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8.洲股砦の戦



 ~~~~~~~~~~~~~~


 1561年1月-


 女房衆の館を出た私は、前世では想像もできないほどの苦労を重ねた。


 食事の内容は一気に悪くなり、食べずに過ごす日もあったほど。


 だが、家が貧しいからではない。


 私が“父無し子”であることが原因の大半であった。


 格、身分、官位の高さを重んじる彼らは、私のような卑しき身分に生まれて尚もご主君に仕えようとする者に対して、厳しい態度を取られていた。


 ~~~~~~~~~~~~~~




 俺は岩室様のお屋敷でお世話になることとなった。岩室様は既に室を迎えられており、近江の某の娘との間に一男一女をもうけられていた。これに、世話係の老夫婦とご家来衆4人が一緒に住んでいた。

 岩室様は最初ご家来衆の1人として生活させようとしたがご家来衆が嫌がり、仕方なく老夫婦の下働きとして住まうこととなった。当然身分は最下層である。



 岩室家に来て俺はすぐに追剥ぎに会った。老夫婦にである。吉乃様から頂いた服は全て奪われた。岩室様に服の事を聞かれると、


「外で追剥ぎに会うたようです。」


 と勝手に答える始末。飯も「餓鬼だから」という理由で、半分以下の量しか貰えない。何食わぬ顔をして俺に対する仕打ちがえげつない。


 岩室様が「大丈夫か?」という顔で俺も見てきたが、「問題ない」という仕草で返しておいた。


 だって、ここで岩室様に助けを求めれば、仕打ちは余計に酷くなる。ここは黙って老夫婦に従い、これ以上酷くならないようにした。



 俺の仕事は多い。


 水汲み、薪割り、洗濯、山菜採り、足洗い…要は全部だ。それを全て行ってようやく寝ることが許される。かなりきつい。だが俺は一切文句を言わずそれをこなした。ついでに、こっそり山で芋を掘って、それを食して空腹も満たしていた。だが二月もすれば食事量が少ないのに身体つきが変わらないことを不審に思われ、隠れ食いがバレて家来衆にボコボコに。流石にその時は丸一日寝込んだ。




 月に一度、俺は岩室様と一緒に登城する。岩室様が城内の仕事をされている間、俺は女房衆の館に向かい、吉乃様、奇妙丸様とお話をする。と言っても、今の俺は館の中に上がっていい身分ではない為、庭先から縁側に座る方々とお会いする形式なのだが。


「随分と肌の色が変わりましたね、無吉。」


 相変わらず、吉乃様の優しいお声が心地よい。


「無吉、逞しくなった!」


 俺の姿を見てはしゃぐ奇妙丸様。


「あい。岩室様に手ほどき頂きまして。」


 俺は一礼する。実際には岩室様からは何も手ほどきは受けてないのだが。…それにしても、隣で俺を睨み付けるこの男は一体誰なのであろうか。


 俺はチラチラと隣の男の様子を覗った。


「兄様、無吉が兄様のことを気にしているようですよ。」


 吉乃様が、隣の男に声を掛けた。



 兄様(・・)



 と言うことは生駒家の…宗家のご当主、家長様か。


「ふむ、こ奴が類の言うていた聡い子かと思うて見ておった。…たしかにそこらへんの餓鬼とは違うようじゃな。」


 家長様は顎鬚を扱きながら俺をマジマジと見てきた。


「岩室殿の話では、この歳で何でもこなしておるようで…。儂に手ほどきを依頼されたのじゃが…。」


 なんと!岩室様目から鱗!


「小僧、手習いを受ける暇はあるか?」


 家長様の質問に俺は俯いた。そう、そんな時間など今の俺には無い。


「…無いか。残念そうな顔をするな。暇が出来たらいつでも来い。」


 そう言うと、家長様は俺の頭をくしゃくしゃと撫でられた。ありがたい。皆が皆、俺を卑しき者と見ている訳ではないので、こういうことをされると「がんばるぞ!」と意欲が湧いてくる。


「…無吉。」


 奇妙丸様が俺をじっと見つめられている。俺は無言で肯く。すると奇妙丸様は微笑まれた。


「それでは…失礼いたします。」


 俺は一礼し、女房衆の館を出た。月に一度、こうやって吉乃様や奇妙丸様とお話ができるのなら、今の暮らしも辛くは無い。






 ~~~~~~~~~~~~~~


 岩室様の屋敷で下働きを始めて私の身体つきは大きく変化した。酷い扱いを受けながらも体力も筋力もそして精神力も鍛えられた。


 しかし日々辛い作業をこなしながらも、岩室様の運命の日は近付いていった。休む余裕など無かった私には、岩室様と真面に話する間もなく、次の戦の準備が始まった。


 一色家との国境でのやりとりである。後世では墨俣(すのまた)の一夜城などと言われておったが…それは創作である。長良川、犀川、木曽川が合流する洲股(すのまた)と言う地域には昔から砦は存在しており、美濃を守る要所として斎藤家が兵を配置していた。そして砦の攻防から始まった美濃攻略で岩室様の運命の日が訪れた。


 ~~~~~~~~~~~~~~




 ある日、岩室様が俺を呼び出された。洗濯中だった俺はそれを老夫婦にお願いし、岩室様の元へと向かった。


「無吉、一色左京大夫義龍が死んだ。」


 そうか、もう5月か。史実では確か義龍の死を契機に美濃の国人が織田方に傾いて行ったみたいだが…。

「…山城守様の仇敵が亡くなられたのですね。帰蝶様に通じている美濃の国人の動きが慌ただしくなると思われます。」


 俺はワザと御台所様のお名前を出した。岩室様は俺の言葉に何か思案し出した。


「無吉、女房衆を見張った方がよいか?」


 岩室様の言葉に俺は頭を振る。


「御台所様は、我らの知らぬところで殿様と通じておられます。此度のことで、何かあったとしても、殿様の耳には入ると思ってよいでしょう。」


 俺の言葉に岩室様は驚きながらも肯き、話を進めた。


「恐らく、戦が始まる。混乱に乗じて美濃に侵攻をかけるだろう。…無吉、これより暫くは儂と行動を共にいたせ。」


「あい。」


 恐らく岩室様は俺に戦のことを覚えさせようという気だ。正直、桶狭間のときの血まみれの伝令を見て、トラウマ的な感じなんだが、仕方がない。





 俺は戦場に連れて行かれると思っていたが、実際は後詰の飯炊き係だった。

 美濃は木曽川で尾張との境を示しており、木曽川の上流にあたる松倉(まつくら)や、加納(かのう)は強固な城や、大軍を配置しているようだが、河口に近い西部は国人任せになっている。その中でも洲股(すのまた)には一色家の直臣が配置されていたが、岩室様曰く、この洲股の砦を落とすことで、一色家の西美濃に対する枷を外すことができ、一色の本拠である稲葉山(いなばやま)城の喉元を抑えることになるそうだ。

 既に木曽川と長良川の間にある不破郡の諸城は織田家に恭順しており、洲股を攻めるための道筋は出来ているらしい。俺はその途中の陣屋で兵たちに配る飯を炊く係として連れて行かれた。


 現場は大賑わいであった。多くの女中がたくさんの釜を前に米を炊いており、俺は米を炊く女中に水と米を渡していく係(炊く係よりしんどい)として、水場と米置場と炊き場をぐるぐる回っていた。


「無吉!」


 突然声を掛けられ、びっくりして振り向くと懐かしい顔があった。


「大きゅうなって!」


 と言って抱きしめられる。舞さんだ。へえ、女房衆もこういうところに駆り出されるんだ。


「違うわよ。御台様の命で来ているのです。美濃の様子を見てくるよう言い渡されました。」


 ?…やはりあのお方は、何か目的をもって、行動されているようだ。まあ、得た情報は信長様と共有されているようだから心配ないと思うけど。


「ほらほら無吉、次の米!」


「あい!」


 舞さんに言われて俺は慌てて米を取りに行った。しかし、美味しそうな匂いの立ち込めるこんな場所も戦の1つなのか…。炊いた米を食べることを許されてない俺には地獄だけどな。まあ舞さんに俺の元気な姿を見せられたからよしとするか。



 二日ほどの攻防で、洲股砦は陥落した。これで織田家は西美濃に大きな楔を打つことに成功した。俺は合戦自体は良くわからなかったが、美濃衆の士気は低くあっさりと砦を奪取できたそうだ。

 信長様はこの勢いで、兵を加納に進められた。尾張北部の国人達に追加の出陣を命じ、木曽川を挟んで東部からも美濃に侵入させた。



 だが、加納城を攻め始めて直ぐに戦況は大きく変わった。




 東から美濃に侵入した兵が無断で撤退したのだ。



 率いていたのは犬山城主、織田十郎左衛門信清様。信長様に何の連絡もなく自領へと引き上げ、美濃東側に展開していた一色軍が全て加納城の救援にまわったのだ。


 攻城の戦線を維持できないと判断した信長様は撤退を決定。丹羽様、佐久間様の部隊を殿にして、清州城へと撤退した。

 俺がいた兵糧を蓄えていた陣屋も引き払うこととなったが、兵糧は捨てて行くそうなので、撤退のどさくさに紛れて米を懐に放り込んで、逃げ出した。暫くして陣屋から炎が上がった。打ち捨てた兵糧に火を放ったようだ。…もったいないが敵に食われるよりましだ。それよりも久しぶりの米だ。


 俺は懐に放り込んだ米をかき集め、麻の袋に入れて人に見つからないように腰に括りつけた。




 洲股は確保できたが、他の城は奪うことができずに戦闘は終結した。



 俺は岩室様のお屋敷に戻り、待機していたが、岩室様は戻って来られなかった。翌々日になってげっそりした表情で戻って来られ、どうやら信長様の犬山城に対する怒りが収まらず、犬山に兵を向けようとするのを皆で説得していたそうだ。


 早く帰って来て欲しかった。…岩室様を待っている間にくすねた米は老夫婦に奪われちゃったじゃない・・・。ぐすん。




 …だが、問題はここからだ。


 史実では、離反とも取れる行為を行った犬山織田家に対して、示威行為として犬山城の支城である小口城を攻める。…そして多くの小姓衆が命を落とすのだ。その中に、岩室様も含まれている。


 なんとか阻止できないものか。





 岩室様は、信長様をお諫めできる数少ない小姓である。生きていれば、信長様の重臣として活躍したであろうと言われている。



 …生きていればだ。



 このお方は、「本能寺の変」を回避するのに必要な御方だ。



 ご主君の為…ここで死なれては困るのだ。




 俺は意を決して岩室様と話をした。



「岩室様。……犬山とは戦になりますか?」



 唐突な俺の質問。岩室様はびっくりした表情を見せたが、直ぐに得心したように笑みを浮かべた。


「お前は聡いな。」


 岩室様は俺の頭を撫でられた。




岩室重休:伊賀の生まれとも言われておりますが、在地の有力国人のようです。

死後、加藤弥三郎が養子に入り後を継いだそうですが、実子もいたようで、別所長治の配下にいたとも。

信長様の信頼も厚かったようですが、早世のため記録が少ないのが残念です。

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