Chapter18-3
いつも通りの時間に起き、いつも通りの手順で寝巻を脱いで服を着る。
数ミリ伸びている髭を同じ手順で剃り、身支度を整えて席に着く。妻が流しているラジオに耳を傾けながら、早朝に届いた新聞を同じ手順で読み進める。
「ネイドさん、珈琲です」
「ありがとうメリシア。うん、今日もいい香りだ」
予め好みの砂糖とミルクの量が入っていた珈琲を飲み、新聞に記載されている記事をゆっくりと読みながら、臨時ニュースが来るのを待つ。
五分、十分、十五分。――……テーブルの上には朝食が並べられており、臨時ニュースを聞きながら眉を顰めて"まだこの事件が続いているのか……"と、言う予定であった。
こない。"謎の薬物中毒"による犠牲者を伝える臨時ニュースが、こない。
「ネイドさん…?食事、冷めますよ?」
「あ、…あぁ、ちょっと新聞の記事で考え事をしてしまっていた。いただくよ」
「はい。……あ、もうこんな時間…!お父さん起こしてきます」
妻であるメリシアが、別館に住んでいる父親を起こしに行く背中をネイドは見送ると、まだ湯気が上るベーコンエッグにナイフを入れながら考える。
(急性中毒症状分の薬物は投与したはず、フローイ君の実験結果を最後に、急性中毒症状を引き起こす分量はほぼ確定だった。ならなぜ、セリーニ君の友人の死が報道されない……?)
今であれば森の内周にギルド隊員や王都の騎士団員たちが居る、もしかすれば発見されて中毒死を免れた可能性をネイドは考えたが、手遅れになるほどの分量を投与した事を何よりも理解している為、たとえ森の内周でギルド隊員や騎士団員達に見つかっても、自力で魔力を出すほどの"精神"が残っていないはずなのだ。
重症報告が流れてもいいはずなのだが、一向に流れる事もなく、やがて父親を起こしに行ったメリシアが、父親と共にリビングルームにやって来た。
「おはようございます、お義父さん」
「おはようネイド君。今日は珍しいね、まだ食事が終わっていないだなんて」
「ちょっと新聞に集中してしまって、」
「今日のは相当面白いようだ。私も早めに食事を取って、ゆっくりと新聞を読むよ」
椅子に座って淹れたての熱いコーヒーに息を吹きかけているナノス代表に、ネイドは読み終わった新聞を畳んで相手の傍に置くと、残り一口となったベーコンをフォークに刺して口に運ぶ。いつもであれば白身と共にベーコンを食す手順だったが、こういったところで心の乱れが現れてしまった。
立て直す様に冷めたコーヒーを飲み干して食事を終えると、席を立って食器を運ぶ。ラジオに耳を傾けながら食事を楽しむ親子の隣を横切りながらキッチンへと向かう。
そう、いつもの行動だ。いつもの行動だからこそ、怪しむ者は誰一人として居ない。
ネイドは空の食器の上にマグカップを置きながら親子の隣を横切る間に、ポケットに忍ばせている試験管のゴム栓を片手で開ける。
完全にすれ違ったところで、試験管を取り出せば、ベーコン切りに勤しむナノス代表の背中へ掛けると、紫色に輝くマナは瞬時にナノス代表の体内へと消えていった。
試験管をポケットに仕舞いながらゴム栓を空いた指で摘まんで蓋をし、キッチンで皿を洗う準備を始める。ちらりと後ろを振り向いて確認すると、未だ何も気づいていない親子の微笑ましい光景が目に入った。
「さて、そろそろ行くとするか…、……む、」
「…お父さん?」
「いや、ちょっと身体の調子が……」
「……お父さん、魔力粒子が見えないわ。もしかして"びっくり風邪"かしら?」
椅子から立ち上がろうとしてふらつく父親に、身支度を整えていた娘が側へと駆け寄る。身体を纏う魔力粒子が全く見えない事に気付いた娘が熱を測ろうと額に手を当てる様子を見ながら、ネイドも心配そうな表情を浮かべて近付く。
びっくり風邪――……魔力が一時的に弱くなり、完全に魔力がなくなる症状だ。魔性ウイルス性の物だが、ネイドはそれに似たような性質の薬と共に、薬物と混ぜて投与したのだ。
最初の効き目が見えるのが魔力減少だが、すぐに収まると共に、中毒症状の出ている魔力は麻酔症状で気付く事無く魔力暴走が始まる。そんなことを知る由もない親子二人にネイドは心の中で細く微笑む。
「まだ大丈夫だとは思うが…症状が酷くなってはいかん。今日のメンテナンスはメリシア……頼めるか?」
「えぇ、大丈夫…今日はそのままおやすみする?私が代表補佐に伝言とか預けるけど…」
「いや、通常業務は出来る…マスクをして出るよ」
「お義父さん無理はなさらず。医者の手配をしますか?」
「ううむ…熱が出てきたら自分で医者の手配をするよ」
"そろそろびっくり風邪の季節か…"と呟きながらマスクをし、業務をするために行政管理館へと向かった父親の背を心配そうに見送るメリシア。空になった皿をシンクへ持っていって洗おうとすれば、まだ洗い物を全て終わっていないネイドが"するよ"と言って洗い始めた。
「そういえば…狂暴な魔獣が外周で発見されたそうだね。昨日、ギルド隊員から空のストッカーを渡された時、説明を聞いたよ」
「えぇ…どうやら、なぜか狂暴化しているツインズがナノスの森に居たそうなんです。……お父さんは今日そのツインズに防魔法壁を破られない様、強化する予定だったらしいんですけど…」
ネイドは洗い終わった皿をメリシアに渡すと、タオルを用意していたメリシアは丁寧に水分をふき取っていきながら会話を交わす。
中央ギルドの総隊長から聞かされた"ツインズ"の報告。"色々とありえない"報告だったが、どうやら目撃したのがナノス出身の隊員と王都の第一王子であり、二人とも嘘を吐くような人間ではない事、そしてその証言を裏付けるように、襲われて生きていた村駐在のギルド隊員の証言が噛み合った。
"闇の魔力"を纏うツインズに攻撃を仕掛けられたら、"神代技術"によって作られた防魔法にどんな作用が起こるかは粗方予想が付く。必ず何か異常が起こるに違いないが、それでもメンテナンスをして魔法文字が少しでも崩れるのを防ぐしかない。
だが、まだまだ防魔法管理者としての技術は晩熟とは言えないメリシア。父親や他の防魔法管理者と肩を並べるまでになったのは、約二年前。二年の間に魔法技術は大きく成長したとメリシア自身も思っているが、それでも人の命を預かっている仕事である事に変わりはない。その不安が少しずつ背を覆っている。
「……メリシアなら出来るよ」
「…!!少しだけ怖気づいているの、分かってしまいましたか?」
「うん。君はよく頑張っているし、実際お義父さんと肩を並べるぐらい凄い。だから大丈夫だよ…今日は僕も"中まで"付いていこう」
「……はい、お願いします。私がちゃんと出来るように、見守ってください」
水を止めて手を拭いたネイドは、既に水分が拭かれた食器を食器棚に戻しつつメリシアを励ます。そしていつもはバルコニーで眺めている防魔法壁メンテナンスを、"制御管理室まで付いていく"事を言いながらメリシアを抱きしめる。
本来防魔法制御管理室の立ち入りは、管理官として登録された者しか入れない事になっている。それはどこの地方でも同じであり、また時計塔もそうだった。だからこそネイドは時計塔管理者であるメリシアと仲を深め、そして結婚することで絆を強固にした。
周りから見れば、妻を心配する夫。決して不自然ではない。
そしてメリシアも、そんな妻を心配する夫の有難さに"警戒心"というものを忘れ、身内ならば大丈夫、ではなく"夫が力になってくれる"という感情が心を満たしていた。
「一度お父さんの様子を見に行った後に、いつもの時間で……」
「わかったよ。僕も学校は休みだけど、生徒の様子を今一度見に行ってくる」
抱きしめていた体勢を戻し、メンテナンス時間に時計塔へ集まる"いつもの"を伝えたメリシアに、ネイドは軽く頷いて一度学校に行く報告をすると、"例の薬物中毒の犯人に会わない様お気を付けて"と返ってきた。
"あぁ、メリシアも気を付けてね"と、心配そうな表情を浮かべたネイドの背に、窓辺の朝日が差し込んだ。
たまに揚げた鶏肉が食べたくなる現象、あれなんなんですかね?
夜中にKFCのメニュー表を見ながらひとり悶々とこれが食べたいあれが食べたいと考えているんですが、前回KFCへと行ったのは一昨年の夏…もしかして全然食べてないから…?