『 僕とアギトさん 』
【 セツナ 】
アギトさんが持ってきてくれた食べ物をつまみにして、
お酒を飲みながら、彼と様々な話をしていた。
アルトのことや、リグシグの競争。
サフィールさんのことだったり、古代神樹の花の蜜の感想だったり、
穏やかに笑いながら楽しそうにアギトさんは話していたし、
僕も楽しく話を聞いていた。
だから……。アギトさんの次の言葉に僕はとっさに反応できなかったんだ。
「セツナが本当に望んだ味は何だった?」
朝露の味について話題が移りアルトの唐揚げ発言を思い出して笑い、
アギトさんの思い出の味について興味深く聞いたあと……。
彼が穏やかな声音のまま僕にそう告げた。
「あの時、本当は別のことを考えていただろう?」
あの時というのは、ジゲルさんが僕にどんな味を望むのかと尋ね、
僕が蒼の煌きと蒼の輝きで悩んでいるのだと答えた時のことだろう。
そういえば、僕の答えを聞いてアギトさんは不思議そうな表情を浮かべていたが、
あれは僕の嘘を見抜いたからだったのか……。
「話したくないのなら、無理に話す必要はない。
私の好奇心を満たすために、聞いただけだからな」
アギトさんは笑ってそう告げたが……。多分それは嘘だと思う。
今アギトさんの目に宿っている光は、僕を心配している時のものだと知っていた。
だけど……本当のことはいえない。
あの時……僕が本当に望んだ味は……。
頭の中で祖父の声が僕を呼ぶ……。
『刹那。じいちゃんと一緒にコーラを飲もうか』
僕がふとコーラを飲みたいと思った時に、推し量ったように、
祖父がコーラを持って僕の病室に訪れてくれていた。
子供の頃の僕は、素直に飲みたいということができないでいたから。
その理由は……。僕は特に炭酸飲料が好きというわけではなく、
時々飲みたくなる程度のものだった。
だから普段は飲まない炭酸飲料の蓋を開けても、
飲み切ることができなかったんだ。
両親は僕の顔を見にきてくれるたびに、
僕がいつも新しいものを飲めるようにと、
冷蔵庫の中にあるペットボトルのお茶やジュースを、
コップへと移し飲んでくれた。
そんな両親が炭酸飲料を得意としていないことを、僕は知っていた。
知っていたからこそ……。
炭酸飲料を冷蔵庫に入れておくことが、僕には出来なかった。
きっと……父も母も……僕のために僕が飲み切れなかった炭酸飲料を、
飲もうとしてくれるから。
遠慮している僕に気が付いて、苦笑しながら飲みたいものを飲みなさいと、
父がいってくれたこともあったけれど、
両親が無理して飲んでくれる姿を想像して忍びなくなった。
だから、炭酸飲料を飲みたいと、素直にいえなくなったんだ。
『全部飲めないから、じいちゃんと半分こしてくれんか』
そういって、優しく笑う祖父の顔を思い出した。
『お兄ちゃん、一緒にコーラ飲もう!』
鏡花が大きくなってからは、鏡花と一緒に……。
時々そこに両親や祖父が混じって……みんなで飲んだこともある。
鏡花に勧められて断れなかった父と母の表情を思い出し懐かしく思った。
この世界では……二度と飲むことができないあの味を、
あの時、飲みたいと思ってしまった。
極上の味でなくてもいい。
ただ……あの日、あの時の味のままで……よかったんだ。
だけど……飲めなくてよかったとも思う。
「セツナ?」
僕を呼ぶアギトさんの声に、どう答えようかと考えながら口を開いた。
「飲みたいと思ったものがあったのですが、
それが、どのようなものだったのかの記憶がなくて、
答えることができなかったんです」
僕が望んだものが何かを僕は知っているけれど……。
それを彼に伝えることはできない。
この世界にないモノの説明など……するだけ無駄だろうとも思う。
「そうか」
彼の返答に、いつも僕を心配してくれるアギトさんに申し訳ないと思いながらも、
語るべきではないことを語るつもりはなかった。
僕の記憶の領域に関することだからか、
アギトさんは、それ以上追及することをやめてくれたようだ。
そこからまた、お酒を飲みながら他愛ない話をしていたが、
会話が途切れ少しの沈黙がこの場に訪れた。
沈黙が息苦しいと感じることもなく、二人で静かに飲んでいたが、
その沈黙を破ったのはアギトさんの方だった。
「セツナに一つ頼まれて欲しいことがあるのだが」
アギトさんが纏う雰囲気は楽しそうなものなのに、
彼が僕を見る表情はとても真剣で……何を頼まれるのかと、
少し緊張しながらアギトさんに頷く。
「僕にできることなら」
「月光と邂逅は、セツナ達がジゲルと旅立ったあと、トリアへと向かう予定だ」
「はい」
アギトさん達がトリアへと向かう理由は、
沢山の冒険者が消息を絶った理由を探るためだ。
僕はその理由を知っているが……彼らに教えようとは思っていない。
セリアさんの恋人が街を滅ぼし、
討伐にきた冒険者達を返り討ちにしましたなど伝えたくなかった。
伝えるとすれば……セリアさんが水辺へと旅立った後にしたかった。
僕の我儘でしかないことは重々承知している。
アギトさん達は、自分達の大切な仲間のためにトリアへといくのだから、
彼らには知る権利があるのも分かっている。
それでも……僕は……。
セリアさんに憂いなく水辺へといって欲しいと思ったから。
セリアさんとアギトさん達の関係を壊したくないと思った。
だから……。あとのことは僕がすべて引き受ける。そう決めた。
彼女が水辺へと旅立ったあと。僕からアギトさん達にすべてを話すと決めていた。
恨み言を貰う可能性はあるが、それだけのことを僕はするのだから。
アギトさん達がトリアへ着く頃には、すべてが終わっているはずだと一瞬考え、
ふと、アギトさん達がトリアへといく方法を聞いていないことに気が付いた。
トリアの国はエラーナの下ガーディルの東隣の国になる。
なので、ジゲルさんとトキトナにいき、
彼と別れたあと僕はアルトとセリアさんを連れて、
一気に転移魔法でセリアさんの恋人の場所まで転移するつもりでいる。
かなでは……セリアさんの恋人のことを知っていたようだから、
問題なく転移できるはずだ。
今回転移でいくことを選んだ理由は、
アルトが成人し自分の身を守れるようになるまでは、
奴隷制度を認めている国に極力アルトを近付けたくないからだ。
なので、確実に僕の方がトリアに早く着くと思うのだが……。
一応アギトさんの予定を聞いておくことにした。
アギトさんの返答は、サーラさんが心配だが、
いつも通り馬車での移動になるだろうということだった。
だとすると、
余程のことがない限りアギトさん達が僕より早く着くことはないだろう。
「大丈夫。心配はいらない。
遥か昔から存在している何かに、近づくつもりはない」
余りにも僕がアギトさんの予定を真剣に尋ねたからか、
アギトさんが宥めるように僕の肩を数回叩いてから笑った。
「トリアの依頼を最後に、月光と邂逅はチームでの活動を休止することになる。
私もサフィールも黒としての依頼は受けていくが、
チームとして活動できる状況にないからな。立て直しをはかるつもりだ」
月光は風使いのサーラさんが妊娠中のために動けなくなる。
邂逅は獣人族であるエイクさんの夢を応援するために、
サフィールさんはエイクさんを学院に入れることに決めた。
そして……休止の一番の理由はチームのメンバーが減ったことだと思う。
「そうですか。黒の依頼がない時はどうされるんですか?」
アギトさんがニヤリと笑って僕の質問に答えてくれたのだが……。
アギトさんの返答を聞いて、
オウカさん達とヤトさんに胃薬を差し入れようと思った。
「学院の講師なんて……思い切ったことを考えましたね」
「考えたのはサフィールだ」
「なるほど……」
暇つぶしにもなり、将来有望な者を見つけることもできると、
アギトさんがとても爽やかに笑った……。
「それで、僕は何をすればいいんでしょうか?」
アギトさんの何かを企んでいそうな表情を見なかったことにする。
「あぁ、そうだな。
その前に、
セツナはセリアとの約束を果たしたあとの予定は決まっているのか?」
「いいえ特には決めてはいませんが……」
僕の返答に、アギトさんが一度頷いてから真っ直ぐに僕を見た。
「私の子が生まれる頃に、一度ハルに戻ってきてくれないか?」
「わかりました」
即答した僕にアギトさんが一瞬目を見張ったあと、
僕に向けてとても嬉しそうな表情を浮かべた。
医療が発展した元の世界でも出産は命懸けだった。
それは魔法があるこの世界でも変わらない。
だから、サーラさんに何かあった時のために、
僕を必要としてくれたのだと思っていたのだが……。
「そうか。では頼んだぞ。
私の娘に相応しい名前を考えておいてくれ」
「え?」
全く予想もしていなかった言葉を聞かされて、
僕の思考が停止する。
アギトさんは僕のその姿を見て、もの凄く楽しそうに笑った。
アギトさんのその表情を見て……「嵌められた……」と思った。
「男に二言はないよな?」
僕に念を押すアギトさんの言葉に、僕は項垂れながらも首を縦に振った。
アギトさんの手のひらで転がされた衝撃に、しばらく立ち直れないでいたが、
ため息を一つつくことで気持ちを入れ替える。
「大切な娘さんの名付け親が僕でいいんですか?」
「ああ。セツナがいい」
僕を真っ直ぐに見て迷いなく答えるアギトさんに、
僕は一瞬息をのみ、
そして……もう一度深く頷きしっかりとアギトさんの目を見ながら、
口を開いた。
「よき名を贈らせてもらいますね」
「楽しみにしている」
そこからは、アギトさんの娘に対する想いを苦笑しながら聞いていた。
ミッシェル達がデスや動物を可愛がっているのを見て、
将来生き物を育てたいと願われたら、駄目だと告げる自信がないだとか、
クリスさん達が生き物を拾い連れて帰ってきた時は、
里親を探して諦めさせたが、娘に同じことができるとは思えないだとか……。
冒険者になりたいなどといわれたらどうしようかとか……。
アギトさんは娘さんとの未来を僕に沢山語った。
そして……。アギトさんが語る未来の中に、
僕とアルトが普通に存在していたんだ。
ふと、アギトさんが夜空を見上げ呟く様な声音で自分の願いを口にした。
娘にも夜空に咲く花火を見せてやって欲しいと……。
優美でありながら、あの儚い光景を見せてやってほしいと、
彼は僕に……未来の約束を願ったのだった……。
お酒を飲みながら、アギトさんが持ってきた料理を二人で平らげると。
アギトさんが「酔った」と告げて、
ふらっと立ち上がり机の上を片付けようとした。
確かに相当酔っているように見えるが……
それが本当なのかは僕にはわからなかった。
料理をごちそうになったので、片付けは僕がすると告げると、
アギトさんが頷き「任せた」と一言口にして戻っていく。
一応明日の朝、二日酔いの薬をアギトさんに渡そうと心に決め、
彼を見送ったあと、僕も机の上を片付け転移魔法で自分の部屋へと戻り、
結局……今日も怒涛の一日になったなと思いながら、眠りについたのだった。





