5.領地拝領
三話連続投稿の二話目です。
1576年6月末-
長曾我部家より、村上家に不審な動きありとの報告が入った。
俺は大和へ三好様に書状を届けている時だったため、詳細は後で庄九郎に聞いた。
「第一次木津海戦」に前兆であることを知っていた俺は特に思うところもなく自分の仕事を進めていた。
「吉十郎、お前は何も思わぬのか?今大坂には甚九郎(佐久間信栄)の親父殿がおられるのだぞ。」
むすっとした表情で庄九郎はいう。甚九郎を心配しているのであろう。だが俺は敢えてそっけなく返した。
「佐久間様も大殿に認められた将だ。多少のことであたふたされていては困る。それに我らは対武田を進めていかねばならぬ身。人の心配をする余裕などない。」
俺の言葉に庄九郎が顔を赤くした。
「何かあれば後先考えずに真っ先に動こうとするお前が此度の件に関しては人任せか?」
庄九郎の怒った表情に俺は小さくため息をついた。その態度が気に入らなかったようで俺は胸倉をつかまれた。
「若殿に領地を頂いて“天狗”になっておるのか?」
「…鬼の次は天狗か。俺の渾名がまた増えるな。」
「……気が狂うたか!?貴様!」
俺は庄九郎に思いきり殴られた。体は俺のほうが大きいため吹っ飛ぶことはなかったが、体は大きく傾き視界は急転した。すぐさま体制を立て直し庄九郎を睨み返す。庄九郎は体を震わせ俺を睨みつけていた。
「…ふん!」
庄九郎は俺に背を向け去っていった。俺はその様子をじっと眺めていたが、見えなくなったところで大きくため息を吐いた。殴られた頬を擦りながら振り返ると祖父江孫十郎が立っていた。俺は視線を外し無言で孫十郎の横を通り過ぎようとした。
「よろしいのですか?真実を言わなくて。」
俺は孫十郎の肩に軽く手をかける。
「…俺たちがご主君から命じられた仕事は、こういう時でも耐え忍ばなくてはならぬものなのだ。皆からの憎悪は俺が全て引き受ける。お前は自身の仕事に専念しろ。」
「しかし!」
俺は今度は孫十郎の両肩に手を置いた。
「織田家の結束を高めるためなのだ。今は何も言うな。」
孫十郎は真剣な眼差しの俺に何も言えず、だが口惜しそうにしていることは伝わってきたので黙って頭を下げた。
俺は密命を受けていた。
それも人に言えるような内容ではない。
そしてその密命の達成には、庄九郎を含めたほかの家臣から距離を置く必要がある。そのため俺は与えられた領地の経営準備と称してご主君からも遠ざかるよう自ら遠地への文を届けるようなことをしていた。
屋敷に戻ると、芝山翁鉄斎が俺を出迎えてくれた。翁は槍にもたれかかりながら報告してきた。
「新たに仕官を求める者が来ております。部屋に通しておりますので。」
そう言うとひょこひょこと足を引きずりながら俺を先導した。
部屋に入ると十名ほどの男が頭を下げて待っていた。俺が上座に座ると一人ずつ顔を上げて名乗りを上げた。全員の名乗りを聞いて俺は表情を押し殺して見回した。
知った名前が二人。
一人は、木村常陸介定重。
史実では豊臣秀次の側近となる男である。
そしてもう一人は本多弥八郎正信。
…かつて徳川家康の参謀衆の一人として遠江に仕えていた男である。俺はどうしてこんな要注意人物がここに来たのか正直怖くなった。
全員を別室に下がらせ、俺は孫十郎と二人の隻腕爺を呼んだ。因みに慶次郎、津田与三郎は先に領地入りしており、八右衛門と多賀勝兵衛は別命で大和と伊勢に出かけている。相談相手が孫十郎だけなのは寂しいので屋敷に引き籠って俺の子の相手しかしてない二人にも聞いてみたかったのだ。…孫十郎は不服そうな表情をしていたが。
「…その者、徳川の密偵である可能性は?」
翁の一人、内藤昌豊様が枯れた声を発する。俺は腕を組んで考える。これに孫十郎が言い返す。
「平手様にかの者について問い合わせましたところ、昨年の武田家との戦のあと、遠江を追放されております。」
これにもう一人の翁、馬場信春様が応える。
「一人でか?」
「いえ、一族ごと。」
「…ならば、本当に徳川家を追い出されたやもしれぬな。普通は草の者を放つ場合はその者の親族は城内に留め置かれる。」
馬場様の言葉に内藤様が頷く。確かにその通りだ。…これは調べる必要がある。場合によっては俺の受けた密命を手伝わせることも視野に入れよう。
「孫十郎、平手様を通じて徳川殿に確認してくれ。返答次第ではご主君に上奏し登用する。」
孫十郎はびっくりした表情を見せたが、しばらく考え込んで頭を下げた。
「俺は直接あの男と話してみる。」
俺の一存で本多正信の件は登用することを前提に進めることにした。そして新しい領地については今回登用する者たちに任せることで孫十郎に指示をした。
俺の領地。
これまでの功績を踏まえ、“津田九郎忠広”に与えられた褒賞。これを機に俺は“池田吉十郎忠輝”とは分離させることとした。もちろんご主君と信長様の了承はとってある。慶次郎と与三郎は九郎の家臣とし、八右衛門と勝兵衛、孫十郎は吉十郎配下とした。今回登用した木村定重以下十二名は全員慶次郎に預ける。吉十郎には清州城代として地元の国人衆との結びつきを強める為に新たに登用することにした。
淀城の拝領。
正確には山城国久世郡の一部を俺は拝領した。
石高にすれば一千石程度。かつては京街道の宿場町として栄えていたが、三好三人衆の領地となってからは戦乱に巻き込まれ離村が続いていた。織田家が三好三人衆を追い出してからは信長様の直轄地として幾分安定しており、京と大坂最前線とを結ぶ補給路として活用されており、池田の親父殿がいる枚方と、土田生駒殿がいる交野を結ぶ中継点にもなっている。
淀城自体は岩成友通との戦の後は放置されていたが、ようやく住める程度に改修が完了したので、俺は受領後初めて足を踏み入れた。新調された屋敷の大広間に家臣一同が並び俺の入室と共に一斉に頭を下げる。まさかこういう光景を自分が味わうとは思いもやらなんだと考えながら上座に座る。「面を上げよ」との声に皆が顔を上げた。
「…津田九郎である。今日よりこの久世の領地を任される身となった。お前たちには織田家の一員としてこの地を守るため働いてもらう。」
一同が短い返事をする。
「慶次郎、周辺より二百の兵を集め常備せよ。与三郎はこれを助けよ。」
先頭に座る二人が頭を下げる。
「兵の練度をある程度備えたら明智様の元へ向かえ。彼の地(丹波)は織田家に歯向かう者が集結し明智様を苦しめておられる。我らも兵を送り明智様に与力致す。」
慶次郎と与三郎は揃って返事した。
「木村常陸介と日下部兵右衛門はこの屋敷にて俺に代わって統治せよ。他の者はこの二人に従うように。」
木村重茲を筆頭に多くの家臣が頭を下げた。その様子に俺は一度頷き言葉を続けた。
「我らに求めらるるは“安定”と“調和”である。大阪と都を結ぶ街道としてより地域の安定を図り、周辺領主、特に池田家、生駒家、細川家とよりよい関係を築けるようまい進せよ。」
下座の家臣一同は大げさに声を上げて低頭した。俺は苦笑する。この俺が城を持ち、家臣を抱えてこの世の中を渡っていくことになろうとは。出世すればいずれそうなることはわかっていたが、本当にそうなると何か違和感を感じる。いずれなれるのであろうが今は何とも言えない気分だ。
こうして、鬼面九郎忠広の領主人生は始まった。
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1576年6月末-
私の人生における大きな分岐点であることを記憶している。
文字通りの意味で、この日より、清州城代“久保田兵部少輔”と淀城主“鬼面津田九郎”との完全なる二重生活が始まったのだ。しかしこれは並大抵のことではなかった。物理的な距離もあり、頻繁に往来することはできず、また吉十郎と九郎では役割も異なっていたため、各々に私を手助けする家臣が必要になった。
そしてそれはこの私が二つの名でもって織田家に仕えていることを知らずに仕える家臣も増えていったことも記録しておこう。
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家臣と打ち合わせを終えた俺は、すぐに木村常陸介を連れて勝竜寺城に足を運んだ。所謂挨拶回りである。事前に先触れは出していたので、行けばすぐに奥の間へと案内された。俺は下座に座り、その後ろに常陸介を座らせて待っていると、細川兵部大輔様がやってこられた。
「よう来られた吉十郎殿、いや“兵部少輔殿”と呼ぶべきか。」
屈託のない笑顔で兵部大輔様が俺に話しかけられた。俺も笑顔を見せてから返事をする。
「今は“津田九郎”に御座ります。此度の与力につきましても“鬼面九郎の兵”として二百…お預けいたします。」
そう言って俺は面頬をくいっとあげた。兵部大輔様は苦笑された。
「鬼面の左右に侍る朱槍の兵と、既に噂されておる。…慶次郎殿も与三郎殿も思いがけぬ評判に戸惑っておったぞ。」
「畏れ多きこと存じます。二人とも私と共に修羅道を潜り抜けた者。何なりとお命じ下さいませ。」
その後も親し気な会話が続き、後ろに控えた常陸介はその様子に驚きを隠せない様子でいた。それに気づいた兵部大輔様が常陸介に声をかけられた。
「木村殿、お主の主は単に大殿の覚えめでたき者ではない。我らも一目を置く者ぞ。それをよおく理解して仕えねばならぬぞ。」
すっかり委縮してしまった木村常陸介をよそに俺は久しぶりに屈託のない会話を楽しんだ。
……さて、種は既に撒いてある。
そろそろ動き出す頃であろう。
その前にご挨拶に伺うとするか。
俺は淀城に戻ると鬼面を外して供をつけずに城を出た。行先は岐阜城。ご主君の元へではない。
向かう先は、ご主君の相談役“松永道意斎”。
ちょうど俺の前世の史実では、二度目の反乱を行うのだ。そしてこの世界では、信長様承認のもと謀反を行うのだ。これには伊賀、大和、伊勢を安定させるため。
それにしても、俺も阿漕な人間になったものだ。
日下部定好:元々は織田信長の直臣のようです。史実では羽柴秀吉とのいざこざで織田家を出奔して徳川家に仕えております。
木村重茲:史実では豊臣秀吉の家臣となり、その後秀次の側近として活躍した武将です。出身は諸説あるのですが近江木村氏の一族説が有力だそうです。




