10.黒田官兵衛という男
各章の10話目は物語での重要人物にスポットを当てた話になります。
今回は黒田官兵衛になります。
物語の中ではまだ小寺姓なのでご注意を。
1574年9月、播磨国姫路城。
小寺政職に仕えた黒田家の居城であり、昨年に別所長治の猛攻にも耐え、平城ながら堅城として小寺家臣内でも評判を得た城である。
ここに、一人の青年が半年ぶりに帰ってきた。普段は主君政職のいる御着城に詰めているが、暇を貰い父と嫁の待つ姫山に戻ってきた。
男の名は、小寺官兵衛。
史実において“希代の名軍師”と呼ばれ徳川家康からも恐れられた男だが、この当時はまだ小寺政職に仕える小姓の一人であった。ただ、主君には気に入られていたようで、「小寺」の姓を与えられており、家臣団の中でも上位に位置している。
「光!帰ったぞ!」
元気な声を出して屋敷に入ると真っ先に嫁の名を呼ぶ。光と呼ばれた女性はコロコロと笑いながら官兵衛の手を取り奥へと招き入れた。
「ちちうえ!おかえりなさいませ!」
子の松寿丸が声を上げると官兵衛は息子を抱き上げ高い高いをして喜ばせた。
「元気であったか?我が息子よ。」
声を掛けられ振り返ると、官兵衛の父、職隆が布団から起き上がっているところだった。
「父上、ただいま戻りました。私は元気に御座います。父上こそお身体は大丈夫に御座いますか。」
「最近は調子が良くなっている。早速で悪いが御着での様子を聞かせてくれ。」
官兵衛は以前より衰えて見える父の前に座り、御着城の状況について説明した。
小寺家は元々赤松家の分家であり、赤松晴政の重臣として仕えていた。だが播磨守護簒奪を目論む赤松政秀と対立し、政秀を支援する織田家と敵対する立場となった。更には主君義祐とも距離を置くようになり、播磨平野を中心として半独立状態となっていた。
当主政職は政治的手腕はあまりない。しかし、家臣の意見をよく聞きその言を受け入れ、これまではうまく戦国の世を渡ってきていたのだが、義祐の影響を受け付けなくなってからは独断が見え始めていた。方針もその場で決め一貫性がないため、隣国別所氏とも毛利氏とも敵対しつつあった。
家臣一同は小寺家衰退を危惧しており、いくつかの案を具申するが、政職は聞き入れない状況となっていた。
「…此度は織田家に臣従しないと相成りました。」
官兵衛は経緯を含めて説明し最後にこう締めくくった。
「…官兵衛はどう考えておる?」
「……時勢を見るに、織田家に臣従したほうが良いと思いました。」
「それは、進言申し上げたのか?」
「しませんでした。」
「何故じゃ?其方は小寺様の側近として正しき道に導くよう全力を尽くすのが務めではないか。」
「今、織田家に臣従しても小寺家は蔑ろにされると考えたからです。」
職隆は官兵衛を睨みつけた。
官兵衛は聡い。周りを良く見て常に最善を選択して黒田家ひいては小寺家を切り盛りしてきた。だが、此度のこ奴には最善のみならず別の思惑も感じ取れる。
「官兵衛、其方何を考えておる?」
「……父上、今、世は乱れております。下の者が上の者を食らい、力が力とぶつかり合って勢力変化が頻繁に起きております。我が黒田家もこの変化に呑まれず飲み込むことができれば、家名ももっと大きくすることができます。」
「我らにはそのような力はない。力を得る必要もない。」
「織田家も毛利家も最初はそのように思われておりましたでしょう。ですが時勢をうまく読み、敵をうまく食らうことで自家を大きくしていきました。」
官兵衛よ…それは“欲”と言うものだ。欲に駆られて衰退あるいは滅亡した家もあるであろう。
欲か……。確かに私も出世を望む欲はある。だが、官兵衛の持つ欲は天下に牙をも向かんとする危険な欲。それを父として認めてしまってよいのであろうか。
「何か策があるのか?」
「はい。織田家に羽柴秀吉という者がおります。」
「羽柴殿…といえば度々播磨にも侵攻してきた織田の将ではないか。かの者は武家でも在地の者でもなく、名もなき足軽であったと聞く。そんな者に我らの全てを委ねようと考えておるのか?」
「父上、そのような者だからこそ我らを厚く遇するに相違ありません。調べてみましたが羽柴殿は織田家内でも羨むほどにご出世されたお方。そんなお方についていけば我らも必ずや出世いたしまする。後は時勢を測り臣従する機を間違えねば必ずや成功いたします。」
父は息子をじっと見つめた。息子の表情は落ち着いており決して適当な言葉を並べ立てているようには見えない。確信があって織田家にそれも羽柴殿に接触することを考えているようだ。
「出世…か。其方の考えている出世とは、どこまでなのだ?」
「今はわかりませぬ。」
即答であった。
「織田家が天下に何を求めているのかがまだわかりませぬ。ですが徒に支配域を広げているだけの様にも見えませぬ。この乱れた天下がどのように落ち着くか…私は見たいと思うております。故にそれができる限り見渡せるよう、出世したいと思うております。」
「…小寺家を食らうてでもか?」
「御着の殿様は我が黒田家が絶対にお守りいたします!」
職隆は息子を下がらせた。自分が病に侵されていなければ他のやりようがあったのかもしれぬ。だが栓無きこと。既に官兵衛の目には小寺家の終焉は見えているのかも知れぬ。そのうえで小寺家を守るにはどうすればいいか…から出世の欲を持ったのやもしれぬ。主家の安泰、自家の安泰…この二つを念頭に置き織田の播磨侵食にどう対処するというのか。
職隆は庭の木々の隙間から見える青い空に目を向け、黒田家の将来に思いをはせていた。
官兵衛殿の父、小寺職隆様からの手紙を読み、父君が如何に小寺家…いや黒田家と言うべきか、の行く末を案じておられるかをよく理解した。
「官兵衛殿、父君の文の内容はご存じか?」
「文を父から受け取る際に聞いております。某としてはそれほど危ない橋を渡っているつもりはないのだが…父のお考えは尊重すべきと思い、松寿丸をここに連れて来た次第に御座る。」
「いやいや、貴殿のお考えは十分に家族を心配にさせるであろう。弥八郎も読んでみよ。」
そう言って俺は本多弥八郎に官兵衛殿からの書状を渡した。弥八郎は静かにそれを読む。そして「ほう」と感嘆の声を漏らした。
「これはこれは…小寺殿も思い切ったことを考えなさる…。謀反が起きてしまえば生きて城を出られる保証はございませぬぞ。」
そう言って弥八郎は官兵衛殿を静かに睨みつける。
「…それとも、そもまま荒木方に寝返るおつもりで?」
だが弥八郎の言葉に官兵衛殿は首を振る。
「松寿丸を貴殿にお預け致す。某が裏切ったと思うたならば遠慮なく斬ってくれ。」
官兵衛殿は俺に頭を下げた。後ろに控える松寿丸も慌てて平伏する。俺は顎に手を当てて考え込んだ。
播磨で主家から姓を賜り、信長様にもその活躍を褒められたこの男が、何故に摂津の荒木村重の件に首を突っ込んでいるのか。
それは、主家である小寺政職が村重に加担しつつあるからである。出世欲を持ちながらも主君に忠義を尽くさんと己を顧みずに行動しているのだ。手を差し伸べたくなる。
「相分かった。松寿丸殿はお預かりいたそう。だがこの者は清州に連れて行く。それからお主はこのまま御着に戻られよ。」
官兵衛殿の表情が強張る。俺は説明を続けた。
「実はな、小寺殿が謀反に加担しようとしているのも勘づいておる。そして事を起こすのを待っておる。」
官兵衛殿は愕然として視線を落とした。
「…戻って小寺殿を説得されるが良い。お主ならばどう言えば良いかはわかるであろう?」
すかさず弥八郎が口をはさんできた。
「良いのですか?このまま黒田殿をここに留め置き、荒木の謀反に加担した小寺家を廃して黒田家で播磨衆をまとめ上げれば、羽柴様の山陽攻略を手助けできるのですぞ。」
弥八郎の言葉は正しく事前に具申も受けていたが、俺はやりたくないと考えている。
「弥八郎…お前の意見は尤もだ。だが、俺は官兵衛殿とは友でありたいのだ。」
そう言って弥八郎を黙らせてから官兵衛殿に視線を戻す。…俺にも打算はある。ここで官兵衛殿に恩を売っておけば何かの折に協力を仰げるかも知れん。
「官兵衛殿、これ以上摂津には関わらぬようにだけしてくれ。それが主家を救う唯一の道だ。」
官兵衛殿は感涙し深々と頭を下げた。
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黒田家とはある日を境に親密に付き合ってきた。官兵衛殿は私が思っていたよりも純粋で主思いの男である。我が主君もそんな官兵衛殿を気に入っていたので、“筑後宰相”として国政の一翼を任されていた。
だが親父様から聞いたお話では、心の奥には出世に対する欲を抱えており、そのせいで危うく時勢を見誤るところであったと聞いて驚いたものだ。
官兵衛殿の親父様は“本能寺の変”の顛末を見届け、黒田家の安泰を確認してこの世を去った将のお一人。最期は山科邸で眠るように息を引き取ったが実に幸せそうであった。
私はこう記す。
常々自らの病を口にされていた親父様であったけれど、病どころか風邪一つ引かれたことのない丈夫なお身体であったと。
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1577年11月末-
信長様は大臣への就任を断られた。
元々太政官の一斉交代は予定されていたものであるが、これにより左大臣は九条兼孝様留任、右大臣は西園寺公朝再任となる。また就任に掛かる費用などは全て織田家が用立てており、関係する公家、宮中にもばらまきを行い、一時的に京の街に特需が発生したと聞く。就任祝いには信長様自身も駆けつけ、大層な茶器を進呈し喜ばれたとか…。
「無吉、お前も京に行きたかったか?」
ご主君に声を掛けられ俺は意識をこの場に戻した。すっかり寒くなり、火鉢で手を温めながら俺の様子を伺うご主君が上座に座られている。
俺は松寿丸殿を連れて半年ぶりに清州城に来たのだが、俺が清州に来ることがどこから漏れたのかご主君の耳に入り、鷹狩りついでに立ち寄った体で謁見することになった。周囲には小姓衆の丹羽源六郎、大橋与三衛門、佐久間甚九郎が控え、下座で竹中半兵衛様と一緒に座っている。松寿丸は突然の謁見となりガチガチだった。因みに今の俺は無吉ではなく、鬼面九郎である。
「仰る通りに御座います。しかしながら大和の若人衆の面倒や羽柴様、原田様から送られてくる諸将の妻子の対応に追われ、なかなか……。」
「その者も筑前から送られたと聞いたが?」
ご主君が松寿丸殿を指して問いかける。松寿丸殿は更に平伏してしまった。
「播磨の小寺家より送られ…「黒田家であろう?」…は。」
姓を言い直されて俺は改まる。
「…何故ゆえに清州なのだ?」
先に市様に相談したかったのだが仕方がない。
「はい、万寿丸様も元服に向け誰かを付ける頃かと思い、市様にご相談すべく参った次第に御座います。」
「万寿丸の教育については平手に任せていたと思うが?」
「市様に万寿丸様の元服に向けた道筋をご説明してご了解頂いたのち、岐阜にて平手様に進言するつもりで御座いました。…既に文は岐阜にお送りしたのですが…。」
「なるほど。入れ違いであったか。私が岐阜を発つ時は平手(久秀のこと)は何も言っておらなんだ。」
そう言うとご主君は考え込み始めた。…俺の意図に気づかれるであろうか。市様のご子息は浅井の血を引いている。これを利用とする輩は近江伊賀越前伊勢と広範囲に渡って燻っている。特に越前は柴田様に一応の服従はしているようだが、まだまだ朝倉旧臣が残っているのだ。こういった輩に万寿丸様を担ぎ出されると後々厄介になる。そうなる前に織田家公認で万寿丸様の徒党を組ませるのだ。その後一定の功績を上げさせ、近江から離れた地に移封すれば手出しできなくなる。…その為には官兵衛殿のような忠誠心があり頭の切れる人物が必要だ。
「無吉、この後その小僧をつれて市姉の屋敷を訪ねようか。そこでお前が考えているこの先の事を聞こう。」
「承知いたしました。」
「無吉の件は仕舞じゃ。では次に半兵衛の回復祝いといこうか。母上がいたく心配されておってな。…何故に母上がお前のことを気に掛けられるのか…その辺から話を聞かせてもらおうか。」
半兵衛様の表情が固まった。どうして?ていう顔だ。そりゃそうだ、半兵衛様は全く与り知らぬこと。…お可哀そうに。反対にご主君の顔はすごく嬉しそうにされている。
勘九郎様、これのどこが回復祝いなのでしょう?
西園寺公朝:従一位右大臣。公卿として数々の職を歴任し、常に宮中権力の中核をになっていたとされています。
九条兼孝:従三位左大臣。史実では豊臣秀吉の死後に関白に叙任されている大物の公家になります。
黒田孝高:史実では羽柴秀吉の家臣で竹中半兵衛と並び“両兵衛”と称されています。元々は播磨の豪族小寺家の家臣でしたが、父の代になって頭角を現し主家から“小寺姓”を与えられ厚遇されていました。官兵衛の代になっても主家を支え、家名を維持せんと織田家に臣従するよう進言します。一旦は織田家に服属した小寺家ですが、荒木村重の謀反に同調しようとしたため、単身有岡城に向かい幽閉されてしまいます。
松寿丸:後の黒田長政のことです。
万寿丸:浅井長政とお市の子です。史実では浅井家滅亡時に処刑されていますが、本物語では助命され清州城ですくすくと育っています。平手汎秀が教育係と務めている設定です。
織田市:信長の妹で浅井滅亡後は親族によって庇護されていました。史実では清須会議の後に柴田勝家と再婚します。




