Chapter1-2
王都にある魔法学校はもっとも入学が難しく、またもっとも卒業が難しい。そして五大陸の中でもっとも大きな規模を誇る学校の為、式典も盛大に行われる。
朝日が辛うじてまだ顔を出さない早朝。打ち直しが終わった魔法剣の最終確認をするために、作業机から立ち上がって戸棚からストッカーが入った箱を取り出し蓋を開けると、一定量マナが入ったストッカーが淡く緑光を放っている。
十五センチほどの細長いガラス棒のような見た目ではあるが、初級魔法しか使用できない魔力でも、一本使えば中級魔法を正確な威力まで底上げできるほどの魔力が込められている。カラン、カチリと重なり当たる音が工房に小さく響くのを耳に掠めつつ、エルミスは一本手に取って魔法剣の柄に二つ穴が開いているうちの一つにストッカーを近づける。
六角形に掘られたこの穴こそ"スロット"と呼ばれるもので、ストッカーを入れれば剣身と結びつきマナを魔力に変換させ、スイッチストッカーを入れれば刻まれた他属性の魔法陣が反応できるようになっているのだ。
柄とストッカーは決して同じ長さと幅ではない。だがスロットにストッカーを入れていくと、ストッカーはまるでスロットにぴたりと嵌るように"吸い込まれ"ていく。"カチンッ"と音がすれば、六角形の穴にストッカーが隙間なく敷き詰められた。
「 量子接続 魔力流動 固定 流動 再度固定 魔力強制放出 」
エルミスの呪文が口から零れると、言の葉と結びついた魔力文字が身体を中心として駆け回る。ひとつ、ふたつ、みっつと呟く度増える魔法文字が駆け回り、一つの魔法として成立させようとしている。魔力強制放出の言葉と共に魔法文字が弾け、スロットにセットしていたストッカーが"ぱんっ"と小さな破裂音を立てて空になる。
「いいな。上手くマナが魔力になって、マナの路にしっかり走ってる…あとはスイッチストッカーか」
ストッカーが入っていた箱にそのまま手を突っ込んで五センチ程の細長いガラス棒を取り出す。淡く水色に輝くそれは"水属性専用魔法陣"が刻まれたスイッチストッカーだ。エルミスはそのままスロットに"カチン"と音を立てて嵌める。
「 属性接続 」
たった一言だけだがこれが起動になり、透明感のある剣身が一瞬で水色の光を帯びだす。そしてそのままエルミスが自分で持つ"火の属性"魔力を魔法剣に流し込めば、水色の淡い光は緋色へと変化した。再び属性魔力を送るのをやめると、透明感のあるただの剣身へと変わる。これも上手くいったようだと独りでに納得の頷きをひとつしたエルミスは専用の器具を使い、鎚で専用器具の後ろをコン、コンと叩きスロットに嵌ったスイッチストッカーを取り出す作業に掛かる。使い捨てではあるが、まだ使えるものを無駄にするほど職人魂は捨てていない。少しずつ押し出されたスイッチストッカーは、やがてカツンッと音を立てて作業台に転がる。専用器具を使わずに無理やり外すことは可能だが、スロットを傷つける恐れがあるため推奨しない。だからこそストッカーを充填して使う方が魔法道具も長持ちするのだ。
確認を終えた魔法剣を鞘に納めたエルミスは、鎚を作業台に置いてシャワー室へと向かう。打ち直しから解放された思考は一気に眠気を誘っていたが、身体に纏わりつく汗と鉄から出た不純物を流すための気力を振り絞る。
作業着のつなぎを脱いでシャツと下着を洗濯籠に放り投げてシャワー室に入ると、湯を出すためにハンドルを回す。シャワーコックから流れる温かなお湯を頭から被り、シャンプーとボディーソープで髪と身体を洗う。泡立つ身体を湯で流し、ドアを開けてバスタオルをひっつかむと髪と身体を拭いつつシャワー室から出る。まだ乾いていない髪をそのままに、母に持ってきてもらったラフなシャツとズボンを身に纏ったエルミスは、タオルを肩に掛けてドライヤーを手に取り髪を本格的に乾かし始めた。
火と風の"ギア"が組み込まれたライフライン道具の一つ。スロットストッカーとはまた違った"生活魔法道具"専門の道具"ギア"は、『魔術師が魔力を送って発動する属性魔法』のスイッチストッカーとは違い、『ギアがマナを魔力に変換して一つの動作を行っている』のだ。
"火を起こす""水を出す""風を送る""電気を起こす"など、単純な動作を多く組み合わせてライフライン魔法道具が作られる。戦闘用の魔法道具として扱うとすぐに壊れるが、単純で簡単なものであれば壊れることはほぼない。"ギア"を作り、全ての生活を支えるライフライン整備屋は、鍛冶屋とまた違った技術を得ているのだ。
髪を乾かし終えドライヤーを所定の位置に戻し、鞘に収まった魔法剣を手に取って工房のドアを潜る。厳重に鍵をかけてカウンターから出るが、未だティールブルーの髪は太陽の光を浴びることなく薄明かりの空が広がっていた。
「腹減ったな…腹ごしらえするか」
もし腹ごしらえ中にリーコスが店に来てはいけないので、書置きをカウンターに置き、魔法剣を持って一件の店へと向かう。ほぼ一日中やっているその店は、昼は食堂、夜はバーとして店に明かりを灯している。打ち直しが朝まで掛かった日は、ほぼその店の食事に世話になるのがエルミスの夜明かしルーティーンだ。ほぼ人の居ない街を歩きつつ、早朝からパンの仕込みをする店主に軽く挨拶をしつつ店に到着する。
"あなたのお店・ラグダーキ"――と書かれた看板が掛けてあるドアを押すと、木と酒の香りと、食事の香りがエルミスの鼻を擽った。ちりんちりん、とドアベルがほぼ人の居ない店内に響き、来店の合図でドアの方を見た"店主"が、ぱぁ!と顔を明るくして、
「あんらぁ~、エルミスちゃんじゃなぁ~い!いらっしゃ~い!」
――と、美しい筋肉に相応しい化粧ばっちりの男性店主が声のトーンを上げてエルミスを出迎えた。
「おはようコラーリさん。ごはん注文できる?」
「当然よぉ~!なににする?いつもの?」
「バター多いめ。あと食後の珈琲は有り」
「あら、今日はお出かけ?もしかして魔法学校の卒業式典見に行くのかしらん?」
エルミスはカウンターの長椅子を少し引いて座り、脚の間に魔法剣を立て絡ませるように挟む。店で盗難するような者は居ないと思うが、念には念を重ねるのがエルミスだ。せっかく打ち直した魔法剣を持ち主に渡すまで気を抜くことはできない。
コラーリと呼ばれたガタイの良い店主は、白いフリルの付いた黒いエプロンを身に着けて接客している。生まれたころからこの店の世話になっていた様だが、物心ついたときは大層驚いた。だが今では、この姿以外で接客することを想像する方が難しいほどに、フリフリ女装筋肉のフォルムに慣れてしまったのが恐ろしい。
コラーリは簡単な注文を伝票に書くと、手際よく玉ねぎ、鶏肉、にんじん、ピーマンをみじん切りにし、温めたオリーブオイル入りのフライパンへと投下する。熱を加えて甘いにおいの漂う玉ねぎの香りにぐー、きゅるる…とエルミスの腹が鳴いた。腹の虫の訴えを聞いたコラーリは具材を炒める手を止めず、フライパンの柄を持っていた手を放して小鉢を掴むと、フォークと一緒にエルミスの前へ置いた。
「すぐ出来上がるけど、ちょっとそれで我慢してねん?」
「さんきゅ」
小鉢にはクリームチーズと生ハム、オレンジが混ざった前菜だった。きっとバーでのつまみとしても出していたのだろうそれを、エルミスは有難くフォークで掬って口に運ぶ。甘酸っぱさ、まろやかさ、しょっぱさが混ざってエルミスの舌を眠気から食事へと誘う。
ケチャップを入れて食材を炒め終わったそこに白米を投入したコラーリは、自慢の筋肉と手首のスナップを聞かせてフライパンを煽る。白と赤でまだらだった白米は一気にケチャップライスへ変化すると、白い皿の上へと丁寧に盛られる。キッチンペーパーでフライパンを軽く拭いて多めに切ったバターをフライパンに入れれば、一気にバターの香りが店内に広がった。ボウルに卵三つを割り入れて溶きほぐした卵液を、ふつふつと気泡を作るバターの海へと投下すれば、フライパンを振りつつスパチュラで玉子に空気を含ませるように混ぜていく。その光景をエルミスは見ながら小鉢を食べ終えると、とん、とん、くるり。皺一つない綺麗なレモン型の玉子がチキンライスの上へと乗った。
皿をエルミスの前に置いたコラーリは、果物ナイフを手に取って横一線に切れ目を入れると、ぷるりと半熟の卵が広がりキチンライスを覆い隠した。ケチャップでハートを描いてスプーンを置いてやれば、エルミスはハートを崩す事をせずそのまま食べ始める。一口。玉子とバターの香りにケチャップの甘さと酸味、具材と米が歯と舌を刺激して胃に収まっていく感覚は、まさしく食事をしているという幸福そのものだ。
「うまい」
「ありがと~!エルミスちゃんは私のハート、消さずに食べてくれるから好きよ」
「はいはい」
ばちーん、とマスカラマシマシのまつげをはためかせながらウインクをしてミルを引き始めたコラーリをそのままにオムライスを食べるエルミスは、店内で流れるラジオに耳を傾ける。丁度朝のニュースには"王子が魔法学校を卒業"という言葉と共に"ギルドへと入団"という言葉が続けられた。その言葉に思わずエルミスはスプーンを止める。
「あいつ…"騎士団"じゃなくて、ギルドに入るのか…」
「あら、幼馴染なのに聞いてなかったの?」
「基本事後報告なんだ、あいつ」
この国には王家直属"騎士団"という王族や国王を護る専用部隊と、国全体に支部があり、依頼されたクエストを熟す"ギルド"の二組織がある。ギルドと騎士団の入隊年齢は"十五歳"と決まっており、十六で魔法学校を卒業する者はそのままギルドや騎士団に入るものもいれば、国を出て海を渡る者もいる。だが王家の血を持つ大半の者は騎士団に入隊するものが多く、元国王は現在騎士団の責任者という立場で大切な一戦以外は身を引いているが、昔は騎士団として活躍していたのをエルミスは祖父から聞いたことがあった。
てっきり同じように騎士団として入隊するものだと思っていたエルミスだったが、リーコスがギルドに入団するという事は、彼の意志あってのものだろうと考える。スプーンを持つ手を再び動かしつつ胃の中へとオムライスを収めていくと、食後の珈琲が入ったカップと冷えたミルク、シュガーポットがカウンターの上へと置かれた。もぐり、と咀嚼をしながらシュガーポットの蓋を開け、角砂糖を二つ放り投げティースプーンでかき混ぜた後、ソーサーにティースプーンを置き冷えたミルクを流し込む。ぐるりぐるりと円を描いて黒に溶け込んでいく白は、やがて交わりミルクコーヒーへと変わる。
「それにしてはあまり驚かないのね?」
「まっ、あいつはどこに入ってもあいつらしく活動するだろうからな」
「君ならそう言うと思ったよエルミス」
カラン、とドアベルが鳴ると同時に後ろに括った金の長髪を靡かせながら店内へと入ってきた話の中心人物に、少人数ながらも酒や軽食を食べていた全員が立ち上がって頭を下げ挨拶を送る。それを軽く手を上げながら笑顔を向けて返した話の中心人物は、エルミスの隣へと座って食べかけのオムライスに目を付ければ、役目を終えていた小さなティースプーンを取り一口掬って口に運ぶ。
「あんっ!王子さまったら、新しいの作って差し上げますのにぃ~!」
「そこまでしなくても構わない。朝食を済ませたばかりだったんだが、つい美味しそうな食事に我慢がならなかった。ただそれだけの事なんだ。珈琲、頼めるかい?」
「精一杯ミルを引かせていただきますぅ♡」
甘いマスクで白い歯を見せながら爽やかに笑うのを、巷でよく聞く"王子スマイル"と言うのだろうと、エルミスは最後の一口になったオムライスをスプーンで掬ってリーコスの口元に運んでやれば、空いた口の中にスプーンごと突っ込む。魔法学校専用の皮手袋を嵌めた手でスプーンを抜き取りもぐりもぐりと咀嚼するコーキスをそのままに、エルミスは脚の間で守っていた魔法剣を手に取って元の持ち主に差し出せば、スプーンを置いた手がそのまま鞘へと伸びしっかりと握られる。
「…良い出来だ」
「当然だろ。一応言った通り耐久力と重量を少し上げた。重すぎるなら今微調整できるが、」
「いや、丁度いい」
「珈琲出来ましたぁん♡」
「有難う、いただくよ」
鞘から少しだけ剣身を抜きつつ魔力を送って具合を確かめ始めたリーコスに、珈琲を啜りながらエルミスは改善点を言いつつ手直しの時間がある事を伝えるが、文句のない打ち直しにそのまま鞘に納めたコーキスは簡易剣帯へと差し吊るす。ソーサーの上に置かれたコーヒーカップへと砂糖を二個、ミルクを入れてティースプーンで掻き混ぜる様どれ一つとっても気品漂う仕草に、コラーリは「ほう…」と乙女のため息を零しながらうっとりと見つめた。
ふー、と軽く息を吹きかけ湯気立つ珈琲を冷まし、仄かに甘くまろやかな珈琲を一口飲むコーキスは、事後報告にならない様にとカップを持ったままエルミスへと言葉を投げかける。
「エルミス、魔法学校に着いたらエルミスを守るようギルドに護衛を一人頼んである」
「…厳重だなおい」
「王宮専属となれば、万が一もあるさ。席は特別席を予定通り用意してあるので、是非とも俺の"卒業模擬試合"を見ていてくれ」
「わぁーってるよ。誘った理由がそれってことも、絶対見てほしいってことも、オレがお前と戦う相手の魔法道具が気になっていることを見透かされてるのもな」
「フフッ」
王都魔法学校の卒業式典の大きな目玉は三つ。
"全六属性によるオープニングパフォーマンス" 在校生の中でも成績が良かった生徒たちが卒業生に向けて行うパフォーマンスだ。実を言うと有名なパフォーマンスであり、誰でも観られるものでありながらも、エルミスが直接観た事があるのはリーコスが入学する式典の際行われたもの一回であり、その一回でも印象に残るほど盛大だったの思い出す。
"大食事街" 魔法学校の生徒数の多さは群を抜いているため、学校食堂の質も勿論よく専属シェフたちが腕を振るっている。一時的に広い敷地を使って出店を開き、式典の雰囲気を味わいながら料理を楽しむというのが卒業生と見学者の楽しみとなっているらしい。エルミスは入学式典を見ただけでそちらには行っていないが、今回は行けるだろうと考える。
"卒業模擬試合" エルミスがもっとも気になっている大目玉だ。卒業試験で"総合一位から四位"に成績を収めた四名による模擬試合。ルールは至極簡単、"どちらかが身体を地に伏せるか、戦闘不能になった方が負け"というものだ。模擬と言えど実戦の為、救護班と教官の下で行われ、これ以上は死ぬという所ではストップがかかる。この模擬試合では必ず魔法道具を使って試合が行われる為、エルミスは他の魔法鍛冶師がどんな魔法道具を使っているのか、打ち直しをして調整をしているのか、滅多に他と交流する機会のないエルミスにとって、非常に貴重な機会なのだ。
「では、俺は先に学校へ行く。ご馳走様コラーリ、いい珈琲を有難う。エルミス、君の眼の下にクマを作った努力を、俺は無駄にしないよ」
「へいへい、いつものお前でいけよ。卒業おめでとさん」
「王子さま、またいらしてくださぁいねぇん…♡」
カウンターの椅子から立ち上がりつつチップ分三割あるであろう銀貨一枚と小さなメモを置いてコーキスは店を出る。外を見ることが出来るアンティーク調のステンドグラスから覗く、靡く長い金髪が完全に見えなくなるまで見送ったエルミスは、温くなった珈琲を飲み干し、未だ目を乙女にしたままのコラーリは何度目かの乙女のため息を零した。
「ほんと…良い王子さまよねぇ…」
「女にはシャイだがな」
「そんなところもす・て・きっ…」
コラーリはくねっ、と筋肉の塊の身体をくねらせながら何を想像しているのか…あまり考えずそっとしておこうとエルミスは流れるラジオに再び耳を傾け、程よく時が過ぎるのを待った。




