プロローグ 諦めきれなかった
——轟音が響き渡る。
恐らく、敵軍の、長い尾に巨大な翼を持った生物兵器——レザールによる攻撃だろう。
まぁ、ぶっちゃけトカゲだトカゲ。あんなの。
トチ狂った王が治めている俺らの国は、今、戦争中だ。
15歳になったばかりの成人を早速熟練兵の中に入れ魔術の詠唱中の盾にする程、戦況は良くない。
こんなもの、誰が望んだんだ。
誰が始めたんだろうな。
各地から拉致られた子供達。通称ブクリエヴェールは学校に入れられた。多少の魔術にちょっとした体術、甘々の剣術、リークリス東部地域の古い言葉。そこで学んだものはもう——役に立たない。
夜明けとほぼ同時に、気が緩んだその時に、敵軍は攻勢をかけた。いつもなら視認できたときに詠唱をはじめ撃退できたかもしれない。だが長い膠着状態の末、前線に配備していた人数を減らし後ろの方で起こっているらしい内乱を鎮圧しに行ったのが昨日。
俺らは負けたんだ、トカゲとの我慢比べに。
俺らは撤退した。日の光を背中に浴びて飛んでくるレザールから。また1人、また1人、2人、3人、……爪で体を引き裂かれ、火炎で燃やされ、錬金術で殺られていった。中には生きたまま潰されて神様の元にいった人もいた。
あと、あと少しでも場所が違っていたら今頃お空の上なんて考えただけでゾッとする。
痛かったのだろうか、苦しみながら死んだのか、まだ、生きていたのか——。
そんなことばかりが脳裏をよぎる。
俺はまだ死にたくなんかない。
別に生に執着があるとか、家の隣の店のやけに固いくせしてそこそこするナッツパンが食べたいとか、――もう一度親に会いたい、とかそんなんじゃなくて、ただ、死にたくない。
だが、というかさすがというか、皆ただで殺られたわけではなかった。魔術で剣でレザールに一矢報いていた。
それでも結局、俺がいた小隊で生き残ったのは俺と親友だけだった。盾になるべく戦場に入れられたはずなのに、生かされてしまった。
「まだ若いから」
と。それに現実を教えてくれた。
「死ぬ必要はない」と。「生きて足掻け」と。
何度も、わざわざ無茶な行動をする狂った俺を引き戻してくれた。
恩返しがしたかったなんて、もう――。
エリセオが今、生きてるかどうかはわからない。
いや、アイツなら生きてるはずだ。そうであってくれ。
俺より先にここで生きてたんだ。
――――――――――――――――――――――――
今現在、彼は鬱蒼と茂った森の中を走っている。目的地なんてない、逃避行。ただただ前線から離れるように走っていく。
果たして何キロ走っただろうか。どこまでいったら助かるのか。今度はこれが彼の脳内を駆け巡っていた。足も、棒のようになり何の感覚もなくなっていく。
それでも彼は止まるわけにはいかなかった。
奴らは空を舐めるように移動する。1度だけ乗る機会があったとても速かった列車。それと同じぐらい速いから。
(約束したんだ。エリセオともう一度――)
————薄明の空を空気の唸る音が裂いていく。
彼、アルノーのすぐ横の地面を音の正体が抉った。
走っていた足を止め素早く近くの木の幹に背を預け抉れた地面を見やる。
(……石?)
穴の中心にはただの石……というよりかは魔石に近いものだった。魔石は地下の深さに関わらずよく取れ、淡い光を宿している。
そして、その名の通り——魔術や錬金術によく反応する。
(まさかっ……!)
空を仰ぐ。
そこには全身が白い生物兵器レザールが背中に人を乗せ悠々と泳いでいた。その巨体は下降を始め枝を吹き飛ばし葉を吹き飛ばし土煙を上げ地面に降り立つ。
赤い瞳に蜂蜜色の髪の女はレザールから慣れた手つきで降りアルノーに人差し指を向ける。
——だが、そこまでただで待つほどアルノーは優しくはなく生に貪欲だった。
「地素から水素へ、地の精から水の精へ。ここに術を興せ」
アルノーの白の手袋に描かれている幾重もの円や三角の集合体が、青い光を帯びていく。
「——水弾!」
伸ばされた腕の先に人間の頭部大の水が収束していき素早く回転しながら、さながら弾丸のように蜂蜜色の髪の女兵の方に飛んで行く。
だが、レザールが庇うように前に立ち水弾は防がれる。
水弾を受けたレザールの体は命中した翼から、水が弾け飛んだ胴からどんどんと融解していく。
何故か生物兵器は水に弱い。
これがリークリス軍の手袋に水魔術の陣が描かれ、兵士全員が詠唱を覚えている理由だった。
「狙いはもとからそっちだ!」
そして、弱点がわかっていながら劣勢状態だった要因は生物兵器と相手兵士の連携にある。
ここまで来れば、相手より先に術を発動させ首をとるだけだ。
「復唱っ、この手に宿るは氷の剣。我らは気高き戦士なり。創造氷剣」
手に氷の剣を携え、もう動かないレザールを飛び越え斬りかかる。
だが、現実はそう上手くいかない。
「きいておくれきいておくれ、貴方は強い折れずの剣。ニュンパよ力を貸しておくれ」
ガキンッ。
鈍い音が木々の間を響いていく。
女兵の手には淡く光る魔石の剣がうまれていた。
錬金術——ヴォルペントの古きの術。
初撃は防がれ、氷の剣と魔石の剣の鍔迫り合いの膠着状態になる。
所詮は男と女。単純な力比べだとこちらが上だ。
相手もそれに気がついていたのか一気に押し武器を跳ね返し、その一瞬で後ろに飛び魔石を握る。
「貴方は空も飛べるはず。きいてくれているのなら羽ばたいてごらん!」
アルノーは軍服のローブを外し前方に投げた。
弾丸のように飛んでいった魔石はローブに包まれ勢いが減衰していく。
それだけではなく相手の視界を遮る。
そして彼は全て見越したかのように少し迂回するようにして斬りかかる。
——はずだった。
「…………ゲほッ」
何かが出た。
口を拭った手の平をひろげる。そこにあったのはいつもの肌の色ではなく、赤い赤い見慣れた死の色だった。
(撃た、れた……?)
そうアルノーが悟った途端、血が溢れ出る。同時に胸部から腹部へと貫く痛みが全身を駆け巡る。
よろめきながら2.3歩危うい足取りで木の所まで行きもたれかかる。
右手からはするりと氷剣が抜け落ち、そして砕け霧散していった。
(――誰に?)
次にアルノーが疑問に思ったことはこれだった。
だがその答えはすぐにわかった。
もう一体いたのだ。援軍が。
先程のレザールより一回り大きいのが周囲の物を吹き飛ばしながら降りてくる。
「セレーニカ、どうしたんだ。早く貫いてしまえばよかったのに」
「……兄様どうしてここに。だって兄様は……」
先程まで対峙していた兵士、アセルをセレーニカと愛称で呼んだ短く切り揃えられた金髪に赤い瞳の男は妹に一瞥も与えずに木によりかかるアルノーの元へ行く。
その足取りは軽やかかつ迷いがなく、堂々としたものだった。
「おっ、まだ息があるんだ」
“兄様”は少年が玩具を見つけたように、にやついた。
「投降、って知ってるだろ。その手袋を外してくれたら命までは取らないんだが。どうする?」
「………っ」
アルノーは、
手袋を震える手で外し、両手を上げた。
「……投、降す……る」
「そうか、じゃまた来世」
淡々と、
「情けなんてあると思うな。こちらにもそれ相応の事情があってな。精々次は——」
手を伸ばし
アルノーはその手を掴み捻りあげようと――
「それが、そ、れがッ! お前らのするこっ——」
「兄様っ!」
憎悪に満ちた怨嗟の声、悲鳴のような良心の声をかき消すように
実妹アセルの制止を物ともせず兄様は躊躇いもなくアルノーの脳天を打ち抜いた。
赤い花が咲き誇り風に吹かれ散っていくように淡く赤色な脳漿が飛び散り、辺り一面に気味の悪い模様を描いた。
「セレーニカ、俺は、長男だから」
「帰ろうか。雪が、綺麗な雪がみたくなった」
太陽が見やすい位置まで上がった頃
アルノーは、再び目を覚ました。
変わらない場所、変わらない世界、変わらない体で。
ただ、見える物は違っていた。薄明の空ではなく青空が、それはそれは綺麗に澄んだ青空が浮かんでいた。
そしてそれを遮るように黒い瞳に長い白髪の長身の男が彼を覗き込んでいた。
「おぉ、目が覚めた! 目が覚めた!」
「どうだい、生きたかったんだろう。願いが叶った今の気持ちは?」
「……っあ、……う…………」
全身を貫く痛みに呻き声を上げる。胸元の傷はおろか脳天に空いた傷も治っていない。
「そっかぁ、喋れないのか。ざーんねん。彼が無理だったんだからそりゃそっか……」
長いため息とともに男は露骨に肩を下げる。
「にしても、これ痛いんだだっけ? だったら痛そうだねぇ、もう一回死んじゃうかぁい? 」
「嫌だよね? 確かぁ、死にたくないんだよね、約束を守るんだよねぇ?? 」
動かないはずの彼の頭がゆっくりと縦に動く。
「んーっと、君は誰だったけかな? 教えてくれないかな」
長い指がアルノーの青白い唇に触れる。
「――さぁ」
一度死んだはずの彼の唇がまるで何かに操られているかのように動き出す。
「っ……ア……、ル…………ノー……」
「そうかそうか! アルノークンか。じゃあ、その約束した人はだーれだ?」
「エ、リ…………セ、っ……ォ」
「エリセオクンかぁ。さぁ、何を約束したんだい?」
「もう、いち……ど、…………あ、う」
「そうかぁ。いやぁわかるよその気持ち!うんうん」
両腕を空に掲げ狂人のように男はわらう。
――だからこそ私はひかれたんだよ
「でも君このままだと死んじゃうねぇ。死にたくないだろ、死にたくないよね君ぃ?」
どうしても下を向いてしまうアルノーの頭を持ち上げ、まとわりつくような声で耳元でささやく。
「じゃあ、こうしようか」
「契約する、こう君の口からいっておくれ。ただし君は人ではなくなるからね」
「何せ私は——」
彼が続けるより早くアルノーは呻きにかき消されるぐらいの弱々しい小さな声で「契約する」と確かに言った。
「ンフフぅ、私は嘘が嫌いだ。二言はないね?」
ニヤリ、と口角を上げ彼はアルノーの頭、肩、そして右腕へ手の甲へと指を滑らせていく。
指が通った後には光を寄せ付けないような赤黒い薔薇の蔓の模様が描かれていく。そして手の甲には薔薇の花が描かれた。
「あぁ、やっぱり面白いね。ヒトは」
「―――――」
そう呟くと彼は立ち上がる。
朝の日差しが辺りに柔らかな木漏れ日を落とす。
「何せ私は、——悪魔だからね」
アルノーのものではない鮮血に染まった地面の上、人ではなくなった何かが転がった地面の上、金の髪と赤の水が煌めく地面の上で悪魔は高らかに嗤った。