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20.我が家を作る

第三部完結です。


申し訳ございません、仕事が鬼のように忙しくなり、物語を描くことも史実を調べることもできずに悶々と過ごしておりました。

ようやく、書き上げた未投稿の話をアップすることができてうれしく思います。


これまでたくさんのご指摘を頂いておりましたが、なかなか反映させることができず申し訳ございません。これからも少しずつ描いては投稿を続けてまいります。



 1573年10月1日。清洲城、大広間。



 今ここに、勘九郎様の御家来衆が全員集められていた。


 上座から見て左手側が連枝衆。斎藤新五郎利治様を筆頭に、織田彦七郎信興様、大橋重長様、佐治信方様、織田信照様、水野藤四郎信元様が座られている。大橋様は信長様の姉君を娶られ津島のまとめ役を任されており、信方様は勘九郎様の妹君であられるお犬の方様の婿である。信興様は年明けに水野家の養子となられるらしい。

 右手側は家老衆。林佐渡守様、松永道意様、竹中半兵衛様、河尻肥前守様、毛利新左衛門様、服部小平太様、奉行方として平手甚左衛門様、島田秀満様、塩川伯耆守様、浅井政澄様、前田玄以様が座られていた。平手家の当主がここに居ると言うことには俺も驚いた。後で御主君にお聞きしよう。

 下座には国人衆が顔を連ねる。前田利久様、荒尾善久様、岡田重善様、熱田加藤順政様、岩崎丹羽氏勝様といった有力国人が顔を並べていた。


 そして一番後ろの末席に俺達馬廻り衆が坐した。


 俺が先頭に座り、後に丹羽源六郎氏次、大橋与三衛門重賢、団平八郎忠正、稲葉彦六郎直政、坂井久蔵尚恒、佐久間甚九郎信栄、荒尾平左衛門成房、蜂須賀彦右衛門家政、河尻与四郎秀長、森勝三長可、池田庄九郎元助が続いている。


 一同は姿勢を正し主が来るのを待っていた。やがて足音が聞こえると、一斉に両手をついて頭を下げた。すたすたという足音が正面で止まりどさりと座る音が聞こえる。


「面を上げよ。」


 若々しい声に反応し、一同が顔を上げた。ま新しい萌木色の裃に身を包まれた御主君のお姿が目に入る。俺はもう一度頭を下げた。俺だけ違う動きをしたので源六郎に小突かれた。



「皆に紹介する。今日から私の馬廻り衆の筆頭として仕えることになった“池田吉十郎忠輝”だ。…その名の通り、勝三郎の養子となり池田別家として私の家臣となった男だ。」


 話し終えた勘九郎様が視線で俺に合図した。俺は中腰で立ち上がり、音を殺して前に進んで下座の先頭で座り直した。そして上座に一礼、左右の中座に一礼して、下座の国人衆にゆっくりと体を向けた。

 前田様を筆頭に「何者か!?」という目で俺を睨み付けてきた。当然だ。素性のわからない男がいきなり馬廻り衆筆頭で、しかも池田家の後ろ盾ありって何者だろうかと思う。


「池田吉十郎にござる。…大殿の勘気を被り暫く畿内におりましたが、この度許しを得て勘九郎様にお仕えすることとなり申した。」


 一度国人衆と目を合わせてから、俺はゆっくりと頭を下げた。最前に座る前田様が顎に手を当てて考え込んでおられる。…俺のことを知っているのだろうか。


「…お主、生駒殿の婿ではないか?」


 記憶を頼りに前田様は俺の顔を眺めながら声をかけた。さすが前田様。


「は、亡き家長は我が養父にございます。」


「ふむ。盛清の一件は我ら南尾張にも知れ渡っておる。…そうか、池田殿に拾われてござったか。」


 俺は頭を更に下げた。勝三郎様には感謝している。だが、それだけではない、古渡様、帯刀様、甚助様、色んな方々が俺を助けて下さり、今ここにいることができている。


「前田殿、此奴は貴殿らが思っている以上に死線を潜ってここにおる。盛清の件もそうだが、長島城の攻防、比叡山、公方様との争いにも加わり、生き長らえておる。」


 斎藤様が穏やかな口調で説明すると玄以様が大笑いした。


「比叡山での活躍は私も心躍る思いじゃった。…この者はのぉ、逆境に強い。どんな時であろうと主への思いを忘れずに一途に勤めて来ておる。家中には敵も多いが、味方も多い。荒子殿も懇意にされると良いでしょう。…のう大橋殿?」


 話を振られた大橋様は苦笑した。


「…確かに敵は多いのお。」


「某が大殿のお側に控えていた頃は、酷かった。」


 そう言って川尻様が笑う。確かに、川尻様も昔は佐脇様の影響で、俺を敵視してたっけ。…て佐脇様って前田様の弟では?


「こうして見ると、貴殿は我が弟からの醜聞とは大きく異なるなぁ。」


 俺は平伏するしかない。佐脇様は信長様の小姓として仕えるお方。その方の悪口を言うのは憚られる。


「藤八は人を陥れることしかしておらぬ。故に未だ“小姓”の身なのじゃ。利久、よう言うておけ。」


 勘九郎様が話をまとめるように前田様に言うと、前田様は恐縮した様子で頭を下げた。


「無吉の紹介はこれにて仕舞だ。これより、我らの当面の目標を示す。」


 主の言葉で皆が姿勢を正した。俺は素早く元の位置に戻る。


「父上からの命は3つ。」


 勘九郎様が指を三本立てて手をかざすと皆がこれに注目した。



「1つ!…東海道。

 1つ!…大和街道。

 1つ!…中山道。」



 指を折りながら出た言葉は街道名。さすがに奉行衆も何のことか分からずぽかんとしている。俺も昨日大殿からの文を見せて頂いたときはそんな顔してたよ。

 大殿の命は、内務、外務、軍務の3つにおいてそれぞれ意味を表している。


 まずは外務。東海道とは三河の徳川と関東の北條を意味する。つまり、織田家が関東に進出するための外交活動をせよという意味だ。俺は堺の商人を通じて北條家に接触するチャネルを持っているのでこの方面で活躍可能だ。

 大和街道とはその終着点である郡山のことを表す。つまり筒井氏を始めとする大和の仏教勢力のことである。本来であれば伊勢の次男坊がやるべきことなんだが、南伊勢はまだ安定してないので、勘九郎様に命令が下ったそうだ。

 中山道とは木曽家のこと。武田攻略のために、まずは木曽家と誼を通じて足掛かりを作らねばならない。担当は主に斎藤様になるそうだ。


 次に内務。これは文字通り街道整備である。大殿は畿内と濃尾を結ぶ複数の街道を整備し、迅速な兵の移動を可能にしたいそうだ。この政策は若狭・越前方面にも命じられている。ただ中山道については、関東進出後でもいいはず。


 最後に軍務。東海道とは、三河遠江の織田領化を意味する。つまり水野家に続いて徳川家も家臣化せよとのことだ。借金塗れの徳川家は従わざるを得ないと思われる。

 大和街道とその先にある畿内の援護だ。特に本願寺に踊らされて紀伊が騒がしくなりつつあり、塙様の支援は急務といえる。

 中山道とは武田家攻略のことである。大殿から命ぜられた最終目標はこの武田家だそうだ。勘九郎様としてはお辛い気持ちであろうが、そのことには触れられないため俺は何も言えていない。だが、松姫様のことを忘れた訳ではないはず。


 とまあ、三方面に対しての活動が勘九郎様の役目となり、勘九郎様も大まかにその内容を家臣に伝えた。前田様は話を聞き終えて視線をあちこちに飛ばした。自信なさげな表情だ。


「心配するな。必要な銭は堺と平野から調達できる。お前たちは私に無心に来ればよい。」


 そう言って勘九郎様はそう言って大きく笑った。…その調達はどうせ俺の役目であろうが。





 ~~~~~~~~~~~~~~


 1573年9月-


 元号が“天正”へと改元された。


 私のいた世界では、足利15代将軍を追放された信長様が朝廷に働きかけて改元したと言われていたが、信長様は元号の選考と費用の捻出だけで、それ以上の働きかけは行っていない。この時期の信長様は朝廷に対しては積極的ではなかったと記憶している。


 1573年11月-


 元服なされた勘九郎様は南尾張を与えられ勘九郎様独自の軍を編成された。南尾張の石高は二十万石強しかないのだが、最大一万を超す兵を抱えることができた。これは織田家が昔から推進してきた「銭で兵を雇う」政策による。そしてこれが他国を圧倒して急成長できた要因で、勘九郎様も集めた銭で兵を雇い軍容を整えた。時代は銭で兵力を維持し銭で戦を左右することになり、堺など大規模な商業都市を支配下に置く織田家は益々領土を東西に広げ、勘九郎様率いる“清州軍”もこれに貢献した。



 だが状況は大きく“本能寺の変”に近付いたとも感じた。



 私は勘九郎様と共に天下布武の道を歩んできた。私にとってこれ以上の喜びはなく、天下統一後もそれまでの勘九郎様との歩みは忘れられるものはなかった。


 この時から、勘九郎様と共に歩んだ……出来事なのだからはっきりと覚えている。



 いきなり暇を出され、結局半年も公職につかない状態だったのだから。



 ~~~~~~~~~~~~~~




 俺は、勘九郎様より、清州城下町の追手門近くに屋敷を頂戴した。…山科で住んでいた屋敷より広い。館は大きく3つに分かれ、屋根付きの渡り廊下で繋がっており庭も広い。部屋数は前の倍にもなる。馬廻の男が住んでいい家なのかさえ思う。当然、山科から連れてきた家臣だけでは手が足りず、奥を任せる女中と護衛となる武将を募集した。戦で夫を失った下級武士の家族は意外と多く、女中はすぐに集まった。俺は子持ちの未亡人を優先的に雇い入れ、その管理全てを茜に任せた。

 護衛は思った通りすぐには集まらなかったので、勘九郎様にお頼みしようと考えていると、勘九郎様の小姓の一人がやってきて、登城の沙汰を受けたので、山岡八衛門景佐と祖父江孫十郎秀綱を伴って、清州城に登城した。すぐに客室に通され、下座に座って待っていると、道意様が来られ、次に玄以様が来られた。二人は中座に座り、二人ともニタニタ笑っている。…もう嫌な予感しかしない。


 更に時間が経過して、勘九郎様が庄九郎を伴ってやってきた。俺は下座から平伏し主のお言葉を待った。



「……無吉、お前に“暇”を与える。」




 え?




 俺は思わず顔を上げる。主と目が合った。笑っている。廊下に佇む庄九郎に視線を移す。庄九郎は俯いたままだ。相変わらず、道意様と玄以様はニタニタ顔。俺は訳が分からず、聞き返した。


「お前は三人も嫁を抱えておる。…だのに未だ子ができぬ。」


 当たり前です。何もしてないんだから。


「義母上が言っておった。“あの子には家族が必要です”と。私もそう思う。」


 い、いやどういう根拠で?


「それに……私もお前の子が見てみたい。」


 勘九郎様の目は笑っていた。…完全に後者が理由じゃねーか。そうか、それで道意様がニタニタされているのか。


「だから暇を与える。子作りに励め。」


 そんな言葉にもう俺はどう切り返したらいいかわからない。


「道意が良い本を持っているそうだ。後で貰っておけよ。」


 いや、松永様の房中関連の話は俺も知ってるけど、そういうことじゃなくて。


「心配するな。お前が必要な場合はこちらから呼びに行かせる。安心して励め。」


 俺はどう答えて良いか分からず、一先ず「承知いたしました」と頭を下げて退出したが、孫十郎、八衛門の様子を見ることができず、上の空で屋敷へと帰った。嫁三人の「お帰りなさいませ」を受けたが返事もそこそこに書斎へと引き籠もった。皆を下がらせ一人考え込んだ。




 分かっていた。



 いや、分かっていたつもりでいた。



 いざ「励め」と言われると、俺の前世の倫理観が大きく邪魔をして、躊躇する。


 なんせ、相手は十代だ。



 それはいい。いや、よくない。…だめだ混乱してる。



 そう、子だ。



 俺には血の繋がった家族がいない。



 御台様がそれを心配して、勘九郎様に入れ知恵されたのだろう。確かに、この時代、父親(養父、義父含む)の影響で自身の出世が大きく左右されるのは理解している。俺の父は現在池田勝三郎様で、信長様の御親族衆にも繋がるお家柄だ。御自身の親族も多い。庇護を受けるに十分なお方だ。


 だがそれだけではダメなんだ。


 俺には、他の馬廻衆と違って欠落しているものがある。




 それは、自身の血縁。




 俺には嫁が三人おり、世話をする女中を抱え、俺に忠義を尽くす家臣もいる。…だが、世継ぎがいない。つまり俺が死ねば断絶、一家離散となるのだ。庄九郎にしても、他の馬廻衆にしても、自身の地位を引き継ぐ“替え”がいる。だから、不測の事態に陥っても対応が可能。

 俺にはそれがないから、御台様も勘九郎様も「子を作る」ことを最優先に命じられたのだ。





 納得。





 でも脱線した気がする。



 どうすれば、心の整理をつけて励める?




 俺は数え15。相手は14。郷に入っては郷に従え。相思相愛なのだ。何をしても許される。いやまて、この時代の作法とはどうするのだ?やはり道意様から「房中」の書をお借りするべきか。いや初めての相手にそんなことは…。違う!話を脱線させている。子だ!俺が皆とより繋がりを持つために子が要る…要るのか?俺は今でも皆からよくして頂いているし、この三年で顔も広くなった。それなりに繋がりもある…はず。俺の目的は“本能寺の変”の回避であって歴史に名を遺すことではない。子が要るのか?…いやまた話を逸らしているな。子は俺一人で出来るものではない。相手がいる。そしてその相手が子を欲しがっている。ならばその想いに応えるのが夫の勤め…だめだ、分からん。俺は前世でも子供はいなかったが故、子に対する思いが分からん。正直欲しい気もするし、いらない気もするし、気持ちの整理が………





「…旦那様。」




 柔らかく、小さな手が俺の顔を覆った。




「孫十郎殿からお聞きしました。…子ができるまで暇を与えられたそうですね。」


 小さな手がぷにぷにと俺の頬をつつく。俺は黙ってその手を握り締めた。その手は暖かく握り返してきた。


「私も…旦那様の御子が欲しゅうございます。そうすれば……家が、“我が家”ができあがります。」



 そうだ。俺は池田別家として名を与えられた。だが、それは俺一代。俺が死ねば、嫁家臣含めて離散。だが子がいれば、その子を家族は団結して盛り立てていく。家臣も路頭に迷うことはない。



 俺は俺だけの体ではない。家臣を抱え、嫁を貰ったからには、責任があるのだ。


「茜…。」


 俺は小さな手の主の名を呼んだ。


「我が家…か。」


「はい。色んな方の想いが混ざり合い…新しい、旦那様の“家”が出来上がるのです。」




 只々御主君に思いを馳せ“本能寺の変”を回避すべく邁進していた俺に新たな目的ができた瞬間だった。



 俺は茜を引き寄せ抱きしめた。女子特有のいい香りが鼻をくすぐり茜をより身近に感じた。



 “我が家”をつくろう。その為に子を成そう。まずは茜だ。次に咲どのだ。福は…まだ先だ。そして一刻も早く御主君を喜ばせて差し上げよう。ついでに「女子とは気持ち良きもの」と皮肉を言ってやる。



 俺は茜を押し倒し、その体を欲望に任せた。






 1573年11月18日。



 俺は「男」になった。





斎藤利治:斎藤道三の末子。母親は帰蝶と同じく小見の方と言われています。


織田信興:織田信秀の七男で信長の弟にあたります。母親は残念ながら伝わっておりません。史実では長島の戦いで討死しております。


佐治信方:南尾張の豪族(海賊?)佐治為景の子でお犬の方様を娶られました。史実では長島の戦いで討死しております。


織田信照:織田信秀の九男で信忠の弟にあたります。後に遠江の国人中根忠貞の養子になります。


水野信元:尾張三河の境を領する豪族。桶狭間の合戦以降織田家の盟友として協力していたれっきとした幕臣ですが、佐久間信盛の讒言に合い信長によって殺されてしまい水野宗家は滅んでしまいます。


浅井政澄:尾張苅安賀城の城主。近江浅井家にも同名の人物がいるため、政貞と呼ばれることもあります。史実では余り出世しなかったようです。


平手久秀:平手政秀の子。信長のせいで父が自害したと思っていたようで、余り信長のもとに出仕していなかったようです。史実では長島の戦いに駆りだされて討死しています。


島田秀満:史実では信長に仕えた奉行衆のひとりです。土田生駒出身の武将で織田信忠に召し抱えられた後暫くして没します。


塩川長満:摂津の豪族で信長が上洛した際に臣従しました。荒木村重に属して各地を転戦していますが村重が謀反を起こすと袂を分っております。本物語では義昭に追い出されて路頭に迷っていたところを玄以に助けられて清洲にたどり着いております。信忠の側室の父親です。


前田利久:荒子前田家の当主です。史実では病弱を理由に家督を三男の利家に譲らされていますが、本物語では健在です。


荒尾善久:知多郡木田の国人です。本物語では次男の荒尾成房が馬廻り衆に加わっております。


大橋重長:海東郡津島の国人です。本物語では次男の大橋重賢が馬廻り衆に加わっております。


岡田重善:「小豆坂七本槍」のひとりです。


熱田加藤順政:熱田の商人のひとりです。本物語では熱田衆を率いる商人衆として信忠に仕えます。


岩崎丹羽氏勝:愛知郡岩崎の国人です。本物語では子の丹羽氏次が馬廻り衆に加わっております。


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