Chapter19-2
静かなナノスの朝に人の行き交いが加わり賑わいを見せる。木々を揺らして吹き抜ける風の心地よさと混ざる人の声を聴きながら、エルミスはレヴァンの後姿を目で捉えながら歩き進めていると、丁度学校の敷地へと続く交差点でレヴァンが足を止めた為、エルミスもその数歩後ろで止まる。
レヴァンの背中から視線を移せば、向こうからやって来る人物がこちらを見ており、レヴァンがそれに気づいて挨拶をするために止まったのだとエルミスは気付く。
「おはようございますネイド先生!」
「おはようアンティ君。今日も総合義務はフィールドワークだったね、頑張って」
「はい!んじゃ、行くかエルミス」
「おう」
元気な挨拶に続く様にエルミスも軽く会釈すると、驚いた表情を一瞬浮かべたネイドが笑みを浮かべて無言の挨拶を受け取る。レヴァンはネイドの言葉に元気よく返事を返すと、エルミスに言葉を掛けて歩き出す。
栗色の後頭に付いていくようにエルミスも歩き出し、レヴァンとすれ違った時だった。ぽん、と肩を叩かれ思わず足を止めて、肩に置かれた手に視線を這わせると、ネイドと視線が合う。
「昨日の資料、どうだったかな?」
「お陰様で、良い情報を得られました。今日も、まだ見てない部分を見るつもりです」
「そうか…君の手助けになれてなにより。引き留めて悪かったね」
「いえ、昨日はありがとうございました」
礼を言ってエルミスはレヴァンの後を追う。その小さな背中を、ネイドは至極不思議な表情を浮かべながら、"正常な思考を保ち、犯人が己だと気付いていない"事を理解する。
ではなぜあの少年は正常な思考を保っているのか、そもそもなぜ生きているのか、疑問が埋め尽くす脳内を落ち着かせるように、ネイドは目を閉じ軽く頭を左右に振ると、"どうせ今日で全てが終わる"、そう心で唱えながら生徒が行き来する施設へと続く道を歩き進めた。
ひたすらナノスの街を歩く。大木を邪魔することなく建てられた住宅に、どこまでも自然と共に暮らしているナノスの生活に少し触れながら、少し拓かれた敷地に建つ建物の前までやってきた。
「ここが代表の居るナノス市役所。隣はギルド、ここからもう少し奥まったところに色んな研究所がある」
「へぇ、ギルドの方が小さいんだな」
「中央から来るギルド隊員と合同で魔獣退治とかしてるからな。ただその代わり、精鋭ばっかりだぜ」
「知ってる。セリーニ見りゃ分かる」
王都の中央ギルド程あるナノス市役所、そしてその半分程度のギルドを目の前に、レヴァンは各施設を指さしで説明していく。その指と説明を、施設と合わせる様にエルミスは視線を動かしながら確認していけば、ナノスの森や湿地に生息している非常に狂暴な魔獣に対抗するギルド施設が、王都よりも小さい事に気付く。
"中央ギルドと合同で退治をする"という説明に、そういえば東で魔獣退治をするギルド隊員もいるな、とエルミスは考えながら、左程施設が大きくなくても良い理由を理解すると、ナノス市役所へと進んでいくレヴァンの背中を追う。
ナノス市役所の中は比較的私服を纏う職員に混じって白衣を着ている者もおり、どうやら兼任している事をが見て取れる。部屋から部屋へと動き回り、そして書類とにらめっこをする様子を見て、どこの行政も変わらないんだなとエルミスは内心思いながら、一人の職員と話すレヴァンを待つ。
「よし、エルミスこっちだ」
「代表に会えるのか?」
「おれが来たら通す様に言ってくれてたらしい」
「ふーん……」
流石はナノス代表だな!と言いながら代表の居る部屋まで歩くレヴァンに、エルミスは敢えて何も言わなかった。
ナノス代表は、必ず作った薬をレヴァンが持ってくると分かって話を通したのだろう。子供だから、という厚い壁に乗り込み、チャンスを与えて、それを本気にする。
(だから、ナノスは知識意欲があって、優秀な奴が多いんだろうな……)
子供だからダメだという大人も多い。けれど危険等を理解してのチャレンジであれば、子供の意欲を駆り立てる様に提案するのだろう。結果的に、大人達と同じように薬を作り上げたレヴァンは、将来良い研究員になるだろうとエルミスは考える。
靴音を消す絨毯敷の廊下をひたすら歩き、すれ違う職員に会釈をする事七回。市長室と書かれたドアプレートの前に立つ。
ノックをして中に居るであろう代表の返事を待つ事数秒。ドア越しからくぐもった返事が聞こえ、レヴァンがドアノブに手を掛け中へと足を踏み入れた。
「おはようございますナノス代表!」
「おはようございます」
「おはよう二人とも。朝から元気で大変宜しい!」
元気のよい挨拶に釣られて、デスクで作業をしていたナノス代表も顔を上げて挨拶を返す。マスクをしていなければ、とても大きな声が二人の鼓膜を震わせていただろう。
「あれ……?風邪ですか?」
「ちょっと、びっくり風邪の様な症状が出ていてね」
マスクをしているナノス代表に質問をしたエルミスは、その病名にほんの少し緊張感を走らせるかのように顔を強張らせた。一方のレヴァンは"びっくり風邪!"と特に普通の反応である。
「おれ掛かった事ないけど、魔力が減って、三日ぐらい魔力が無くなる状態になるんだっけか…?」
「そう。レヴァンみたいな魔力量が多いやつは掛からない、変な魔性ウイルスだ。ちなみにオレは毎年掛かる。しかし…ちょっと引き始めが早くないですか?」
「いい着眼点だエルミス君……、っ……」
一度もびっくり風邪に掛かった事のないと言ったレヴァンに、そりゃあそうだろうとエルミスは思いつつ、しかしそれでもまだシーズンには早い事に疑問を持つ。
その疑問を聞いたナノス代表は、目尻の皺を深く刻ませながら笑うと、少し苦しそうな吐息が微かにマスク越しに零した。。
「それで、出来たのかね?」
「はい!勿論です!」
くぐもった声を発しながらナノス代表が真っ直ぐレヴァンを見つめる。その視線にレヴァンは姿勢をぴしりと正した後、再び姿勢を崩してスクールバッグの中を漁り、両手でしっかりと箱を固定しながら書類だらけの机に置いた。
蓋を開けて試験管を一本取り出す。本来ならばここでスキャニングの一つをして成分を調べるのが代表の務めの一つでもあるのだが、悔しい事に殆ど魔力が残っておらず、ストッカーにあるマナを魔力に変換する力もない。
じっ、と試験管の中で揺らぐ液体を眺める事数秒。ナノス代表は試験管を持ったままレヴァン再びレヴァンへと視線を向け、
「では早速、――これを私が使っても良いかね?」
「「……!!」」
ナノス代表の言葉に、エルミスが駆け寄って代表の身体に触れると、簡易スキャニングを掛ける。動かずにレヴァンの方を見つめているナノス代表の身体をスキャニングし終えると、エルミスはそっと手を退けてレヴァンを見た。
「……魔力が暴走してる、中毒症状だ」
「なっ…!?でもびっくり風邪みたいな症状だから、魔力は減っていってるんじゃないのか……!?」
「びっくり風邪は完全に魔力が無くなる。――だが、身体を纏う魔力粒子が目視で確認できる、これはびっくり風邪じゃない」
「魔力粒子を目視……魔力が増えてきてる…?」
「あぁ、このままだとびっくり風邪もどきの症状が治まって魔力が戻る……。中毒症状が悪化する……!!」
驚く二人は今一度ナノス代表を見る。身体は少し震え、額にうっすらと汗が伝えっているのが見えた。暴走状態がスキャニングで分かるという事は、高揚する感情を必死にコントロールし、痛みに耐えている状態。びっくり風邪の症状はスキャニングで確認できたが、魔力が少しずつ元に戻るナノス代表の身体でびっくり風邪ではない事をレヴァンに伝える。
慌てる若者二人と対照的に、ナノス代表は身体に力を入れながらも落ち着いており、ひじ置きに添えていた震える腕を敢えて動かし机に肘を乗せ両手を組む。レヴァンを見る視線は未だ理性を必死に保っている、強い目だった。
「君は、――……私にこの薬を勧める事が、出来るかね」
空気を沈ませるような重い問いがレヴァンの身体に圧し掛かった。
今目の前に症状が出ている患者がいるが、もし効かなかったらどうするか、もし症状が逆に悪化したら、副作用が酷かったら、――そんな考えがレヴァンの頭を駆け巡る。
『お前さんが自分で作った物を、胸を張って勧めれる物が出来上がっている。それを自分で理解する事だよレヴァン』
師である老婆の言葉が蘇る。そういえば老婆は目の前にいる代表の先生もしていた。ならばこの問いは、老婆が生徒に向けて大切な事として教えた言葉であり、作る本人が、患者から不安と信頼で揺らぐ気持ちとしてぶつける言葉の重みに立ち向かうよう語り掛けたのかもしれない。
緊張で喉が渇くのを感じながら、レヴァンはひるんでいた表情筋に力を入れて口角を上げる。
「――おれの、ガチ自信作です」
「……よろしい、では一本頂こう!」
レヴァンの言葉にナノス代表はマスクを顎に引っかけ、試験管のゴム栓を取り一気に中身を煽る。つるりとガラスを滑って咥内へと入っていった特効薬、喉仏が上下に動いて完全に飲み込んだ事をレヴァンは確認すると、ナノス代表の傍に近付いたレヴァンは時計を見ながら脈を計り始める。
エルミスはそんなレヴァンの行動を見ながら、エルミスはナノス代表の額に浮かぶ汗を、ポケットに入れていたハンカチで拭う。
「なぜ中毒だと分かったんです?」
「レヴァン君のお陰だよ。事細かく薬物接種から中毒症状発症までの経過をノートに書き込んであったからね。今までどういった経過で中毒症状へと結びつくのかが分からなかったが……今は全て研究員達に、あのノートの内容が回っている」
「げっ!おれそういえば落書きしてる!」
「ははっ、見たよ。中々上手かった」
脈を計り終わり、スクールバッグから使いかけのノートと筆記具取り出し時間と脈を書き込みながら、レヴァンは授業中の合間に落書きしていたノートであった事を思い出す。その落書きはどうやら、ばっちり代表の目に留まっていた様だ。
「レヴァン君、症状が完全に引くまでの時間は分かるかね?」
「代表が一番最初なんで分からないデス……」
「そうか…エルミス君」
「……?はい、」
ナノス代表の質問にレヴァンは申し訳なさそうに返すと、気にしなくていいと笑みを携える。そしてエルミスの方を見たナノス代表は、小さく、そして皮の厚い職人の手を握った。
「 権限譲渡 」
「……!!」
エルミスとナノス代表の周りに魔力文字が回り始める。とてつもなく歪な魔法文字は、魔力暴走を起こしているからだろう。魔法文字を形成するだけでも難しい暴走状態で、歪ながら魔法文字を形成できる魔法技術の高さにエルミスは唯々驚くしかなかった。
「 第一防魔法塔制御権限 第六源接触 使用管理を全て譲渡する 」
エルミスはナノス代表の魔法文字が出来るだけ壊れないように、己の魔力で補助を加えながら、形成されていく魔法文字の内容に思わずナノス代表の目を見た。全て結ばれた魔法文字は一つになり、エルミスの体内へと吸い込まれるように消えていった。
昔、ドーベルマンを飼っていた家があったんですけど、尻尾を切っていない雌で人懐っこくてめちゃくちゃ寄ってくるんですよね。まだ幼稚園生だったわ私はあんなにデカいドーベルマン相手に撫でまくり、尻尾を振るドーベルマンが可愛くて仕方が無かったです。
けれどなぜか小型犬には好かれなかった。悲しい。