Chapter3-2
父親が起こしに来たのは二時間後だった。どうやら昨日の被害を直す人々が多い為、暇だと悟った父親が気を利かせてくれたのだろう。熟睡し、思いのほかすっきりと目覚めたエルミスは、作業ベルトを付けてつなぎの上を脱ぎ袖を腰に巻きながらいつもの作業台へ着こうと椅子を引いたところで、工房のドアが開いて父親が顔を出す。
「エルミス、お客さんだよ」
「おはようございますエルミス、必須クエストの任務に来ました!」
「おう、おはようセリーニ。まぁ入ってくれ」
にこりと微笑む笑顔が相変わらず明るいな、とどことなくぼんやりとエルミスの心の片隅に浮かんで消える。ちょいちょい、と手招きして中に入る様に伝えると、おじゃまします、と一言付けてセリーニが工房の中に入ってきた。
「すごい…私、工房は初めて入るんです」
「む、その剣の打ち直しで入ったりしねぇのか?」
「魔法剣とは違って、ただの剣の修理なんて刃毀れ程度なので…」
「なるほどな、そりゃあ工房と縁がないのも分かる」
きょろきょろと工房の中を珍しそうに見渡すセリーニは、普段から大人びている行動とは一変、年相応に見えた。今日はこっち、と地下書庫に続くドアを開けて階段を降りながら明かりを灯していく。エルミスや家族は慣れているが、一般の人であれば真っ暗な地下書庫に続く階段を踏み外す可能性があるからだ。明かりによって照らされた階段を確認し、ドアを閉めて降りていくセリーニは、地下書庫に並ぶ本棚の多さに驚く。
「本がいっぱい…」
「店の敷地全部つかってるからな。…さて、今日大事な話があるんだが…まず、セリーニ」
「…?はい、」
真剣な目で見つめるエルミスに、思わずセリーニは心の鼓動が一瞬強くなる。なにが起こるのか、まさかこれから必須クエストとして決定づけられた任務に相応しい何かが、と喉を鳴らして真剣に見つめ返すと、真剣な目をしたままのエルミスが口を開いた。
「…朝飯、食ったか?」
「…はい?」
それがとても大事な、大事すぎる質問である事をセリーニは身をもって体感する。
エルミスの指示通りに謎の魔法陣へ足を踏み入れたセリーニは、軽微ではあるが足元から魔力が吸い寄せられるような感覚を受ける。魔力をそのまま魔法陣に向けて流し込んだところで意識が途絶えた。途絶えたまではいい、だが次に目覚めた時にやってくる急激な胃の驚きと共に、酸味のある胃液がせり上がってくるのをなんとか留める事で精いっぱいだった。
魔法陣から一歩出て気分の悪い胸を押さえていると、改めて見覚えのある空間へと出たことに気付いたセリーニの背後から、うめき声の様な声が聞こえる。
「おえぇぇ…」
「……エルミスも慣れていないんですね…」
お互い青い顔をしているのを見ると、なぜか笑いが込み上げてきた。お互い笑いながらも、嘔吐感に笑いが止まる。エルミスは持ってきた炭酸水を一本栓抜きで抜いてセリーニに渡すと、ありがとうございますという言葉と共に受け取ったセリーニがごくごくと飲み始める。
『人によっては気分が悪くならねーらしいんだが…オレは未だに吐き気の症状が出る。食ったモン戻すかもしれねーから、気を付けてくれ』
『そんなにひどいんです?』
『山道を馬車でぐにゃぐにゃ曲がるぐらいには、』
『……』
魔法陣に乗る前にそう説明を受けた。山道を馬車でぐにゃぐにゃ曲がったものに乗ったことはあるが、流石にそれならまだ気分が悪くなっても我慢できるだろう、とセリーニは思っていたのだ。まさか想像していた三倍の重みが胃にやってきているのは想定外だった。喉を通り胃を炭酸で満たすと、思いのほか気分が和らいだセリーニは、改めてあの騒動以来の空間を眺める。
「あれ…本とか置いてありますが…あれも神代の書物の一種なんです?」
「いや、あれは所謂図鑑とか、辞書みたいなもんだ。うちの蔵にあったんだが、爺さんがきっと役に立つって渡してきたやつ」
「お爺様が…」
中央の台座に置かれた分厚い本の数々に近付いたセリーニは、古びた表紙を捲ってぱらぱらと中身を見る。読める字だが、意味はさっぱり分からなかった。見たところ成分表や、配合、鉱物が取れる産地が書かれているようだったが、職人専用ならではの単語が勢ぞろいなのでセリーニはそのまま表紙を閉じる。
「文字が分かっても、結局所々の単語の意味が分からねぇと意味がねぇからな…、現にその辞書は結構役立ってる方だ」
「エルミスも分からない事があるんですね…」
「そりゃあ、まだまだ知識も腕も完全じゃあないからな」
こん、と瓶を台座に置いて上に座る。セリーニはそのまま立っていると、ちょい、と指で隣を指すエルミスに了解という意味で頷いて隣へと座った。
「セリーニを呼んだのは、まず特殊転送魔法陣の登録だ。母さん曰く、三人しか魔法陣を使用する人を登録できない様になっているらしい」
「えっ…!?そ、そんな貴重な移動手段の一人に、なぜ私を選んだのですか…?」
「セリーニは、ここを一緒に見つけてくれたっていうのもあるからな。母さんの指示でもあるが、オレもセリーニが良いなと思って特に悩んだりはしなかったぜ」
「…!そ、そうですか…!もし私に出来ることがあれば、お手伝いします…!」
「おう、助かる」
エルミスの思ってもみなかった言葉にセリーニがぐっ、と両腕に力こぶを作るようにして気合が入っていることを伝えると、はっ!と気付いた様な顔をする。
「……まずはあの魔法陣に慣れることから、始めなければ…」
「それはオレも同じ。頑張ろうぜ…」
どんよりとした顔で二人は紫色の魔力光を発している魔法陣を見ながらがっくりと肩を落とす。
「あと、一応神代の技術と魔法を完全に習得するまでは、外に情報を出さねぇように口止めされてるんだ。そこらへんは多分、また後で母さんから説明があると思う」
「そういえばこの後魔法学校へと向かう様に書かれていました…了解です」
「じゃあ戻るか」
台座から立ち上がりつつ炭酸水の入った瓶を持って魔法陣の元へと歩く。一応同時移動も可能だと空間に魔法陣を組み込んだ時に理解しているが、安全面で言えば一人ずつの方が良い。先にオレが行く、と魔法陣の上に立ったエルミスを見送ったセリーニも行きと同じように魔法陣の上に乗って魔力を流せば、次に意識を浮上させて見えた光景は地下書庫の優しい光だった。そしてびっくりしている胃を少しでも落ち着かせようと胸を押さえる。
「ん、座ってくれ」
「ありがとうございます…」
椅子を持ってきたエルミスの好意に甘えて座ったセリーニは、手に持っていた瓶に残る炭酸水を飲んで落ち着かせる。しゅわりと未だ炭酸の生きた水は、重くなった胃を励ましている様だった。ふぅ、と一息ついたセリーニの顔色は先ほどよりも良くなっているところを見ると、どうやら自分よりも早く慣れるだろうとエルミスは考えつつ瓶を煽って飲み干す。
「ごちそうさまでした。あの、どこに片付ければいいですか?」
「オレがやるよ。ついでに渡すモンあるし、工房に上がってくれ」
空になった瓶を片付けると言ったセリーニの手から瓶を取ったエルミスは、立ち上がるセリーニをしっかり確認して先に歩く。こんこん、と階段を上りドアを開けてセリーニが出てくるまで待機すると、ありがとうございます、と小さく礼が返ってきた。おう、と軽く返事をして空の瓶をケースに入れていると、かつんかつんと靴音を鳴らす音が近くまで聞こえ、ちらりと横を見ると魔法炉の目の前に立つセリーニの姿が目に映った。
「随分と大きな魔法炉ですね…」
「まぁな。剣の他に鎧も打ち直すから、大きな魔法炉になってるんだ」
「そういえば…魔法剣などの魔法道具は、どのようにして作られているのですか?」
首を傾げるセリーニの動作に合わせて深緋色の髪がさらりと揺れる。専門職でもなければ、魔法道具を身に着けていないセリーニには全く縁のない領域の為、気になる知識の一つだった。大きな魔法炉を眺めているセリーニの質問にエルミスはどうすれば分かりやすいか…と考えつつ、ポーチから手袋を取り嵌める。
「簡単な説明だと…サンドイッチだな」
「サンドイッチ…」
「そ。まずはベースとなる鋼を魔法炉に入れる。魔法炉の中にあるマナに魔力を送って熱を発生させて鋼を柔らかくしながら、道具に必要な素材を入れて鋼と合わせながらマナを混ぜていく…」
魔法炉の中央に付けられた特殊なガラスに皮手袋を嵌めた手を当て操作するエルミスは、魔法炉に魔力を送ってマナを熱変換させつつ素材となる鋼や鉱物をマナの海である魔法炉で混ぜていくと、次第に熱を持ち赤白く発光していく鋼がセリーニの目を釘付けにした。
「んで…加工しやすいぐらいに柔らかくなったら、魔法炉から取り出す…」
「熱そうです…」
「すげー熱いぜ」
専用の道具で挟み魔法炉から熱を発している鋼を取り上げると、鋼を叩く為の作業台の上へと置く。チリチリと放熱しながらも未だ冷める気配のない鋼から、マナが少しずつ溢れているのがセリーニの目でも確認できた。
「んで、魔法道具専用の鎚で叩く」
コンッ、と鈍い音が工房に響くと、熱された鋼から不純物がぱらぱらと飛び落ちる。コンッ、コンッと叩いているだけに見えるが、エルミスから発するスキャニング魔法特有の魔力光が打っている鋼の内部を映し出して"マナの路"を作っているのが見える。
「これは…」
「マナで魔力の通り道を作るんだ。これで魔力が良く通るようにはなるが、道の作り方は職人次第になる」
コンッ、と一つ叩く度に鎚から鈍い光が弾けて消えていく。叩く度に錬成されていく鋼に合わせてマナの路が決まってくる為、出来るだけ早い段階からマナを鋼に慣らして打つ事でマナの路が作りやすくなるのだ。
「しかし…これを伸ばしたりするんですよね?」
「おう」
「その通り道とやら…変わったりしないんですか?」
「いや、鋼に結びついて変わる事はねぇ。むしろこの段階でやっておかねぇと、通り道となるマナと鋼の結びつきが悪くなって、完成してもすぐに路が潰れて、通常よりも早く打ち直しになる」
水を掛けながら鋼を二つに割り、重ね合わせる前にエルミスが何かを別の作業台から引っ張り出してきた。透明のシートの様なモノに描かれた一つの魔法陣は、基礎知識を持つ者なら誰でも知っている魔法陣だ。
「詠唱短縮魔法陣…」
「飴硝子に書き起こしたやつだ。これを挟んで…もう一回打つ」
鎚を置いて鋏に持ち変えると、詠唱短縮魔法陣が描かれた飴硝子を二つに割った鋼に置いて蓋をする様に重ねると、鋏を置いて鉄に持ち直せば再び打ち込んでいく。コンッ、と一つ一つ打ち込まれていく鋼は少しずつだが伸びているのが分かる。
「何度も折らないんですね」
「普通の剣よりは折らねぇ、魔法道具の素材はある程度は魔法炉の中で錬成されているからな。オレたちはどちらかといえばマナの路を作って、飴硝子を馴染ませる事だ」
「…なるほど、飴硝子が具、鋼がパン」
「サンドイッチだろ?」
にっ、とエルミスが笑いながら鎚で鋼を叩きつつ水を掛けて少し冷やす。その動作をじっと見ながら頷いているセリーニは、魔法効果の付かない剣とほんの少しだけ製法が違う事を知る。
「しかし…なぜ剣や道具を用いて魔法を使うのでしょうか…。エルミスの様な戦闘方法ではだめなんですか?」
「非効率だからな。道具は補助効果を初めから付けれるが、オレみたいな物無しは一々初級魔法も丁寧にフル詠唱しなくちゃならねぇから、結局手慣れるなら道具を使う方が良い」
「う…、なるほど。慣れない私がなるほど、というのもあれですが…」
初級魔法も上手く扱うことが出来ないセリーニは言葉を詰まらせる。"本当に勿体ないよなぁ"と言いながらも、"気にするな、そういう奴はいくらでもいるぜ"とどことなく落ち込むセリーニをフォローをする。
実質魔法を扱える者も扱えない者も多くいるが、扱える者に関しては"扱える技術"はピンからキリまでだ。セリーニの様に初級魔法を暴発させるほど魔法文字が歪で力加減を見誤る者も少なくない。それを中級魔法でやれば、不発九割、暴発一割だ。
だがセリーニに関してはしっかりと魔法基礎知識と自分の力の程度を理解している為、魔法を出来るだけ使う事はなく、使うとしても初級魔法のみしか使っていない事が分かる。
「まっ、魔力量の成長は止まっても、魔法技術は成長するんだぜ。魔力を制御出来ればワンチャンスだ」
「…わ、私にもちゃんとした魔法が使えますか?」
「おう、練習すればな。ただ、その無尽蔵の魔力量を制御するのは難しそうだからなぁ…」
魔力の制御は魔法文字を書くときに大切なものだ。魔力量を調節して魔法文字を書き起こし、発動するために適切な魔力を再び乗せる。つまり魔法量を"調節"する技術こそが魔法文字を綺麗に描く必須条件だ。だがその魔力を制御することなく無限に湧き出ている状態のセリーニには、調節できる力よりも魔力が溢れる力の方が大きいのだ。蓋をしても無限に湧き出る魔力は望ましくもあるが、魔法を使う者には手放しで喜べないものでもある。
「……」
エルミスのぼんやりとした言葉にセリーニの顔色がしょんぼりとしている。やはり魔力を持っていながら魔法がきちんと扱えないのはもどかしいのだろう。打ち終わり平らになった鋼を再び魔法炉へと放り込み、特殊硝子に手を当てて魔力を送ってマナを熱に変換させて再び鋏で引き上げると、今度は器用に両手で持った鋏で円形に曲げていく。
「おぉ…!」
「ある程度曲げたらまた魔法炉に放り込んでつなぎ目をくっ付けて魔力を流す」
熱を持ったままの鋼を魔法炉に放り込んだエルミスは、特殊硝子に手を当てて魔力を送ると、次は熱を帯びていた鋼が一瞬で青く輝きだし、魔力が通っている事が一目で解る。そのまま指で特殊硝子の上をスライドさせて操作しているエルミスの真剣な表情を、セリーニはちらりと横目で確認しつつ魔法炉に浮かぶ"作品"に集中する。
次第に浮かび上がってくるのは可愛らしい草と花の模様だった。マナで削り、そして研磨しているのか、徐々に出来上がってくる作品をキラキラとした目で見つめるセリーニ。粗方出来上がったものを鋏を使って取り出したエルミスは、柔らかなクロスで作品を磨き上げる。
「ほら、出来たぜ」
「…!こ、これ私にですか…?」
「詠唱短縮魔法陣ってやつは、本当に簡単な初級魔法だけは詠唱しなくても発動する。原理は"魔法文字と同等"の"初級魔法の基礎となる魔法陣"に魔力を流せばいいだからだ。…火を起こすぐらいは出来て損はねぇからよ」
クロス越しに摘まんでいるブレスレットを差し出すと、それに向かって手を出すセリーニは、ほんの一瞬だけ手を止め引くが、そのまま指で摘まんで腕に通す。自分の指紋が付くほど輝くブレスレットの淵には小さな草と花が交互にあしらわれていた。
"試しに使ってみろよ"と、火のスイッチストッカーを手渡しながらエルミスが言うと、セリーニは仄かに赤く明かりが灯る火の魔法陣が描かれたスイッチストッカーを受け取り、初となる魔法道具に恐る恐る魔力を流し込めば、本当に小さな種火が出来上がり宙を漂っている。
「私がちゃんとした種火を作っている…。しかし、詠唱短縮魔法陣の組み込まれた魔法道具は、以前にも使ったことがあるんですが、これほどうまくは行かなかったです…!」
「だろうな。普通の魔法道具は"普通の魔力を持つ者"だからこそ扱える。…それはマナの路を簡略したんだ。本来はストッカーを入れるスロットと接続させて、飴硝子に施した補助魔法陣に魔力を通す為の道を作り、道具全体に魔力を行き渡らせるんだが――」
そう、魔法道具として大切なスロットを付けなければならないが、セリーニ渡したものにはスロットがない。
本来ならば接合部をくっ付けた後に一度取り出し、スロットを作る専用の道具で穴をあけて魔力の通りをもう一度確認する。道具全体に魔力が通り、組み込んだ魔法陣などがきちんと発動させれているかを確認し、スロットにストッカーを入れてマナを魔力として返還させて送り込むことが出来るかまでが一連の流れだ。その後注文や職人のお遊びで模様や紋章を付ける。
「それにはスロットがないだろ?スロットを付けると必ず道具全体に魔力を行き渡らせるスピードと流れを重視して、マナの路を多くしないといけねぇんだ。だが魔力が多くて制御できないヤツだと、送りすぎで暴発する。だからそれは通常の道具の約一割ほどしかマナの路がない」
「そこまで考えて作ったんですか…?」
「まぁな。でも結局根本的な"魔力制御"としての解決策じゃあなくて、あくまで補助で必要最低限の魔法が扱えるだけだ、これから――」
「それでも十分です!!とっても!」
火種は宙を上がりふわりと消える。大進歩だと言わんばかりに身体をのめり込ませながら十分だと言ったセリーニに、あまりの勢いで一歩下がったエルミスは火のスイッチストッカーと水のスイッチストッカーを二本ずつストッカーポーチから取り出してセリーニへと渡す。
「セリーニの属性は風と土だろ」
「…あの時のスキャニングで?」
「おう」
差し出した手の平に置かれた火と水のストッカーがカチャ、と小さく飴硝子特有の音を立てながら淡く輝いている。どうやら上巻の空間でスキャニングされた時に属性も知られていたようで、スイッチのない魔法道具で火や水を起こす為のストッカーまで渡されるとは、まさに至れり尽くせりだが、肝心な事を思い出してはっ!とした顔になると、ズボンのポケットから財布を取り出した。
「お代はおいくらですか…!」
「いらねぇ」
「そういう訳には…!」
「まぁまぁ聞けって」
どうどう、と両手で落ちついてくれとポーズを取ったエルミスは、そのままコラーリの手土産を流れる様にセリーニへと押し付けつつ机に腰掛ける。ほんの少しだけ視線の高さが同じになったセリーニの綺麗な潤朱色の目を見つめながら代金を取らない理由を語る。
「それは、あくまで"処置"であり"試作品"みたいなもんだ。"本命"でも、"完成品"でもねぇ。完成品ってやつは、"百パーセント相手の能力を引き出すための道具"だ。セリーニのは最低限のものでしかない」
「しかし…作る技術と材料費が少なからず発生しています」
「おう。それは分かってる。でもな、今のそれに代金を貰うほどオレは腐ってねぇよ」
試作品というのは、謂わば完成途中の過程で出来る物だ。道具は使う術者の能力を抑制させるのが本来の目的ではない、全ての能力を引き出すための補助であるからこそ、それを抑制させてしまうのは道具としての役割を半分失わせてしまっているに等しい。そのような物に、たとえ材料費と手間賃を付けて払うと言われても、試作品を完成品として売るようなものだ。エルミスは必ず"完成品"に金を払ってほしい。
「…ですが、それだと私の気持ちが収まりません」
「律儀なのは良い事だぜ。金銭がしっかりしているのは良い客だ。だからこそ、オレに"試作品"じゃあなくて、"完成品"を作らせてほしい」
「…!!」
「神代の魔法技術には、魔力量を自在に抑制させながら術を使える道具が少なからずあったらしい。それを応用すれば、少なからず今のへろへろ魔法文字も改善されるだろ」
ポーチから神代の書物を取り出してぱらぱらとページを捲っていくエルミスに、思わぬ言葉を聞いたセリーニはぽかんとした顔でその様子を見つめる。ここだ、と見開きにした部分を見せるエルミスに、"やはり読めない…"と神代文字で書かれた二ページ分に目を滑らせながらセリーニが首を振って読めないことを伝える。
「……完成品、作っていいか?」
「もちろんです、むしろお願いします…!!」
「ちなみに結構"取る"が…それでもか?」
「構いません!……が、どのぐらいです?」
「見積もって百だな」
「ひゃっ…!大丈夫です…!お給料はそれなりに貰っているので…!!」
とんでもない金額の提示に目をかっぴらきながら驚いたセリーニは、一から作る魔法道具は手間と材料費、そして手間賃が重なって出来た技術の結晶であるという事を今一度実感する。だが決して損ではない。扱う事の出来なかった技術を使うことが出来る。努力をしてもどうにもならなかったものが、道具によって改善されるというのであれば金を惜しむ暇はない。
お願いします、と言ったセリーニは本気だった。押しつけがましいかな、と思っていたエルミスは、セリーニのその態度に考えを一変し、本気でその女性に見合う魔法道具が作れるように一層神代技術を習得せねばならないと決めた。
「頑張ってお給料貯めますね…!」
「おう、マジで作るから試作品が出来たら必ず試してくれよな」
「はい!」
机から降りながらポーチに神代の書物を仕舞ったエルミスは工房のドアを開けると、カウンターでスイッチストッカーのストックを作っている父親が笑顔で二人を見る。
「お土産まで、有難うございます」
「気にすんな。そこの店、美味いから今度行ってやってくれ」
「はい!あ、後ここの被害だけ聞いておきます」
「窓が二枚割れた以外はねぇな」
紙袋を抱えて胸ポケットからペンとメモ帳を取り出したセリーニは、昨日の風害状況を伝えるエルミスの言葉通りに窓二枚と書いてポケットに仕舞うと、改めて頭を下げて礼を伝えながら魔法学校へと向かう為に歩き出す。
「気を付けて行けよー!」
「はーい!」
手を振りながら見送るエルミスに手を振り返したセリーニの背中が見えなくなるまでその場にいると、人混みにまぎれたセリーニの背中が見えなくなった事を確認してカウンターの中へと入る。かこん、かこん、と仕切りが揺れる音を聞きつつ工房に入ったエルミスは、そのまま昼休憩までの間魔法学校から送られた道具の修理に励むのだった。
明日も余裕があれば19時に、確認が取れなかったら21時には確実に更新予定です。