9.野田・福島城攻め
2019/08/28 誤字修正
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1574年は織田家にとって激動の年であった。
私自身も子をもうけ正式に信忠様の側近として活動したのもこの年である。
そして多くの人と出会ったのもこの年である。
出会った者共とのことは後で語るとして、私は細川様の客将として海老江の拠点に入り、野田城落としに参画した。…たかが三好残党と思っていた野田・福島城が、籠城を始めてからの三年で、その人員の大きな変化には驚いた。
近江浅井を始め、摂津池田、六角など、信長様に追われた豪族の残党が多く加わり、更には鉄砲衆までもが加わって我らと対峙していたのだ。
信長憎し!の想いで集まった者たちだと思っていた連中と考えていた私だが、実際に籠城する者たちと会い、話をすることで「武士とはこういうものか」と改めて思い知らされたものだ。
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俺たちは伊勢家に立ち寄った。
伊勢貞為様は、近殿の御懐妊を喜んでおられた。これで伊勢家も織田家の一員として御安堵されたことであろうと思う。ただ公家衆がやたらと助けを求めてくるため辟易されており、俺からは「ゆめゆめ公家衆に加担なさらず」と念を押して何かあれば村井様を頼られるよう強く言っておいた。…不安なので多賀勝兵衛をここに残るよう指示し、俺は与三郎を連れて海老江へと向かった。
野田城福島城の周辺は川が複雑に入り組んだ中洲で形成されており、洲ごとに砦が築城されていた。中でも取り分け目立つのが海老江の大砦で天守まで備えられたほぼ城という装いで、織田軍の本陣となっていた。守将は和田惟政様で、与力として細川藤賢様、三好義継様、根来衆、これに今回の応援で細川藤孝様、池田恒興様、海上は紀伊水軍で囲み、総勢三万の大軍勢となった。
対する三好残党軍は海上を抑えていた安宅信康が淡路に撤退したため、三人衆が抱えていた五千に本願寺の僧兵と雑賀衆と各地の残党が寄り集まって九千ほどであった。それでも城を守るには十分な兵力である。
驚いたのは、行方不明となっていた斎藤龍興が野田城内にいるということだった。
「それだけではない。近江や摂津の残党などもあすこに集結しておる。儂には三好どもがそこまでの支持を得られているとは思えぬ故、いざ戦が始まるとバラバラになるとみているのだが。」
状況を説明し最後に和田様が自身が思っていることを述べられた。だが和田様の意見に同調される諸将はいないようで、周辺地図に視線を落としてうんうんと唸っている。和田様は舌打ちされた。それを見た細川典厩様が和田様を睨みつけた。
「貴様如きが戦を語るなど片腹痛し!ここは老練なる儂に任せて天守にて胡坐を掻いて座っておるが良い!」
「…老害の間違いではないか?」
義継様が悪意のある相槌を打つと典厩様の怒りの矛先が義継様に向けられた。しわがれた怒号が辺りを包む。さすがの藤孝様も苦笑されてしまった。どうやら軍内の統制が取れていないのはこちら側らしい。
確かにこれだけの軍勢を和田様で御するのは力不足だ。明智様クラスが総大将にならないとまとまらん…。俺は細川様に視線を送った。俺の視線に気付いた細川様は小さくため息をついてから一歩前に進み出た。
「皆々方。某は山科殿より此度の城攻めで敵方を落とし尽くさんと、特別に御沙汰を頂き此処へ参った。山科殿のご配慮にて、あの“鬼面九郎”殿もお貸し下された。なればこの城攻めのみ、某の指示に従うて貰いたいのだがいかがか。」
俺が陣幕の隅で立ち上がり一礼するとどよめきが起きる。「山科殿の御命令とあらば」の声が聞こえる。実際にはそんな指示書は貰ってないんだが、署名の入ったお手紙は頂いている。
「和田殿、総大将は貴殿で構わぬ。兵の指揮を某に譲ってほしい。」
細川様はここ最近、実績を積まれて信長様の覚えもめでたく、また官位持ちの名家出身のお方でもあるので、和田様としても断る理由も無かったらしく了承された。池田様を含めた与力衆も承知された。(三好様が何かに気付いてじっと俺を睨んでいるのだがここはスルーしよう)
「九郎殿、貴殿はまず野田城に使者として赴いて欲しい。」
細川様の指示にまた諸将がどよめいた。
「は。御命令とあらば。」
「城に籠る残党どもに最後通告に向かってくれ。貴殿であれば奴らもその鬼面見たさに会うてくれるであろう。そこで中の様子を肌で感じ取ってきて欲しい。」
なるほど、それは妙案。将兵の様子を見れば敵方の現状もある程度わかる。諸将もうんうんと頷いており俺は翌日降伏の使者として野田城に向かうことが即決された。
…決まってから言うのも何だが、大丈夫だろうか?おい、与三郎!そんな不安そうな顔を俺に見せるな。俺まで不安になる!
「…貴殿が“鬼面九郎”か」
「世間ではそう呼ばれております。」
野田城の大広間で上座に座る老将の声に俺は返事をした。…大広間といっても襖などなく四面が開けっぴろげ…屋根も板と石でこしらえた簡素なモノ。それでも辛うじて屋敷の体を成しており、そこに三好残党の諸将が集まって使者である俺を睨みつけるように見ていた。一番の上座に座るご老人が三好長逸…三好三人衆の筆頭格だったかな。すぐ側には同じくらいの老人が居てこちらは僧衣を纏っている。…誰だろう?そして中座に何人かの鎧姿の武者が座っているのだが……一人知っている奴がいた。斎藤龍興だ。
「で、その鬼面殿が使者として、何をさえずる?」
上座のご老人は顔が怖い。だが、魔王度200%に耐えられる俺には睨みなど聞かぬ。
「和睦の使者として参上仕りました。」
周囲で笑いが起きた。
「和睦とはな…しかも長年我らを包囲してきた和田の家臣ではなく、山科卿の臣である貴殿が使者として…どういう風の吹き回しだ?」
「これまでは対立する理由があったから和田の軍で包囲していただけの事。対立する理由が無くなれば和睦するのは当然でございます。」
「…それは阿波の十河殿のことか?」
「既に御当主も本拠阿波の守護代殿も織田家に臣従申した。貴殿がここで籠る理由など御座いませぬ。」
「確かにそうだ。」
「では、我らと和睦する意思があると見て、和睦の条件をご説明…「待て!」」
言葉を途中で遮られて俺は不服そうな表情を老将に向けた。
「和睦に条件とは如何に!?」
「ここまで来て和睦に無条件とは面白きことを。貴殿らが三好長逸とその子長虎、斎藤龍興と雑賀の棟梁の首を差し出すのであれば、我らは和睦を受け入れる。」
俺の言葉に中座の左右で二人の男が反応した。一人は立ち上がって激高し、もう一人は俺をギラリと睨みつけて。…ほほう、あの中年が雑賀衆の者か。
「フフフ…鬼面殿よ。和睦の条件など到底受け入れられぬなぁ。儂の首だけならともかく、息子と儂を頼ってここに来た斎藤殿や雑賀殿の首など…やれるはずもなかろう。」
お、お、中々の魔王度だ。だがこの程度ならまだ大丈夫だ。
「では、和睦の件は無しということで…。互いの兵糧が尽きるまで睨みあうということでよろしいか?」
老将の表情がみるみると変わっていった。…やはり食い物は残り少ないようだな。横に座る小姓の顔色も青白い。あれは栄養が足りてない証拠。足軽たちも日陰に座り込んでいるし。こっちは海上も封鎖したからいよいよ兵糧を運び込む隙間はなくなった。
兵糧が残り少ないことはこれで分かったから作戦Bに移行しよう。
「では、某はこれにて。明朝、日の出と共に我らは福島城から総攻撃を仕掛け申す。…西方の門が開いていると攻めやすいと思われる。その後は野田城を包囲して東方の門から攻め込むといたしましょう。」
俺の言った言葉に一同は驚愕して一斉に俺を見た。まあ当然だわな。わざわざ城攻めの時間と手順を相手方に知らせてんだから。だがこれには意味がある。
「和睦が受け入れられぬ以上、攻め込むしか御座いませぬが…こちらとしても被害は最小に抑えたい。誰が城に残るかはお任せ申す。無駄な殺生などせずに三好殿との戦を終わらせる…これが我が主、山科淡休斎の存念で御座る。某はこれをお伝えしに来たのみ。どう捉えるかはそちらにお任せする。」
言うだけ言って俺は立ち上がった。そして一同を見回した。老将は明らかに動揺していた。当たり前だ。ここに籠っていたところで、援軍は期待できず餓死を待つのみ。だが、逃げられる可能性があることを示唆されるとどうしてもそちらに気持ちがいってしまうものだ。特に首を要求された斎藤龍興なんかはこのままここにいても殺されるだけだから必ずや逃げるほうを選択するに違いない。援軍に来ている本願寺の坊官などもそうであろう。勝ち目の無くなったこの籠城に対して俺の一言がどう影響を与えるか。しかも俺は織田家ナンバー2の淡休斎様の代理…実際は違うけど、そんな感じでしゃべったからかなりの真実味があるはず。…証文とかは一切残してないけどね。これが細川様と考えたプランBだ。さて、あとは俺が野田城から脱出するだけだ。
俺は一同に一礼してその場を去った。追いかけてくるものはおらず、俺は何とか無事に海老江本陣に帰還した。
俺の無事な姿を見つけてしがみついておいおい泣き叫ぶ与三郎には、うざかったり嬉しかったりした。
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1574年3月24日-
織田軍は和田惟政殿を大将に福島城、野田城に籠城する三好の残党を攻めた。史実では早々に和睦を行って本願寺や浅井・朝倉に注力したが、この世界では最小の兵力で抑え敢えて三年間も籠城させた。そしてこれは大きな効果を上げた。本願寺も三好本家もこの籠城した三好三人衆を延命するために、織田家に集中できなかったのだ。
結果として当主義継殿は孤立して降伏し、顕如は河内以東の一向門徒への連携が中途に終わって長島は早々に解体された。
私はあの時こう思った。
私の知っている歴史上の“織田信長”と私が仕えた“信長様”とは明らかに違う。
史実では、この時期多くの親族、重臣が命を落とし、織田家崩壊の一歩手前まで追い詰められた。
この世界でもあちらこちらから挙兵されその対応に苦慮したものの淡休斎様を始め多くの家臣は命を長らえており、追い詰められてはいない。
恐らく精神的な余裕も違うだろう。信長様は魔王度200%は維持しても、理不尽な独裁者にはならないだろうと思えた。だから明智様との確執も起こらないのではないかと思っていた。
だが……信長様と明智様には、天下統一を目指す上で決定的な違いがあり、それが両者の確執へと繋がっていったことを後々になって知ることとなる。
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福島城で待ち構えていたのは意外にも雑賀衆であった。俺は先頭に立って竹を束ねた盾を抱えて西方の門を押し開けると、屋敷の屋根の上から鉄砲を構えた男の姿が目に飛び込んできた。俺はすぐさま足軽たちに停止の指示を出す。
「ははは、まさか本当に西方の門から現れるとはな。しかも貴公が先頭で入ってくるとは…。」
男は鉄砲を構えたまま普通に俺に話しかけてきた。俺は竹盾を足軽に預け数歩前に出て言い返した。
「雑賀の者は三好とは縁など無かろう。何故城に残っておる?」
「本当に鬼面殿の言った通りに攻めてくるのかどうしても気になった。もう用は済んだ。配下の命を保証してくれるのであれば貴公に降ろう。」
「お前は雑賀の棟梁ではないのか?」
「雑賀党の棟梁は我が兄だ。俺は妾の子に過ぎぬ。ここで党を抜けても雑賀としては何もない。…でどうするのだ?返事次第ではこのまま引き金を引いてもよいのだぞ。」
何故だか肝が冷える。状況は明らかに我々が有利なはずなのに。向こうは部下を含めて十数名しかいないのに、鉄砲を向けられているだけのはずなのに、脅しともとれる文句を吐かれ、足軽たちが浮足立っていた。
「他の者に降ろうとしても、お前らの命などちり芥と同様。仕方がないから俺に降れ。さすればその命、俺が保証しよう。」
俺は苦し紛れのような返事をしたが、銃口が俺に向けられた。さすがに〇玉が縮み上がる。暫く銃口を向けられた状態で対峙し、やがて向こうが肩の力を抜いた。
「図体のでかい木偶だと思っていたが…中々どうして。…俺もお前以外に降る気はない。さあ、俺たちの命を保証してくれ。」
銃を下ろして屋根から降りると部下を集めて銃も含めた得物を全て地面に置いて座り込んだ。すぐさま俺に付けられた足軽たちが周囲を囲う。
「雑賀殿、他の兵はどうなった?」
「…この城には我らしかおらぬ。三好の御大将に義理を感じぬ輩はさっさと川沿いに本願寺に向かったわ。」
「野田には誰が残っておる?」
「…行かねえほうがいいぜ。あっちは玉砕覚悟でお前たちを待っているぞ。」
「吉…九郎様!三好左京大夫様の隊が野田城に攻め込みました!」
与三郎が慌てた様子で知らせを持ってきた。
「与三郎!野田城の一番手は池田隊ではなかったのか!?」
「そ、それが…抜け駆けを!」
しまった!三好様は挑発されたんだ!まずい!俺は与三郎から朱槍を奪い取った。
「雑賀!来い!…家臣として命ずる!野田城に残る大将の下に案内せえ!」
俺は槍を振りかざして雑賀の男に怒鳴った。男は目をぱちくりとして俺を呆けて見ていたが、やがて笑い出した。ひとしきり笑うと、姿勢を正して俺に跪いた。
「我が主の命、この雑賀孫一がしかと承った!」
三好長逸:三好三人衆の筆頭と言われています。分家筋になるそうですが、直系の血筋が絶えており一族の長老格として三好家に仕えておりました。当主の義継とは仲が悪かったようで、三好本家から独立して足利義昭に与したそうです。義昭の兄を殺したのはこのひとなのにねえ…。
細川典厩:細川藤賢のことで“細川典厩家”と呼ばれています。なかなか豪快な人だったようで、戦好きの逸話がちらりほらり…
和田惟政:元々幕臣で、明智光秀と足利義昭を結びつけたのがこの人だと言われています。作者の故郷高槻の城主でもあったのですが、本物語では完全にモブです。
斎藤龍興:美濃の国主でしたが、織田信長に追い出され各地を転々としたそうです。史実では1573年に浅井軍に従軍して討ち死にしたそうですが、本物語では野田城に逃げておりました。
雑賀孫一:雑賀党の孫一という通称で、この人の本名は鈴木重秀と言います。(本物語では)雑賀党の棟梁である鈴木佐大夫(鈴木重意)の子とされていますがよくわかりませんでした。なので妾の子としました。




