Chapter22 薬箱に風が吹く
激動の日が終わり、ナノスの森に朝の風が吹き通る。
未だ被害の残る場所はあれど、一週間も知れば戻るであろう静かな街を歩き進めた先に見える、大木の根に隠れた一軒の喫茶店。
カランとベルが来客を告げる。中に人は居ないが老婆が、至極珍しいという表情を浮かべてこちらを見ていた。
「なんだい、珍しいじゃないか。顔出すなんて」
「たまには通信だけじゃなくて、顔も出さないと忘れ去られそうで、」
「はっ、何言ってんだい……"ナノス代表"の顔なんて毎回季節の変わり目のあいさつで見るよ」
「ははは、でも私は見ていなかったので……」
雑誌を閉じて顎をしゃくり、席に座れと案内する老婆の変わらない態度にナノス代表は木の床特有の靴音を鳴らしてカウンターに座る。
「いつものかい」
「覚えてくれてるんです?」
「お前は細かくてうるさいからね」
「それはそれは……」
湯を沸かしながら茶葉を用意する老婆にナノス代表は笑いつつ、使い古して色の良いカウンターに腕を置き重ねながら老婆の作業を見る。手際の良さは相変わらずなようで、キャスターを使って巧みに移動する老婆にナノス代表は静かに口を開く。
「ありがとうございます」
「……なにがだい」
「研究員達が特効薬を完成させる前に、先生が数本特効薬を作ってくれていたことです。確実に間に合わない者に、先に行き渡っていたと報告がありました。誰が作ったのかと聞いたところ、先生の名前が挙がってましたよ」
「……なに、教え子の作った薬の出来を、自分で作って確かめただけだよ」
茶葉を蒸らす工程に入った老婆はそう口にして、夜に仕込んだであろうレアチーズケーキを冷蔵庫から取り出し切り分け皿に盛る。ブルーベリーのソースが美しいその皿にフォークを添えて元教え子の目の前に置いた後、砂時計をひっくり返してさらさらと落ちていくその様を眺めた。
「アンティ夫妻の息子、レヴァン君。随分と良い腕をしていますね。知識も良い」
「当然だ、うちの孫がありったけの知識を叩きこんでたんだ、勉強の仕方も分かってるよ」
「それはそれは……」
硝子の中で刻が進む。砂が山になる度に紅茶の香りが店を包み、二人の鼻を擽った。
「……そのレヴァン君が、先生のお孫さんが患わっていた難病指定の"崩体病"を治す薬を作りたいそうで、……先生の資料と、お孫さんの進行状況の資料、渡しても良いですか?」
「…………許可したのかい」
「しました。今回の騒動の解決……その功績は彼にあります。なにを望んだか、その返事が「崩体病の資料が欲しい」という事でした」
「……」
ティーカップに紅茶を入れてソーサーと共にカウンターの上に置いた老婆は、カウンターの陰に隠れている手紙を見る。おばあちゃんへ、と書かれた字を見ながら数秒の沈黙が店内を包んだ。紅茶に息を吹きかけ味わう微かな音が静寂に寄り添うように広がる。
「……末期の崩体病の患者を見たことはあるかい」
「…いえ、資料でしか」
「そうかい、……あれは文字通り、身体が崩壊していく病気だ。魔性ウイルスなのか、通常のウイルスなのか、或いは免疫の攻撃によるものなのか、さっぱりわからなかった。ただ、少しずつ身体の内側が崩れていく。最初は免疫、次に筋肉、そして臓物をゆっくりと溶かして無くしていく……」
カウンターで元教え子たちに紅茶や軽食を振舞う前までは、薬学学校の教師をしながら、国から依頼された薬を作ったりしていた。
ある日、難病指定となった病気の薬を作る為、末期症状の患者を見に行くことになった。それぞれ集められた研究員、医者、薬剤師が向かった病院の一室、無菌室に眠るその身体を見て一同全員息を飲んだのが分かった。
「末期の崩体病は、皮膚だけ残して殆ど何もない状態だ。辛うじて溶けていない臓器が機能しているだけで、すでに生かされているのがかわいそうなほどだと思ったよ」
「……」
「そんな病気を、生まれて間もない孫がなってしまったら……教師なんてやってる状況じゃあない。生計を立てる為に喫茶店をやりながら、研究員としてひたすら孫がどうすれば治るかだけを考えて研究を続けていた。成長していく孫に病名を伝えず、ただ只管に、」
成長していくにつれて、少しずつ身体が弱くなってきた事を理解してきた孫に、"崩体病"である事を伝えるのが怖かった老婆は、それを伝える事はしなかった。ただ身体が弱い事を伝えて、老婆が自分で何とかしようと思っていたのだ。
「だが成長していく孫は予想以上に賢くなった。崩体病だと伝えてなくても、自分の身体を蝕む病気の名前が崩体病だと突き止めた。末期になったらどういった症状になるのか知っても尚、孫は怯まなかった。―――大勢の研究員達が、"あれはどうしようも出来ないと匙を投げた"病気にだ」
臆することなく己の身体を向き合い、足りない知識を取り入れ、その上を目指すための新たな知識を得る孫は、本当に大人びていた。そこらに居る研究員よりも知識があり、どこまでも大人びた考えを持っていた。
そんな孫は、やはり最後まで大人びた考えを持っていたのか、はたまた予想していたのかは分からない。
「元教え子であり、現ナノス代表であるお前に聞こう。レヴァンは、怯むことなく進むかい?」
「―――あの少年、レヴァン・アンティは一生懸命ですよ。友人の窮地も進んで助け、臆することなく己を実験台にするぐらいには、です。きっと、ああいう少年が、意外にも道を切り開くものだと思います」
"―――きっと私の身体はもうもたない、それは何となく分かるの。おばあちゃん今まで私の為にありがとう。でもおばあちゃん、私はおばあちゃんが一生懸命私の為に頑張った事、たとえ魂だけの存在になってもわすれません。後もし、レヴァン君が私が罹った病気を研究して薬を作りたいって言い出したら、その時は、"
孫は人を良く見ていた。きっとこうなる事も分かっていたのだろう。
「……そうかい。なら老いぼれの資料でもなんでも持っていくといい」
"その時は、レヴァン君に協力してあげてね。貴方の大切な孫、ネリアより"
chapter22は合計5つぐらいです。たいよろ。
只管ブロッコリー食べたい。らぶぶろっこりー。でも天一も食べたい。