Chapter21-5
ナノス代表室から早歩きで外へと向かい、通信機で伝え忘れていた食事の誘いを送りつつ分厚い硝子ドアを押して森の風を浴びる。
逸る気持ちを抑える事を忘れ、人混みを掻き分け只管走る。ぶつかりそうになる市民をしっかりと躱し、隊員や学生時代の同期の挨拶に手を上げて一言返しながらも足は止めない。
角を曲がり、魔獣の肉が積み上がった場所に多くの人が仕分けしつつ捌き調理し始める光景。割れたガラスや折れた枝、捲れ上がった煉瓦等を片付ける人々。視界に入り流れ去っていく光景。
見える。剥き出しの木の根に隠れた小さな喫茶店が。
縺れる足を無理やり動かす。走ってばかりの一年と少し、だがこれほどまでに心が先に行こうと足を動かすのは"あの日"以来。
足を止めて喫茶店のドアノブに手を掛ける。決して乱暴に開けることなく、しかし乱れた呼吸を直すことなくドアを開けると、カウンターで雑誌を読んでいたであろう老婆が少し驚いた表情を浮かべてセリーニを見ていた。
「どうしたんだい慌てて、」
「先生、……っ、少し、研究室に入らせてください」
「それは構わないけども……」
老婆の許可を得てから足を進めるセリーニに、やはりどこまでも律儀だと老婆は関心を寄せつつも、"あの日"以来入る事が無くなったセリーニがどういった理由で自身の工房に入るのか気になったのか、背の高い椅子を低くして床に立ち、背が高くなった教え子の後ろを付いていく。
狭い階段を登り、研究室のドアを開ける。久々に入ったそこの匂いは変わらず、壁紙に染み付いた薬品と薬草の混ざった懐かしい匂いがセリーニの鼻を擽った。
既に呼吸は落ち着いているが、走っているときと変わらず心が早く鼓動を打つ。
"エルミスから伝言だ。「おばあちゃんの研究所、机の引き出しの裏に手紙があるから、読んでね」と、いう事だ"―――リーコスから通信機を通して送られてきた文章はエルミスからの伝言だと書かれていた。"おばあちゃんの研究所"と言う言葉に、ネリアの背がちらついた。どういうことか、なぜそのような言葉をエルミスが。そんな言葉が思い浮かんでは消えていく。
机の引き出しは少ない。尚且つ普段から使っている引き出しは、"誰がいつ、どの時間帯に研究室を使用したか"を記録するためのノートが置いてある場所しかない。
セリーニは取っ手の木の角が少し丸くなった引き出しを開けて全て取り出す。カコン、と小さな音を立てて取り外された引き出しを机の上に置き、中に入っていたノートを置いて空にすると、ゆっくりと引き出しを裏返す。
「――――!!」
「手紙、……なんでこんなところにあるんだい…?」
――あった。引き出しの裏に飴硝子で四つの角を止められている封筒が、そこにあった。セリーニは魔力を通し飴硝子を柔らかくして一纏めにしながら封筒を取る。封筒は五枚、表には何も書いてないが、裏を確認すると右端に"おばあちゃんへ"と、日記帳と同じ字で綴られていた。
二枚目は"おかあさんへ"、三枚目は"おとうさんへ"、四枚目は"レヴァンくんへ"
五枚目は"大切な親友へ"―――そう書かれていた。
「……先生、これ、渡しておきます」
「―――受け取った。それは?」
「レヴァンの分らしいです。ふふ、なんだかんだ言って、レヴァンも慕ってましたからね」
「そうかい、あの子も弟の様に慕っていたからね……」
二枚の手紙をポケットへと仕舞い、引き出しの中身を戻して元の場所へと収め、老婆の背を追いながら階段を降りるセリーニ。あまりに一点の事を考えて集中していた為、店内の様子を見ていなかったが、どうやら事態が事態だったのか、店内には誰一人として居なかった。
「何か飲んでいくかい?」
「……いえ、この後まだやる事があるので。明日の昼には帰るので……モーニング、食べに来ます」
「そうかい、じゃあ久々にセリーニの好きなセットを作っておこう」
「ふふ、有難うございます。ではまた明日」
店の外で大切な孫の大切な友人の背を見送った老婆は、準備中のプレートをそのままに店内へ戻る。カウンターに入り、椅子に座りながら高さを最大限に上げつついつもの定位置まで移動し、手紙をカウンターに置いて湯を沸かす。
"ねえおばあちゃん、私おばあちゃんの紅茶好き。淹れ方教えてほしいなぁ"
ふつふつと沸く音を聞きながら茶葉とポットを用意する。まだ総合義務学校に身を置きながらも、その先の勉学に励んでいた娘が初めて老婆に教えを請うたのが勉学でもなんでもない、紅茶の淹れ方だった。
"実験みたい。奥が深いね……ちゃんと美味しく淹れれるように頑張る"
それまで家にしかいなかった孫が初めて喫茶店で淹れた紅茶は、色味の割に香りが薄かった。
だが諦めることなく失敗を積み重ね、老婆と変わらない腕前になった頃には、すっかりとこの喫茶店へと足を運ぶことが定番となった。
ポットの中で茶葉を蒸らす。香りが漂い始めてきた店内に、紙が擦れる音が響いた。
"おばあちゃんへ―――" ――優しい孫の端正な字が手紙に綴られている。紅茶がしっかりと香りを高めるまでの間、老婆は字一つ一つをなぞる様に読み始めるのだった。
用事は無い。けれどきっと先生は今すぐにでも読みたいだろうという気遣いで小さな嘘を吐いたセリーニは、心の中で謝りながら少し遠回りをして家へと戻る。まだ誰も居ないかと思っていたが、玄関の鍵は開いていた。
ブーツを脱ぎながら玄関に置かれた靴を見て、その靴が祖母である事が分かると、セリーニは老夫婦の部屋として割り当てられている場所まで向かい、ノックを二回してドアを開ける。
「こんにちは、おばあちゃん」
「あら、おかえりなさいセリーニ。まぁまた大きくなって……」
ラジオを流し、ソファに座ってくつろぎながらステッチをしていた老婆が、針を布に刺し固定して立ち上がりながらセリーニを出迎える。互いに歩み寄り軽く抱擁をしながら、また一際背が高くなったセリーニの背を撫でながら微笑む祖母に、セリーニも釣られて笑う。
「外が凄い事になっていたけれど、セリーニは行かなくていいの?」
「はい、今日はもう自由だと隊長に言われたので……」
「そうなの、じゃあ他の皆が帰ってくる前に、疲れた身体を休めておくといいわ。夜はおばあちゃんも料理を振舞うから、セリーニはゆっくりしててね」
「ありがとうございます、お言葉に甘えます」
優しい祖母の言葉に小さく頷いて部屋を出ると、真っ先に風呂場へ向かって湯船を張り始める。
基本的に身体を拭く以外手段の無かった最終新人試験、最終日はギルドナノス支部のシャワー室に順番待ちが出来るのだが、セリーニは自分の家があるので去年もその必要が無かった。
流れ出る湯の音を聞きながら脱衣所で剣帯を付けたまま剣を壁に立て掛け、ベルトを外しポーチと手紙をカラーボックスの上に置く。隊服上下を脱いでシャツと下着のみの姿になると、カラーボックスの上に置いていた手紙を取って床に座った。
便箋の中身を取り出して二つ折りの手紙を開く。一番最初に書かれていたのは"セリーニへ"。……大切な親友へ、と書かれていたのが、もし己では無かったら、と少し考えたが、直感はしっかりと己の事だと分かっていた様だ。
"これは今、セリーニがギルドへと進路を決めた後、セリーニとお別れしたすぐに研究室で書いています。セリーニの分が最後です。"
どうやらあの封筒の順番だったようだ。
"なんでこれを書いているかと言うと、なんだか最近身体の調子が良すぎて自分が怖いからです。きっとこういうのを自覚した時点で、自分の身体に死期が迫っているのだと感じています。身体の調子が良い事は、本当は良い事なのかもしれない……けれど、自分の身体と何年も付き合っていると分かる。この"元気"は、本当の元気じゃない。"
「ネリア……」
彼女は気付き始めていたのだ。身体の異変が決して"良い"方向ではないという事に。それが決して"病気"の事ではなく、ネイドの薬によって身体と脳が錯覚を起こしている事だと無自覚に気付いていた。
"家族やセリーニに相談すればいいのかもしれない。でも分かる、もう手遅れだって。きっと明日、明後日には、私の身体は冷たくなってるかもしれない。でも、私は常にそう思いながら生きてきた。明日目が開かないかもしれない、心臓が止まってるかもしれない。そう思いながら、自分の身体を治す方法を必死に探してた。"
決して諦めることが無い。常に死と隣り合わせであろうとも、親友は生きる事を諦めなかった。それが改めてこの手紙で証明されている。
"けど、少しだけ悔しい。もっと先、セリーニと一緒に居たかった。沢山セリーニと色んな世界を見たかった。でも出来ない、だから出来ない決意を固める為にこれを書いてる。きっとこれを見つけるって事は、私がもう死ぬって分かっておばあちゃんに伝言を頼んでいる時だから、読んでるとしたらお葬式の後とかかな?"
伝言を伝える間を与える事なく、暴走した魔力を外へと出すために夜中身体が動いたのだろう。誰も気付く事の無かった手紙を、エルミスの伝言によって初めてセリーニの目へとやってくる真実。
"最後に。セリーニと出会ってよかったです。私が居なくても、元気にギルド隊服を着て頑張るセリーニを応援しています。―――あなたの親友、ネリアより"
頬を流れる涙が胸元のシャツを濡らし、鼻水を啜る音と共に湯が沸いた知らせが鳴る。
「―――頑張る姿、見ていてくださいね」
そう手紙に言ったセリーニの目に、字を綴るネリアが顔を上げて笑顔を見せる風景が見えた。
恵方巻もロールケーキもどっちも食べたらええやないの!こんばんは!
夜中久々にシフォンケーキ作りました。うっかり筒のところを持ち上げてしまって慌てて下ろしたけれど、漏れていなかったです(分かる人には分かる)ただ底に残ったのが掃除しにくかった…。
恵方巻食べる方角ってなんであんな毎回半端な場所むくんですかね?