Chapter1-3
早朝から人の賑わう午前へと時刻が変わるころ。エルミスは食事代銅貨四枚といういつもの値段を出そうとポケットに手を入れると、その動作をコラーリが止める。
「お代はもう王子さまが払ったわよん」
「…あいつ」
ほら、と可愛らしい赤と白のドットマニキュアが良く映える爪とは似つかわしい太く骨ばった指に摘ままれた小さな紙には"専属鍛冶師分"と、綺麗に文字が綴られていた。ポケットに収まっていた手を戻してカウンターの椅子から降りたエルミスは、コラーリにご馳走様と言って店を出る。また来てねぇ~ん!と閉じたドア越しからでも聞こえる声に小さく笑いながら、早朝とは変わって慌ただしく賑わう街並みを歩き始めた。
東西南北の地方から中央に位置する王都魔法学校へと入学した者や、海を越えて入学してきた者もいる為、入学式典と卒業式典はいつもの倍以上は王都に人がいるのは恒例だ。この人の波は多くの経済効果を生む為、ホテルや出店、移動販売等の販売店が大声を上げて客引きをしているのをエルミスが見ながら魔法学校への道を歩いていく。魔法学校専門の大型馬車に乗る選択もあったが、裏道を使っていけば人混みも避けられてスムーズに目的地へと到着しやすい。途中道を曲がって細い裏道へと足を向けて歩けば、花に水をやる薬剤師や、ストッカーを作る鍛冶師の姿、走り回ってギルドの真似をする子供たちの姿が見える。
いくつかの細い道を進んでいけば、魔法学校正門とは真逆の裏門が見えるレンガ道に出たエルミスは、"検問"を受ける為に長蛇の列の最後尾へと立ち、少しずつ進んでいく人々に付いていく。数分もせずにエルミスの後ろにも長蛇の列が出来ており、前を見ればおよそあと五分と言ったとこだろう検問の簡易場所が見えてきた。十列、五列…と、減っていく列を眺めつつ自分の番になったエルミスは、二十人ほど居るであろうギルドの制服を着た検問担当の一人に身体検査を受ける。上から下まで、手で軽く触ってポケットの中まで入念に検査を受け、手に特殊なリストバンドを手首へと巻かれると、背中を軽く押されつつ"いいよ"という声と共に正門を潜る許可を得た。
特殊な素材で出来たリストバンドは"魔力非常装置"が埋め込まれた"機械と魔法"を融合させた第三大陸の産物で、攻撃魔法等該当する魔法を使用しようとした場合、リストバンドの中にある魔法機械が作動して強制的に巻いている本人の魔力を制限するものだ。今回エルミスはなにも魔法道具を持ってきていないが、スロット付きの魔法道具を持ち込んだ場合は、スロットに空のストッカーを入れて道具に番号を紐付けした後ギルド側が厳重に保管するようになっている。
「そういや…ギルドの人に護衛を頼んだって言ってたな…」
リーコスの言葉を思い出したエルミスは、人波に逆らうことなく第一正門から中央大庭園の路を歩きつつきょろきょろとギルドの護衛を探し始める。せわしなく動く黒を基調としたギルド制服を身に纏う人たちは、貴族の護衛、人の誘導から道案内、大食事街の出店を手伝っている姿が多く目に入る。
ここに果たして自分を探している者がいるのだろうか、と顔を動かして周りを見渡していると、不意に人波を逆らって歩く人物に気付くことなくエルミスはぶつかってしまった。
「わっ…!」
「あっ!ご、ごめんなさいっ…!」
ぱしんっ、とエルミスが倒れる前に腕を掴んで引き寄せた相手の力の強さと体幹で、咄嗟に"剣を振るう者"だと気付く。そのまま人の波から一歩外れる様に一、二歩誘導されると、エルミスは少し目線を上にあげてぶつかった相手を見る。
ふわりとした深緋色のショートボブと潤朱の瞳が黒のギルド制服に良く映えた、ざっと頭一つ分エルミスより大きいだろうその"女性"は、エルミスの方を見てポケットから紙を出し見比べる。一回、二回、紙と顔を往復する事三回となった時、ぱぁ!と顔を明るくさせてエルミスの両手を取り上下にシェイクハンドし始めた。
「あなたが魔法鍛冶屋シゼラスのエルミス・ロドニーティスさんですよね!」
「お、おう…」
「私、本日護衛を承りますセリーニです!あぁ、よかった…待ち合わせの場所等書かれていなかったので、人混みの中で一人ずつ顔確認をするしかなくて…ぶつかってしまいましたが、どこか痛いところはありませんか?」
「いや…それより、えぇっと…セリーニさんだっけか?」
「セリーニ、でよろしいですよ」
「じゃあオレもエルミスでいい。良く分かったな、その似顔絵で…」
シェイクハンドしながら丁寧な言葉遣いでセリーニと名乗ったギルド所属の女性が握ったままの紙をエルミスがちらりと見る。似顔絵と特徴が書かれたそのメモは、"特徴"が書かれていなければ一般の者ではとてもではないが"きっと見つけることが出来ない"。
良い意味で言うなれば、
「芸術的ですよねぇ…流石は一国の王子、このメモでさえ気品あふれる線の入れ具合です」
悪く言えば、
「ミミズが這った絵の方がまだ見やすいと思うぜ…」
壊滅的な絵心なのである。知られていない第一王子の秘密をここで公になるかと思ったが、どうやら同じ波長を持っていたらしいセリーニは大事そうにメモをポケットに仕舞ってエルミスを案内し始める。
「エルミスはここに来るのは初めてです?」
「いや、一回だけ…と言っても、中央大舞踏講堂にしか行ったことがない」
中央大舞踏講堂は、入学式典が行われた巨大ホールだ。一階が大舞台となっており、椅子などの設備は二階から四階まで、天井吹き抜け可能、特別閲覧席完備と、学校の施設に置くには勿体ないほどである。エルミスの言葉を聞いたエリーニは軽く拳を作った手で良く膨らんでいる胸をとん、と叩いて任せてくださいと意気込む。
「卒業式典はここ大食事街の先にある豪勇の広場で行われるので、もし宜しかったら何か買っていかれます?」
「んー…そうだな。軽くモノ買って観戦するか」
「では!前日出店の組み立てを手伝った私が、僭越ながらオススメであろう軽食を数個ご案内しますね」
「ん!そりゃあいい、よろしく頼む」
大食事街の人混みはすごいが、広い敷地とスタッフとして動く大人数のギルドによって上手く回っているようだ。呼び込みの声、人々の笑い声、まるで小さな国の様だとエルミスは笑みを浮かべて深緋色の頭の後ろを付いて歩く。時折すれ違うギルドメンバーと挨拶を交わしているところを見ながら、どうやら目的の店に着いたのか足を止めてシェフと会話しつつ銅貨数枚と引き換えで撥水トレーに乗ったオードブルを一つだけ受け取るセリーニに、エルミスはそのまま流れるような動作でトレーを持つと"もう一つ"と言って同じ枚数の銅貨を渡す。
「エルミス二つ食べるんですか?」
「一人で食うと味気ねぇから好きじゃねぇんだ、だからセリーニの分」
「えっ!ク、クエスト中の食事は…」
「食べねぇと王子に言いつけるから食っとけ」
半ば脅しの様な言葉を言いつつシェフからもう一つトレーを受け取り、蓋をしてトレーを二段持ちつつ歩き出すエルミスにセリーニは慌てて置いてあった使い捨てフォークを二本持って小さな背中を追いかける。追い付き隣へと並ぶときには、なぜか笑顔を浮かべてしまっていた。
「ふふ、優しいんですね」
「…早くジャンジャン買って座りに行こうぜ」
「はぁい、えっと次は…」
そのまま次々と魚や肉のメインディッシュに大量のデザート類を買い込んだ二人は、手提げ袋の中身が寄らない様に歩きつつ、セリーニの案内通りに足を運んでいく。豪勇の広場にそのまま行くかと思えば違う様で、向かう先は中央大舞踏講堂だった。歩きながら理由を聞けば、どうやら中央大舞踏講堂の特別閲覧席の一つが丁度豪勇の広場を見渡せる場所らしく、セリーニが特別閲覧席のドアを開ければ、ガラスの張った向こう側には多くの人と卒業生の姿が見えた。
「すっげぇ…こんなところがあったんだな」
「あと六部屋ありますが、こちらはエルミス専用として王子がご用意したそうです」
「あいつ過保護すぎるだろ…」
上質な黒いじゅうたんを歩いて設置されたカウンターの椅子に座りつつガラスの向こうに見える卒業生の中からリーコスを探し始めたエルミスは、手提げ袋から取り出したオードブルを食べつつ金髪を見つける。もぐりもぐりとスモークされたハムを食べながら"勇者の石碑"を見つめるリーコスに自然と石碑の方へと目を向ける。
「第一王子、勇者の素質があるのかもしれませんね」
「…まっ、伝説になりそうな男だとオレも思う」
"勇者伝説"は、文字通りアステラに古くから語り継がれる伝説。
約千年前にあった"魔王退治"が内容となっており、エルミスも小さなころから父や母に本を読み聞かせてもらったのを思い出す。あの"勇者の石碑"は魔王を退治した勇者を称える石碑であり、これ以上魔王を生み出してはいけないという戒めも込めた誓いの石碑なのだ。…と、言っても、魔王となりうる"因子"はここ数年、いや数百年は出現していないようで、伝承はいつしか空想と織り交ざってはいるが…。
だが物語として読むには面白く、久々に読んでみたいと思ったところで、音や声を飛ばすギアと拡声専用のギアを使った道具で国王の声が聞こえ始める。オードブルのトレーに丁度手を伸ばそうとしていたセリーニはそのままトレーをカウンターに置き国王に敬意のポーズをとったまま話を聞き始め、エルミスも口内に残ったハムの残骸をお茶で流し込んで静かに聞き始める。
千四百八十五人の卒業生たち、卒業おめでとう。という言葉から始まったが、その後の言葉はとても端的だった。
"自信と過信を間違えてはいけない。謙虚さも時には必要"
"魔法学校卒業"という肩書は、どんな場所でも有効なカードとなる。だが裏を返せば"自信が堕落の始まり"になるのだ。良くあるのが"魔法の暴走による自滅"――必要以上に魔力を使って威力が高く技術が必要な上級魔法を暴走させてしまい、周りの建物や人々に被害を与えつつ、身体を駆け巡る魔力の強さに対応できず命を落とすものがいる。
上級魔法は必ずしも"魔力が一定量有れば発動可能"という単純なものではない。鍛冶師専用のスキャニングとはまた違った"魔法技術"が必要で、"適切な魔力量"と"それを"発動させるための魔法文字の形成技術"が上級魔法を扱えるか、扱えないかの差になってくる。そして"形成された魔法文字"を一段、二段、三段と重ね、最終的に全て重ねて適切な威力を放出させるまでは、決して気を抜くことは許されないのだ。
無論、魔法学校を卒業する者であれば心得ているとは思うが、決して卒業したからと言って必ずしも上級魔法が出来るとは限らない。中級を幅広く扱えるだけでも凄い為、上級を扱えるものは卒業する千五百人弱の者達の中でもほんの一部だろう。
国王の話が終わり学校長へと変わると、エルミスは再びオードブルへと手を付け始める。セリーニも同じように蓋を開けてフレッシュチーズとトマトが乗ったクラッカーを食べる。さく、としたクラッカーともったりした舌触りのフレッシュチーズを酸味のあるトマトが引き締めている。おいしさに顔を綻ばせつつほかのオードブルをエルミスと共に食べていると、丁度学校長の話が終わったと同時にドアが三回ノックされる。三回ノックは"関係者"なので、セリーニは腰に据えてある剣の柄を握ることなく"はい!"と返事をすれば、静かにドアが開き、
「こ、こ、こ…!」
「しーっ、お嬢さんどうかそのままで。おぉエルミス、いいモノ食べているじゃあないか。ワシにもくれ」
「メインの肉が美味そうだったんだ。国王さまも一緒に食おうぜ」
「最近魚ばっかりで丁度肉が欲しいと思っとった!」
慌てて立ち上がったセリーニを軽く手を上げて止めさせた国王は、そのまま座るように手を動かしつつエルミスの隣へと座る。挨拶をしていた王家特有の服装とは違い、やはりそこらに居る貴族と変わらない衣装を身に包んでいた。がさがさと手提げ袋からメインディッシュの肉が入ったトレーを見つけると、余分に貰っていたフォークを国王に渡したエルミスは、食べやすい大きさへと切り分けていく。丁度これぐらいで髭に付かないだろうと一口サイズに切り分けた牛肉の赤ワイン煮込みをエルミスと国王の間に置けば、空いた小さなトレーを受け皿代わりにメイン料理が一口目が国王の口へと入っていく。ほろりと解ける肉の繊維質にうっとりと頬を綻ばせた国王にエルミスも美味いという事を確信すると、同じように一口頬張る。
その光景をセリーニが呆然と見ながらも、国王から"お嬢さんもぜひ、食べてくれ"と言われてしまえば従わないわけにはいかない。好意を受け取って同じものが入ったトレーを手に取ってソースが零れない様に食べれば、ほろりと解けてつつ濃厚な肉の味わいが口の中に広がり、その美味しさに緊張も解けていくようだった。
「ここに来たってことは、卒業生のスピーチはリーコスなのか」
「うむ。ついでにここに来れば妻にばれずに物が食べれる」
「ぶどうと桃のパイが売ってたから買ってきた」
「でかした。ワシも食う」
もぐもぐと食べながら会話をする国王は、どうやら今は国王ではなく一人の父親として息子の卒業式を観たいのだろう。滅多に見たことのないラフな国王の姿にどことなく微笑ましく感じながら、セリーニは二人からガラス越しのセレモニーへと視線を移して見始める。勇者の石碑前に設置された拡声器には、王子としてではなく実力で勝ち取った"主席卒業"の地位。
"リーコス・フィーニクス"という一人の卒業生が立っていた。
『全ての仲間たち、教員、用務スタッフ、父と母や街の方々のお力あってこそ、つらい時や苦しい時を乗り越え、魔法学校卒業という晴れやかな日を迎えたこと、大変感謝しています』
スピーチをする息子を見て王である父親はレースの施されたハンカチで泣いている。情に厚いのはエルミス自身の父親から聞いたことがあったが、やはり一人の親として嬉しいのだろうとエルミスはスピーチをする幼馴染を見ながら隣ですすり泣く音を聞く。主席卒業であるというのは直接聞いた訳ではなく母親との何気ない会話だったが、それ相応の努力を"幾度となく作り、打ち直してきた魔法剣"の情報で理解している。魔法学校入学時は中級魔法を扱う技術があるかないか微妙なところだったが、生まれ持った魔力量に見合った高度な魔法技術が扱えている事は、一昨日のスキャニング結果から見ても明確に分かる。
程よい長さのスピーチが終わり、卒業生が一斉に沸き立つと同時にオープニングパフォーマンスが始まった。圧巻の装飾専用魔法が空を彩り移動する卒業生やその場に留まる観客も一斉に視界を上に向けてパフォーマンスを見る中、一部スタッフは観客席の最前列に特殊な魔法道具を置き始めているところを見ると、どうやら卒業模擬試合の準備を進める様だ。あの魔法道具をスキャニングできる距離に居ない為確認できないが、観客に魔法が行かない様にするためのものだろうと推察する。
「…二位は女か」
「彼女も魔法技術はすごいんですよ。剣業も良いですし、なにより総合成績は主席の王子と二点しか変わらなかったそうです」
「へー、そりゃすげぇな。リー…じゃなかった、王子は総合成績何点なんだ?」
「九十七点です」
「……」
逆にその三点がなんだったのかが気になるエルミスだったが、また後で聞けたら聞こうと考えつつ手提げからパイの入ったトレーを取り出して王様の前に置くと、一切れ取って食べ始める。さくりとした軽い焼き具合のパイに、桃の甘さと葡萄の爽やかな味が広がった。総合成績は施設内の巨大掲示板に張られており誰でも閲覧可能となっているため、その情報をセリーニは伝えつつ同じようにパイを頬張りながら豪勇の広場に立つ四人の卒業生の内三人の説明を始めた。
二位は漆黒の髪を束ねたロディアという名の女性、魔法技術と剣業のバランスが取れたテクニカルラウンダー。卒業後は第三大陸に帰って機械魔法の発展に努めたいという秀才。
三位は橙頭の短髪をワックスで整えたダヴロスという名の男性、魔法技術と剣業はロディアに劣るものの実技と筆記はほぼ上位だった。卒業後は騎士団入りが決定している。
四位は癖っ気の茶髪を二つに括ったオルカという名の女性、王都アステラスの西にある産業地出身で、血の気が多く魔法技術は"無"属性の妨害系統に才を持つ。将来は農家を継いで魔物退治。
「一位だったリー…リーコスは四位の癖っ気とペアか」
「はい。ツーオンツーで試合をしますからね。一位と四位、二位と三位でペアになって模擬試合を行います」
「我が息子よ~~~!!頑張れ~~~!!!!」
ガラス越しから果たして聞こえるのか。気合が入った王様の声援が室内に響くと、何を察知してか当本人がこちらの方へと視線を向けて軽くウインクまで寄越してきた。それをエルミスがぱっぱと手で払う仕草で返せばリーコスが肩を揺らして笑っているのが見える。随分と余裕に見える態度だが、あれこそ"落ち着かせるため"に、あえて"いつも通りにする"という事を意識して行っているのをエルミスは知っている。
そのまま所定の位置に着いた四人が一斉に"得物"を抜く。魔法剣がコーキスとロディアの二人、片手剣とブレスレットがダヴロス、二本の短剣と指輪四つがオルカだ。
エルミスはリーコスと同じ種類である魔法剣を持つ二位のロディアに注目する。第一大陸アステラス国から海と国境を抜けた北東に第三大陸があり、"機械"と"魔法"の融合を目指す、魔法特化のアステラスとはまた違った大陸である。その特徴が魔法剣に良く表れており、リーコスの透明感のある魔法剣とは対照的に剣身に"魔法属性切り替え基盤"と呼ばれる第三大陸特有の"機械"が埋め込まれていた。エルミスが自分の目で見るのは数回ほどだろうその機械は、文字通り"属性切り替え"がスイッチストッカーを使わずにできる代物だ。一見便利そうに見えるが、もちろんデメリットもあるため、魔法道具を手掛ける鍛冶屋シゼラスではたとえ輸入できる状態でも使うことはない。
室内に広場の声が聞こえ始めた。どうやらギアが広場の声を拾って室内に流しているようで、これでどのような魔法を使って剣を振るうかが分かる。模擬というものを保つために礼から始まり、教官四人と救護班八人が何かあった時のためすぐに出られるよう準備をする。
両チームの距離およそ五メートル。その中央に立つ教官の一人が手に持っていた剣を振り下ろして戦闘となる場から離れれば、四人の影が一斉に中央へと向かった。
最初に行動を起こしたのは三位の橙頭を持つダヴロスだ。血の気が多い四位のオルカに向かっていくと、片手剣と二本の短剣音がぶつかり合う。剣業はどちらかと言えばダウロスの方が繊細かつ的確で、身体を大きく使って二本の短剣を振り回すオルカの攻撃をしっかり受け止め流しながら急所を突こうと剣を振るう。だが流石に簡単に行くはずもなく、オルカは柔らかく撓る身体を上手く捻りながら攻撃を躱してダヴロスの背中に飛びながら回ると、嵌めていた指輪の一つから魔法文字が浮かび上がりオルカの身体を一本の呪文が包む。
『 憂慮 その脈錠に不規則 慈愛なき脈測 我が―― 』
『くっ…!』
オルカの呪文文字が完全になる前にダヴロスは後ろに振り向きながらオルカの周りを廻る魔法文字の一部を魔力を帯びた短剣で"切る"。ばらりと一部が崩れた魔法文字を共に、オルカの脇腹、脚、そして腕を容赦なく剣身が抉った。魔法学校の制服は鮮血で色濃くしながら飛沫が上がるほど深く傷を負ったにも関わらず、オルカは身体を引くどころか、片方の手で握っていた短剣を宙に放り投げダヴロスが突き出して引く前の腕をがしりと掴むと捻り上げた。
『 慈悲なき脈測―― 』
『 流々たる水の波紋―― 』
切られ壊された魔法文字を再び追加したオルカ、くるりくるりと魔力で発光した魔法文字が追加され身体を廻り始めると、ダヴロスも封じられ動くことが出来ない剣からブレスレットに魔力を注いで魔術を使う為に呪文を唱え始める。詠唱の短さから詠唱短縮魔法陣が刻まれたブレスレットを持つダヴロスの水の魔法が先に繰り出されるかと、エルミスを含め広場にいる皆誰もが思った、
『 我が混沌 汝に背負わせる者也 』
『 我が流水 汝に濁流を与える物也 』
ほぼ互角だった。しかし"ほぼ"は"同じ"ではない。正確さはほぼ同じだが、呪文完成と共に発動する魔法はオルカの方が早かった。完成したオルカの魔法文字はダヴロスの体内へと勢いよく入ると同時にダヴロスの完成した魔法文字が発動しオルカの身体を勢いよく引き剥がす水流が身体を巻き込み流される。
一瞬で水浸しになる中級魔法は広場のコンクリートを色濃くしつつ四人の足元を濡らすが、特殊な魔法道具を境にして観客には届かない所を見ると、やはりエルミスの読み通り魔法によって発生したものは通さない様になっているようだ。観客席ぎりぎりまで流されたオルカはそのまま立ち上がって脇腹の傷を手で押さえながら不気味な笑みを浮かべて高笑いする。
『アッハッハ!!流石ダヴロス、君の判断力は素晴らしい!先に私を潰さないと"動けなくなる"からなぁ…!』
『チッ…誤ったぜ。だがお前も水流と傷でかなり体力がやべーはずだ。大人しくしてろじゃじゃ馬女が…』
一見傷を負っていないダヴロスだが、顔に脂汗を浮かべて息が上がっており、ブレスレットに嵌っていたスイッチストッカー二本とストッカー二本が弾けて消え、スロットから魔力が放出しているのが分かる。
「妨害魔法か…ダヴロスってやつの魔力が不規則に漏れ出してやがる…"無"属性は六属性と比べて扱うのが難しいやべー魔法だが…それを上手く発動させている。暫く三位の男は魔法どころか、立つのもやっとだな」
――保有している魔力は血液と同じように規則正しく身体を駆け巡る。その為自分が意図せず魔力が漏れ出すだけでも身体に負荷が掛かるどころか、身体を駆け巡る魔力が不規則になってしまうと"自分で正常に戻す"事は難しく、医療班が不規則な魔力を正常に戻す治療をするまでは重い身体と暗く、そして白くなる思考を抱えなければならない。エルミスは実際に妨害魔法を受けている者を見るのは決して初めてではない為、あのオルカという女生徒が四位という順位でいることに納得いかないほどの魔法技術の高さだと考える。
剣を振るうどころか立つのもやっとなダヴロスは、そのまま地面に座って霞む視界で"妨害魔法を受けていない"ロディアの行動を見つめる。妨害魔法を受ける事を前提として攻撃を仕掛けたが、出来れば受けずに倒したかったと考えつつ額に浮かぶ脂汗を振るえる手で拭った。
一位と二位の差は無いと言って良いだろう。魔術も剣業も互角、なにで差を付けるかは戦術か魔法の正確さだ。詠唱短縮魔法陣が刻まれている魔法剣を振るう二人の身体の周りには常に一列の魔法文字が現れ、そして発動していく。水、火、風、地の初級魔法が剣と共にぶつかり合い弾けて消え、残るのは魔力と魔法の残滓だけだ。
「ロディアさんと王子の剣筋は見事です。正確に急所を突こうとしてそれを止める腕が二人にはある…」
「……」
「お嬢さん、良い目をしている。そしてそれ相応の良い腕をしている」
「こ、光栄です…!」
セリーニの言葉にエルミスは二人の間合いを動く剣筋を注意深く見ようとするが"速く"て見ることが出来ない。正確には"ぶつかり合って"一瞬止まる二本の魔法剣を見ることが出来るだけで、動く剣筋は素人のエルミスでは追うことが出来ないのだ。だが国王が"それ相応の腕"と称えるということは、セリーニはリーコスやロディアの剣筋を追えれるぐらいの剣の腕をしているのだろう。自分を探すときにすれ違う多くの人の顔を一瞬で判断できる動体視力や、ぶつかってしまった時に自身の腕を掴まれた際感じた相手の体幹の良さと起き上がらせる時のしなやかな筋肉の感覚にエルミスは一人納得する。
そんな中、先に攻撃を仕掛けたのは魔法属性切り替え基盤が"クールタイム"に入る前に決着を付けたいロディアだ。
魔法属性切り替え基盤は"常に使い捨てではあるがすぐに装填できる"スイッチストッカーとは違い、機械魔法で出来た魔法属性切り替え基盤は"発熱"を起こして一定時間使えなくなるため、再び使うためにはクールタイムが必要になる。そのためそれまでに決着をつけなければ"大きなハンデ"を背負ってしまう。だがそのハンデ前に決着を付けれるほどの実力がロディアにはあったからこそ二位という位置にいる。
『 鴻大 』
『 熾烈 』
言葉の選択にロディアが上級魔法を使うと判明した観客とエルミス一行、そしてそれに気づいたリーコスも、ロディアの詠唱にかぶせる様に詠唱を開始する。先ほどダヴロスがオルカにやったように魔法文字を壊しに行く手もあるが、一度作った魔法文字の一文を完成させてしまうと、発動した際に防御の用意や相殺するための魔法を用意できない方が圧倒的に不利になる。だからこそリーコスもロディアの上級魔法を相殺で出来る様、それ相応の魔法を用意するために魔法剣の切っ先を宙に向けながら、ストッカー専用ホルダーからスイッチストッカー一本とストッカー一本を取り出す。
『 烈々たる剛炎 趨勢しうるは炎の渦 』
『 変位たる炎流 変遷せし焔の波動 』
互いに第一文が詠い終わると同時に、身体を廻る魔法文字の上に次の魔法文字を重ね始める。
『 精強たる監獄 人全てを飲み込みし灼熱の大輪 』
『 "変転" 叡智の漲水 大地を満たす水面の滞弓 』
リーコスがスロットにストッカーを装填してマナを魔力に変換させつつ、水の魔法陣が刻まれたスイッチストッカーを装填して"変転"――つまり詠唱を続けたまま属性を切り替えれば、水のスイッチストッカーを入れた魔法剣は水色に輝き始めた。それを見ていたエルミスは上手く切り替えが出来ているという事、そしてそれを使いこなせるようになるまでリーコスの魔法技術が上がっていることを改めて感じる。
他属性を重ねるのは、初級魔法でもある程度技術がいる。魔法学校在籍者は中級魔法に属性二つを重ねて使用することが卒業の最終必須項目として挙げられており、出来ない者は卒業試験で落とされてしまう。入学時五千人満員から卒業まで残るものはざっと二千人いれば上等と言われており、落とされたものはそのまま留年するか退学の二択を選ぶことになる。その必須であり決して簡単ではない他属性の魔法重ね掛けを、中級ではなく"上級"で"二人ともやろう"としており、切り替えをし始めたロディアの魔法剣が褐色の光を発し始めた。
『 "変転" 波動の大地 世界を揺るがす破滅の石巌 荘厳の光景を見せよ 』
『 流動の海 全てを覆う重厚たる溟渤 烈度生彩で包み込め 』
詠唱が完全に完成してしまう前に教官と一部のギルド班が観客席に被害がいかない様にと防御魔法に切り替え、特殊な魔法道具の側にいるギルド班と鍛冶屋がストッカーを十本セットして出来るだけ被害がこちらに来ない様に万全の体制を整えた。
三本の魔法文字が互いの身体を覆い廻る。魔法文字の正確さ、言の葉に乗る魔力量、どちらも引けを取ってはいない。最終的に決めるのは"重ねた相応の威力"によって委ねられる。
『 我が焔岩 汝に消滅を求める者也!! 』
『 我が水球 汝に水面の器を与える者也 』
束ねられた三本の魔法文字は宙へと舞い上がり巨大な魔法陣を空へ描く。赤い魔法陣から飛び出してきたのは火を纏う巨大な隕石そのもの。小街一つ分入るほどの豪勇の広場を埋め尽くす巨大な隕石の出現に観客は一気に悲鳴を上げる。それもそうだ、たとえ模擬試合といえど"本物の魔法"であることは変わらない。恐怖の声にギルド隊が声を上げて落ち着かせていると、一瞬にして恐怖の声は一斉に止む。静寂とも言えるその沈黙は"恐怖"ではなく、あまりにも唐突な静けさに、なだめていたギルド隊達が観客から視線を移動させる。
水の魔法陣から溢れ出る巨大な"火水球体"。まるで波のように水球を走る火の美しさに、誰もが声を出すことが忘れてしまったかと思うほどだった。水球はやがて落ちようとする隕石を受け止め包み込んだかと思えば、水中で発生した"水の矢"によって砕かれる。辛うじて見える気泡交じりの水矢のシルエットが岩を石に変えるまで粉砕すれば、その巨大なエネルギーにより大きな音を立てて空に弾けて消え去った。
やられた!という表情を浮かべたロディアは上級魔法を使いきってしまい、クールタイムに入り柄が持てなくなるほど熱くなった魔法剣を納剣しながら走り出し、ダヴロスの側に転がっていた片手剣を手に取りリーコスの元まで駆ける。火の魔法が混じる雨が晴天の下に降り注ぎ、束ねた金の長髪を光らせる男を一点集中で向けた切っ先を難なく魔法剣で受け止めたリーコスは、そのまま右上へと払いながら鍔と剣身を繋ぐ根元を真上に叩き上げた。キィン!と甲高い音が広場に響き宙を舞う片手剣がガツンッ!とコンクリートを抉って突き刺さったと同時に、魔法剣の剣先がロディアの首筋約二センチのところでぴたりと止まった。
『りょ、両チームそこまで!勝者主席四位ペア!』
教官が声を上げて勝負の終わりを告げると、広場にいた全ての者が歓喜の声を上げる。響く声の束は特別閲覧席の強固ガラスに振動を与えるほどの熱狂だった。国王とエルミスも四人の試合の熱を語り合い、セリーニも興奮冷めやらぬ様子で広場の四人を見ていた。
魔法剣を下ろして鞘に納めたリーコスは相手に敬意の礼を一つすると、救護班に手当てを受けているオルカの側へと駆け寄る。歓喜の声で何を語っているかエルミスには分からないが、きっと心配と労いの声を掛けているのだろう。濡れた癖っ気の髪を揺らしながらニヘラと笑うオルカに安堵の表情を浮かべているリーコスは、救護班に一言ほど声を掛けて広場から退場する。無論、観客に爽やかな笑顔を向けながら手を振る王子スマイルを忘れずに。
卒業模擬試合が終わり、ラストフィナーレである後夜祭の準備が行われようとしているころ、エルミスとセリーニは国王と別れて魔法学校の門を出る。エルミスは眠気がピークを迎えてきたのと、後夜祭は特別気になるものが無かったため家に帰るとセリーニに伝えたところ、門まで見送ると言って付いてきた。
「エルミス、またギルドでの依頼があれば…その時はぜひまたよろしくお願いしますね」
「あぁ、今日はさんきゅセリーニ。あー…じゃあ今度ギルドに頼むときは指名する」
「ふふ、はい!」
にこりと微笑む年上の女性を、年下の少年はほんの少しだけ照れ臭そうに頬を指で軽く掻き軽く手を振って別れると、午前とは打って変わって人の少ない本通りを歩き始める。後夜祭目当てに来る者もいるが、卒業式典全ての項目が終了する時の帰宅ラッシュよりも人も格段に人が少ない今がチャンスなのだ。華やかな歓声が遠くの方で聞こえる頃には、鍛冶屋の看板が見えるほどまでになった。家に帰るよりも店の方が近い為、エルミスはそのまま父の居ないカウンターの中に入って工房の鍵を開けて簡易寝室ではなく地下書庫へと足を進める。
とん、とん、とん、と階段を下りて光のギアが内蔵されたランプを付けると、丁寧に整頓された本棚が目に飛び込む。
「勇者伝説…勇者伝説…お、あった!…ん?」
久々に読みたくなった感情は今でも消えず、本棚の端から勇者伝説と書かれたラベルを探し始めたエルミスは、一応丁寧に整頓されていた本棚の為すぐに見つかった勇者伝説の本を抜くと、その隣に置いてあるもう一つの本にも注目した。
注目した理由は大きく一つに絞られる、"何が書いてあるのか分からない文字"という事だ。五大陸束ねるアステラは言語共通なので読めない文字が出てくることはない、そのため"読めない文字の本"が出ることがないのだ。なぜこんな訳の分からない本がそもそも鍛冶屋の書庫にあるのだろうか…そう考えながら表紙を捲って中を確認すると、表紙と同じような文字が永遠と並んでおり、どう足掻いても読める本ではないと悟ったエルミスは、この本が一体何なのかと明日来る父親に尋ねる為そのまま勇者伝説と共に抱えて地下書庫の階段を上って工房に戻る。
「やっ、」
「…お疲れさんリーコス。いいのかよ主席が後夜祭不参加で」
「からかっているだろうエルミス、その笑みはそういう時のものだ」
「女の手を繋いで踊るだけじゃねーか」
「柔らかい女性の手を掴んだら骨を折るかもしれないだろう」
「シャイだなぁ…」
工房の壁に設置された開閉窓から見える相手に、さして驚く事無く防犯魔法を切って窓を開けてやれば、ひょいと軽く飛び越えながらリーコスが工房に入ってきた。てっきり後夜祭にも参加するのだろうと思っていたエルミスは話を切り出すと、耳を真っ赤にしながら視線をきょろきょろと動かすリーコスにニマリと笑う。
あれだけ模擬試合で女性と対等に技を繰り広げたり、女性の観客に笑みを浮かべたりとサービス精神の多い男ではあるが、実際は女性の好意に意識しやすくサイドの長い金髪に隠された耳は赤くなっているのだ。周りが気付かぬだけで、エルミスとその一部は良く知っている。
軽口を叩きつつ外をきょろきょろと見渡したエルミスは護衛を探すが見当たらず、護衛を付けていないという事はどうやら今日はここで泊まるのだろうと納得する。小さなころからリーコスは良く家や工房にやって来てはエルミスと共に寝泊まりをしている。護衛や王様には伝えているため行方不明扱いからの特別捜索願等出される事もなく、単純に幼馴染として接することのできるエルミスの家や工房を、リーコスは第一王子という抱えるモノを置く事が出来て気に入っているのだ。友人はそこそこいるが、長く共にしているエルミスは特別な存在にある。それをエルミスは分かっているのか、特に咎めることもない。
再び窓を閉めて防犯魔法が作動するボタンを押すと、魔法学校の制服から上質な素材を使っているであろう普段着に着替えているリーコスと共に簡易寝室へと向かう。普段からエルミスぐらいしか使っていない簡易寝室は昔は若い時代の父親が、そしてその父の父親にあたる祖父が…と、若い者が夜更かしして道具を打ち直した後、疲れた身体を休ませる為に作られた一種の伝統たる一室だった。ドアを開けてランプを灯すと、小さな柔い暖色の光が簡易寝室を照らしている。
「勇者伝説じゃないか」
「おう。お前が石碑を見ていてふと思い出してな」
「見ていたのかい?その熱視線を気付けなかった俺もまだまだかな」
備え付けられていたベッドの隣に畳まれていた簡易ベッドを組み立て始めたリーコスが、ふとエルミスの手に持っている本に懐かしさを覚えて言葉にする。リーコスも色んな勇者伝説の本を読んではいたが、エルミスが持っている物は特に簡単で分かりやすく、そして広く伝わっているものだ。
簡易ベッドを慣れた手つきで組み立て終わり備え付けのベッドにくっ付け、マットと毛布をクローゼットから取り出して寝床を用意すれば、腰に付けていた簡易剣帯ごと魔法剣を壁に立て掛けてベッドに腰掛けつつリーコスはエルミスが手に持っている本を覗き込む。それに気付いたエルミスは二つくっ付いているベッドの間にぺたりと本を置いて見やすいようにすれば、小さく礼が返ってくるのを頷いて受け取った。
"勇者伝説" ――"魔王の因子"となりうる特別な魔族を"覚醒"させる前に消滅させることでアステラの平和は保たれていた。
だが、郷暦4020年の年を迎えたころ、魔王の因子を持つ魔族の発見が遅れ覚醒させてしまい、力を付けた魔王は第一大陸アステラス国の北にある第二大陸ヴォリダの半分を消滅させることで全世界に"魔王誕生"を伝えさせた。
多くの魔獣を引き連れ大陸を横断し蹂躙する魔王に危機を感じた五大陸の王たちが、魔王の魂を浄化し消滅させる事の出来る"光の使者"を探す。六属性の中で最も稀な"光属性を生まれ持って身に付けている者"でしか、闇の力を付け覚醒した魔王を完全に倒すことが出来ないからだ。
光属性を疑似的に作り出した者や、生前光属性を持っていた死者を掘り起こし、身に着けていた魔法道具を借りて挑んだり、死者を操ったりと、多くの策を練ったが結果的に返り討ちに合い魔王の進行は止まらなかった。
だが魔王を倒す"光の使者"が現れる。彼は光属性を持つ剣業の勇者で、多くの魔法使いを束ねて世界を破壊しかけた魔王を倒し、その奇蹟に世界中が勇者を称えた。やがて勇者は剣を置いて学者となり、アステラス国に移り住んで国を発展させた――
「こうなるとお前も光の使者だから、いずれは魔王退治とかするんじゃねぇか」
「それよく言われるよ。光属性を持っている為、何れは魔王の因子を摘めなかった時の為に剣を身に付けよってね。だが、勇者はある特徴がある。だから俺はなれないよ」
「…?なんだよ、その特徴って」
「魔法が下手なんだ、勇者は。とてつもなく魔法が下手な代わりに人を超越した剣業を持つ者が勇者となり、魔王に勝利したんだろう」
「……流石に魔王も剣業には対応できないから、ってやつか?」
「あぁ、魔王は魔法を扱えても、剣や拳の力の使い方に関しては素人同然だったと書庫にある古い文献に書かれてあったからね」
"俺は魔法も扱えて剣も扱えるが、光属性を持っているだけで勇者じゃない"と言い切ったリーコスに、エルミスは勇者伝説の本を閉じて枕元に置いてある読めない本の上に重ねて置くと、束ねず自由になっている金の長髪を持つ相手の頭をがしがしと乱暴に撫で始めた。
「ま、お前よりスゲー剣業持ってるやつ、どこにでもいるしな」
「…君は本当に乱暴だが優しいね」
「うっせーぞ。早く寝ろ。オレもねみーんだ…」
リーコスの言葉にはあるものが含まれていた。王子として、そして"光の使者"という稀にしかいない光属性を持つ者としてのプレッシャーや責任を常に向けられている。だが"魔法が下手である"という事はエルミスが知らなかった通り"それほど人々に伝わってはいない"為、知らない者や純粋に王子が勇者になるであろうという期待を持つ者の声がどうしても聞こえてしまう。否定をしても聞こえるものは流すしかないが、それでも期待する者の想いは一瞬でも心に残ってしまうもので。
きっとそんな声があの広場に多く溢れていたのだろう、石碑を眺めていたリーコスを思い出したエルミスは察し、労いの意味も込めて撫でた後もぞもぞとベッドに潜る。乱れた髪を軽く手櫛で直したリーコスも簡易ベッドに寝転び毛布をかぶるとサイドテーブルに置いてあるランプに手を伸ばして明かりを切ると、一気に暗くなり小さな丸い窓から差し込む月明かりが部屋に一筋の光を差す。訳十秒、エルミスのベッドから寝息が上がる。無茶をさせてしまったことに詫びの心を持ちながらも、自身の為に寝る間を惜しんで全力を尽くしてくれた幼馴染に感謝しながらリーコスも目を閉じて眠りに入り、二人の長い三日間が終わった。




