Chapter1-6
莫大な情報を持つ魔法文字を全て吸い取った物体は、一見堅そうな鉱物の様に見える。だが二人の目に映るのは、まるで"粘土"の様にぐにゃりと柔らかく形を変えていく光景だった。ただの物体だった物は次第に"人型"へと変えていき、手に黒い長剣を握る紫色の光沢が特徴的な大男になった。約二メートルほどある大男に顔は無く、のっぺりとしたそれに不気味さを感じ、人間とは違う"感情"が読み取れない物体に二人は警戒の色を強める。
「…っ!エルミス危ない!」
「…ぇ…!?」
セリーニの声がエルミスの耳を通り脳内へと届くまでには、もう"第一手"は終わっていた。
キィン!と響く甲高い音。宙を舞う剣を握った紫の腕。抜剣したセリーニの後姿。見る全ての情報を纏めると、目に見えないスピードで攻めてきた大男の一撃を、腕ごと斬る事によって攻撃を無効化するセリーニの姿だった。
その巨体に似つかわしいほど速さに全く対応できなかった戦いの素人エルミスに対して、セリーニは難なく対応できただけでなく、長剣を持つ腕ごと切り落とす判断力を持ち合わせていた。
コンッ!カラカラ…と音を立てて転がる音は正しく鉱物の音。だがセリーニの手に残る感覚は"肉を切った"ものと同じだった。どうなっているのか理解出来ることのない目の前の大男の仕組みに警戒心を強める。
「…腕が、」
「戻っていく…エルミス、私はこちらの相手を。貴方は鍵を取り出す方法をお願いします」
「了解、気を付けろよセリーニ」
地に転がっていた腕はどろりと溶けて液体になると、大男へと吸い寄せられるように向かっていく。足にどぷりと吸収され、長剣の元となっているであろう黒い鉱物が脚、腹、そして二の腕を伝って手先まで生える様に修復し、再び長剣が形作られ握られる。
切っても再生する。その事実を見たセリーニは剣を構えて警戒したままエルミスに指示を送れば、エルミスは出来るだけセリーニの邪魔にならない様に後ろへと下がりつつ頷く。
(まずあれがどういった仕組みなのか、分からねぇとだめだ…その為にはスキャニングしねぇと。だが……アイツは動く…!)
解決方法は簡単だが、問題は対象物が動くという所にある。動かない物に対してスキャニングするときは目で捉えて行うため、余程正確にスキャニングすることがなければ手で触れ自分自身の魔力を流し込まずとも情報はある程度読み取れる。
では動く物に対してはどうするのかというと、魔法使用者の魔力を直接対象物に流すことから始まる。一般的な方法は手で触れる、魔法使用者の魔力が入った特殊なストッカーを対象物に当てて割り中身の魔力を浴びせる、この二種が基本である。前者は人間に、後者は魔法を扱う動物に使用する。
(…空のストッカーはある。だが問題はそこじゃない。動きの素早いアイツに当てなきゃ話にならねぇって事だ)
エルミスはスイッチストッカーと同じ大きさの空のストッカーをポーチにある分全て取り出し数を確認する、三本しかないのが聊か不安だが一先ず手で握って魔力を送り始める。既に固まっている飴硝子結晶の外から魔力を通して中に充填するため時間は掛かるが、対象物を目で追ってスキャニングに失敗するよりは手堅い。
"戦い"という場には一切縁のないエルミスにとって、今目の前に広がる光景は卒業模擬試合のリーコスとロディア戦で見たようなものとほぼ変わらず、"ぶつかり合った剣同士が止まった所"だけを目視できる状態だ。剣の軌道よりも腕の動きを見た方が、まだ速さに目が追いついてはいるが、それでも手首によって変わる剣筋までは把握できない。
セリーニの剣は的確に大男の剣を捉え、そして弾きながら腕や脚を切り落としていく。飛び散る鉱物の破片はパラパラと軽い音を立てて地に転がり、液体へと変化し大男の元へと戻っていくキリの無さ。だが油断をすると大男の剣筋は見た目とは反して正確に小さな点を突く様に頭を狙っている。剣身で黒い長剣の切っ先を受け止めたセリーニは、そのまま身体を右にずらしながら回転して大男の腹を両断する様に剣を食い込ませ両断した。
ゴ…ッ、と音を立てて大男の上半身が地に転がり液体へとなっていく。下半身は立ち上がったままのため、再び戻るであろう上半身に"戻る場所を与えない"様にと下半身の鉱物を剣で粉砕しはじめたセリーニは、エルミスへと声掛けをする。
「エルミス!」
「今空のストッカーにオレの魔力を入れている!あと少しだっ…」
「了解しました!」
報告を聞いたセリーニは手短に言葉を返しながら、戻る場所を与えない様に粉々に鉱物を剣で砕き続ける。やがて地に蠢く水分状の鉱物に切っ先を向けて足先が再生するのを待っていた。
だがこの鉱物は"再生"を別のやり方で始めた。
「なっ…!!」
「っ、セリーニ!!!」
水たまりの様になっていた液体はセリーニの足から這い上がり身体を覆いつくそうと集まってきた。思わずその場から勢いよく跳躍し自由自在に動く鉱物から逃れつつ、セリーニは"あまり出したくなかったモノ"を出す為に意を決する。
「 凝固 」
地に足を着けた途端、まるで触手の様に宙を彷徨っていた鉱物はセリーニの方へと向かっていく。再び跳躍しつつ迫る液体を剣で切りながらセリーニは"呪文"を唱え始める。
思わずエルミスはもうすぐ溜まるストッカーを握りしめたまま、初めて見るセリーニの魔法文字に顔色を変えて"セリーニと同じ魔法"を唱える為にポーチから急いで風のスイッチストッカーを取り出し魔力を通す。
「「 零度の風にて凍結せよ 」」
「「 我が氷風 汝の動きを止める者也! 」」
セリーニとエルミスの身体の周りに初級魔法特有の一本の魔法文字が完成し発動する。液体のままだった鉱物はセリーニを捉えた形のまま霜を纏ってパキ、パキ、パキリと固まっていき停止した。地に足を着けたセリーニへ、凍りながらもぐぐ…と動き出そうとする物体に急いでエルミスは自身の魔力が入ったストッカーを投げれば、パリンッ!と音を立てて割れ魔力が染みこんでいくのを確認し、急いでスキャニングを始める。
「 同調 開始…! 」
パキ、パキリと小さな音を立てながら動き出そうとする鉱物がエルミスの詠唱と共に青白く輝く。
「 生と死の代償 望む秘匿の意思 鍵を護りし知能の剣 」
「 汝 我と同調せし者 互い 一つになりし者也 」
少しずつ霜が無くなり溶け始める鉱物から魔法文字が回り、スキャニング特有の上から下へと流れる魔力文字が成功を表していた。脳内に刻まれていく情報は、この建物を読み取ったモノとは違い"読める文字"で構成された"魔法道具"だと判明する。人の手で作られた魔法道具であれば"機能を停止"させることが出来る為、エルミスは危険を承知で自身の魔力が通った魔法道具へと手を当て処置を開始する。
「 量子接続 機能確認 行動解除 思考能力破壊 っ…伝達能力消去 再確認 接続不可 」
触れている手から魔力を通して魔法道具の機能を確認しながら一つ一つ呪文を唱えて機能を停止させていく間にも、凍っていた魔法道具は徐々に溶けていきエルミスの手を飲み込み腕へと侵食して締め付け、そして身体を飲み込もうと這い上がっていく。
眉間に皺を寄せて痛みに耐えながら呪文を全て唱え機能を停止させつつ、再び動き出さない様に重要な魔法機能を破壊する。念には念を入れて動かない事を確認すればエルミスの身体を回る魔法文字は弾け消え処置が完了すると、飲み込みかけていた鉱物は"意思の感じる事のない"液体となって地に染みこんだ。
「やりましたねエルミス…!」
「おう!…ところでセリーニ、ちょっといいか?」
「な、なんでしょう」
エルミスの言葉に思わずセリーニは目を逸らす。その仕草にやはり、と思いながらもセリーニのしなやかな手を握って問答無用で詠唱無しの簡易スキャニングをすると、二人の身体が青白く輝き、少ない単語で構成された一本の魔法文字が浮かび上がって流れる様に頭から足まで落ちる。
「…………魔力はオレより、いやむしろ稀に見る無尽蔵」
セリーニの年齢になればほぼ魔力量が決まってきていると思っていい。体力の様に有限である魔力は、補充する為にストッカーのマナを魔力に変えたり、休憩することによって回復していくが、セリーニにそれを行う必要がないほど魔力量が桁違なのだ。
桁違いな魔力を持っていれば上級魔法もストッカーなしで発動させることも可能なのだが…
「魔法技術がまっっっ……たくといっていいほど無いとは…」
「ううう…!生まれてこの方魔法の才が無くて…初級でも威力が弱かったり暴発したりと…」
魔力を持つ者と持たない者の区別は、身体を纏う微量の魔力粒子を見て判断する。魔力を持たない者にも魔力粒子は見えるため区別だけなら楽だが、"どれだけの魔力量を持っているか"までは魔力を持つ者でも判断できない。エルミスはセリーニと出会った時から"魔力を持つ者"と分かっていたため、てっきり魔法も人並みに出来ると思っていたのだが……セリーニが魔法を出し惜しむ理由が、魔法技術の無さにあると分かり納得をする。
剣豪の少女に的確な言葉を付けるのであれば"宝の持ち腐れ"だろう。エルミスが咄嗟にセリーニの魔法に補助を入れる様に呪文を唱えたのは"魔法文字の歪さ"を見たからだ。魔法文字の正確さと言の葉に乗る魔力量で適正な魔法が発動する為、魔法文字の歪さと魔力が正確に魔法文字に結びついていないセリーニの魔法は、エルミスの補助が無ければ液体を凝固する力が不十分だったか、あるいは魔法が暴発してしまうかのどちらかだった。
なんと勿体ないとエルミスは感じながらも、魔法を使わずに果敢に挑んだセリーニの剣業は確かだっただと感心する。
「でもすげーよ。剣業は見事だったし、セリーニが居なかったら…オレは多分アレに斬られてここにいねーからな、ありがとう」
「エルミス…、…私も助けられましたし、持ちつ持たれつです!それで、肝心の鍵はどちらにあるんでしょうか?」
剣を仕舞いながら物体が最後に地に落ち染みた場所をセリーニが凝視すると、エルミスは元の場所に居た中央の方へと指さす。その指から中央の台座へと視線を移したセリーニの目に映るのは、淡く光る小さな珠だった。
「あれが鍵…」
「あの鍵がどういったものかは分からねぇが、多分家宝の本に関わるはずだ」
こつん、こつんと靴音を響かせて二人は台座へと近付く。宙を浮く小さな珠は、まるで触れと言わんばかりの輝きを放っていた。エルミスはそれに誘われるがまま右手をゆっくりと近付け小さな珠へと軽く触れる。
「…!」
「エルミス…!?エルミス、エルミス…!」
キンッ――― 脳内に響く音と共にエルミスの意識がゆっくりと遠のく。ぐらりと傾き地に落ちかける身体を咄嗟に受け止めたセリーニの焦る顔色をぼんやりと焦点の合わない瞳で映し、そして完全にエルミスの意識が途絶えた。




