
何かしらのひずみが起きるのは想像に難くないからだ。
しかし、僕が記憶を探る前に、
ハイロスさんが話を元に戻して喋り出したので、
推測だけに留めて彼の話に耳を傾けた。
「エラーナやガーディルには、
地下にかなり広い農耕地があるようです。
リシアとは違い、他国は王族が中心となり、
貴族家が代々管理を任されているらしく、
民にその恩恵が与えられることはあまりないようですが……。
地下で育てられたラナコムギは、
高級品として庶民では手がだせないほどの値がつくそうです」
この世界の『ラナコムギ』とは『コムギ』の銘柄の一種で、
高級銘柄だ。コムギは地球の食材でいうと小麦ではあるけど、
見た目はむしろ胡麻に似ている。
ただ、胡麻よりもサヤがとても大きく、
その中にびっしりと種子がつまっている。
その種子が小麦にうり二つなのだ。
栽培も容易で種をまいておおよそ2カ月ほどで収穫できる。
収穫量が多く栄養価も高いことから、
ほとんどの国の主食がこのコムギだといっていい。
ただ、小麦よりも味は落ちると思う。
その点、ラナコムギは地球での小麦と遜色ないほど美味しい。
でも、ものすごく高い。
ダリアさんにラナコムギで作られたパンをご馳走になったけど、
値段を聞いてあまりにも高くて、自分では購入しようとは思えなかった。
「コムギとは違い、
ラナコムギは手間がかかりますし収穫まで1年もかかりますから、
値段が張るのは仕方がないとは思いますが、
あそこまで法外な値段にせずともとは思います」
この世界の植物は成長が早いほうだと思う。
収穫までに一年かかる植物はあまりないようだ。
「リシアのラナコムギの値段を見て、
一瞬、本物だろうかと疑ってしまいました」
「初めてリシアにこられた方は、
だいたいそう思われるようです」
「制限いっぱいまで購入してしまいました」
僕がそういうと、ハイロスさんが少し困ったように笑った。
「次回からは、迷宮内の露店でご購入ください。
表の価格よりもかなりお求めやすい値段になっておりますので」
「……」
「他国で高級品と呼ばれているものは、
価格帯をかなり操作しておりますので……。
本国籍を持つ方々はそういったものは表の露店では購入されません」
「次からそうします……」
意気消沈した僕を見て、ハイロスさんが苦笑を浮かべていた。
それにしても……本当にやりたい放題やってるな……。
この国で僕ができることなど、ほとんどないような気がする。
もう、この国は完成されていると思うんだ。
それからハイロスさんは色々な領域を案内してくれた。
数千年の間……手を抜くことなく積み重ねられてきたと思われる、
迷宮の内部は……壮観という言葉が相応しいと思う。
ラナコムギ畑や野菜畑。薬草園や果物畑に養蜂場……。
その他にも色々とあるようだったけど、
時間があるときに好きに見て回って欲しいといわれた。
一日でまわりきれるものではないらしい。
きっとアルトもこの場所を気に入ると思うんだけど、
ここは本国籍を持つものしか入れないことになっているので、
教えるのは当分先になりそうだ。
それからいろいろな場所を回り、
最後の場所を案内されたとき……、
僕は歯を食いしばって、自分の感情を必死に抑え込んでいた。
気を抜けば……きっと……口にしてはいけないことを、
口走ってしまいそうだ。
「……」
そこに広がる風景は……写真やテレビで見たことがある、
田園風景そのままだった。
一瞬……日本へ……転移したのかと思うほどの……、
風景がそこにあったんだ。
吹き渡る風に青々とした葉が、
月の光を浴びながら揺れている……。
蛙の鳴き声が……耳に届き……、
こんな景色も蛙の声も、僕は実際に見たことも、
聞いたこともないのに、強い郷愁に襲われる。静謐な空気が肌をさす。
何もいえず……ただ立ち尽くす僕の隣で、
ハイロスさんは、黙ってそばにいてくれていた。
「……すみません」
なんとか絞り出した声に、
ハイロスさんは僕を見てからすぐに視線を外して、静かな声を響かせた。
「いえ。この場所はカイル様が一番力を入れていた場所になります」
「……」
「この場所が完成したあの日のカイル様も、
今のセツナさんと同じような眼差しをしていらした。
その理由を問うことすら躊躇するような光を、
その目に宿しておられました」
僕はぼんやりと目の前の景色を眺めながら、
彼の声を耳に入れていた。
「遠い記憶の中の故郷の風景だと話していました。
カイル様がどれぐらいの年月を生きておられたのかは、
わたくしにもわかりません。
ただ、カイル様の故郷は……、
もう記憶の中にしかないのだとそのときに知りました」
かなでの故郷は……こんなに美しい風景が広がっていたんだ……。
「セツナさんは……カイル様と同郷の方なのですか?
もしかして、長い年月を生きておられる?」
「いえ。僕は……描かれた絵でしかこの風景を知りません。
実際に見たことはありません。
だけど、なぜか酷く……望郷の念に駆られるんです」
「そうですか……」
ハイロスさんが、数回頷いてから俯いた。
「もしかすると、セツナさんはカイル様と故郷を同じくする方の、
子孫かもしれませんね……。
セツナさんを後継に選んだのは……、
人生の最後に……そういった繋がりを求めたのか……」
ハイロスさんの声はだんだんと小さな声になっていき、
次第に何を話しているのか聞き取れなくなっていったので、
僕も自分の思考の中に沈んでいった。
僕のこの感情の半分は……僕自身の望郷だ。
この風景を見て日本を思い出した。家族を思い出した。
だけど……もう半分はきっと……、
かなでの記憶の中に残った強い郷愁かもしれないと思った。
花井さんとかなでの魂が、情報というモノに置き換えられても……、
かなでの自我が消えていたとしても……。
強い強い想いが僕の中に残っていたのかもしれない。
僕の感情を揺さぶるほどに……。
それほどまでに、この場所はかなでにとって特別な場所だったのだろう。
そうならば……この感情も悪くない。
それは……かなでがこの世界で生きていたという証であり、
二人が確実に僕の中で眠っているという証明なのだから。
僕が生きている限り、二人が孤独に苛まれることはなく、
また消滅してしまうこともない。
大きく深呼吸をしてから、気持ちを立て直す。
僕の故郷は……両親と鏡花がいる場所だった。
こんな美しい場所ではない。大丈夫。
黒の間で天井に描かれた桜を見たときよりも衝撃は軽かった。
軽かったはずだ。帰りたいという想いはあるけれど……。
大丈夫。僕はまだこの世界で生きていける……。
自分の心と頭に刻み込むように、胸の中で何度も同じ言葉を繰り返した。
6月5日(土)にドラゴンノベルス様より、
『 刹那の風景2巻 』が発売されます。詳しくは活動報告にて。





