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7.父無し子





 信長様の小姓衆との深夜のお話会以降、俺は外出が増えた。


 外出と言っても、女房衆の住まう館の隣にある屋敷の庭先までなのだが。


 そこで何をしているかと言うと、岩室様から講義を受けているのだ。…と言っても岩室様は縁側から独り言のようにお話をされて、俺は庭の掃除をしながらそれを聞いているという感じだが。

 傍から見れば、小姓の独り言を幼子が意味も解らず聞かされているという風体を装っている。


 何故そのようなことをやっているかというと…。結局、岩室様は俺のコトを信長様に報告したそうだ。信長様は岩室様に対し「内々に教育しろ」と仰せになり、このような形で岩室様の講義を聞いている。



 岩室様は小姓衆の中ではかなり早くから信長様にお仕えしており、信長様の信頼度もダントツの御方。その御方から内々とはいえ教育を受ける…。実質的には後ろ盾になって頂いたようなもの。俺としては非常に有難いことだ。



 だが、逆に俺のコトを危険視する輩も増えた。


 この間、あれを見に来た小姓衆に佐脇藤八様という方がおられ、この方は極めて常識的なお方で俺の様子を見て「魔物に取りつかれし餓鬼!気持ち悪きことこの上なし!」と言われている。…まあ当面は影響なしと見なし、俺は藤八様のことは忘れることにした。




 そして、岩室様のご講義で得た情報は…。


 尾張北東部には信長様に反抗的な国人がまだいるとのこと。その筆頭は織田十郎左衛門信清。信長様の従弟にあたる方だ。

 次に伊勢湾全体を織田の物とするために、伊勢侵攻計画を立てているとのこと。

 それから、美濃の一色義龍が国内を纏めつつあること。


 史実では、1561年に病により死去し、子の龍興が継承するも美濃国人の離反が相次ぎ、1567年に伊勢へと逃亡している。…そう言えば、最近御台所様のところに林様が頻繁に顔を出していたな。あと、堀田道空(ほったどうくう)という男も出入りしている。川並衆の使いも良く来る。…何か関係があるかも。一応岩室様に話しておくか。


「岩室様、近頃…濃の方様へご挨拶に伺う方が増えております。」


 岩室様は表情を変えず空を見上げながら聞き返した。


「誰が来ておる?」


 俺は庭を箒で掃きながら答えた。


「佐渡守様、堀田様、川並衆の使者」


「…どんな話をしている?」


「屋敷では亀さんに柱に括りつけられております故……。」


 俺は急に険しい顔で問い詰めてきた岩室様を笑わせるために言ったのだが、真に受けたようで、


「亀殿には申し付けておく。どんな話をしているか調べろ。」


 と言われてしまった。



 …こうして俺は、女房衆の屋敷で間者として身を置くこととなってしまった。だが仕方がない。この俺の可愛らしさを武器に情報収集をしてやろう。



 次の日より俺は御台所様を訪れる度に部屋に忍び込み話を盗み聞きしては、隣の屋敷の掃除をしながら岩室様に報告を行った。





 梟雄、斎藤山城守道三を討ち、美濃の国主となった斎藤治部大輔義龍。彼は家督相続後から積極的に将軍家に働きかけを行い、一色を名乗ることを許されると、朝廷とも結びつきを強くし、1558年に治部大輔に任官している。さらに翌年には幕府相伴衆に任命され、大名としての名声も権威も得ている。

 配下の国人衆にも安堵状を発給して混乱していた国内の安定化を図っており、着実に美濃の基盤を築き上げていた。


 信長様も一色家を宿敵と称して美濃奪還(道三より美濃を譲るという遺言状に基づく)を推し進めているが…とにかく尾張北部が安定しないため、小競り合い程度の戦しかできていない。


 そこに出てきたのは美濃国主(やまい)の噂。


 出所は元道三の側近、堀田道空(ほったどうくう)様。


 義龍が当主となってからハブられている為、真偽のほどは不明だが、道空様の話では、美濃は3つの派閥に分かれているらしい。


 1つ目が義龍支持派。要は義龍子飼いの武将や義龍により恩恵を受けている国人たちで、主流派だ。

 2つ目が土岐支持派。つまり昔を懐かしむ落ち目の土岐家旧臣達の集まり。

 3つ目が旧道三派。新しい国主とは距離を置き、自領を独自で経営しており、道空様もこの派閥に該当する。そんな輩が道三の娘である御台所様に接触しているとなれば、由々しき問題である。

 御台所様を旗頭に何かを企んでいるとすれば、織田家は美濃の国主争いに意味もなく巻き込まれてしまう。


 岩室様は俺の報告を聞いて、直ぐに信長様に報告された。だが、


「…捨て置け。お濃も美濃に懐かしむ話が聞けて退屈凌ぎにはなるであろう。」


 と言って何もしなかったそうだ。





 開けて1561年元日。



「おめでとうござりまする!」



 林佐渡守様のお声で年賀の儀が始まった。


 昨年同様、奇妙丸様は信長様の膝の上で隣に裏ボス帰蝶様。そして下座の最前列は、林様、佐久間様、柴田様、古渡様(三郎五郎信広様のコト)。上座の後ろには女房衆として、吉乃様、直子様、坂の方様が着座されている。吉乃様の膝では茶筅丸様が得意げな顔で座っておられる。一つ飛んで坂の方様の上には勘八(かんぱち)様(のちの三七郎信孝様)が座られていた。


 坂の方様は、伊勢の大豪族関氏の傍系、鹿伏兎(かぶと)氏の更に傍系の(さか)某の娘で身分はかなり低いらしい。直子様と同様、信長様が認知をキョヒっていたが御台所様に促され昨年末に熱田の岡本良勝様のもとに身を寄せていた坂の方様を引き取られた。御子は茶筅丸様と同年だが、身分の差で茶筅丸様を次男とされている。

 因みに直子様の御子は古渡様後ろに控えておられた。俺は、岩室様と広間を囲む渡り廊下に控えている。昨年とは扱いが異なり、親族扱いではなく、小姓のひとりとして寒い廊下で護衛役であった。

 佐渡守様の挨拶に始まり、重臣との杯が続き、そして暫く無言の食事会へと流れていく。俺は部屋の隅から参加する皆の様子をじっと観察していた。


 やがて若い男が何人か信長様の前に並んだ。…どうやら代替わりした国人領主が信長様に杯を注ぎに来たらしい。


「荒子前田の利久にござります。」


 細面の青年が礼をして酒を注いだ。その様子に信長様が笑みを浮かべる。


()めはどうしておる?」


「…は、ち、力を持て余しておりまして…相も変わらず近隣に迷惑を掛けておりまする。」


 利久様は蒼白になり、声を震わせながらなんとか答えた。俺は正直に答えなくてもいいのにと思う。


「ふん…伝えおけ。今少し謹慎せよ!」


「はは!」


 利久様は杯を置き、ひれ伏した。その様子を見て信長様は興味なさげに下がるよう指示し、次の男が着座した。


「殿様、一献…。」


 酒瓶を傾ける若い男。なんかイケイケ風だ。信長様が楽しげな表情で杯を出すと、静かに酒を注いだ。


「…嬉しそうだな、内蔵助(くらのすけ)。」


「は、こうして織田の当主様に酒を注げる日が来ると…」


「兄が死んで家督を継げたことが…そんなに嬉しいか?」


 相手の言葉を遮り放たれた言葉に内蔵助様は凍りついた。注いでいた酒をこぼしそうになっていた。


「い、いえ…そういう意味では…」


「お前は当主としては若い。今少し自重せよ。」


「は、はは!」


 内蔵助様も先ほどと同じく平伏する。見ててすごいと思った。役者が違う。見れば重臣たちが笑っている。…なるほど。これは、新たに家督を継いだ若い家臣に対する通過儀礼という奴だな。織田家の当主として血気盛んな若者の鼻を砕く様を見て酒の肴にしてるんだ。俺はそんな信長様を横目に他の家臣の様子を覗った。





 昨年同様、一次会が終わると、女房衆を連れて二次会に突入である。

 今年は、人数が多かった。直子様と坂の方の他に、警護目的と称して、岩室様、池田勝三郎様、塙九郎左衛門様、そして古渡三郎五郎様と直子様の御子、於勝丸様も連れてこられた。信長様は昨年以上に超ご機嫌で部屋に来るなり、御台所様の膝枕を堪能し始めた。女房衆がいる部屋に入るのは躊躇いがあるらしく、小姓衆は廊下に跪き、互いに顔を見合わせている。が、三郎五郎様は、堂々としたもので、於勝丸様の手を引いて、信長様の前にどっかと座った。


「…於勝丸を連れてきた。声でも掛けてやってくれ。」


 於勝丸様は一度直子様とこの館に移り住んだのだが、どうも勝手がいかず、古渡様が再び引き取って養育されていた。於勝丸様が古渡様の隣に座り信長様に向かって平伏した。信長様は寝転んだまま、男の子をじっと見つめた。



「…幾つになった?」


「はい!8つにございます!」


「……では、5年後に来い。元服させてやる。諱も付けてやる。…それまでは古渡の叔父に武士(おとこ)を磨いて貰え!」


 ええ!?せっかく会いに来たのに次は5年後!?


「はは!ありがとうございます!」


 ええ!?於勝丸様喜ぶとこ!?


「殿様!ありがとうございまする!」


 ええ!?直子様も喜んでる!?


「於勝丸、よかったですね。」


 ええ!?お御台様も喜んでるの!?嗚呼!!九郎左衛門様が廊下で男泣きされている!!!





 後で知ったが、庶子は宿老クラスの家臣が養育と烏帽子親を務めるのが普通らしく、今回の於勝丸様のように、信長様自ら諱を下さるケースは少ないそうだ。これも帰蝶様が信長様に働きかけたお蔭で、坂の方親子様も帰蝶様に説得されてこの館に呼んだらしい。


「無吉。」


 不意に信長様から呼ばれた。和やかだった雰囲気が一変し、全ての視線が俺に集まった。


「あい。」


 廊下で岩室様の横にいた俺は、一歩だけ部屋の中に入る。奇妙丸様が不満げな顔で俺を見た。


「…謙虚な態度だな。長門に躾けられているようだな。だが今宵は構わん。奇妙の隣に座れ。」


 見ると、奇妙丸様が嬉しそうに自分の隣を指さした。俺は一礼して、立ち上がると中腰で移動して奇妙丸様の側に座った。信長様は酒をぐいっと煽り、杯を床に置くとむくりと起き上がった。何故か奇妙丸様が腰を浮かせた。


「奇妙、座れ。」


「は、はい。」


 奇妙丸様はごくりと喉を鳴らして座り直した。いつの間にか周囲はしんとしている。


「無吉…お前は奇妙の何だ?」


 唐突の質問だが、求められている答えはわかる。


「モノにございます。」


 俺は平伏して答えた。すると、信長様は奇妙丸様のほうを見た。


「奇妙、無吉はお前の何だ?」


 奇妙丸様は無言だった。俺には信長様が何を言いたいのかわかった。近頃、奇妙丸様は俺に妙に纏わり付き、一緒に過ごそうとされている。悪い気はしないし寧ろ嬉しいのだが、岩室様からいろいろとお仕事を頂いている身分故、邪魔なときがある。…いやほとんど邪魔だといってよい。俺の目標は奇妙丸様の家臣となることであるが、その為には実績を積み上げなければならない。そのためには今は奇妙丸様は邪魔なのだ。だが、俺からはそんなことは言えない…。


「…トモ「たわけ!」」


 奇妙丸様が意を決して言おうとされたが、言い切る前に杯を投げられた。杯は奇妙丸様の顔を掠め、部屋の隅に転がった。


「こ奴はな、お前の家臣となれるようこの歳で既に長門の命で動いておる。手放しでお前の側に居られる身分ではないのだ。まずそれを理解しろ。」


 信長様は最初こそ怒鳴り声ではあったが、続く言葉は諭すような語り口だった。


「無吉、儂が杯を投げた時、何故奇妙を庇わなかった?」


 え?俺も説教対象?


 一瞬呆気にとられたが、俺はすぐに気を引き締め、


「父の子に対する躾の場面にござります。無下に割って入るよりも、言わんとすることを理解し己の物とするべきと心得ましてございます。」


 と答えた。


「小賢しい。餓鬼とは思えぬ!」


 酷い返事が返って来たが、信長様の目は笑っていた。


「長門!お前は無吉をどう見る?」


 話を振られた岩室様は平伏し俺を一瞬見てから


「殿の申す通りにござります。とても餓鬼とは思えませぬ。…故に使い道はいかようにもできまする。」


 …どう使う気だよ。


「ならば、貴様が無吉の養父となれ。」


 まじか!?


 見ると、岩室様は無言で頭を床に付けられていた。…表情が見えない。俺を養子にすることに対してどう思っているかが見えない。


「無吉。明日より長門の屋敷で生活しろ。」


「あい。」


「…わかっているのか、この館の外にもお前を毛嫌いする("毛嫌い"で一つの名詞)者はおるのだぞ?」


 知ってる。


「あい。」


「む、ムキチ~…。」


 奇妙丸様が悲しそうな顔で俺の手を握ってきた。それを見た信長様はクククと笑った。


「奇妙、お前はまだまだ教育が必要じゃな。…儂の後継者が餓鬼一人の事で心を乱していては…示しがつかぬ。」


 信長様の一言で、この場にいた全員が息を飲んだ。御台所様は扇子で口元を隠しているが、目が喜んでいる。吉乃様は涙を流している。直子様はうんうんと肯いている。岩室様はびっくり顔だ。


「…明日からは、奇妙は儂の跡継ぎとして教育を施す。皆も心しておけ。…類、今日かぎりは二人を思い切り甘えさせるが良い。明日からは次期当主として…その当主の家臣としてしごいて行く。」


 吉乃様は信長様のお言葉に泣きながら平伏する。信長様は立ち上がって御台所様の手を引っ張った。


「三郎五郎、濃の部屋で飲み直すぞ。後は類に任せる。」


 そう言うと歩き出す。御台所様は吉乃様に視線を送ったが、平伏している吉乃様とあわすことは無く。古渡様が無言で信長様について行った。小姓衆のうち勝三郎が信長様について行き、岩室様と九郎左衛門様がここに残られた。そして沈黙が続く。


「…さあ、私たちで楽しく遊びますか。」


 直子様が立ち上がり、平伏し続けている吉乃様の手を取った。


「吉乃様…。おめでとうございます。」


「直子様…。」


 吉乃様は直子様と手を取り、嬉しそうに微笑んだ。




 今宵、信長様の子が集まり、母子で楽しく正月遊びを行った。


 俺は岩室様の側に座り、女房衆を見守るようにその様子を見ていた。時折、奇妙丸様が俺を仲間に入れようとしたが、丁重に断った。



 俺は奇妙丸様のために、覚悟を持って選んだのだ。織田家の家臣として、経験と実績を手にすることを。そして、来るべきあの事変を全力で回避してやるのだ。


 まずは、岩室長門守重休様だ。



 このお方は今年の戦で命を落とされる。それを阻止してやる。




 ~~~~~~~~~~~~~~


 -1561年1月


 私は、女房衆の館を離れ、岩室様のお世話になることと相成った。

 しかし、ここからが“父無し子”である私にとって苦難の道であった。


 ~~~~~~~~~~~~~~






堀田道空:正徳寺の会見を実現させたとされる斎藤道三の腹心。…ですが実在が確認されておりません。本作品では、美濃攻略に一役買う人物として登場させています。


古渡信広:織田三郎五郎信広様が古渡を拝領し、苗字を改めております。史実では既に古渡城は廃城になっておりますが、諸事情で信広様の居城と致しました。


塙九郎左衛門:後の原田直政。直子様の実兄です。史実では小姓衆の中でダントツの出世頭でしたが、逢坂本願寺との戦いで1576年に討死します。


於勝丸:後の織田帯刀信正。一応信長の庶長子と言われていますが、正式な記録に無いようです。(存在自体は確認されていますが、信長の子かどうかが不明)本物語では重要人物の1人として位置づけております。


坂の方:織田信孝の母。実名は完全に不明です。伊勢関氏に連なる一族、坂氏の出身らしいのですが、熱田の商人繋がりで信長の側室になったようです。本物語ではイメージを壊さないよう敢えて実名を出さず、「坂の方」で統一します。


荒子前田利久:前田利家の兄。一度は前田家の家督を継ぎますが、信長の命で弟の利家に譲らされています。


犬め:言わずと知れた前田又坐衛門利家です。1560年時点では、まだ勘当中です。


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