Chapter17-8
セリーニに与えられた"別用"は"情報提供"だった。研究所の別室に案内され、"ネリアさんに関する情報を、あの日から一週間、あるいは二週間ほど前の情報を頂きたいです。どんな些細な事でもよいので"と言われたセリーニは、懐から日記帳を取り出した。
繊細な事だと研究員が気を利かせて別室から出ていく。一人になったところで日記帳のページを捲っていくと、改めて目を通し始めた。
二週間前の記録もしっかり書かれている日記帳。妙に新鮮味を持って読むのは、目を通したのが亡くなった後のみだったからだ。生きていた証を目で追う度に胸が痛み、そして虚無感が包み、涙を溜めてしまっていたあの日から随分と月日が経っている為、忘れている部分も多い。
「期末試験を返してもらった時が丁度二週間前でしたか……」
書かれているなら思い出す事は可能だ。あの時は期末試験のシートを返してもらい、ネリアは満点、自分は自己ベストを更新した。ネリアに教えてもらっていたクラスの皆も成績が上がり、クラストップに躍り出た時だったのを思い出す。
"クラスの皆で一緒に喜んで、すごく楽しかった。あの時一番のお調子者君も、成績が上がってうれし泣きしてたのはびっくりしたなぁ"
豪快な男泣きをしていた事を、ネリアはびっくりしていたのか。そう改めてセリーニは目で生きた証をなぞっていく。
"冬休みももうすぐ。予定たてたい。今年はセリー二と一緒に冬休みをゆっくり過ごしたいなぁ。去年はネイド先生の勉強会に参加したけど、今年はセリーニと一緒におばあちゃんのところで勉強しようかな"
ネリアの行動や予定を思い出しながら紙に書き込んでいく。この時は確か、長期休暇の時に必ずあるクラス担任の勉強会の案内プリントを配られた時だ。セリーニは毎回師匠である祖父との修業が有ったので参加していなかったが、ネリアは長期休暇の時は毎回参加していたと聞いている。
"冬休み一日前。長期休暇がおわったら、晴れて三年生。二年生の間にセリーニと一緒に勉強して、ちょっと遊んで、いっぱいお話したい"
ネリアは冬の勉強会には参加しなかった。毎回参加していた為、クラス担任であるネイドが驚いた顔をしながらも、セリーニと一緒に勉強すると楽しそうに言っていたネリアの笑顔に釣られてネイドも笑っていた事を思い出す。頑張ってくださいね、と声を掛けて、不参加に印がついたプリントをネリアから受け取ったネイドは、"良い休暇を"と言っていた事を思い出す。
休暇が始まり、ナノスに雪が積もり、そして悲劇は起こった。
(――…レヴァンが朝に言った事が真実ならば、ネリアは既に薬物中毒であり、冬休みの間に薬が切れて魔力が暴走した…)
"冬休み期間、接触者、セリーニ・アンティ、家族のみ把握"と書き込む。そして"最近とても身体の調子が良いと公言していた"と書き込んでペンを置く。
やがて数分後、再び入ってきた研究員が"細かく記入していただき有難うございます"と礼を言って、セリーニと共に別室から出ると、研究所の玄関で研究員がセリーニを見送る形で佇んでいる。
一礼をして研究所を後にしたセリーニは、カーラの元へと戻る間、もう一度懐から日記帳を取り出してページを眺める。彼女が生きた証に隠された、ほんのわずかな手掛かりを得る為に。
「……何回見てもわっかんねぇ…」
セリーニがカーラの元へと戻る同時刻、エルミスは資料に描かれた説明図とにらめっこしていた。それもそのはず、まったくと言って良いほど図が図として機能していないのだ。
ミミズが這ったような線で丸なのか楕円なのか分からない図、または正方形と説明されているにも関わらず、台形の様な形になっている図、時計塔を組み上げる際の耐震設計が、小さく無数の丸が幾度となく積み上がっているだけだ。
そして肝心なのが、魔法文字を刻む為の道具が描かれている部分だ。文字の説明を分かりやすくするための図が、一言で言えばクイズの様になってしまっているほど、図が芸術的だった。
「誰が描いたんだよこれ……」
表紙を捲った初めの方は、外観、建築前の街の様子、基礎、建築中などが、とてもきれいな絵で描かれていた。だが終盤にかけて、ペンを取った人物が設計士へと名が変わっている。一体どこのどいつだ、そう思いつつ大抵は裏表紙に名前が載っているものなので、エルミスは読んでいる項目に指を挟んで裏表紙を見る。設計、総合建築代表の名前の隣は――
「……空白…?」
――空白だった。下の外見描写、協力団体などには名前がしっかり載っているのだが、肝心の総合建築代表の名前は書かれていない。あれほど大きく、そして複雑且つ強固な防魔法塔を設計する人物であれば、名前が載っていない方がおかしい。
「(……あまりにも絵が下手だから、名前を載せると名誉が損なわれる…とかか?んなくだらねーことねぇわな)」
かなり馬鹿らしい考えを一瞬浮かべ、手で掃うような動作をしつつ考えを消す。しかし参った、と考えつつも何とか解読し終えた頃には、ナノスに夜の帳が降りていた。
資料を借りたいと言ったのだが司書は"ナノス市在住のみなんです"と眉を下げて申し訳なさ気に謝られてしまった。そう言われてしまえば仕方がない、また明日に書ききれなかった部分を書こうと考えつつ図書館の外へと出る。
しかし今日はちゃんとした資料があっただけでも良かった、という小さな幸せ一つが、とても大きく感じてエルミスは嬉しさが溢れてくるのを感じる。夜のナノスがキラキラと輝き、食事を求めて歩く人々の笑顔に釣られてこちらも笑ってしまいそうになるのを抑える様にエルミスは頬をくにくに両手で弄って平常心を保つ。
そのままテイクアウトの食事を買ってホテルに戻ると、部屋の扉は既に閉まっていた。職人は揃って定時刻に仕事を終えて、皆で飲みに出るのを知っているエルミスは、鍵を開けて部屋に入る。
テイクアウトの袋を机の上に置いて、一応どんな作業をしていたのかと作業場を覗くと、どうやら空のストッカーの追加製作、剣の修理もあったようだ。少し床が汚れているが、出ていくときに改めて掃除をすれば問題ないだろうと作業場のドアを閉めると、夜風を入れる様に窓を開けてテイクアウトの品を取り出した。
食事が美味しい。楽しい。シャワーが心地よい、気持ちいい。今日の出来事が何もかも楽しい、
おかしい、と気付いた時には、既に遅かった。おかしいという感情が、幸福に包まれ、頭を刺すような痛みが突然襲い掛かってくる。痛い、けれど楽しい。嬉しい。何が嬉しいのか分からない。だがとてつもなく気分がいい。
やばい。エルミスはそう感じてベッドに横たわっている姿勢から、机の上に置いてある作業ベルトに掛かったストッカーポーチを取ろうと、脳が信号を送っているにも関わらず身体が一切言うことが効かない。
スキャニングで己の身体に起こった異常を調べようとするも、ナノスで使えるはずのスキャニング魔法が発動できない。
(完全に魔力がマヒしてやがる……!!)
暴走した魔力を制御するための脳が働かず、上手く魔法文字を形成することが出来ない。
(う、そだろ。完全にオレが、)
薬物中毒になっている、と気付いた頃には、身体を流れる魔力が解放を求める為に外へと脚が向かおうとしていた。"だめだ"、という思考は塗りつぶされ、"楽になりたい"、"しんでしまう"という二極に塗り替えられる。
意地でも空のストッカーを取らねば、と、無理やり手を伸ばすが、その手は宙を切るばかり。
「く、っそ…ぉ…!!」
「……なぜお前が”ソレ”になっている」
「!?お、ま、」
"え、なんでここに居るんだ"と言葉を続けるはずが、エルミスは立ち上がっていた身体を再びベッドに縫い付けられて言葉を詰まらせる。
「ヴィシ、ニ」
「……」
名前を呼ぶ元気はあるのか、とヴィシニスの視線がエルミスを射抜く。ベッドへと縫い付ける様に小さな身体をうつ伏せの状態で押さえこみ、暴れないように両手首を纏めて片手で固定すると、アスタリスク形の瞳を輝かせて一本の魔法文字を出現させた。
幸福と絶望の思考に塗れた脳内で、その魔法文字が"スキャニング魔法文字"である事に気付いたエルミスは、"魔族で使える奴を初めて見た"という感想を浮かび上がらせた。すぐに幸福で塗りつぶされ、快楽と痛みで気が狂いそうになる頭を掻き毟りたくて身体がもがき始める。
「急性中毒症状……、…十五以下最後の実験台をエルミスにしたのか……」
「な、」
んだって、という言葉が空気と混ざって掠れるほど、胸を圧迫する相手の力が強い事を物語っている。掠れた言葉を聞き取ったのか、魔法文字を消したヴィシニスは"黙っていろ"と言わんばかりに見下ろす。
「空、のストッカー…を、」
「……その必要はない」
様々な感情が織り交ざる脳内で、最後にエルミスが理性をもって発した言葉は、空のストッカーをくれ、という言葉だった。
掠れて消えた言葉と共に、エルミスの瞳孔が開きかかり、痛みに脂汗を浮かべ始めている。
「……分かっている。…早くしろと言いたいのだろ、ロドニーティス…」
魂の宿主が死んでしまうとばかりに慌てだす先祖の魂に、ヴィシニスがちらりと視線を向けて再びエルミスを見下ろすと、ティールブルーの襟髪を空いている片方の手で掃う。
身体を屈め、顔を首筋へと近付けると、ホテルに備え付けてあるボディーソープのハーブの香りがヴィシニスの鼻を擽る。ミントが強めならば少し躊躇していただろうと考えつつ、細い首筋に己の牙を突き立てた。
柔く薄い皮膚を破り、血管にまで食い込ませて血を吸い上げていくと同時に、エルミスの体内で暴走している魔力を抜いていく。スキャナー特有の魔力の甘さにヴィシニスは眉間に皺を寄せながらも全て吸い上げていき、そのまま己の身体に薬の抗体を作った後、ほんの一部をエルミスの身体に与えた後唇を離す。
普段魔力を持つ証として微量ながら身体から溢れるはずの魔力粒子が、エルミスの身体から一切見えなくなった。
ぐっ、と親指で孔の開いた首筋を押し、軽い止血をする。暴れていたエルミスは気を失うように眠っているが、顔色はすこぶる良い。
「……やはり脆いな、人間は。魔族と違い、薬一つで生死を彷徨う」
端へと追いやられている羽根布団を乱雑に掛けてやり、少し乱れてしまった己の衣服を整えつつ改めて人間という生き物が弱い種である事を自覚する。
「……礼はいい。お前の願いを遂行しているだけだ、ロドニーティス」
ホッとしながら両手を合わせて軽く頭を下げている先祖の魂にそう言ったヴィシニスは、人間の姿から蝙蝠に変えて窓から出ると、すぐそばにある木々の枝に止まる。
先祖が守れと言った約束をしっかり遂行する為に、ナノスの地へ来たエルミスを出来る限り観察していたヴィシニス。死ぬ手前までは黙って見ていたのだが、本当に死なれてしまっては困るのは己で。何も映さない瞳を宙へと彷徨わせながら歩き出す子孫を見て、様子がおかしいと気付いた頃には、やはり約束を守る為に身体が動いた。
急性中毒症状。薬を作っているネイドは、研究対象をじっくりと薬で中毒症状にしていく。粗方データが取れた後は薬を与えず、薬の効果の一つである麻酔が切れ、魔力が暴走状態と新しい薬を求めて薬物中毒を起こす。森で独りでに死んでいく相手を陰から見守りながら、次の研究対象を探すのだ。
そして、似ている個体のデータが取れた後は、致死量ギリギリの薬物を与えて急性的に中毒症状を起こさせる。一気に与えられた薬によって魔力は急激に暴走し、その暴走に気付かないほどの麻酔が投与されるが、麻酔の方が先に切れる為、魔力の暴走が止まらず痛が襲い掛かる。次の日に、急性中毒症状者が死んでいる事で実験が証明されるという事だ。
だが今回に限っては、魔族という薬の効かない種族且つ、吸血鬼という他者の魔力と血液を吸い出す相手によって、エルミスは助かってしまった。
(……怪しまれる可能性はあるが、……些細な事を気にして、実行しない男でもないだろう…)
ナノスの夜風が身体を撫でる。窓の開いた部屋で眠っているエルミスを見ながら、ヴィシニスは目を閉じ身体を休めるのだった。