6.ご主君
桶狭間の合戦のあと、尾張国は織田家を中心とした大集団に生まれ変わった。朝廷から「尾張守護」職には任命されていなかったが、実質の守護として周辺国と書状をやり取りしている。だが、まだ知名度は低いようで、亡き桃巌様と同格の扱いにまでは至っていなかった。
何故俺が知っているか。
それは…
「殿様!またここへ!…向こうで右筆が殿様を待っておられます!」
「ああ!?貴様が適当に言えばよいじゃろ!!」
「そうは参りませぬ!近江や伊勢の諸大名への大事な書状です!殿自らのお言葉でないと!」
「いやじゃ!何故儂があんな奴に下手に出た文を書かねばならぬ!?」
「書くのは右筆として雇った坊主どもです!殿様は坊主に向かって話をなされば宜しいだけです!」
「奇妙!お前が行って喋って来い!」
「お父上、無理を言わないで下さい!」
「織田家の当主としての仕事で御座います!奇妙丸様にさせてはいけませぬ!」
…こんな感じで、隣国の対応に腹を据えかねているようで、諸国へ書状を書くのをボイコットして、女房衆の館に逃げ込んできているからだ。直ぐに岩室長門守様に見つかってしまい、開き直って言い争っている。何故か側にいた奇妙丸様に擦り付けようとされ、まるで子供の様に駄々をこねている。
右筆と言えば、信長様の右筆となられた御方は太田牛一を始め多くおられるはずだが…まだこの時期はそれらは織田家に仕えておらず、近くの寺から呼ばれた坊主が務めていた。
「無吉!お前が行って来い!」
とうとう俺にも代役を命じてきた。
「あい。」
俺は、素直な子供を演じて返事をすると、すっと立ち上がり、廊下を歩き始めた。
「待て、無吉!お前が行って何を右筆に書かせる気だ!?」
岩室様は歩き出した俺にびっくりして声をあげた。俺は立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。
「…ときしはす ふるきいへども いたづらなり
あたらいえにて にひきまもらん」
(今は12月、古い家では、役に立ちません
新しい家を建てて、二匹を守ります)
…4歳の子供なんだから、これくらいで勘弁して。
俺の句を聞いて固まったおとな二人を放って俺はトコトコと歩き出した。
「無吉!今のは何だ!?おいムキチ!」
奇妙丸様が声を張り上げているが、聞こえない振りして俺は進む。
けれど、角を曲がったところで、大柄な女性に捕まった。
「無吉殿。奇妙丸様のお言葉を無視してはいけませぬよ。」
大柄だが、声の細い女性は俺を抱き上げて、廊下を進み信長様岩室長門守様がおられる部屋に入った。
「奇妙丸様のお言葉を無視された不届き者を捕えましてございます。」
ゆったりとした口調でそう言うと、俺を抱いたまま静かに座り一礼した。
「…直子か。でかした。」
塙直子。
信長様が若気の至りでお手を付けられ、御子を身籠もられた御方。最初は直子様のことも御子の事もお認めにはなっておられなかったが、御台様のご説得(?)で、今年になって女房衆に移り住まれている。
「…無吉。」
「あい。」
信長様のお声に、俺は直子様から降りて、姿勢を正して座った。
「和歌は誰に習うた?」
「よーとくいんさま、です。」
間違ってはいない。奇妙丸様と一緒に養徳院様に教えて頂いている。
「…では、先程の歌は誰が詠んだ?」
く、やはりバレたか。しかたない。
「わたくしめにござります。」
俺が答えるより先に、直子様が深々と頭を下げて答えられた。俺は振り返って直子様を見た。直子様は俺を見てにこりと微笑まれた。
「御台様に手ほどき頂きまして詠みました。無吉はその時隣におりましたので、覚えたのでござりましょう。」
信長様は無言で直子様を睨めつけた。…怖い。岩室様も関わってはいけないとばかりに黙り込んで下を向いている。奇妙丸様は既に直子様の背に隠れる位置に座り直した。
「…土岐家も斯波家もこの地では既に力はございません。織田家が尾張と美濃を手中に収め、将軍様よりニ家が持つ官途を頂ければ、周辺諸国とも対等に話ができましょう。…御台様も同じお考えのご様子です。」
細い声であっても、凛とした表情で喋るとそれなりに迫力がある。ましてや直子様は女性にしてはかなり大柄。信長様も次の言葉が出てこないようで、むすっとした顔で直子様を見ておられた。
「儂は……足利が好かぬ。」
「それは、皆が思うておられるでしょう。故に京では将軍様は孤立されております。…ですが、敢えて将軍様に近寄り権威を得る事で、他の者よりも一歩先んずることになりませぬでしょうか。」
信長様は押し黙ったまま考え込んだ。
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後に岩室長門守様に教えて頂いたのだが、既に信長様は将軍様に謁見をされていた。(1559年)
この時は、尾張を統一することを報告し、金銭を渡して余計なちょっかいをかけられぬようにしただけであった。
信長様を含めた京周辺の有力大名たちは既に足利家は不要と考えておられたのだが、私も直子様もまだ利用価値があると考えていた。
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守護職の権威は、この時代まだ大きく残っていた。このため、任命権を持つ将軍様の利用価値はこの一点において有効だった。
俺は前世の知識がある故そのことを知っていた。…だが直子様は…。それにこの歌は俺が拙いながらに考えたもの。それをどうして「私が詠んだ」などと言ったのだろうか。
「ふん!長門、坊主どもに書状を書かせるぞ!」
信長様は荒々しく立ち上がると、急ぎ足で部屋を出て行かれた。岩室様が慌ててそれに付いていった。
直子様は頭を下げてそれを見送る。…そしてちらりと俺を見た。
「貴方が無吉殿ですね。」
「…あい。」
俺は返事をした。…完全に警戒モードで直子様を見やる。
「…良いお顔立ちをされておりますね。何より色々と良く覚えてらっしゃる。」
いや、ほとんど前世の知識なんだけど。
「…ですが、その頭の良さを余りひけらかすのは頂けませぬ。」
直子様は口を真一文字にして、俺を睨み付けた。…と言っても子供相手に「めっ」と言う様な感じだが。
「ムキチは賢いのか?」
直子様の背中から奇妙丸様が質問した。
「はい…とても。」
直子様は微笑んで返事する。だが、奇妙丸様の顔が暗く沈んだ表情になった。
「だがムキチは…下賤の身だと皆が言う。」
そう。女房衆の中でも、俺を毛嫌いしている女性はいる。慶さんとか…あ、茶筅丸様も俺を目の敵にしてるな。
「そうですね。だから…頭の良さをひけらかしてはいけませぬと無吉殿を叱ったのでございます。」
直子様をもう一度俺に「めっ」をした。
「…あい。」
俺は小さな声で返事して、直子様に頭を下げた。
「貴方は非常に頭が良い。子供にしては他人の会話を良く聞き、よく理解し、よく考えている。…されどあなたは“父無し子”であることは事実です。それをよおく覚えておきなさい。」
そうだ。ここで不自由なく暮らしていたから忘れかけていたが、俺は父も母も見知らぬ言わば孤児。奇妙丸様のモノとしてここで育てられているだけだ。
「あい。私は奇妙丸様のモノであることを忘れませぬ。」
俺はもう一度頭を下げた。奇妙丸様は微妙な顔をされていた。
「三郎五郎様にご相談なされませ。あのお方は今や織田家の重臣でお顔も広うございます。無吉殿が奇妙丸様のモノとして生きるための術を考えて頂けるでしょう。」
織田秀敏様亡き今、織田一族の長老格は三郎五郎信広様となっていた。この間、正式に尾張古渡を拝領し、一城の主にもなっていた。確かにあの御方は尾張三河美濃の国人に対して顔が広い。けど、そんなお方が俺の為に何かをしてくれるのだろうか。不安ではあるがここは信広様にすがるしかないのだろう。俺は三度頭を下げた。
その夜。
俺は、玉さんという女中に呼び出された。俺は眠い目を擦りながら、玉さんに手を引かれて館の離れに連れて行かれた。
玉さんは直子様付きの女中さんで塙一族の人だ。多分呼び出したのは直子様だろうと思いながら、離れの中に入った。予想通りそこには直子様がおられた。予想外だったのは直子様以外に数人の男衆も俺を待ち受けていたことだった。
「…起きておるか?無吉?」
男どもの前に座らされ、眠い目を何度も擦っていると聞き覚えのある声に掛けられた。見ると、岩室長門守重休様であった。
「大丈夫に…御座ります。…岩室様、何用で御座りましょうか。」
俺は手を床に付き頭を下げて男衆に礼をした。
「…餓鬼の癖に、礼儀はしゃんとしておるな。」
岩室様の隣に座る男が声を発した。他の男衆が肯いている。
「礼儀だけであれば、ただ躾の良くされた子供に過ぎない…。しかしこ奴はそれだけではない。」
岩室様は他の男衆に説明をする。直子様はそれを黙って聞いている。俺は状況がわからない為、慎重に男衆を観察した。
岩室様の隣に座る髭面の男は…遠くから見かけたことがある…池田勝三郎様だ。養徳院様の御子で、池田家の当主、そして信長様の小姓を努めている。あと四人座っているが、俺は初見だ。
初見だが、なんとなくわかる。岩室様も小姓衆。池田様も小姓衆。となればあと四人も小姓衆だろう。俺はこの時代に小姓として仕えていた武将の名前を何人か頭に浮かべておいた。
「無吉、昼間の件、直子殿から聞いた。…お前が考えた歌だそうだな?……お前、俺達の話をどこまで理解している?織田家はこれからどうすべきと考えておる?」
岩室様からの直球質問に小首をかしげる仕草をしながら、俺は頭をフル回転させた。
昼間は俺を庇っておいて、岩室様にカミングアウトした直子様、それを知って小姓衆を伴って夜中にお忍びに近い恰好でやって来た岩室様。俺はいくつかの想定を頭に描いておいて返事をした。
「…難しい言葉はわかりませぬ。されど、お義母上様の言いつけ通り、ココに来られるお方のお顔と名前とお言葉を一所懸命覚えるようにしております。」
俺の返事に不満顔の岩室様。
「某の質問に答えよ。…お主、何を見ておる?」
岩室様は声のトーンを下げてきた。明らかに俺に対して何かを疑っている。…普通に考えてこんな愛らしい子供が怪しまれることなどないが、俺は普通の子供ではない。そう見られていると理解する。
「…私は、奇妙丸様のモノにござります。…ですが、欲を持っておりまして……出来ますれば、モノではなく家臣として奇妙丸様にお仕えしたい…そう思うております。」
言い終えて俺は深く頭を下げた。子供らしからぬ仕草。だが、“無吉”という存在を知らしめる機会。そう考えて俺はより子供らしからぬ仕草をした。少しでも多くの方々が俺に興味を持ってくれれば俺の中でこの世界を生きる選択肢が増えるはず。
「…故に餓鬼の頃から己の頭をひけらかしておるのか?」
スッと目を細めて問いかける長門守様。他の男衆も俺を品定めするような目で俺を見ている。
「……奇妙丸様のお側に…お仕えできるのであれば、この先何でも致しまする。」
俺は言いながら、何でこんなことを言うのか自問した。訳もわからず戦国の世に来た俺を…。暖かく接してくれた方々に感謝はあるが…。何故に奇妙丸様個人に自分の気持ちを向けているのか…。
やがて、俺は結論に達する。
あのお方が、いつ死んでしまうかを知っているからだ。
今は俺と同じく可愛らしいおのこであるが、信長様の後継者として兵を率いるようになってこれから活躍と言う時に……殺されてしまうことを知っているからだ。
だから、それまではお側にいようと。
いや、できれば生き残って頂こうと。
いや、俺が全力であの事変を回避しようと。
ただひたすらに生きていた俺に、明確な目標を見出した瞬間だった。
人に仕える…。
前世を知る俺にとっては、その意味、意義はわからないもの…。
だが、この世に転生し、幼き身体で様々な人と接することで芽生えたこの気持ち。
その気持ちに俺自身が全霊で応えよう。
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1560年10月
私が、ご主君への忠義心を初めて心の内に見出した出来事。
信長様の小姓衆を前に自問することで気付き得たことで、私の人生は大きく動き出した。
この事に気付かせてくれた直子様に私は深く感謝する。
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亀さん:はい、架空の人物です。
玉さん:同じく架空の人物です。熱田の岡本某の娘という設定です。
塙直子:原田直正の妹で庶長子を生んでいるそうです。本物語では重要人物の1人となりますので、史実とは異なる人と覚えておいてください。
「…ときしはす ふるきいへども いたづらなり
あたらいえにて にひきまもらん」
(土岐と斯波家の古くからこの地を守る名家では無理である。新しき家が守り、二引両(足利将軍家の家紋)を守るべき):作者不詳