Chapter19-4
人混みと悲鳴を掻き分け突き進んだ先の時計塔は、普段賑わいを見せるソレとは違って音がない。
管理官以外反応する事のない魔法陣に魔力が通っている事を確認したセリーニは、意を決してその中心に立ち、目を瞑りながら魔力を魔法陣へ流し込む。
身体が全て転送出来たと同時に目を開ければ、見えるのは一面の森の緑と空の青だ。バルコニーよりも一層強い風がセリーニの髪を掬い上げ、防魔法文字を形成していた魔力残滓が頬に軽く当たって砕ける。
中心にはメリシアが倒れており、注意深く観察すると肩が一定のリズムで動いていた。呼吸はしている、セリーニは確認を終えると、その先で制御パネルらしきものに立つ見慣れた後姿を視線で捉えた。
こつん、靴音が良く響く材質で出来た一室。響かせたのはセリーニだ。その音に反応して、後姿を見せていた者はゆっくりと振り返る。
「やぁ、アンティ君。君がここに来るのは想定していなかった」
「――やはりあなたでしたか、ネイド先生」
想定していなかった、そう言いながらも驚いた表情を浮かべていないネイドに、セリーニはほんの少し震える唇を引き締めて言葉を発する。
"やはり"という言葉に今度こそネイドは驚きの表情を浮かべると、すぐに笑みへと切り替え、片手でパネルを操作しながら風に掬われる白衣をそのままに、眼鏡のブリッジを押し上げて元教え子であり、現中央ギルド隊員のセリーニの顔を見た。
「"やはり"という言葉の真意を聞こうか」
「市民を中毒症状へと陥れ死に導き、ナノス全てを実験台としている、ということです」
多くは並べず、的確に言葉を突き付けたセリーニに対し、ネイドは操作パネルから片手を離して両手を叩く。ぱち。ぱち。ぱち。響いて消えてはまた響き。ゆっくりとした拍手を受け取ったセリーニは、笑顔を携えたままの男を見た。
「アンティ君大正解だ!僕のやろうとしている事を全て見抜いたのは、君が初めてだよ」
「なぜ……」
なぜこんなことを。セリーニはこの言葉の答えが一番知りたかった。
友人を殺し、市民を苦しめ、寂しい森で苦しみながら死を迎える残酷な結果を残す行為。薬の特効薬が見つかるどころか、犯人さえも分からない、その不安を常に抱えて生活する市民の苦しみ。なぜ。なぜこんなことを。セリーニには理解不能な理由を知りたかった。
「なぜこのような事をするか。――そうだね、僕は知りたかったんだよアンティ君」
「知りたかった……?」
「アンティ君、今君のその行動そのものと言ってもいい。疑問に思ったから答えを知りたい。疑問に思うから真実を見たい――」
"疑問に思った事を知る事は、悪い事ではない。そう教えただろう?"
――と、教師としての顔を作ったまま答えたのだった。その言葉は学生の頃によく聞き、実際に実行している。
けれどそれはあくまで"倫理"を元にしたものだ。倫理から外れた物を知りたいと思うのは、
「それは違う……。人を犠牲にしてまで知るのは、結果的に殺戮と同じです……!」
「結果はね。でも僕の実験には死が付き物だ。アンティ君、君はもしかして"薬物実験"をしていると思っているかな?」
「……違うのですか、」
ボロボロと崩れていく一本目の防魔法文字の殆どが原型を留めていなかった。このままでは緊急停止させる前に二本目が崩れ始めてしまう……そう思いながらも、ネイドの考えの全てが分からず、やはりネイドの教え通りに"疑問に思う事を知る"事になるのだ。
セリーニが薬物実験をしていると解釈していた事に、横へ二回首を振って否定するネイドは、まるで間違えを唱えた生徒に対して優しく訂正するように話を進め始めた。
「うん、違う。僕はね、人が"最大の幸福"を得たと同時に、"最大の恐怖と絶望"を得た時、人はどういった行動を取るのかを知りたいんだ」
「…………」
"どういうことか"、セリーニはその言葉が浮かんだ。常人は己か、或いは、本当は己が狂っているのか。その言葉を理解するには、どの常識を得なければならないのか。
それほどネイドの語る表情が、己が生徒であった頃の先生と至極変わらなかったのだ。
「少し分からないという表情だ。アンティ君、君は本能というの理解しているかな?人間というのは、必ず何かしらの窮地や、最大級の幸福に直面した時、"一番に己の事を考えて行動"をする」
一番の危険が迫れば身を護る為に逃げ、一番の幸福がやってくれば全て得ようとする。人間の当然の本能だとネイドは話を続ける。
「他者の為に動く事もあるが、それは余程の余裕を持った存在のみだ。己に自信があり、そして余裕がある」
その言葉と同時に、大きな破裂音がナノスの街を包み、森を震わせる。二本目の防魔法文字を制御が割れ、崩れ始めたのだ。
「余裕のある者も、その余裕に限りはあり、絶対はない。己には対処しきれない問題が降りかかったら、余裕はなくなる」
「……!!」
溢れる防魔法文字の魔力残滓の風を受けながら、セリーニはその言葉を聞いて目を見開くと、ネイドは優しい微笑みを浮かべながら白衣のポケットからストッカーを一本取り出した。紫色に輝くその色に、セリーニは中毒症状を引き起こすストッカーである事を察した。
「……防魔法文字を壊し、絶対の護りを崩す事によって市民の余裕を無くし、そして幸福を薬物で与える事によって、両方の感情を引き起こすつもりですか」
「大正解だ。アンティ君は昔から物覚えがいいね」
そう言いながらストッカーを持つネイドの手は防魔法制御装置のスロットへと伸ばされる。それと同時にセリーニは大きく一歩踏み出し、勢いを付けながら抜剣してストッカーを壊そうとするも、あっけなくストッカーはカチリと音を立ててスロットに嵌ってしまった。
柿のシーズンが終わって虚無状態です。冬はみかんのビッグウェーブですが、正直いまみかんって気分じゃないんですよねぇ…。これや!!ってくだものが出てきてくれたらずっと食べるんですけど、しばらくみかんで凌ぎます。