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13.美濃・奥三河の戦い(前編)

感想ありがとうございます。

誤字報告ありがとうございます。



 中津川本陣の陣幕には、先ほど援軍として到着された金森様も含め、諸将が揃っていた。庄九郎の案内で中に通された俺は御主君の遥か手前で膝をつき口上を述べる。


「徳川信康殿をお連れ致しました。三河に現れた武田家への対応について申し上げたき事是あり。詳細につきましては信康殿より申し上げ致します。」


「うむ。」


 御主君の返事を聞いて俺は横に移動し、信康様がそこに立った。信康様は御主君の家来ではないため、立ったままである。


「我が三河にも武田軍が押し寄せて来ました。父、家康は遠江の兵を掻き集めて対応しようとしておりますが、周辺国人の足並みが揃わず苦慮しております。恐れながら織田家のお力をお借りしたくこの岡崎三郎ここに参った次第に御座います。」


 恭しく頭を下げる。が、周囲の反応は冷たい。勘九郎様は周りの反応を確認してから言葉を掛けた。


「ここまで尾張国内を回り回ったと聞いた。お疲れでも御座ろう。我らとしてもその苦労に報いたいと思うのだが、このように我らも武田と対陣中だ。貴公に貸せる兵はここには御座らぬ。」


「もちろん理解しております。これより岐阜に伺い弾正忠様にお会いする所存です。その際にどうかお口添えを頂きたく。」


「先に申しておくが織田家にも余剰な兵力など無いぞ。貴公の承知と思うが我らは東西南北敵に囲まれておる。常に一定の兵を配置しておかねばならぬ身。…岐阜に行くのは構わぬが、期待はできぬぞ。」


 信康様の表情が強張った。分かっているのだろう。だがそれでも助けを求める必要があったから父の命でここまで来たのであろう。


「信康殿、我らは自国のことで手一杯だ。三河のことにまで手は出せぬ。家康殿に伝えられよ。“武田を引き入れたのは奥三河衆であろう?”と。」


 信康様の表情が更に酷くなった。もう真っ青である。それもそうだ。家康は家臣の謀反によって窮地に立たされているのだ。それを他国の兵で解決しようなどと虫が良すぎる。


「恐れ入りまする!」


 信康様の後ろに控えていた武将が信康様の前で跪き声を張り上げた。


「織田の若殿様の申し分、誠に仰る通りに御座いまする!されど、我らもこのまま手ぶらで帰る訳には参りませぬ!どうか御助言だけでも!」


 声を張り上げ懇願する石川様。たしか信康様の守役になってたっけ?ああ、勘九郎様が困った表情をされている。


「と言われてもな。…半兵衛、何かあるか?」


 半兵衛様も首を傾げ困った表情をされた。


「はて?我らは石川殿を通じて岡崎衆とは誼を通じておりますが、奥三河や遠江の連中とは疎遠に御座ります故…地理にも不慣れであれば…。」


 そうだ。岡崎衆(西三河の国人衆の総称)とは林様を介して頻繁にやり取りしている。だが東三河の国人衆とは疎遠だ。彼らは親家康派なので林様もあまり相手にされていない……そうか!俺はあることに気付いて半兵衛様に目を向けた。半兵衛様は俺の視線に気付き、ニコッと笑った。…やはり。後はどうその話に持っていくか。


「お願いいたしまする!このままでは、三河は東西に分断され、父家康は孤立致します!」


 信康様の訴えに勘九郎様が目を細めた。


「その方が対応しやすいのではないか?」


「は?」


「家康殿も阿呆では御座るまい。敵が奥に食い込めばそれだけ補給が困難になる。相手を十分に食い込ませておいてから対応しても遅くはないのではないか?」


「そ、それでは敵は次々と三河者を武田側に寝返らせてしまいます!そうなっては反撃のしようも御座りませぬ!」


 慌てて石川様が反論した。だが半兵衛様は冷淡だった。


「…それは知らぬ。」


「は、は?」


「三河の国人衆が家康殿に忠義を尽くすか、見限って武田に回るか、それは家康殿の三河守としての御器量の問題。我らは三河守殿は常日頃から家臣どもを粗略に扱う御仁ではないと信じておる故、御助言したまで…御家臣が家康殿に不満を持っていてこれを機に武田に寝返ろうとされているとは夢にも思わぬ。」


 石川様は反論できなくなった。だって、石川様御自身で「三河国内では主君に対する不満があちこちで上がっている」と林様を通じて織田家に報告されているのだから。信康様もそのことは御存じの様で青い顔が更に青くなっている。


「いっそのこと、岡崎三郎殿が旗頭となって三河国内に檄を飛ばされてはいかがか?三郎殿が新たな三河国主となれば我ら織田家も御支援致すと申しておったし…のう、石川殿?」


 勘九郎様は意地悪く石川様に質問した。信康様がキッと石川様を睨みつけた。石川様の目はこれ以上ないとばかりに見開いている。


「数正…お前、何を企んでおる?」


 信康様は石川様ににじり寄った。


「わ、私は、と、徳川家の安泰を…」


 言いかけて信康様が石川様に掴みかかった。近くにいた俺は真っ先に信康様に後ろから抱き着いて動きを封じた。


「お静まれなされ、岡崎殿!若殿様の御前に御座る!」


「放せ鬼面!」「聞けませぬ!」「放せ!」


 信康様の怒りはこっちに向いた俺の腕を掴んで剥がそうと暴れた。


「静まれぇえええい!」


 怒鳴るような大声で幕内が瞬間的に時間停止したように見えた。それほど力のある声が勘九郎様から発せられた。


「…徳川信康、貴公は三河徳川家の次期当主(・・・・)として三河の安寧と自家の発展に尽力せねばならぬ。…それを父の危機に際して身を挺して救出に向かうとは如何なものかと思う。…私が父と行動を共にせぬ理由を考えられよ。貴公が今最も考えねばならぬのは、次の旗頭としてどうするか…であるぞ。」


 今まで見たことのない迫力満点の勘九郎様。信康様も石川様も完全に飲み込まれていた。


「信康殿、貴公の身柄は勘九郎信重が預かろう。石川殿と共に清州にて、林・平手の世話になるといい。三河のことは我らに任せよ。…何度も言うが大事なのは三河守殿のお命ではない。三河徳川家の存続であるぞ。」


 勘九郎様の念押しに信康殿は深く項垂れた。御主君が言っていることはかなり手厳しい言い方ではあるが、間違ってはいないのだ。だからこそ、信長様は岐阜で待機されており、勘九郎様とは別の城で生活されているのだ。


 本能寺の変の最大の過ちは信長様と勘九郎様が同じ場所にいたということだ。(厳密には異なる場所なんだが)恐らく御台様もそれを承知されていて、だからこそ信長様に勘九郎様から離れるように進言されているに違いない。

 そして徳川家康も同様だ。だから自分は浜松で息子は岡崎に配置したのだ。それが派閥を生むきっかけになったのは誤算であろうが。それを信康様は理解されておらず唯々父の救援を考えていたに違いない。なんにせよ織田家は徳川家の後継者を手に入れた。後はその後継者に付く三河者を引き込むことができれば、徳川家は織田家の支配下に置かれる。


「無吉、悪いがこのまま岐阜へ向かってくれ。やはり後一手足りぬ。兵糧も欲しい。」


「畏まりました。…しかし三七郎様がまた不安がられます。」


 勘九郎様が首を傾げられたので事情を説明すると大笑いされた。


「なるほど。では私から三七に文を書いておく。一門としてもっとしっかりしてもらわねばならぬからな。ははは」


「若殿様!敵が動き出しました!再び苗木城に張り付こうとしております!」


 伝令の声に勘九郎様の顔が引き締まった。


「半兵衛!応戦せよ!庄九郎!落合砦に連絡するのだ!」


 …的確に指示を出される勘九郎様。俺は勘九郎様の急激な御成長を肌で感じ取った。それと同時に腹の底から湧き上がる嫉妬感。俺は自分の頬を叩いた。俺は“モノ”ではないか!しっかりしろ!



 武田との戦いはまだ始まったばかりであった。






 5月16日-


 徳川信康様は家臣の石川数正様と共に清州城に移動され、林様の屋敷で過ごすこととなった。林様は御主君の命を受け、西三河の国人衆…通称岡崎衆に密書を送った。同時に水野様が三千の兵を率いて三河国境に布陣した。


 5月17日-


 三河と遠江国境付近を占領した武田軍が周辺の国人衆を率いて別所街道沿いに南下を開始。その兵数は一万と報告される。


 5月18日-


 徳川家康を大将とした八千の軍が浜松城を出立。東三河の兵を順次合流させる予定で東海道を西進した。

 同日、武田軍は奥三河の設楽城を攻撃。たった五百の兵では支えきれず二日後には陥落した。城主の設楽貞通は落城直前に脱出するが行方知れず。


 5月19日-


 一万の兵力となった徳川軍が豊川沿いに別所街道を北上開始。


 5月21日-


 奥平貞勝が周辺国人をまとめ上げ挙兵。三千の兵を従えて別所街道へ進軍開始。

 同日、新たに五千の兵が岩村の秋山信友の軍に合流。


 5月22日-


 岐阜城に明智軍三千、羽柴軍三千、池田軍千五百が到着。御殿にて軍議を開く。…俺はこれに出席させられる。





 御殿の大広間の隣。普段は小姓衆の控えの間として使われる場所に明智様、羽柴様、蒲生様、そして俺がいた。

 蒲生様は中座に腰を下ろし目を閉じている。明智様と羽柴様は甲冑姿で下座に着座されているが…お二人の距離感が微妙に見える。少し後ろに池田様が座って汗を拭っておられた。(お太りになられたようだ)

 暫く無言が続き(時折羽柴様が体を動かしてかちゃかちゃと甲冑の音を鳴らすが)やがて信長様が入ってこられた。忠三郎も一緒だった。


「御苦労。状況と向こうでの方針を説明する。」


「大殿様、その前に…この者は?」


 羽柴様がちらりと俺を見て質問した。皆が一斉にきょとんとした。俺もきょとんとした。あ、そうか。羽柴様は鬼面九郎の正体を知らなかったっけ?前に越前でお会いした時は吉十郎だったか。


「なんじゃ禿ネズミ、鬼面九郎を知らぬのか?」


「いえ、淡休様の家臣と言うことで知っておりますが…何故ここに?」


 信長様は小首をかしげてその後笑い出した。


「そうか、貴様はまだ鬼面の下を見ていなかったか。…九郎、面を取れ。」


 信長様に言われ、俺はゆっくりと面頬を外し、その顔を羽柴様に向けた。羽柴様の目が大きく見開かれ大声を上げた。


「き、き!吉十郎!?お主が!?…てことは淀城の一件も長島のことも!?」


「はい。」


「十兵衛殿!お主は知っておったのか!?」


「某は京で淡休様と活動することが多かった故…。」

「禿ネズミは三郎五郎と共にすることが無かったからな。知っての通り此奴は三郎五郎の命で戦場を駆け回っておる。此度も三七のお守りをやらされておる。伝令として駆け回っておったからな。状況は此奴に説明させる。」


 羽柴様はまだ驚いている。俺は羽柴様に一礼して状況を説明した。


 武田軍は三か所から出現。一手目は苗木城。勝頼本隊がいる。既に苗木城を中心に勘九郎様で対峙しているが包囲できておらず、戦線は膠着。

 二手目は岩村城。こちらも包囲しきれていない上に先日馬場美濃守信春が五千の兵を引き連れ合流した。

 三手目は奥三河。既に奥三河の有力者奥平貞勝が武田に寝返ったことが分かっており情報はまだだが、徳川軍と武田軍は別所街道で激突していると思われる。


「で、我らはどこに?」


 明智様が静かな口調で質問された。信長様は何かを言いかけて俺に言うよう顎で合図した。


「…御三方は別々の陣に向かって頂きます。兵糧は後程土田生駒衆と清州伊藤衆が調達しますのでお気になさらず…。」


 やべ、分散して各地に援軍を送ることは勘九郎様よりお聞きしていたが、誰を何処に配置するか聞いてない。…あ、これまた信長様に試されているな。


「明智様は岩村への救援をお願いいたします。堀様の指揮下に入って頂きますが、恐らく敵の退路を断つ為の(かなめ)を請け負って頂くことと思います。」


「承知した。」


 うわ…こんな偉い方から“承知”なんて言われたよ…。


「羽柴様は苗木にて勘九郎様にご確認ください。」


「若殿が指揮されておるのか。…ふうむ、わかった。」

。」


 なんか、引っかかる様子。まあいい。勘九郎様なら羽柴様を上手く使いこなされるであろう。


「池田の義父上には、「勝三郎は儂と三河へ行くぞ!」えっ!?」


 信長様は突然自らの御出陣を口にされた。


 顔をひん曲げて驚く池田様、青ざめる忠三郎様、額に手を当てた明智様、喜色を浮かべた羽柴様。俺は不吉な予感がした。



 俺の行き先は勘九郎様のお側……のはずだ。




 フラグは立ててない……はずだ。





奥平貞勝:元々松平清康に従属していましたが、清康死後は今川家に鞍替えします。その後、水野家の誘いを受けて織田家に転属します。しかし、今川の攻撃を受けてあえなく降伏し、桶狭間では松平元康の与力として出陣し合戦後は独立します。家康が遠江侵攻時に徳川家に服属しますが、武田の攻撃を受けて降伏します。その後は孫の信昌の代で再び徳川家に付きます。本物語では今回の戦いで武田家に寝返りました。


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