とある異世界の話
俺は不幸な人間だ。
何故不幸なのかといえば、いつも幸せになる直前で不幸になってしまうからだ。
女の子のおもちゃを取ってやって幸せを手に入れたと思ったのに、怒られて幸せを奪われた。
大事にしてやってた女をひどい振り方をして幸せを手にしようと思ったのに、こちらがふられて幸せを奪われた。
楽しそうにしてるやつをいじめて幸せを手にできると思ったのに、止められて幸せを奪われた。
金を持ってる奴からまきあげて幸せを掴めると思ったのに、裏切られて幸せを奪われた。
俺は不幸な人間だ。
いつも、幸せになろうという時に幸せを奪われる。
でもそれも、子供の時の話だった。
大人になるにつれて幸せを奪われる事は無くなっていって、結婚も出来るはずだった。昇進も出来そうだった。給与も上がってこれからそれを使えるはずだった。子供も得られるんじゃないかなんて思っていた。
気付くべきだった。
俺は、幸せになる直前で不幸になってしまう人間なのだから、大人になってからのそれは全てこれの前兆だったのだと。
気付くべきだった。
でも、もう遅い。
俺はもう、異世界に来てしまった。
顔を上げれば、ガキの工作みたいに不格好な家まがいがずらりと並び、暗い面持ちで歩きながら他人の金目のものを狙っている薄汚いガキ共が跋扈し、少し大通りから外れれば光り物を握って自分より弱い人間を捜すやつらが目を光らせ、怪しい小道具を売る魔術師まがいが道の端を陣取って、国の奴らがはなった死体だけを食べる魔獣のブラッドハウンドが下級階層の死体を捜している。
ここはスラムだ。
「……クソが」
ぽつりと口に出した瞬間、強い衝撃がハラのあたりに襲う。
腹の中に詰まっていたものが押し出されるような感覚に、それを押しつぶすだけの純粋な痛みが襲う。
何かを食べていたら、たぶん吐いていただろう。
「え、な、何……ぁ」
「何生意気な口きいてんだクソガキが! 下級人種が! 目障りなんだよ!」
うずくまった俺に、上の方から俺を蹴った人間の声がする。おそらく、初対面だ。
俺が、「……クソが」と言ったのがカンに障ったのでこんな事をしているのだろう。
どうせこんなところに来ているのだからテメエも上等な御身分ではあるまいに、エラそうに。
「……ぁ」
「なんだ、文句あんのか下級人種!」
ふたたび蹴られて、アタマが揺れる。
口に鉄臭い血の味が広がって、口の中が切れた事を自覚する。その傷の痛みで目の前のその男をぶん殴ってやりたい気分だが、今の俺が十歳にも満たない体だという事を指しおいても、それは無理な事だろう。
下級階層が上の階層に危害を加えたとあれば、たちまちモンスター扱いされてギルドに駆除対象として俺の顔が張られるだろう。
それを金の管理も出来ない金欠バカが見れば、俺は武器を持った人間にしっかりキッチリ殺されて誰にも後腐れなしという寸法だ。
ふざけんな。
(……はぁ、はぁ。ガマン)
頭の中でとなえて、土下座してしまうとすぐに立ち去れない事を考えて、立ちあがる。
それから、頭を下げて謝る。
「ごめんなさい、許して下さい」
下げたアタマの、後頭部のあたりに強い衝撃が走る。
おそらく、鈍器のようなもので殴られたのだろう。血が出ているかは確認できないが、想定外の攻撃につい悪態をつきそうになってしまう。
しかしそれをこらえて、血が出るくらい歯を食いしばって、耐える。
こんな光景を見ても、通行人はなにも思いはしない。日常茶飯事だからで、俺が下級階層だからだ。
「頭が高いんだよ! 死ね!」
また蹴られて、体勢が崩れる。
じわじわと体に広がる熱で、どこが傷ついているかは正確にはもうよく分からないが、次の瞬間に顔に液体のようなものが跳んできたのはよく分かった。
唾を吐かれた事にイラつく暇もないと、もう一度その男に頭を下げようと思ったが、その男は次の瞬間にはもう歩きだして、俺に背中を向けていた。
やがてというほどの時間もなく、人ごみに隠れて見えなくなる。
「……はぁ」
俺は軽くため息を漏らして、立ちあがる。
それから、元から薄汚れている拾いモノのぼろきれについた泥を軽く払って、周りの人間のバカにする視線から逃げるようにその場から足早に走り去る。
すこし走って、十メートルも離れていない通りの外れに、隠れるように入る。
それから、少しだけ周囲に人影が無い事を確認してから、顔についたつばや血を拭って、ほっと一息つく。
「……まったく、思った以上に傷を付けられたな。どうせ用済みだったんだからさっさと逃げるべきだったか」
今回の反省点をぼやきながら、収穫を確認しようとしたその瞬間。
不意に、自分の目の前に誰かが立っているのを確認する。通りがかりでは無く、明らかに俺に用がある様子だった。
俺が確認しようとしていたのをやめて、顔を上げる。
そこに広がっていた光景は、薄汚い高校生くらいの男と、ボロボロの家まがいと、四角く切り取られた狭くも青い空と、自分に向けられた包丁くらいの刃物だった。
それを全て頭で認識しきるか否かというところで、それが俺に向かって振り下ろされる。
その瞬間に覚えたのは死への覚悟でも、不幸への嘆きでも、後悔でも何でもない。
「いて」
振り下ろされる刃物を手で無理矢理誘導し、男の腹に刺させる。
手の甲が擦れて、軽く声をもらす。
「……ッが、クソガk
「それはテメエだ」
無駄口をたたきつつ、弾けるように飛び上がって右手をその男の頭にあてる。
そしてその頭を地面にたたきつける。ここは前の世界みたいなコンクリートの世界では無く、踏み固められているだけの地面だが、小石でも見つけてそこに向かって叩きつければ十分なダメージを与えられる。
悲鳴を上げる暇も、血だまりが広がる暇もなく、男は顔を上げようとするが、背中に乗った俺が右こぶしを握り締めて後頭部を殴りつける。
再び打ち付けられた頭からは先ほど以上の量の血があふれ、血だまりが広がる。たぶん、死んだんだろう。
と、思ったが、そのサインが出ていない事に気付いて、考えを改める。
ただまあ、気ぐらいは失っていると思う。
「طبيعة」
止めを刺そうと、自分の所有する精霊の名を呼ぶ。
魔法を使う場合には自分の精霊を使用した方が効率がいいからだ。普通なら精霊を保有するなんて到底無理な話だが、俺の場合はバカな闇商からうまい具合に魔道具をくすねたから、こんな芸当ができる。
なんとなく、スマートフォンでSiriを呼び出すのに既視感を感じながら、精霊に意思を伝えて風の刃を手にまとい、男の首にふり下ろす。
ぐちゃ、と。
あまり気味のいいモノでは無い水っぽい音がして、男の首が風の刃に切り裂かれる。
さすがにここを切れば、人は死ぬ。
同時に死んだサインが出てくるのを確認して、改めて息をつく。
「……まあ、右手の怪我の分くらいは補える得をしたかな?」
男から洩れでる経験値――正確には死後魔力といって、これを吸収すれば魂が強くなる――を吸収し、男の服を漁る。
男のポケットからパンを二日分買えるくらいの金と、小さなナイフと、少々高価な式神の依代用呪符を取り出す。
どうやら、もうすでに誰かを襲って奪った後だったらしい。
あるいは、狩りが成功した所にスリをした直後の子供を見つけたから、欲が出てしまったのかもしれない。
先ほどの男から最初に蹴られたときにスッた財布と、その小銭の総額を確認して、軽くため息を吐く。
「しけてんなぁ」
それでも一応、四・五日ほどの生活費になるし、金以外にもいくつか使えそうな魔道具が出てきた。
どうやら、ギルドでの依頼を受けた時に使う、戦闘用のものを財布に入れていたらしい。バカな男だ。
売るもよし。ギルドの下級階層用窓口で依頼を受けて、モンスターを狩るのに使うのもよし。
結果的にはそこそこいい儲けだったので、体の傷を治せる魔導士でも探そうかだなんて事を考えながら、四角く切り取られた空を見る。
空は、青かった。
小さくても何でも、空は青かった。
「さて、どうしようかな……」
そうぼやくと、不意に思い出す。
「あ、スッた財布をいつまでも使ってたらだめか。売りにいこ」
そう呟いて、血だまりの上に横たわる死体の上から起き上がって、俺は道端で財布を買ってくれるような露天商がいないか探そうと、そこから立ち去った。
放置された死体はその内ブラッドハウンドに美味しくいただかれる。
それでも、空は青かった。
ちなみにこれは元々長編を書こうとして途中で「あ、これ短編で上げたが良くね?」ってなったものなので後々まったく同じ始まり方をするそこそこ長いのを上げるかもです。